福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件|クマに襲われ続けた恐怖の2日間

北海道に登山に訪れていた福岡大学ワンダーフォーゲル部がヒグマに襲われ犠牲者を出した「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」を時系列で詳しく解説します。なぜ福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は起こってしまったのか?ヒグマの性質と共に解説します。

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日常に潜む様々な恐怖などを調べ、まとめるのを好んでいますので、そちら方面の記事が多くなると思います。 宜しくお願い致します。
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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは

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日本の歴史において、ヒグマによる事件や事故というのは少なくありませんでした。しかし、その中でもこの「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」のような事件は「三毛別羆事件」と同じく、悲惨な事件として大きく新聞やテレビなどで報じられ、二度とこのような事件が起きないように注意喚起がされています。

1970年に起きたヒグマによる未曽有の人襲撃事件

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1970年7月12日、福岡大学ワンダーフォーゲル部(当時は同好会)に所属している5名は博多から列車で2日かけて北海道の新得駅に到着し、日高山脈の芽室岳に入り、ペテガリ岳へ向かう予定でした。その中間地点でヒグマと遭遇し、最終的に襲撃されてしまう痛ましい事件が起きてしまいました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部犠牲者3名

出典:PhotoAC

この「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」によって、ワンダーフォーゲル同好会に所属していた、リーダーの竹末一敏(20歳)・河原吉孝(18歳)・興梠盛男(19歳)の3名が無残な姿となって数日後救助隊によって発見されました。残りの2名は下山し、保護されたため生存できました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件「無事だった10日間」

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福岡ワンダーフォーゲル同好会の5人は14に日高山脈に入山しました。それから実際に被害者が出てしまったのは26日です。なぜ襲われてしまったのか。予兆は何度かありました。しかし、対処を間違えてしまったために襲われてしまったのです。無事だったその期間に何があったのか紹介していきます。

25日1回目の遭遇「ザックの食料を狙われる」

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ワンダーフォーゲル同好会の5人は、九ノ沢カールにテントを張りました。すると、離れたところにヒグマを見つけました。ヒグマを初めて見た5人は、そのまま観察していました。すると、ヒグマが近づきザックの中の食料を漁りだしたため、大きな音を出したりしてヒグマを追い払いました。

25日2回目の遭遇「テントに穴があく」

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1回目の遭遇があったその日の夜、テントの中で眠っていた5人は不思議な音を聞いて目が覚めました。それは先ほどのヒグマの鼻息で、なんと戻ってきたのです。ヒグマはテントに拳大ほどの穴を空け、去って行きました。さすがに身の危険を感じた5人は交代で見張りを立てながら眠りにつきました。しかし、皆恐怖で一睡もできませんでした。

26日早朝3回目の襲撃「ヒグマとテントを引っ張り合う」

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早朝4時ごろ、早々に準備していたところ再びヒグマが現れます。5人はテントの中に避難していましたが、ヒグマがテントの中に入ってこようとしたので、必死にテントを掴み、ヒグマとテントを引っ張り合う形で抵抗しました。しかし埒が明かないと判断し、反対側から逃走しました。ヒグマはテントを倒した後ザックを漁っていました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件「喰われる」

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3回目の襲撃の後、リーダーの竹末さんは滝さんと河原さんに、救助要請のために下山するように指示します。下山を始めた2人は北海道学園大学のグループと途中で出会ったため、代わりに救助を頼み、食料などを分けてもらった後再び3人の元へ戻りました。途中鳥取大学と中央鉄道学園のグループにも出会っています。

26日河原吉孝(18歳)死亡

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5人が合流したあとテントを修繕し、再びテントを張り休もうとしたところ、再びヒグマが現れました。5人は様子を伺っていましたが、1時間以上たっても移動する気配がなかったので、これ以上は危険だと判断し、荷物を諦め鳥取大学のテントに避難することを決意しました。既に真っ暗になっている道を5人は歩きだしました。

暗闇の中追いかけるヒグマ

出典:PhotoAC

ふと後ろを振り向くと、そこにはヒグマがいました。5人は慌てて駆け下りましたが、ヒグマはまず河原さんに襲い掛かりました。ヒグマは河原さんを藪の中へ連れ込みました。しばらくしたあと、鳥取大学のテントへ向かって足をひきずって歩く河原さんの姿が確認できましたが、それが4人が見た河原さんの最後の姿となりました。

闇の中バラバラに逃げたため、1人はぐれてしまう

出典:PhotoAC

河原さんが襲われた後、4人はバラバラに逃げてしまったため、リーダーの竹末さんは集合をかけました。滝さん西井さんとはすぐに合流することができましたが、はぐれてしまった興梠さんは合流することが出来ませんでした。3人は岩場に身を寄せ合い、ビバークすることにしました。

27日リーダー竹末一敏(20歳)死亡

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翌日、この日は朝から濃霧で視界が非常に悪く、3メートル先も見えないほどでした。午前8時ごろ3人は霧の中を下山し始めました。するとまたしてもヒグマが前方に現れました。竹末さんはヒグマを押しのけ逃げ出しましたが、逃げる竹末さんをヒグマが追いかけました。この姿が2人が見た竹末さんの最期の姿となりました。

2人は無事保護される

出典:PhotoAC

竹末さんが追われている間に、滝さんと西井さんは必死で下山しました。そして午後1時ごろ、2人は五ノ沢砂防ダム工場現場にたどり着くことが出来ました。そこで車を借りました。その後駐在所に到着することが出来たため、救助要請をした後2人は無事に保護されました。

27日興梠盛男(19歳)死亡

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