スマイリーキクチ中傷事件とは
彼が関わったのはある事件の犯人として名前があがった事から始まります。本来であれば警察が捜査を進め、はっきりとした確証を得て発表に至るのですが彼の場合は違いました。先に噂が流れ翻弄された不特定多数の相手に長い間いわれのない誹謗中傷を受けるという事件でした。
スマイリーキクチは誰?
彼の事を知らなければ事件がどうして複雑になったのか分かりません。彼は太田プロダクションに所属するピン芸人です。芸風は優しい顔とは裏腹に毒舌を吐くスタイルで人気を集めていました。お笑いブームでも大活躍した人物です。
スマイリーキクチのプロフィール
がっちりしている体型で体育専門学校在籍時に友人と出たパフォーマンスが評価され芸人の道を歩みます。格闘技も趣味にしており黄金時代と呼ばれた頃は「ボキャブラ天国」「ブレイクもの!」にも出演していました。
- 名前 スマイリーキクチ 1972年1月16日
- 本名 菊池 聡 (きくち さとし)
- 太田プロダクション所属
- 1993年からお笑いコンビを結成、相方の引退によりピン芸人へ
- 爆笑オンエアバトルやドラマでも活躍
スマイリーキクチのお笑いの歴史
芸歴は長くお笑い芸人のベテラン勢に入ります。仲本工事のモノマネ、ペ・ヨンジュンのモノマネもしていました。ボキャブラ天国や爆笑オンエアーバトルに出演していた時は誰もが知る人物でした。お笑い芸人の道は険しくいつまで経っても芽が出ない人が多くいます。
そんな中、TV番組にも出演し、名前を聞けば顔が浮かぶくらい売れていた彼は成功していたと言っても良いでしょう。特に黄金時代に出演していた時はピン芸人はそれほどいなく、彼の芸風も一風変わっていてはっきり物を言う彼と他の出演者とのやり取りも人気の一つでした。
スマイリーキクチ中傷事件①突然殺人犯に?
女子高生が残忍に殺された出来事はご存知でしょうか。日本を騒がせた残忍な出来事として有名です。自分が関与していていないのに、ある日いきなり犯人として名前が上がっていたら、一体どうしますか。想像を絶する事が彼の身には降り掛かったのです。
根拠のない情報でコンクリート情報でコンクリート事件の殺人犯にされた
この事を知ったのはマネージャーからの一言でした。ネットの提示版2ちゃんねるで何故か彼がコンクリート事件の犯人になっていると言うのです。最初の内は分からない彼も、この後こんなにも苦しめられるとは思ってもみませんでした。
2ちゃんねるには「凶悪犯人の殺人者、スマイリー鬼畜、氏ね」等と書かれてあり、その真犯人達の本名などを晒す提示版の中に「菊池聡(芸人)」の名前も並んでいたのです。全く覚えのない彼は最初はいたずらですぐに終わるものだと軽視していました。
2ちゃんねるとは
ひろゆきを名乗るネットユーザー個人サイトとして開設され、2chなどとの愛称で親しまれます。2005年の事件によりその存在が有名になります。今は5ちゃんねるに名前を変更されています。誰もが調べたことのあるサイトですが誰でも書き込みが出来るため信憑性はあまりないともされています。
コンクリート事件とは?
1988年から1989年の3ヶ月間の間少女が複数の少年たちに拉致され監禁、殺害された事件です。当時はショッキングな出来事として世間を騒がせました。残忍なやり口が特徴で、最後には女子高生は分からないように埋められてしまうのです。
未成年が犯人の為名前などは一般的には公開されていませんでしたが、それをおもしろおかしく探し当て、身元を晒すなどの行為があり様々な論議を呼びました。未成年が実行した事件の取扱いは昔も現在も難しいものです。事件に関わる事を詳しく知りたい方はぜひこちらもご覧ください。
事務所ホームページで否定も中傷はエスカレート
真犯人の身元が不明な事が彼を犯人にし、非難中傷で貶める原因になります。事件の接点は出身地が足立区、犯人たちと同世代、コンクリート事件をネタにしていた、あまりにも曖昧な接点しかないのに標的にされる。心が追いつかないまま時が解決するのを待つばかりでした。
騒ぎが大きくなるに連れ所属事務所も対応せざるを得なくなります。「スマイリーキクチは事件とは関係ない」とホームページで公表しましたが煽るように「証拠を出せ」や「死んで証明してみろ」と批判が収まることはありませんでした。
ライブ会場で弁明するも事態は悪化の一途
事務所からのHPでの弁明も、ネット運営者への削除申請の依頼も誹謗中傷を煽る形になり、彼の職業でもある芸能活動にも支障が出てきます。テレビ局やCMのスポンサーにも抗議が入り問い合わせの電話も来るように。またライブ会場でも変化が現れ、ヒソヒソと彼を見て疑うような会話をし始めるのです。
短い彼の出演時間を削りなんとか自分の無実を訴えるも効果は現れません。それどころか、エスカレートし「スマイリー菊池。許さねえ、家族全員、同じ目に遭わす」など脅迫や殺害予告などを書き込むものまで表れたのです。
スマイリーキクチを名乗る人物も書き込みをしていた!
