廿日市女子高生殺人事件|北口聡美さんはどんな女性でなぜ殺害されたのか

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報道で、”家族”と住んでいたと報道され事とFacebookで同姓同名の似た写真の方がいた事から事件後に結婚を指定単は無いか?と噂されましたがどうやら現在は独身で逮捕された際は実家で両親と住んでおり、”家族”と報道されました。

犯人・鹿嶋学は広島に縁があったのか

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この犯人は山口県在住となり、広島県に住んでいた記録が全くありません。また、犯人として捕まった時も周りの人が何故広島で?と疑問に思うほど縁も所縁もない土地での犯行だったのです。なぜ、犯人は広島県にいたのでしょうか?

何故、鹿島学は広島県にいたのか?

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そんな犯人ですが、何か嫌な事があったりするとよく原付バイクで遠出をしていたようです。しかし、犯人の住む山口県宇部市から広島県廿日市市は原付バイクで移動すると3時間以上はかかる道のりなのです。事件当日はわざわざこの距離を原付で広島までやってきたのです。

鹿嶋学は犯行当時何があったのか?

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嫌な事やイライラする事があると原付で遠出していた犯人ですが、事件前日、当時働いていた職場を解雇されていたのです。逮捕時に勤めていた職場では、無遅刻無欠席で優秀だと言われていた犯人ですが、以前は仕事を解雇されてしまうような勤務態度だったと言う事です。

北口聡美さんの父・忠さんの精力的な活動

この事件を風化させない為にも、聡美さんと仲のよかったお父様が精力的に活動を行っておりました。ネットを通しブログを日々更新したり、チラシなどを配り目撃情報等を収集していたのです。14年達やっと犯人が逮捕された事で聡美さんは戻って来なくても無念を少しだけ晴らす事ができたのではと思います。

2008年には300万の懸賞金をかけた

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北口さんの事件には、実はおよそ5500件もの目撃情報が寄せられておりましたが、解決に結びつく情報がなかなか手に入りませんでした。そこで、約10回程懸賞金の期間も延長されており解決に結びついた情報を提供してくれた人には最高300万円もの懸賞金がかけられていたのです。

ブログを通して情報収集を行う

なかなか情報も集まらない中、お父様が開設したブログでも日々情報提供を呼び掛けていました。そのブログは大きな反響を呼びまたお父様の聡美さんに対する愛情が深く感じられるブログとなっており、ブログを読んだ人は忘れてはいけない事件だと思いなおす事ができる物でした。

中でも、聡美さんがもし生きていたら30歳を迎えていた日のブログは多くの人を感動させ、そして一刻も早く犯人逮捕に繋がる何か大きな情報を手に入れる事ができないか、何か犯人逮捕に結びつく手伝いは出来ない物かと多くの人の心を動かす内容だったのです。

チラシを配って情報取集

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また、ブログだけではなくお父様は市内のショッピングモール等でチラシ配りも頻繁に行い情報収集を行っておりました。どんなに小さな情報でもどこから解決に繋がるか分からない状況でしたので些細な事でも情報が聞けるようなるべく多くの人と関われるようにしていたのです。

北口聡美さんの父・忠さんのブログ

お父様は犯人が逮捕された後もこの事件が風化されないようにブログを続けております。遺族を無くした悲しみは犯人が逮捕された後も続きます。そういった被害者のリアルな気持ちやまた、自分の家族が犯罪に巻き込まれてしまった方達へ向けた集会や講演会等も精力的におこなっているのです。

葬儀後の父・忠さんの言葉

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葬儀が終わった後、お父様は遺骨を抱え”こんなに軽くなってしまって”と悲しみに溢れた言葉がでてしまったのです。以前、お父様は足の靭帯を切ってしまった聡美さんを助ける為、おんぶをした時にずっしりと感じた重みを思い出しながら”それが何も言わない”と見ていて苦しくなる程の言葉でした。

北口聡美さんの父・忠さんは今も戦い続けている

お父様は犯人が捕まった後に、聡美さんに心の中で”事件が解決したよ”と伝えたようです。しかし、同時に”守る事ができないで、ごめんなさい”とも強く思ったそうです。こればかりは、犯人が捕まった所で、忘れられない感情なのでしょう。お父様はこの感情と共に一生生きていかなくてはいけません。

