【狭山事件】真犯人や真相を検証!トトロのモチーフ?石川一雄の現在は?

このジャーナリストはこれ以上関わると皆殺しだぞと脅迫電話を受けています。12月20日深夜1時頃に右側頭部に重傷を負い昏睡状態で病院に運ばれています。しかし、意識不明のまま退院した後、次の病院で死亡しました。脳出血と肋骨の骨折があり、司法解剖の結果は事故死でした。

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しかし、昏睡状態のまま退院させられてしまうとか、都市伝説レベルです。病院も警察署も、裁判所もあてにならないから、いろいろな団体があり、団体に所属するのでしょうか? ひとりでは戦えない?

狭山事件の真犯人は誰なのか検証!①被害者長兄犯人説

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狭山事件の犯人とされている石川さんではないなら、必ず真犯人がいるはずです。ジャーナリストの不審死が更に闇を深くしました。50年を越す裁判こそが不審であり、異常なことです。石川さんには未だ見えない手錠がかけられたままです。真犯人はいるのでしょうか。

真犯人を検証①脅迫状の発見と自転車の発見のタイミング

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長男と脅迫状が入っていた件を警察に届けに行こうと家を出て、隣の親戚に長男が留守を知らせに行っている間に父親は娘の自転車が物置に立てかけてあるのを発見しました。娘の自転車が返ってきたことで、父親は娘が 拉致されたことを確信したといいます。

この家は資産家であり、長男を残して皆死亡しているか他家に出ています。当時は長男が資産を独り占めするための犯行ではないかと言うのが当たり前でした。推理の域を越えていないのですが、弁護士も身内に犯人がいると示唆する発言をしました。

真犯人を検証②石川一雄さん犯人説を支持し警察に迎合

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被害者の家の長男は今でもご存命であることを先に言っておきます。この事件では真犯人は長男だという説が主流です。自転車の件や脅迫状が差し込まれたタイミングが長男が善枝さんを探しに行き戻ってすぐだったこと、弟に不利な証言をしたこと、佐野屋に犯人が現れたことは家族なら佐野屋に居ても不審に思われないから。

自転車が普段から善枝さんが置いてた場所に置かれていたこと、遺体を埋めるときに石を額に置いたことはスコップで遺体を傷つけない意味あいで置いたのは身内だから、などが挙げられています。悲しみの真っ只中にいる家族である長男が次々にこの事件の推理を展開したというのも理由です。彼は高校時代学業優秀と言われています。

真犯人を検証③長兄が犯人であればさのヤにいても自然

真犯人が長男であった場合、受け渡し先に指定され佐野屋にいても家族なので誰も不自然とは思いません。佐野屋で採取した地下足袋の足跡も長男のものと一致したと、発表されましたが、後になり、全く別のものだと訂正されています。こうして、二転三転して複雑様相をしめさしている事件です。

また脅迫状の筆跡も長男のものとは違います。殺された時間帯は姉と農作業をしていました。それでもなお、長男説がくすぶり続けています。アリバイがあるのに無責任な噂を流す輩がいるから事件が解決しないのです。石川さんの筆跡ははじめのころは資料とは違います。刑事が書いていたそうです。

確実に財産を継ぐため?

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この家の土地でのあだ名は100万様です。父親が証言台で語ったことは地元でそんな風に呼ばれていたことは知らなかったと、生活の様子から収入、不動産まで明かし、生活はこの町では中の上だと話しました。田舎は長男が財産を継ぐのが当たり前で、放っておいても財産は長男のものです。

リスクを犯してまで、財産を独り占めにしたい理由もなく、これは単なる傍観者の想像の域を出ていないのです。この事件は年月が経つうちに一人歩きをしています。ただほんとうに興味があり、自分で調べようとするなら欲しいデータは開示されています。警察や検察側のデータにはなぜか開示されていないデータもあります。まだ裁判中なのです。

