カッパピアとは?元遊園地は廃墟、心霊スポットを経て跡地は憩いの公園に

広大な観音山に、高くそびえる観音様と満開の桜がなんとも神秘的で、心が洗われるような気持になります。数年前は心霊スポットだったなんて、初めて聞く方は信じられないかもしれません。夜にはライトアップもされるので、とても美しい夜桜を堪能できます。

カッパピアの歴史

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現在は、子供連れでにぎわうカッパピア(観音山公園)ですが、今日にたどり着くまでどんな歴史をたどったのか…気になりませんか?今はなくなってしまった、意外な施設もあるので、是非読んでみて下さい。

1961年に高崎フェアリーランドとして誕生

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高崎市は戦後の復興政策として1952年に【新日本高崎こども博覧会】を開催し、大盛況に終わりました。その後1961年に、この土地や施設を【上信電鉄】が引き継ぎ、施設などを整備し、【高崎フェアリーランド】として、再出発したのです。

1969年にはプールの「カッパピア」が誕生した

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オープンの8年後、1969年にはプールが誕生しました。建設の際にその名称を募集し、その中から選ばれたのが、カッパピア(カッパ・ユートピア)です。カッパピアは大人気となり、次第に高崎フェアリーランドの施設全体が、カッパピアと呼ばれるようになったのです。

他にも動物園や「こえだちゃんランド」なども展開

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なんと、カッパピアには1965年まで動物園も併設されており、たくさんの動物に子供達は目を輝かせていました。また、1980年代初めに、玩具メーカーのタカラとコラボし、こえだちゃんランドもオープンしました。

現役時代のカッパピアにあった遊具や施設を紹介

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今では当たり前な遊具や施設が、当時はもの珍しく大人気でした。現役時代、子供達にとって夢の国だったカッパピアは、どんな遊具や施設で来場者を楽しませていたのか、詳しくご紹介したいと思います。

高崎市観音山の広大な土地に数多くの遊具が!

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休日には、子供達でごった返していたカッパピアには、多くの乗り物や遊具が存在していました。当時はアジア最大級と言われた大観覧車や、一回転するジェットコースターは、長蛇の列でした。また、レトロな遊具もあり、特に人気だったのが、海賊船の大きな滑り台です。

中にはお化け屋敷もあり、あまりの暗さに出口が分からなくなるほどで、非常口から間違えて飛び出してきてしまう子供が続出しました。一人で入るのは勇気がいるので、兄弟との良き思い出になっている方も多いでしょう。

遊園地の乗り物

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遊園地には30種類近くの乗り物や幼児でも遊べるボールプールやワンコインで乗れる小さな乗り物が多くありました。弁慶号という名称の乗り物は、汽車に乗りながら【舌切り雀】の世界を知ることができるという、今ではシュールな乗り物です。この弁慶号は、人形を使って世界を表しており、子供達の印象に強く残りました。

遊園地で定番の乗り物である、コーヒーカップやゴーカート、メリーゴーランドはもちろんの事、上下しながら回転する乗り物も多く、子供達は大いに楽しんだでしょう。サイクルモノレールでは、あまりの高さに恐怖を感じた子供も多く、スリル満点で、「また行きたい!」と思わせてくれる遊園地でした。

プール「カッパピア」には流れるプールや波のプールなど

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1969年にオープンしたプールは、大きなスライダーや波のプール、幼児用の浅いプール、飛び込みプールなどがありました。1周300メートルの流れるプールから見えるのは、何とも華やかなステージでアイドルがダンスなどを踊っていました。体が冷えた時は、露天風呂プールが完備されており大人たちの憩いの場となっていました。

遊園地に大型プールと、遊びきれないほどの施設は、子供たちのパラダイスだったのです。しかしながら、カッパピアは2003年、42年の営業に幕を下ろす事となってしまいました。なぜ、絶大な人気だったカッパピアが閉園する事になってしまったのか、その理由を説明します。

カッパピアはなぜ閉鎖されたのか?衰退の理由とは

カッパピアの閉園は、2003年11月12日に新聞で大きく取り上げられました。それを目にした、たくさんの大人が、子供の頃を思い出して悲しくなった事でしょう。両親や兄弟との思い出の場所となっている方は、多いのではないでしょうか。

カッパピアは年間の来客者は60万人を超えることもあった!

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カッパピアは最盛期に、なんと年間60万人以上の来場者がありました。アジア最大の観覧車やジェットコースターは子供に大きな夢を与え、北関東を代表する立派なレジャーランドになりました。

カッパピアはバブル崩壊後に徐々に衰退

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1991年にバブル崩壊と共に、カッパピアの来場者も徐々に減少してしまいました。少子化や趣味の多様化なども重なり経営はどんどん苦しくなりました。なんと1998年には年間来場者数は過去最低の8万人ま減少してしまいました。また、末期になると、施設の老朽化も進み存続は難しくなったのです。

閉鎖された後カッパピアは心霊スポット?廃墟としても話題に

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閉園後の5年間、放置されたままのカッパピアは廃墟と化してしまいました。その光景は、テレビでも放送され、子供の頃にカッパピアに訪れていたという人々にショックを与えました。カッパピアは、当時からは考えられない姿に変貌してしまったのです。

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