姥捨山は実在した?歴史から検証する伝説の真偽と現代の姥捨山型老人ホーム

歴史上や空想として言い伝えられている話をご紹介しました。では、実際にそのように悲しい場所もしくは風習が実在していたのかどうかは証明できません。老人を山に置き去りにしたからと言ってかならず死に至るかと言われると疑問点もあり、架空話の可能性のほうが有力です。

姥捨山の公的記録は残されていない

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既出している冠着山の同じで「姥捨山」と呼ばれていた場所は国内の様々なエリアに実在します。しかし、噂はあるものの公的記録や資料は発見されておらず、実話だと証明することができないのが実情です。

姥捨山を由来する地名は死体捨て場

しかし、それぞれ「うばすて山」言い伝えられている場所の由来は共通していて「死体を遺棄する場所」もしくは「不要な老人等を口減らしとして生きたまま捨てる墓場」という愚かな事象を戒める内容になっています。

口減らしは老人ではなく乳児という説も

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この悲しさしかない風習「くちへらし」も様々な地方で歴史的に行われていたと言われます。これに関しては高齢者というよりは生活難・食糧難が原因で乳児を含む幼児などに対して行われていたと言われます。

出生後の子供に対しては「口減らし」という言葉が使われていました。しかし、妊娠中に子供を堕胎して食糧難などを回避していた文化も実在します。そのような文化でなくなった子供は「水子」と呼ばれ供養されていました。

仏教でも姥捨山が受け継がれる

このうばすて山という話は、仏教の中でも心温まる話の一つとして伝えられています。実際に仏教に携わっている人や、僧侶などが仏教の教えを一般の人にわかりやすく説明する「法話」の中でも教えとして説かれています。

仏様の例えは「姥捨山」に登場する母親

うばすて山の話の中で年老いた母親は、自分が死の危険に晒されているにも関わらずただ息子が安全に生きられるようにと願いながら山に置き去りにされます。その広く深い心をもった姿勢こそが仏様と同じような心を持っているという事だと伝えられます。

温かい宗教の教えとして伝わる

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この教えは、本当の親心に触れる事で自分自身の不実さを知る事ができた。それもすべて、親の子を思う深い愛からきています。自分に背くもの、逆らうもの、いかなる者でも救わずにはいられないという仏の教えと同じであると言い伝えられています。

悲しい伝承ですが、温かい教えを学ぶ事ができると言われているお話です。同じように、悲しい話や恐ろしい文化が日本国内では言い伝えられていますが、実はその背景には悲しいだけではない文化が残っているのです。例えば藁人形も呪いだけではなく「厄落とし」としての文化が残っています。

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