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仏教でも姥捨山が受け継がれる
このうばすて山という話は、仏教の中でも心温まる話の一つとして伝えられています。実際に仏教に携わっている人や、僧侶などが仏教の教えを一般の人にわかりやすく説明する「法話」の中でも教えとして説かれています。
仏様の例えは「姥捨山」に登場する母親
うばすて山の話の中で年老いた母親は、自分が死の危険に晒されているにも関わらずただ息子が安全に生きられるようにと願いながら山に置き去りにされます。その広く深い心をもった姿勢こそが仏様と同じような心を持っているという事だと伝えられます。
温かい宗教の教えとして伝わる
この教えは、本当の親心に触れる事で自分自身の不実さを知る事ができた。それもすべて、親の子を思う深い愛からきています。自分に背くもの、逆らうもの、いかなる者でも救わずにはいられないという仏の教えと同じであると言い伝えられています。
悲しい伝承ですが、温かい教えを学ぶ事ができると言われているお話です。同じように、悲しい話や恐ろしい文化が日本国内では言い伝えられていますが、実はその背景には悲しいだけではない文化が残っているのです。例えば藁人形も呪いだけではなく「厄落とし」としての文化が残っています。
大和物語の中での姨捨(おばすて)
平安時代に作られたと言われている「大和物語(やまとものがたり)」の中で似た内容の「姨捨」というお話が出てきます。登場人物は少し違うものの、話の裏側から学ぶことができるポイントは同じような教えになっているお話です。
母親がわりに親身になって育ててくれた伯母
母親を早くに亡くした男がいました。男の伯母は、実の息子のように育ててきました。しかし、彼が妻に迎えた女は彼女が気に入らず意地悪ばかりをしていました。ある日「伯母を背負って深い山へ捨ててきて」と男に頼んだのです。悲しいことに男は妻の指示通り、彼女を山へ捨てに出たのでした。
置き去りにした後、後悔し迎えにいった
実際に何も知らない伯母を山へ置き去りにした男は、家に戻ります。しかし、家に戻った後に我にかえりいじわるな妻の言う事を聞くのではなく愛情持って育ててくれた伯母を思い考えを改めたのです。そしてすぐに彼女を山へ迎えに戻ったのでした。
その伯母を思い詠んだと言われている唄が古今和歌集に記されています。その唄の中に出てくる「姨捨山」を引き合いに出し、ウバステヤマという言葉が世に広がり知られ使われるようになったという可能性もあります。
古今和歌集 (第十七巻 雑歌上)
- わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て
現代語訳:私の心は、慰められないのだ。更級の姥捨山に照る月を見ていると。(現代語版の解釈:夜、姥捨山を照らす月を眺めていると、捨ててきた伯母さんのことが心配で私の心は慰められないのだ。)
現代の姥捨山と呼ばれた老人ホームとは?
