下村(中村)早苗の生い立ちや現在は?大阪二児餓死事件の全貌を解説

下村(中村)早苗は、ホスト遊びにハマって自分の子供をマンションに置き去りにし、死亡させた大阪二児餓死事件の犯人です。この記事は下村早苗の生い立ちや関連する人々の証言を元にその人物像に迫ります。また事件の全貌について詳しくまとめました。

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読みやすい記事を心がけています。2人の男子を育てるシングルマザーです。
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下村早苗とは?

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シングルマザーとして2人の幼い子供を引き取り養育していくはずだったのが、歯車が狂いだし母としてではなく女として生きることを選択してしまい、幼い2人の尊い命が身勝手な閉ざされたれたのです。

自分で産んだ我が子に対し残酷で人間の仕業とは思えないことが実際に行われていました。その騒動の犯人です。どんな半生を過ごしてきたのかを詳しく迫ります。

大阪二児餓死事件の犯人

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悍ましい出来事は2010年に起こります。大阪市西区にあるマンションの一室で、冷たく変わり果てた幼い子供2人の亡骸が発見されます。この母親は約2カ月もの間、子供だけを放置し食べ物も与えず密室にしていたのです。

この出来事はメディアが連日報道し、多くの人が耳をふさぎたくなるような悲惨な内容でした。幼い小さな胃の中は空っぽで、空腹に耐えられず排泄物を食べた形跡が残っていました。

自分の子ども二人を餓死させた

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実はホストにはまり2カ月もの間、エアコンも電気もつけない部屋に3歳と1歳の子供だけにしました、部屋から異臭がすると通報があったことから、レスキュー隊員が部屋に入った光景は目を背けたくなるものだったのです。

ワンルームマンションはゴミだらけで一部床が見えている部分に子供2人が寄り添うように一部白骨化した亡骸がありました。衣服も来ておらず裸のままだったのです。エアコンもついていなくて暑かったのでしょうか。 

下村早苗の生い立ち

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自分のお腹で10カ月間大事に育て、やっとの思いで産んだからこそ愛しいわが子です。小さな子供に対してできる行為ではないと連日報道され、彼女の生い立ちにも問題があって子供を愛せなかったのではないかと憶測が呼びます。

実際はどうだったのでしょうか?真相に迫ります。

父親は名門ラグビー部の監督・下村大介

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三重県四日市の不良の集まる学校を、一から立て直しラグビー強豪校として育て上げた人物であり、彼女の父親です。この父親はラグビーでは一流かもしれませんが、私生活では3度の結婚と離婚を繰り返しています。

その中の1人が彼女の母であり、のちに彼女を置いて失踪してしまうのです。

母親は夜遊びや不倫を繰り返した

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スポーツで強くなるためには合宿をして心身ともに鍛え上げます。父親もそうでした。頻繁に合宿があったため家を空けることが多く、父親が不在を見計らって、母親は夜遊びや不倫を繰り返すのです。

夜に彼女が目を覚ましても母親がいない日は多かったといいます。母親からの愛情を受けず寂しい子供時代を送りますが、将来自分も同じことをするとは、このときの彼女は知る由もなかったでしょう。

ネグレクト家庭で育った

部屋の中はゴミで溢れかえり、お風呂もろくに入っておらず髪の毛はべたついていました。彼女の母親が男に走っていたため、家事や育児が疎かとなり劣悪な家庭環境で生活をしていたようです。

両親が離婚・父親に引き取られる

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そんな両親のすれ違い生活は、心までもすれ違いとなり、ほどなくして離婚が決まります。母親が出ていき彼女と妹2人の3人は、父親に引き取られ一緒に暮らします。またも父親は再婚しますが相手にも連れ子がおり、複雑な家庭環境となったのです。

その母親は、自分の子と差別する人でした。それが父親に発覚し離婚となります。このような複雑な環境で健全な心が育つはずはありません。

下村早苗の悲しい子供時代

グリム童話で継母から差別を受けるような生活だったために、家庭の温かみを知ることなく体だけが成長していきます。心では愛を求め寂しい気持ちが溢れ出そうになりながらも、家庭では満たされなかったのです。

義理の母親からも愛されなかった

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甘えたい時期に甘えられない、頼りたいときに頼れる人が傍にいないという寂しい環境は彼女の心に徐々に影をつけていきます。そしてまだ小学生だった下の妹たちの面倒をみなくてはならず彼女の心は破裂寸前でした。

誰からも愛情を注がれることなく成長していった彼女は家ではなく外に愛を求めていくのでした。

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中学生から不良グループに

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髪の毛は茶色に染め、夜の繁華街へと繰り出しました。カラオケで夜を過ごしたり友人の家を転々としていたようです。バイクを乗り回し補導されたのも一度や二度ではありませんでした。遊ぶお金欲しさに援助交際にまで手を出していたといいます。

14歳で集団レイプされる

あるとき、友人の少年らに集団で侵されます。傷ついた彼女は父親にはいえず中学校の担任を頼ったのです。傷ついたときも家庭へ安らぎや助けを求められなかった彼女だったのです。

