下村(中村)早苗の生い立ちや現在は?大阪二児餓死事件の全貌を解説

そんな荒れた生活にみかねた父親は、知り合いの教師が赴任している学校へ入学させ、家から遠く離れた場所だったため下宿生活が始まります。部活動にも参加をし、父親と同じラグビー部で、マネージャーを務めました。

父の知り合いの教師の実家で下宿生活をしていたため、始めて家庭の温かさ家族のぬくもりを感じたといいます。父親へ手紙を書き、将来は優しいお母さんになって温かい家庭をつくることが夢と書いたのでした。

父親と共通の部活

父親と同じラグビー部に関わったことは、共通の話題で話がしたかったのでしょうか?褒めてもらいたかったのでしょうか?本当に嫌いならラグビーは避けるはずですが彼女は自ら選択しました。どこかで父親と同じ接点がほしかったのかもしれません。

卒業後は地元の割烹店に就職

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高校を無事に卒業をし下宿先や友人に恵まれた彼女は人の温かさを感じ、落ち着きを取り戻していったのです。そして就職し、その場所で運命の出会いをします。父親に宛てた手紙の中の夢が今まさに叶おうとしているのです。

自分で初めて見つけた些細な幸せでした。

下村早苗の幸せな結婚生活から離婚まで

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就職先で出会った男性を恋に落ち、子供を身ごもりました。夢だった温かい家族を手に入れたのでした。幼いころから愛に飢え非行を繰り返しながらも、寄り添える相手を探していた彼女がやっと見つけた小さな幸せでした。

ですが幸せは長くは続きませんでした。夢だった温かな家庭を手に入れ幸せそのものに見えましたが心の隙間を埋めることができなかったのです。結婚から離婚までの経緯をご説明します。

元夫・羽根直樹と結婚

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当時大学生だった彼は大学を中退し、彼女との結婚を選択します。交際して間もなく妊娠が発覚したスピード結婚でした。羽根直樹氏の実家で親と同居しながら結婚生活をスタートさせます。

家事や育児も熱心にこなし若いながらも一生懸命でした。何気ない日常の幸せを感じ取りながら過ごしていました。

束の間の幸せな結婚生活だった

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のちに2歳差の2人目が誕生し、賑やかな家庭となりました。夫は真面目に働き、彼女は子育てに専念します。時間に追われながらも小さな愛おしいわが子を見つめる目は優しい眼差しでした。子供優先の生活を過ごしていたのです。

アメブロにも子供を可愛がる書き込みが

すくすくと育つ我が子たちを喜ぶ、普通のお母さんの姿がそこにはありました。20歳で最初の出産を経験した若いママは目いっぱいの愛情を我が子たちに与えようとしていたのが感じとれます。

布おむつで育児

今は紙おむつが主流の時代に赤ちゃんの弱い肌を想ってか布おむつでの育児をしていたといいます。毎回洗濯をしなければならないため、根気と体力と子供への愛情がないとなかなか続けられません。

育児本に出てくるようないいお母さんを必死にこなしていたのです。

第二の出産後間もなく崩壊し始める

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2人目出産後に異変が起こり始めるのです。今までパーフェクトな育児を求めていた彼女の中で何かが崩れていきます。独身時代に遊んでいた仲間と連絡を取り合うようになり、夜遊びをするようになります。

次第に服装やメイクも派手になっていき、夫の稼ぎでは足りず消費者金融でお金を借りるようになってしまったのです。

不倫の末に離婚

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目は外に向くようになってしまい、不倫相手と外泊を繰り返すようになった事実は、夫や義親の耳にも入るようになります。次第に埋められない亀裂が入るようになります。結果として離婚という選択しかなかったのです。

下村早苗の夫も不倫していた?

噂によると、夫も隠れて不倫をしていたのではないかと噂がたちました。決定的なものがないため争うことはありませんでしたが、もし夫の方が先に遊んでいたとしたなら彼女は寂しさを埋めるために走ったのかもしれません。

離婚後は幼い2人の子供たちは彼女が引き取り育てていくことになりました。母子3人の新生活の始まりです。

下村早苗シングルマザーへ。転落人生が始まる

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幼い子供たちを連れての新生活は、並大抵のことではありませんでした。元夫からの養育費は一切なく、自分の稼ぎだけで3人が食べていかなければなりません。幸せだった生活からは一変した過酷な生活が始まったのです。

養育費は無く実母を頼ることもできない

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元夫からの支援もなく、父親にも拒絶され、あてのない彼女は自分の母親を頼ります。ですが精神病を患っていたため、子供の面倒をお願いすることもできません。

一緒に暮らせば母の面倒もみなければならないと悟った彼女は、自分だけの力で生きて行こうと誓うのでした。そして逞しく生きて行こうとも決意するのです。

名古屋でキャバクラ嬢として勤務・必死の子育て

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住む場所もなかった彼女は、寮があり託児施設併設の職場を探し回りました。母子で生きていくには稼がなければいけないため必然的に夜の街に引き寄せられるように、キャバクラ嬢として高時給の職に就きます。

順調にいくはずだった生活ですが頻繁に子供が熱を出すため仕事を休むことも増え、自分だけの都合で勤めに行くのも拒まれ片親での生活に苦労するのです。

インフルエンザに疾患するも孤独のまま

夜の街で夜働き、帰宅すれば寝る間を惜しんで子育てに追われる生活をしていくうち、彼女はインフルエンザにかかります。父親と元夫に子供を預かってもらえないか懇願します。

ですがお互い仕事を理由に一時でも預かってもらうこともできなかったのです。辛い体を無理やり奪い立たせながら子育てをし、孤独感を深めていきました。

楓ちゃんの誕生日は誰も祝ってくれなかった

長男1歳の誕生日に、久しぶりに家族集まり動物園でも行かないかという計画を元夫に提案しますが、拒否されます。そして誕生日当日、誰からも祝うメールがくることはなかったのです。

本来ならば初めての誕生日のため、親にとっては特別な感情がある行事でもあります。母子3人に関心のある人物は誰一人いなかった孤独という文字そのものだったのです。

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