姥捨山伝説は難題型と枝折型、複合型がある
「うばすてやま」という言葉を見て、昔聞いた気がしたり、民話を思い出す人が多いと思います。どこかで聞いたけど実際にどのような話だったのか詳しくは知らない人が多いのも事実です。民話の裏に隠されている秘密とはいったい何だったのか?少し調べてみました。
難題型の姥捨山伝説
「年を取りすぎて働けない人間は必要無い、山中に遺棄しする事」とお触れが出た国がありました。そんな中、言いつけを守らずに年老いた両親を床下で隠している家族がいました。その国は隣国に攻め入られそうになり、さまざま難しい問題に答えられなければ国を滅ぼすと脅されてしまいます。
その問題は、様々な経験を乗り越え生きてきた年寄り達のみ解く事ができました。残念なことにほとんどの老人は山に置き去りにされ死んでいました。しかし、人目を避けて暮らしていた人のおかげで難問を解く事ができました。以来、経験豊かな年寄りこそ大切するべきであると考えるようになりました。
枝折型の姥捨山伝説
もう一つは、高齢の両親を山へと置き去りにする為に向かう最中の話です。子供は親を抱え山へ”置き去りにする目的”で入っていきます。その際に、背負っている親が道すがら枝を折って進んでいるのに気がつきます。そして背中の親に尋ねました。
なんのために枝を折っているのか?と聞くと親は「おまえが帰り道で迷わずにすむように」だと伝えます。それを聞いた息子は驚きます。自分がこれから置き去りにされるのにも関わらず子を思う気持ちの強さに心打たれ、改心し親を捨てるのをやめ、山を降りていったのでした。
そして3つ目にこの両者を合わせた複合型の伝説が残っています。
まんが日本昔ばなしの「うばすて山」
現代の大人なら、子供時代にかならずどこかで見たであろう「まんがにほん昔ばなし」という子供向けの番組を覚えていますか?その番組の中でも紹介されている「うばすてやま」ですがこれは難題と枝折の話のポイントを一緒にした複合タイプの言い伝えです。どんな話なのかをご紹介します。
捨てられる母親は木の枝を折って道しるべを作った
ある国に、六十歳以上の老人(両親を含む)は働くことができず不要なので山へ捨てろという命令が下りました。ある小さな村でも、誕生日を迎え六十歳になった母を山へ捨てに行こうとしている子がいます。
母を背負い、多くの人が年寄りを捨てている山へ登っている途中、背負っている母が道ながら「子供が帰り道で迷わないために」と木枝を折り目印を作っています。今から置き去りにされる自分の心配はせず息子を思う愛のある気持ちに、改心し母親を連れ帰り家の地下でこっそりとかくまう事にしました。
殿様に出された難題の数々。解決したのは母親だった
その国は隣りの国に様々な難問を出されます。その問題に答えないと国を滅ぼすと脅されたのです。国民総出でその難問を解くのですが、答えが見つかりません。そんな中、こっそり隠れながら暮らしている年老いた母親だけが答えを導き出す事ができました。
老人を大切にするようになったという話
国を救うために様々な知識を提供した人が、命令により置き去りにするはずだった年老いた母親だったと知った殿様、その後年老いたからこそ経験からくる知識があると知り、それ以来お年寄りを不要とするのではなく大切にしていく事にしたというお話です。
日本の歴史で見る姥捨山伝説とは?
実はこの言い伝えや、民謡として言い伝えられている「姥捨山」はこの国に実在していたとも言われています。では、実際にどのような物だったのか、人々はどのように考えていたのか、背景にある歴史も含めてご紹介します。
姥捨山があったのは戦国時代
すでに紹介した言い伝えに登場する、”お触れを出した殿様”は武田信玄を指していると言われています。武田信玄が力を誇っていたのは日本の戦国時代なので、武田信玄が生きていた時代には既に姥捨山(もしくはそのような物)が実在していたと信じられています。
信州・長野県を支配していたのは武田信玄
日本の歴史上の武将といえばすぐ名前が上がってくるのが「武田信玄」です。有名な武将としても知られていて、現代でもテレビドラマの題材などになっています。知名度の高い武将で、多くの地域を支配していましたが、実はとても残酷な武将でもあったと言われています。
当時の武田信玄は、「親・老人・重巨」からの意見やアドバイスなどを極端に嫌い無視していた殿様であったと言い伝えられており決して名君ではありませんでした。そんな暴君であった武田信玄は信州攻略のために現在の長野県で川中島の合戦として5回に渡り上杉謙信と争っています。
姥捨山は領国争いにさらされていた
そんな川中島の合戦地に隣接していた山の名前が「かむりきやま」です。この近くで武田と上杉の両方の勢力争いに大きく振り回されていました。当時はクチヘラシという弱い者や働け無い者を順番に殺してゆくという風習も残っており、老人もその中に含まれていたと言われています。
実際にこのように呼ばれていた「冠着山(かむりきやま)」を登っると、頂に向かうにつれて小さな石碑などを確認することができます。これはここに埋葬もしくは置き去りにされた老人たちの墓標かもしれないと言われています。
姥捨山伝説は東北地方にも存在していた?
実は日本では長野県以外にも東北地方でも似たような風習があったと言い伝えられているのです。実際にこの悲しい風習は明治まで続いていたといわれ、今でも歴史を振り返り二度と起こすことの無いようにと伝えられています。
東北では60歳が「木の股年」と呼ばれた
昔の話ですが、東北地方では60歳の区切りを「木の股年」と呼んでいたと言われています。その由来は、この年齢になった人たちは働く事もできないので山の中にある木の股に挟み置き去りにされ捨てられていたという悲しい風習があったという言い伝えから来ているようです。
岩手県・遠野に伝わるデンデラ野
岩手県の遠野市にあり心霊スポットとも言われているデンデラ野はそんな悲しい言い伝えをよりリアルに感じることができる場所です。昔、デンデラ野は亡くなった人の墓場として使われていました。同時に食糧難などの時には働けない老人は生きたままデンデラ野に捨てられたと記されています。
そこに捨てられた老人は、日中は里に下り農作業を手伝い夜はデンデラ野に戻り命の灯火が消えるのを静かに待っていたという悲しい習わしです。現在ではそれを忘れることが無いようにと言い伝えられています。
姥捨山は本当に実在したのか?
歴史上や空想として言い伝えられている話をご紹介しました。では、実際にそのように悲しい場所もしくは風習が実在していたのかどうかは証明できません。老人を山に置き去りにしたからと言ってかならず死に至るかと言われると疑問点もあり、架空話の可能性のほうが有力です。
姥捨山の公的記録は残されていない
既出している冠着山の同じで「姥捨山」と呼ばれていた場所は国内の様々なエリアに実在します。しかし、噂はあるものの公的記録や資料は発見されておらず、実話だと証明することができないのが実情です。
姥捨山を由来する地名は死体捨て場
しかし、それぞれ「うばすて山」言い伝えられている場所の由来は共通していて「死体を遺棄する場所」もしくは「不要な老人等を口減らしとして生きたまま捨てる墓場」という愚かな事象を戒める内容になっています。
口減らしは老人ではなく乳児という説も
この悲しさしかない風習「くちへらし」も様々な地方で歴史的に行われていたと言われます。これに関しては高齢者というよりは生活難・食糧難が原因で乳児を含む幼児などに対して行われていたと言われます。
出生後の子供に対しては「口減らし」という言葉が使われていました。しかし、妊娠中に子供を堕胎して食糧難などを回避していた文化も実在します。そのような文化でなくなった子供は「水子」と呼ばれ供養されていました。