彼女の育った家庭環境はのちの大きな騒動の大きな原因ともなるのでした。

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関東の私立中学へ入学

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そんな荒れた生活にみかねた父親は、知り合いの教師が赴任している学校へ入学させ、家から遠く離れた場所だったため下宿生活が始まります。部活動にも参加をし、父親と同じラグビー部で、マネージャーを務めました。

父の知り合いの教師の実家で下宿生活をしていたため、始めて家庭の温かさ家族のぬくもりを感じたといいます。父親へ手紙を書き、将来は優しいお母さんになって温かい家庭をつくることが夢と書いたのでした。

父親と共通の部活

父親と同じラグビー部に関わったことは、共通の話題で話がしたかったのでしょうか?褒めてもらいたかったのでしょうか?本当に嫌いならラグビーは避けるはずですが彼女は自ら選択しました。どこかで父親と同じ接点がほしかったのかもしれません。

卒業後は地元の割烹店に就職

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高校を無事に卒業をし下宿先や友人に恵まれた彼女は人の温かさを感じ、落ち着きを取り戻していったのです。そして就職し、その場所で運命の出会いをします。父親に宛てた手紙の中の夢が今まさに叶おうとしているのです。

自分で初めて見つけた些細な幸せでした。

下村早苗の幸せな結婚生活から離婚まで

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就職先で出会った男性を恋に落ち、子供を身ごもりました。夢だった温かい家族を手に入れたのでした。幼いころから愛に飢え非行を繰り返しながらも、寄り添える相手を探していた彼女がやっと見つけた小さな幸せでした。

ですが幸せは長くは続きませんでした。夢だった温かな家庭を手に入れ幸せそのものに見えましたが心の隙間を埋めることができなかったのです。結婚から離婚までの経緯をご説明します。

元夫・羽根直樹と結婚

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当時大学生だった彼は大学を中退し、彼女との結婚を選択します。交際して間もなく妊娠が発覚したスピード結婚でした。羽根直樹氏の実家で親と同居しながら結婚生活をスタートさせます。

家事や育児も熱心にこなし若いながらも一生懸命でした。何気ない日常の幸せを感じ取りながら過ごしていました。

束の間の幸せな結婚生活だった

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のちに2歳差の2人目が誕生し、賑やかな家庭となりました。夫は真面目に働き、彼女は子育てに専念します。時間に追われながらも小さな愛おしいわが子を見つめる目は優しい眼差しでした。子供優先の生活を過ごしていたのです。

アメブロにも子供を可愛がる書き込みが

すくすくと育つ我が子たちを喜ぶ、普通のお母さんの姿がそこにはありました。20歳で最初の出産を経験した若いママは目いっぱいの愛情を我が子たちに与えようとしていたのが感じとれます。

布おむつで育児

今は紙おむつが主流の時代に赤ちゃんの弱い肌を想ってか布おむつでの育児をしていたといいます。毎回洗濯をしなければならないため、根気と体力と子供への愛情がないとなかなか続けられません。

育児本に出てくるようないいお母さんを必死にこなしていたのです。

第二の出産後間もなく崩壊し始める

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2人目出産後に異変が起こり始めるのです。今までパーフェクトな育児を求めていた彼女の中で何かが崩れていきます。独身時代に遊んでいた仲間と連絡を取り合うようになり、夜遊びをするようになります。

次第に服装やメイクも派手になっていき、夫の稼ぎでは足りず消費者金融でお金を借りるようになってしまったのです。

不倫の末に離婚

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目は外に向くようになってしまい、不倫相手と外泊を繰り返すようになった事実は、夫や義親の耳にも入るようになります。次第に埋められない亀裂が入るようになります。結果として離婚という選択しかなかったのです。

下村早苗の夫も不倫していた?

噂によると、夫も隠れて不倫をしていたのではないかと噂がたちました。決定的なものがないため争うことはありませんでしたが、もし夫の方が先に遊んでいたとしたなら彼女は寂しさを埋めるために走ったのかもしれません。

離婚後は幼い2人の子供たちは彼女が引き取り育てていくことになりました。母子3人の新生活の始まりです。

下村早苗シングルマザーへ。転落人生が始まる

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幼い子供たちを連れての新生活は、並大抵のことではありませんでした。元夫からの養育費は一切なく、自分の稼ぎだけで3人が食べていかなければなりません。幸せだった生活からは一変した過酷な生活が始まったのです。

養育費は無く実母を頼ることもできない

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元夫からの支援もなく、父親にも拒絶され、あてのない彼女は自分の母親を頼ります。ですが精神病を患っていたため、子供の面倒をお願いすることもできません。

一緒に暮らせば母の面倒もみなければならないと悟った彼女は、自分だけの力で生きて行こうと誓うのでした。そして逞しく生きて行こうとも決意するのです。

名古屋でキャバクラ嬢として勤務・必死の子育て

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住む場所もなかった彼女は、寮があり託児施設併設の職場を探し回りました。母子で生きていくには稼がなければいけないため必然的に夜の街に引き寄せられるように、キャバクラ嬢として高時給の職に就きます。