狭山事件の真犯人は誰なのか検証!②奥富玄二犯人説

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狭山事件は50年以上経過していますが、まだ犯人とされ起訴されている石川さんはご存命です。これほどの年数がかかってしまったのは紛れもなく初動捜査のミスだと指摘されています。国内外でもこの裁判の異常性は注目されています。

真犯人を検証①被害者宅に住み込みで働いていた過去

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奥富玄二さんは昭和22年から23年に被害者の家の作男でした。5月5日.5月6日に事情聴取が行われています。血液型B型。善枝さんと事件当日待ち合わせた人物とされ重要参考人ですが自殺されてしまったことは警察の取調べが原因かと噂されています。警察の失態とも非難されています。

真犯人を検証②事件直後に無断欠勤

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奥富さんは事件直後の4日、5日と会社を無断欠勤しています。かれは被害者の家に住み込みで働いていた時期もあり、5月1日は勤務先から15時50分に自転車で帰宅するために出ました。17時から19時は結婚に備えて建てた新居で新築祝いに来た友人たちと酒を飲んでいました。

奥富さんについては、情報と称する噂に羽がつき、見るも無残な変貌を遂げています。同性愛者や性的不能者や遺書の病気に負けたと言う一文ははたして本当にあったのかなかったのか明日結婚する人は病気には負けないと想像、妄想、ねつ造はやめておきましょう。どうでもいい情報は切り捨てないと本筋を見失います。

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この家は死体発見現場から300mです。2日からノイローゼ気味だったとは家族の証言。アリバイが17時から19時以外はわかっていないこと、筆跡は犯人のものと似ていたとされています。ただ死んでしまったからなのか、検察の資料では、早い段階で奥富さんは白とされています。

真犯人を検証③結婚式の前日に自殺

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自分の結婚式の前日に、自殺するのでしょうか?自殺理由とされているのは新居を建てるのにお金を使い果してしまった? さあどうでしょうそれは考えにくいような気もしますが。また、証拠として腕時計も提出されていますが、2012年9月25日に新証拠が提出されています。

6月24日に路上に捨てたと言った腕時計ですが6月29日になって捜査が開始されました。2日間の捜査中では見つかっていません。発見したのは7月2日で、近所の住民でした。腕時計は三大証拠のうちの1つですが、後に3次審議請求の証拠の1つになっています。

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それは被害者と次女が使っていたとされていました。外から数えて3つ目の穴が被害のもの、4つ目ね穴が次女が使っていた痕だと認定されていました。ところこの時計は5番目の穴が使った頻度が高いのです。この時計の証拠はねつ造された疑いが濃くなりました。

どれも殺人には繋がらない?

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証拠がないのです。証拠は隠滅されたか?ねつ造されているという不可解なことが起こっているのです。警察や司法でさえ自分たちの都合で事実を伏せたり曲げたりすることだけは事実だと確信した次第です。そして我々も自分で証拠集めもせずに勝手に推理します。

推理の危険性は松本サリン事件やアネハの事件で反省しましたよね。私たちの推理などは邪魔なだけです。人の意思は常に誰かの影響を受けています。推理は裁判所も認めません。証拠か証拠を裏付ける資料が必要です。弁護側はたくさんの資料を作りました。

その結果、警察が証拠品だと出した資料はどれも証拠品としては不十分です。なぜ不十分であるか提出した資料を検察は見ることもなく棄却します。第3審が待たれます。裁判は開かれなければ前には進まないのです。

狭山事件の犯人とされた石川一雄さんの現在

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はじめから犯人に仕立て上げられた石川一雄さんですが、と断定的に言ったのは、検察側の多くの資料が開示されたことと、弁護側の証拠品が200点を越えたことです。冤罪といわれ続けて56年人道的にも罪を解くときが迫っています。この事件は検証するに従いますますわからなくなります。わからなくてもいいのではないですか?