ここまで、この悲しい言い伝えはあくまでも架空のものであり歴史上では実在していないとご紹介しました。しかし、皮肉なことに現代の日本では高齢化に伴い年老いた老人の行き場が限られてきてしまっています。
そんな高齢化した現代で多くの老人が、救いを求めるのが老人ホームです。最近では様々な種類の老人ホームがある中で「現代版うばすて山」と言われ、悲しい意味合いで注目されている場所も実在しています。
「陸の孤島」に非難殺到
それは南伊豆にある老人ホームで、都内から車を走らせても5時間程かかるとても不便な場所に位置しています。南伊豆は天候によってはたどり着く事が不可能な場合もあり、その立地が故に「陸の孤島」とも呼ばれています。
この場所に預けられた老人は、日帰りで自宅に戻る事もできずその立地と距離から訪れる家族も少ないと言われています。まるで、言い伝えのように「生きたまま死を迎えるのを待つだけの場所」のようなイメージが付き、多くの人から非難されています。
姥捨山を題材にした映画作品
一つのストーリーから様々なな感情や思いを学ぶ事ができるとして、この「うばすて山」を題材とした作品も多く存在しています。もちろんすでに紹介している子供むけの昔話から、短編小説以外にも映画として製作されたものもあるのでご紹介します。
姥捨山を題材にした映画①:楢山節考
1957年に発表された小説が2度にわたり映画化されています。老人を遺棄する言い伝えをテーマとして作られた作品でその中でもこの名が多用されています。この言い伝えが大きく国内に広がったのもこれがきっかけなのかもしれません。
姥捨山を題材にした映画②:デンデラ
上で紹介した楢山節考の監督の息子が2011年に発表したのがこの映画です。別の作者が発表した「デンデラ」という小説を原作にし作られており内容としては山にすてられた老人たちが力を合わせ復讐するという衝撃の内容になっており、伝説のその後をイメージさせる映画です。
ビートたけしのコラム「姥捨山を復活させろ」が話題に
芸人、映画監督として異色の才を放っているビートたけしですが、彼が発する言葉はほとんどの場合深い意味合いを持っており世を騒がせています。そんな彼がこの高齢化社会に対して言及したコメントが話題を呼んでいます。
「新潮75どうする超高齢化社会」に4つの提言
新潮75のコラムに掲載された、4つのビートたけしがコメントした提言は衝撃的な内容でした。当時の新潮を読んだ人たちからは肯定的な意見もあれば、激しく批判する人達もいました。その内容についてご紹介します。
①75歳以上から選挙権を取り上げる
古い昔の考えを持った人が多いと現在の政治がうまく回らないという考えです。世界の状況は日々変わっているので昔の考えで政治を動かさないほうがいい。どうしても、投票したい人は選挙権を10万円で購入するシステムにする事で財政を潤わせる。という考え方です。
②75歳からは医者にかからない
発展してきた医療に頼り長生きするのではなく自然に任せた人生をおくったほうがいい。自然に任せて生きるからこそその人自身の人生に責任と覚悟を持って生きていけるのではないかと言われています。
③切腹を復活させる
自分自身の生き死には自分で責任を持ち判断できるようにする。安楽死などを認め死ぬことを自分で公式に選択することができるようにする事で、自分自身の尊厳を守るのがいかにすごい事なのかを知る事ができる。
④姥捨山を復活させる
そしてこの悲しい山を復活させるという4つの提言でした。現代で高齢者が悪い影響を与えている面も否めないし、無理に長生きさせるのではなく尊厳を持って死を迎えることができるべきだという聞いただけでは批判を呼びかねない内容でした。
あなたはどう感じますか?
このビートたけしの内容を読んで、どのように感じましたか?当時の日本では話題になったのは間違いありません。一見すると過激な内容ではありますが、日本が今対面している超高齢化社会が抱えている問題を語っていると感じる人も多いようです。
現在の日本が対面している問題の一つでもある超高齢化社会について考える上で、この衝撃的な内容や、歴史を理解すると現代社会に対する考えも、もしかすると少し変わるのかもしれません。
心霊スポットとしての姥捨山
このような悲しいバッググラウンドのある伝説ですが、日本中様々な場所に同じような歴史を持つ山が存在しているとご紹介しました。現在では昔の風習なども曖昧になってしまい、昔どのような事が行われていたのかも知る人は多くありません。
夜の山や峠には気をつけて
心霊スポットとして知られている山でも、普通のキャンプ場等でも不思議な心霊体験をする事があります。老人が出てきたりする場合、その地の歴史を辿ってみましょう。もしかするとその場所は昔うばすて山として多くの老人が無念の死を遂げた場所なのかもしれません。
超高齢化社会を迎える今こそ姥捨山について考えたい
うばすて山という悲しい風習や歴史から生まれた伝承をご紹介しました。昔の食糧難などによる生きていくための方法の一つとして行ってきた悲しい風習、それを繰り返す事のないようにどんな人でも愛を持って受け入れるようにという教えを近代の高齢化の社会でも覚えて生きていきたいものです。