真木蔵人のプロフィール
真木蔵人の名前を初めて耳にしたのは1990年代の頃でした。容姿端麗でトレンディ俳優として活躍していている姿が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の「十二単衣に着替えたら」等でも話題になりました。今回は真木蔵人の今までの経歴について見ていきましょう。
真木蔵人2世タレントとしてデビュー
真木蔵人(まきくろうど)は1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」で主演の武田信玄の少年期及び武田勝頼役でデビューしました。デビュー当時は容姿の良さも話題に上がりましたが、それ以外での事でも注目を浴びました。
- 1972年10月3日産まれ
- 東京都立川市出身
- 堀越高等学校中退
- 俳優、ラッパー、プロサーファーを生業としている
- 1989年ベストジーニスト(一般選出部門)
- 1990年 第13回日本アカデミー賞新人俳優賞 「あ・うん」
- 1998年 第20回ヨコハマ映画祭主演男優賞 「愚か者 傷だらけの天使」
真木蔵人の父親はマイク眞木
デビュー当時、一番騒がせたのがマイク眞木の息子であることです。マイク眞木がレギュラー出演していた「救急戦隊ゴーゴファイブ」の41話にゲスト出演し小さいながらに親子出演まで経験しました。マイク眞木で一番思い浮かぶのは「バラが咲いた」でしょう。NHKの「みんなのうた」でも起用されるほどヒットしました。
- マイク眞木 1944年4月27日産まれ
- 俳優、フォーク歌手
- 本名 眞木壮一郎(まきそういちろう) 真木と表記される場合もあるが性格には眞木である。
- 1966年ソロデビュー曲「バラが咲いた」が30万枚超える大ヒット
- 映画 1971年「凄い奴ら」等多数出演
真木蔵人の母親は前田美波里
実は父親だけではなく母親も芸能人というサラブレット的な存在だった真木蔵人でした。母親は前田美波里(まえだびばり)で彼女はアメリカ人と日本人のハーフ、ミュージカル女優として有名です。後に経歴は後述しますが二人を親に持ちデビューとなれば話題性も抜群だった訳です。
- 1948年8月8日生まれ
- 女優(映画・テレビドラマ・舞台)
- 1963年東方現代劇8期生として入団
- 1964年「ノー・ストリングス」初舞台
- 1966年 資生堂のキャンペーンガールとして起用 2008年に41年ぶりに資生堂のCMに出演
お騒がせ真木蔵人「やんちゃ伝説」
簡単に真木蔵人のプロフィールと実は大物夫婦の子供、2世タレントとしてのデビューだった事をお伝えしてきました。では真木蔵人自体の性格や生活についてはどうでしょうか。なぜお騒がせ芸能人ややんちゃというイメージが抜けないのでしょうか。
交際中女性モデルに2度の妊娠・DV疑惑
真木蔵人はデビュー直後の21歳の時に交際中のアメリカ人女性を妊娠させ、なおかつ暴力を振るっていた(DV)疑惑で世間を騒がせました。詳細については女性から「1回目の妊娠は胎児を求められ2回目は妊娠を告げると暴力を振るわれた」と涙ながらに語った事で有名です。
また、この時に取材に向かったカメラマンにもかみつき「お前になんの関係があるの?」とリポーターに凄み、カメラマンに対しては「いい加減にしろよ!お前」と頭突きを食らわせ転倒させました。映像で残っている為言い逃れのしようもない状況ですが、これがデビュー直後とはとても信じがたいです。
その後の謝罪会見
その後謝罪会見を開きますが「暴力は振るったのは確かだけど中絶しないのが原因ではない。記憶には無いが色んな意味で理解が出来ていなくて色んな場面で理解できない時はテイクショット(攻撃)していましたよ」と謝罪会見とは思えない態度でした。