国が一個人にする仕打ちとしては残酷きわまりないと思うのです。でも何か私たちが知らない国の暗部があるのですか?厚生労働省のようにハンセン病が感染しないことをしりながら長いあいだ家族からも引き離して、誰にも知られることなく亡くなってゆく扱い。ひとりの政治家だけが悪を理解し、謝罪しました。

狭山事件で無期懲役判決を受けるも仮出獄した石川氏

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石川さんは今も無罪を訴え続けています。公演活動や署名活動を奥様と一緒に頑張っいます。また現在でも保護観察付きであり保護司への連絡や保護観察署への連絡も義務づけられています。当時不可能だった捜査もいまならやり直せると訴えている人もいます。

仮釈放中はまだ犯罪者です。ほんの少しの法的に問題がある行為でもすれば、すぐに刑務所に逆戻りです。仮釈放は釈放されてはいないのです。緊張しながら仮釈放の手錠をはめられたままの生活をしています。初動捜査のミスは56年も昔に認めています。

石川一雄さんは支援者と共に無罪を主張し続けている

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石川さんは80歳になった今、自分が弱かったからこんな事態を招いてしまったのだと言います。刑務所で文字を学び、そう感じているそうです。収監されている間に体力をつけ、自分の無実を証明するために活動を続けています。石川さんと共に無罪を主張し続けているのは狭山弁護団、部落解放同盟がデモや街灯演説チラシの作成などを行っています。

事件の風化を防ぐために戦っています。毎年、情報は更新され、ゆっくりですが、情報も開示されています。2010年の裁判所、検察官、弁護士の三者協議で初めて情報が明かされました。それから2018年までに弁護団は220点の情報を新情報として出しています。

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これまでも取り上げられていた万年筆についても、実証実験が行われ、証拠として上げられているものを潰す気が遠くなるような作業を行なっています。初動捜査の嘘とねつ造はそれでも尚覆すことができないのでしょうか。国家機関はもっとすみやかに動いてほしいのです。事態も真実もです。

誰かが幕を引かなければならないのです。死刑にできるだけの理由がないなら、白にするのがこの国の法律だって教わったと思いますが、困ったものです。でも不思議です。理解なんてとっくに超えている事件です。

日本における冤罪事件は他にも!

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犯人に仕立て上げられ、真面目に服役して、その後に真犯人が見つかった冤罪事件。真犯人なくしては、世間は認めない?汚名は晴れました。しかし失った時間は戻りません。

下田缶ビール事件

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静岡県下田市の海の家で働いていたときに、取引している酒屋に缶ビール50ケースの注文の電話がありました。代金後払いで受け取った者が市内の食堂に転売。逮捕されたAさんは寝耳に水、アリバイも物的証拠もありました。食堂の1人と居酒屋の2人が似ていると証言したため逮捕されました。

一貫して否認しましたが認められることなく、全てに失望し、一審で10ヶ月の判決が出たので、控訴せずに服役しました。83年2月に出所後一緒に働いていた男がギャンブル好きなのを知っていたため、探しまわり競馬場で発見12月に警察に突き出し無実を証明しました。

弘前大学教授夫人殺人事件

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青森の弘前大学医学部の教授夫人が刃物で喉をさされ殺害された事件です。戦後最大の冤罪事件とされています。1949年8月6日夜に事件が起こり、妻の身辺を捜査しましたが何も出ませんでした。血痕をたどるとたまたま最後に血痕が見られたところに那須隆さんの家がありました。

那須さんは無実を主張するもアリバイがありません。精神鑑定で変態性欲者とされ、目撃者にも犯人だといわれてしまいました。服からは血液付着の反応がでました。拘留期限を延長し追求は続きました。10月に青森地裁に起訴されました。1審は無罪ところが2審で鑑定した大学教授のシャツの血痕は98%被害者のもの。

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証言を受けて懲役15年年が確定しました。無罪を主張しながら服役、仮出所となりました。事件から22年後、殺人の時効が成立した後に真犯人が名乗りでました。那須さんは那須の与一の子孫です。シャツの血痕は警察によるねつ造でした。

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