順調にいくはずだった生活ですが頻繁に子供が熱を出すため仕事を休むことも増え、自分だけの都合で勤めに行くのも拒まれ片親での生活に苦労するのです。

インフルエンザに疾患するも孤独のまま

夜の街で夜働き、帰宅すれば寝る間を惜しんで子育てに追われる生活をしていくうち、彼女はインフルエンザにかかります。父親と元夫に子供を預かってもらえないか懇願します。

ですがお互い仕事を理由に一時でも預かってもらうこともできなかったのです。辛い体を無理やり奪い立たせながら子育てをし、孤独感を深めていきました。

楓ちゃんの誕生日は誰も祝ってくれなかった

長男1歳の誕生日に、久しぶりに家族集まり動物園でも行かないかという計画を元夫に提案しますが、拒否されます。そして誕生日当日、誰からも祝うメールがくることはなかったのです。

本来ならば初めての誕生日のため、親にとっては特別な感情がある行事でもあります。母子3人に関心のある人物は誰一人いなかった孤独という文字そのものだったのです。

大阪ミナミの老舗風俗店に子連れで面接

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一つの店で長く勤務することはなく転々とした不安定な生活を送ります。借金返済のやり繰りが難しくなった彼女は、もっと待遇の良い職を探しに大阪を訪れたのです。

彼女は長女の手をつなぎ、長男はベビーカーに乗せ大きな荷物を抱えて風俗店の面接へ顔を出したのでした。

応募動機は「子供たちの学資保険に入りたい」

面接した店の主任に対し、子供たちのためを思い志望したことを伝える彼女は、風俗では珍しい真面目な印象をもたれます。そんな健気な彼女にたいして主任も応えるかのように寮を住みかとして提供したのち、託児所を探したのです。

働ける環境が整った彼女は新人として店に出勤します。

託児所の対応に不安を覚える

深夜0時に仕事が終わって託児所へ迎えに行くと、決まって長男が泣いていたといいます。泣いたまま放置する職員の対応が気に入らず自宅に子供たちを残すようになっていきました。このときはまだ子供を思いやる気持ちが存在しました。

客としてきたホストと恋仲に

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仕事は体力的にも精神的にもきつかったといいます。次々新しい子が入店し、注目を集めます。指名によって給料体系もことなるため厳しい競争世界です。慣れない仕事と稼がなければならないストレスは相当なものだったようです。

そんなときに、ふと店に訪れたホストに惹かれていき癒しを求め、次第に家に帰らない生活が始まります。

マンション住民が児童相談所に通報

2010年3月頃から、ホストの家に入り浸り自分の住みかには立ち寄らなくなっていきます。生ごみの異臭やインターホン越しに「ママー」と夜中に泣き叫ぶ声が続いていました。

マンション住民から虐待ホットラインに通報したのですが、相談員が何度訪問しても母子と顔を合わせることはできなかったといいます。

児童相談所の切ない規制

たくさん悲しい騒動が起きているなかで、児童相談所へ通報していたのに防げなかったことが多数あります。これには親の子供に対する保護権利があります。

母親が虐待をやってませんと言い張り、外見的傷が発見されなければそれ以上踏み入ることができないのです。

下村早苗が起こした大阪二児餓死事件の全貌

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面倒見のよかった真面目な母親は見事に崩れていきました。子供たちを嫌いになったわけではなく、3人一緒にいる最中の孤独感が絶えられなかったと語っています。母親しか頼ることのできなかった幼い2児が哀れでなりません。

暗い密室で誰にも助けを求めることが出来ず、息絶えていった全貌を解いていきます。

6月上旬二児を残して家出した

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6月9日に久しぶりに自宅へ戻ります。子供たちは酷い仕打ちをしている母でさえ近寄ってきます。ですがかつての子供想いのママはそこにはいませんでした。男に走った女がいたのです。

2食分のパンやコンビニおにぎりなどの食事を置き男の元へ帰っていくのでした。その際手を振って母親を送り出す健気な長女がいたのです。

子供はいないことにして生活

本来の母親ならば、子供のことが気がかりで何日も放置などできないでしょう。ですが彼女は平気でやってのけました。それは子供をいない存在としてすごし、自らの遊びたい感情や好きな男と長く居たいという女の感情が勝ってしまったのです。

嘘をついてまで交際相手と共に過ごす

子供のことは実家に預けていると伝え交際相手であるホストと遊びを繰り返します。一人ではなく、数人のホストと恋仲であったため、転々とホストの家を泊まり歩く生活をします。

子供時代の愛情不足は、一人の男では満足せず常に誰かと寄り添っていないと不安だったのでした。

6月下旬二児が死んでいるのを確認、再び家出

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数週間ぶりに帰宅すると、そこには動かなくなった我が子がいました。怖くなった彼女はそのままカギをかけて、ホストのもとへ戻ります。もうあの頃の優しかった子供想いの彼女はなく、ホストに惚れた一人の女だったのです。

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