そんな気持ちを共有できる仲間、こんな気持ちになる人が少しでも減ってくれるようにとの願いから今でもブログを書き、風化してしまう事件が少しでも減るようにそして同じ遺族になってしまった方との交流会として集会や講演会を開く姿はいつまでも戦い続けているように見えるのです。

広島県の話題になった未解決事件

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広島にはまだ、解決していない未解決事件が残っています。全ての事件のご紹介は出来ませんが中でも謎が多く残っている物、その時大きな話題になったニュースを2点取り上げております。事件が風化されてしまわぬよう少しでも多くの情報が手に入ればと願っております。

また、広島以外でももちろん未解決事件は多く発生しているのが現実です。少しでも多くの事件が解決できるようまた、今後未解決事件等が発生せぬよう祈るばかりです。ここで平成最初に起こった未解決事件について書いた記事をご紹介します。

広島中区西白島町少女刺殺事件

2000年1月にコンビニ帰りの熊井梢さん(当時16歳)が何者かに後ろから4か所刺され死亡した事件が発生しました。その時にたまたま携帯に電話した友人へ”痛いよ、痛いよ、血が止まらんよ”と言葉を残し電話は切れてしまったのです。そして、この事件に関してはいまだ犯人は逮捕されていないのです。

この事件の引っかかる部分として、熊井さんは事件直前に友人へ”とても大事なこと”について相談をする約束をしていたのです。しかし、殺されてしまった今、その大事な事が事件に関係しているのかは謎のままとなってしまいました。

広島市佐伯区藤野千尋さん行方不明事件

2014年6月に藤野千尋さんが突如姿を消してしまった事件が発生しました。いつも通り、仕事を終え同僚に地元のバス停まで送ってもらいその後の足取りが分からなくなっているのです。自ら行方をくらませたのか、それとも何か事件に巻き込まれたのかもいまだ謎のままとなっております。

2度程目撃情報がありましたがその周辺を捜索しても発見されず、また免許は持っていない為、一人で行動する場合は交通機関が無いと遠くまで移動はできない状態ですがICカードの使用履歴が残っておらず手持ちも2000円程だった事から遠くには行って居ないもしくは誰かと一緒にいるのかいまだ解決できていない事件です。

また岐阜県で起こった幼い少女の失踪事件もいまだ解決できず謎のままとなっております。詳しいこの事件の真相はこちらの記事から確認できます。

日本で起こった不可解な未解決事件

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日本ではまだまだ沢山の未解決事件が起こっております。その中でも印象深くいまだ解決できず時効となってしまった事件も多くあります。ここでは同様に全てを書く事は出来ませんが風化されない為にも少しですがご紹介いたします。

名古屋妊婦切り裂き殺人事件

1988年3月名古屋市に住んでいた妊婦が突然、何者かに自宅へ侵入され殺された事件です。この事件の恐ろしい所が、電話線で首を絞められ殺された後、犯人によってお腹を裂かれ胎児を取り出した挙句、妊婦のお腹には電話機とキーホルダーが変わりに入れられていたのです。

すでに時効となっている事件ではありますが、今だ犯人の目星もつかず謎が多く残っているのです。しかし、当時お腹の中にいた胎児は取り出された際に傷つけられ瀕死の状態となっておりましたが何とか一命をとりとめ、現在は父親と共に日本国外で生活をしているのです。

佐久間奈々さん誘拐事件

1991年10月に千葉県で起こった事件です。佐久間さんを含む4人(当時13歳)で深夜夜食を買いにコンビニへ行った所、一人の中年男に”16歳未満の者が11時以降に出歩いていると犯罪になる”と声をかけ、警察に言わない代わりに代表でお前だけ来い!と佐久間さんを指定し連れ去ってしまったのです。

残った3人は帰れと言われ、何もできずそのままその場を離れてしまいました。また、その後車から佐久間さんと中年男に似たような人の目撃情報はあったがその後プツリと情報も途絶えてしまいました。中年男の目撃もされている中での未解決事件なだけあり、不可解な点も多い事件です。

北口聡美さんの無念を風化させてはいけない

未解決事件から長い月日をかけて解決する事ができた事件ですが、解決できたからと言って忘れてしまってはいけない事件です。多くの事件が未解決になっている場合はもちろん、解決できた場合でも風化してはいけな事です。少しでも多くの人にこの事件を思いだして頂くよう、この記事を書かせていただきました。

平成最初の未解決事件はこちら

下村まなみちゃん失踪事件はこちら