福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件|クマに襲われ続けた恐怖の2日間

興梠さんは4人とはぐれたあと、なんとか鳥取大学のテントまでたどり着くことができましたが、鳥取大学は既に下山しておりテントなど荷物のみが残されていた状態でした。興梠さんはテントに身を潜め、一晩を過ごしました。この時手記を残しており、そちらは後述します。翌日テントの中にいるところをヒグマに襲われてしまいました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件「無残な遺体」

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滝さんと西井さんが保護されたあと警察署は日高山脈の一部を入山禁止とし、救助隊約100人が結成され3人の捜索に向かいました。29日に河原さんと竹末さんの遺体が発見され、30日に興梠さんの遺体が発見されました。

裸にベルトのみで遺体が発見される

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どの遺体も救助隊が目を背けたくなるほどの無残な姿でした。まず、衣服はすべて剥ぎ取られていました。腰のベルトだけがそのまま残されており、裸の状態で腰にベルトだけが巻かれているだけという姿で発見されました。

頭部の一部欠損

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剥ぎ取られたのは衣服だけではありませんでした。惨いことに、顔の上半分(約2/3)がなくなってしまっていたり、鼻や耳などといった突起物が引き千切られており、人相が分からなくなってしまうほどでした。

腸が出され性器が引きちぎられる

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そしてさらに惨いことに、腸などの内臓が引きずり出され、性器も引き千切られている状態で、救助隊も目を背けたくなるほどの光景でした。後日検視の結果によると、死因は「頸椎骨折および頸動脈折損による失血死」でした。おそらく、逃げている最中に後ろから攻撃を受け、うつぶせに倒れたところを追撃されてしまったとみられています。

福岡大学ワンダーフォーゲル部を襲ったヒグマ射殺

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福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の3人の捜索のために結成された救助隊は、帯広警察署・十勝山岳連盟・猟友会などから結成されており、ヒグマを捜索し、射殺するためにハンターも10名ほど参加していました。

29日ハンターによりヒグマ射殺

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29日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の3人を襲ったヒグマが発見され、ハンターによって射殺されました。ヒグマは発見時茂みにいました。茂みから出てきたヒグマは警戒する様子はまるでなく、攻撃する素振りもみせないままハンターたちの前まで出てきたため、そのまま射殺されました。

ヒグマは小型の3歳の雌

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射殺されたヒグマは比較的小型であり、3歳ほどの雌であることが分かりました。このぐらいの年齢のヒグマは人間でいうと20代にあたり、最も恐れを知らず、活動的とされています。もっと歳を重ねたヒグマならば、よほどの飢餓状態でないかぎり、このような危険を冒すようなことはないので、その意味でいえば運が悪かったともいえます。

襲ったヒグマは「はく製」となる

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会を襲ったヒグマは、しきたりによってハンターたちはこの肉を食しました。後日ヒグマははく製にされ、現在は中札内村の札内川園地、日高山脈岳センターに展示されています。施設内には、ワンダーフォーゲル同好会の遭難報告書や、遺品の展示もされています。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件「残されたメモ」

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ここで、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のメンバーとはぐれてしまった興梠盛男さんに焦点を当てていきます。前述したとおり、興梠さんは他のメンバーとはぐれてしまった後に、一人でいるところをヒグマに襲われてしまいました。その時の興梠さんの心境が綴られた手記をご紹介します。

ヒグマ事件後「興梠盛男」のメモが発見される

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30日に捜索隊によって興梠さんの変わり果てた遺体が発見されたとき、遺体のそばにメモが残されていました。そのメモは、4にんとはぐれてしまったあとから翌日ヒグマに襲われるまでの興梠さんの心境が綴られており、そのメモから興梠さんの足取りを追うことが出来ます。

興梠盛男の足取り

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河原さんが襲われてしまったあと、興梠さんはガケの中間地点で身を潜めます。ガケ下に鳥取大学が残した焚火が見えたため、ガケを下っていくと、一度ヒグマと遭遇してしまいます。一目散に逃げだし、鳥取大学のテントの中に駆け込み、身を潜めます。翌日4時ごろ目を覚ましますが、恐怖のためテントの中から出ることができませんでした。

興梠盛男のメモの内容

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メモは河原さんの悲鳴を聞いたところから始まり、テントに身を潜めシュラフに潜り込みますが、風や草の音が気になり眠れないことや、翌朝おにぎりを作ったこと、7時ごろに下山を決意するも、ヒグマが見えたので断念したことなどが書かれていました。そして「不安で恐ろしい、またガスが濃くなって」ここでメモは終わっています。

福岡大学ワンダーフォーゲル部が犯した決定的なミス

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どうしてここまでの惨劇となってしまったのか。ヒグマに対してしっかりと知識があったのならば、全員生存することも可能でした。しかし、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会は、全員ヒグマに対しての知識がなかったので、対処を誤ってしまったための結果となってしまいました。ここで決定的となったミスを順番に説明していきましょう。

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