【佐賀女性7人連続殺人事件】概要と水曜日の絞殺魔の真犯人の考察

佐賀女性7人連続殺人事件は佐賀県で7人の女性が殺害され犯人が未だ捕まっていない未解決連続殺人事件です。被害者の6人が水曜日に失踪、また5人が絞殺されていて水曜日の絞殺魔事件とも呼ばれます。この記事では佐賀女性7人連続殺人事件の概要と犯人の絞殺などを解説します。

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自由気ままな子なし主婦。興味があること、みんなに知ってもらいたいことを書いていきます。

佐賀女性7人連続殺人事件とは?

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時代が変わろうとしていた1975年から1989年の14年の間に目的不明でまだ小学生の女の子から熟年の女性が相次いで殺される事件が起こりました。起訴されるまでに至りましたが無罪判決となり、怪しい人物や不審者などの目撃情報がありましたがは未だ犯人は捕まっておらず未解決事件となっています。

佐賀女性7人連続殺人事件とは?

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人口85万人ほどの田舎で九州で一番人口が少ない県です。田舎ですが閑静な住宅街が多く住みやすい土地で相次いで殺人事件が起こりました。七人もの女性が被害に遭ってしまった痛ましい事件の被害者となってしまった方の発見当時はどうだったのか振り返り説明していきます。

1980年6月24日、佐賀県の小学校のトイレから腐乱した遺体が発見

まず最初の事件ですが佐賀県杵島郡白石町(さがけんきしまぐんしろいしまち)にある須古城近くの町立の小学校のトイレから4月の中旬自殺を疑われ捜索願いが出ていた女性の遺体が発見されました。当時はまだボットン便所が主流で交換式であったぼっとん便所の便槽を替えていた作業員が腐乱した遺体を発見し二ヶ月に一度便槽交換を行なっていたという情報からから殺害したすぐ後に遺体を隠し事件発覚を防ぎたかったものとみられています。。

1980年6月27日、同じ小学校の別のトイレから発行遺体が発見

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殺人事件など滅多に起こらない平和な田舎の同じ小学校のプール内の敷地にあるトイレでまた遺体が発見されました。一人目の被害者の遺体は便槽の中に捨ててあり点検されるまで発見に至ることはありませんでした。こちらの遺体には発見当時大量の石が積んであり遺体の発見を遅らせることを目的として石を積み上げたものと見られています。平和だったはずの町の同じ小学校で立て続けに遺体が発見され住民は恐怖に陥りました。

1981年10月7日、主婦が失踪した2週間後に絞殺体で発見

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正体不明の殺人犯が次に狙ったのもやはり女性で働きながら家のことをしていた兼業主婦でした。失踪後二週間ほど経った後、無事に帰ってきてほしいという家族の願いは叶うことなく遺体で発見されました。遺体の発見現場は三養基郡中原町(みやきぐんなかばるちょう現在のみやき町)の平地の何もないところでコードによる絞殺痕があり、また被害者が女性だったことから非力な女性のみを狙う卑劣な凶悪犯罪です。

1982年2月17日、小学生が失踪し絞殺体で発見

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まだ殺人事件は終わりではありませんでした。失踪後すぐに捜索され開始後わずか三時間で被害者の女の子が通っていた小学校の体育館近くのミカン畑でランドセルは背負ったまま服だけ脱がされた小学生の女の子の遺体が発見されました。

1989年1月27日、北方町で3人の遺体が発見

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佐賀県北方町の志久大峠(しくおおとうげ)近くの山で花を積んでいた近所の主婦が崖の下に投げ落とされ捨てられているような遺体を発見しました。すぐさま警察に通報し警察が駆けつけたところ付近から他の二つの遺体も見つかりました。

近場で見つかった三つの遺体は白骨化していたり腐乱していたりと亡くなった時期がバラバラでした。しかし、遺体発見現場の状況などから、前に発見されていた四件の遺体と関係があると断定され連続殺人事件として捜査されることとなりました。

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