国を救うために様々な知識を提供した人が、命令により置き去りにするはずだった年老いた母親だったと知った殿様、その後年老いたからこそ経験からくる知識があると知り、それ以来お年寄りを不要とするのではなく大切にしていく事にしたというお話です。
日本の歴史で見る姥捨山伝説とは?
実はこの言い伝えや、民謡として言い伝えられている「姥捨山」はこの国に実在していたとも言われています。では、実際にどのような物だったのか、人々はどのように考えていたのか、背景にある歴史も含めてご紹介します。
姥捨山があったのは戦国時代
すでに紹介した言い伝えに登場する、”お触れを出した殿様”は武田信玄を指していると言われています。武田信玄が力を誇っていたのは日本の戦国時代なので、武田信玄が生きていた時代には既に姥捨山(もしくはそのような物)が実在していたと信じられています。
信州・長野県を支配していたのは武田信玄
日本の歴史上の武将といえばすぐ名前が上がってくるのが「武田信玄」です。有名な武将としても知られていて、現代でもテレビドラマの題材などになっています。知名度の高い武将で、多くの地域を支配していましたが、実はとても残酷な武将でもあったと言われています。
当時の武田信玄は、「親・老人・重巨」からの意見やアドバイスなどを極端に嫌い無視していた殿様であったと言い伝えられており決して名君ではありませんでした。そんな暴君であった武田信玄は信州攻略のために現在の長野県で川中島の合戦として5回に渡り上杉謙信と争っています。
姥捨山は領国争いにさらされていた
そんな川中島の合戦地に隣接していた山の名前が「かむりきやま」です。この近くで武田と上杉の両方の勢力争いに大きく振り回されていました。当時はクチヘラシという弱い者や働け無い者を順番に殺してゆくという風習も残っており、老人もその中に含まれていたと言われています。
実際にこのように呼ばれていた「冠着山(かむりきやま)」を登っると、頂に向かうにつれて小さな石碑などを確認することができます。これはここに埋葬もしくは置き去りにされた老人たちの墓標かもしれないと言われています。
姥捨山伝説は東北地方にも存在していた?
実は日本では長野県以外にも東北地方でも似たような風習があったと言い伝えられているのです。実際にこの悲しい風習は明治まで続いていたといわれ、今でも歴史を振り返り二度と起こすことの無いようにと伝えられています。
東北では60歳が「木の股年」と呼ばれた
昔の話ですが、東北地方では60歳の区切りを「木の股年」と呼んでいたと言われています。その由来は、この年齢になった人たちは働く事もできないので山の中にある木の股に挟み置き去りにされ捨てられていたという悲しい風習があったという言い伝えから来ているようです。
岩手県・遠野に伝わるデンデラ野
岩手県の遠野市にあり心霊スポットとも言われているデンデラ野はそんな悲しい言い伝えをよりリアルに感じることができる場所です。昔、デンデラ野は亡くなった人の墓場として使われていました。同時に食糧難などの時には働けない老人は生きたままデンデラ野に捨てられたと記されています。
そこに捨てられた老人は、日中は里に下り農作業を手伝い夜はデンデラ野に戻り命の灯火が消えるのを静かに待っていたという悲しい習わしです。現在ではそれを忘れることが無いようにと言い伝えられています。