殺人鬼によくある例にもれず織原城二もいろいろな奇行を行いました。一例をあげると、全裸で部屋に引きこもるなどしたり、裁判を拒否する行動を行ったりしたせいで、裁判は非常に長引いてしまいました。裁判の合計は、なんと60回を超えてしまいました。この事件が注目させれ、ニュースでも話題にあがるのはこのようなことにも起因しています。
第1審では無罪判決
ルーシーさん以外の9人への強姦は認定され、うちオーストラリア人の一人の女性の殺害についても認定されました。しかし、ルーシーさんの件に関しては証拠が不十分として無罪という判決が出てしまいました。当然のように周囲の人々はざわめきました。織原は知人の関与を語ったが、自分は関係がないとルーシーさんに関する犯行は否定しました。
最高裁にて無期懲役が確定した
2008年12月の控訴審ではついに、わいせつ目的誘拐、準強姦未遂、死体損壊、死体遺棄の罪について有罪の認定がされることとなりました。しかし準強姦致死罪に関しては一向に認定されることはありませんでした。判決を不服としたため最高裁までもつれ込みましたが、2010年12月7日付けで最高裁にて織原城二の無期懲役が確定しました。
犯人に反省の様子は皆無だった
この凶悪な強姦魔は自作自演の冤罪キャンペーンを行ったりもしていました。しまいには、刑を軽くしようとするため、オーストラリアの人女性の遺族に見舞金を贈ったりなど罪の意識が感じられない行動をしていました。そして、その見舞金を「お悔み金」と称してオーストラリア人女性の殺害には自身は関与してないという主張まで始める始末でした。
ルーシーブラックマンはどのような人物だったのか
被害者女性のルーシーブラックマンさんはどのような人だったでしょうか。どのようなルックスをして、どんな能力に秀でていたのかなどについても述べていきます。以前はどのような職業についていて、来日後彼女の能力を生かし従事していた仕事についてご解説していきます。また、亡くなったのは何歳の時だったのかについても迫っていきます。
元英国航空客室乗務員
ブロンドの容姿端麗な女性で、もともとはイギリスの航空会社のスチュワーデスをしておりました。しかし、借金があったとの噂もあります。その借金とはイギリスで車をクレジットカードで購入した時の借金とされていて、返済はまだしてなかったようです。ホステスとして日本で働くようになったのは高額なお金が手に入れるためという話もあります。
来日後は六本木のホステスとして勤務
プラックマンさんは、日本に来てから亡くなるまで約2ヶ月日本に住んでいました。多くの外国人女性が働く六本木でホステスとして働いていました。ルックスもとても美しい女性であり、接客などの会話スキルに秀でていました。かつ、人に注目されることに慣れていたので、織原城二が好むようなターゲットの条件としてとても当てはまっていました。
21歳という若さで亡くなった
ティーンネージャーの時代を卒業してまもない若干21歳という、人生もこれからという時に殺されてしまいました。
ところで、少女が拉致され凄惨のリンチの末殺害されたたいへん痛ましい事件をご存知でしょうか。それは日本全土を震撼させたコンクリート殺人事件です。こちらも日本で起きた事件なのですが、関心のある方は合わせてご覧ください。
ルーシーブラックマン殺害の犯人「織原城二(金聖鐘)」とは
加害者の織原城二は、どのような人物だったかについて述べていきます。実は、恐ろしいことに被害者はルーシーブラックマンさんだけではなく、さまざまな事件に関わっていました。また、日本人のような名前であり、国籍は日本なのですが、実は他国にゆかりのある人物でした。また、今の彼はどのような環境にあるのかについても触れていきます。
ルーシーさん以外にも多くの事件に関与
前述でも少し触れましたが、裁判として裁かれた事件よる織原城二の犠牲者は10人にもやります。しかし、これは氷山の一角で織原が起こした犯罪は訴えられてない事件はたくさんあると言われています。レイプという犯罪の性質上、被害者が訴え出にくく、しかも不法滞在者などの場合は、訴え出ないケースもあるのではという憶測があがっています。
日本国籍を持つ韓国人
実は彼はもともとは日本人ではなかったようです。以前は、韓国籍であり名前を金聖鐘というそうです。時を経て日本に帰化をして織原城二を名乗る様になったと言われています。しかしこの事実は当時日本のテレビや新聞では報道されませんでした。2005年になって、ようやくイギリスの新聞社のタイムズ紙を初め各国が報道するようになりました。