なぜか提示版の中で彼の名を名乗る人物が「もう過去の事は許してください」「私にも人権があります」等と書き込み、不特定多数の敵を増やし炎上しました。彼がどんなに公式HPや事務所を通して意見しても、その行動あざ笑うかの様な態度でした。
すでに不特定多数の相手が書いているという認識はあるも、素性がわからない相手に戦う手段というのは今ほど情報が溢れてはいません。この時代では極めてイレギュラーな犯罪だったと言えましょう。右も左もわからない彼に初めて「警察」という言葉が浮かんだのもこの時でした。
スマイリーキクチ中傷被害事件②2000年6月初めて警察に相談
エスカレートしていくインターネットの提示版に不安を感じ、彼は警察に相談を持ちかけます。警察ではワープロを使って仕事をしていた時代です。インターネットに詳しい警察官もいなく、とても不安な気持ちになったと言います。
実は被害届を後押ししたのは交際7年の彼女でした。インターネットやPCに詳しくない彼に印刷したページをもたせて被害届けを提出できる様に手助けするなどこの時の彼には想像もできないほど頼もしい存在でした。
恐怖とストレスで神経性胃炎を患った
精神的な崩れが身体にも表れていました。それほどに彼は追い込まれていたのです。神経性胃炎とはストレスが原因で生じる胃炎です。長期間のストレスで負荷がかかり気分が塞いでしまう症状も表れます。この状況では身体にいつ表れてもおかしくない状況だったのです。
犯行動機を証明できない、捜査は打ち切りに
一方で国内の回線から国外の回線を通じて書き込まれる所までたどり着くことが出来ました。発信元5つのアドレスを突き止めるも持ち主までは分からずじまいでした。今はサイバー犯罪などが多く取り上げられ、検挙率も増えています。
当時は技術もなく、重大視されていなかったことが後の被害も拡大させる要因になったのでしょう。いずれにしてもここでもう少ししっかりとした対応がなされていれば苦悩は長く続くことはありませんでした。
スマイリーキクチ中傷被害③ペ・ヨンジュンのモノマネでブレイク後も抗議が
2004年頃「冬のソナタ」のヒットでヨン様こと(ぺ・ヨンジュン)のものまねが流行りました。パチンコにもなるほど世の中の女性を虜にしたヨン様です。離れていたお笑い界に戻れて一時の平和が訪れた様に思えた時、思わぬ方向から事件がヒートアップするのです。公の場所に姿を表したのが卑劣な犯人たちの心を揺り起こしたのです。
「殺人犯をだすな!」テレビの仕事が激減した
最初の騒動から大分経ち、忘れてい所に再発した問題。あまりの中傷のひどさに太田事務所の提示版は閉じることを余儀なくされます。畳み掛けるように、あるテレビ局に「殺人犯を出すな」と電話が来はじめCMのスポンサーに苦情の電話もはいり、彼の仕事の道がだんだんと減らされていくのです。
すでに騒動は終息に向かっていたと思っていた彼は、未だに舞台に上がればひそひそざわめく異様な事態に言葉を失います。ひっきりなしに襲ってくる見えない相手に対し、何か他に出来る事はないか模索するのです。
スマイリーキクチ中傷被害事件④ブログ開設と「北芝健」
一抹の不安を抱えながらも2008年にブログを開設することを決意します。ブログの開設をきっかけに新たに分かる出来事が出てきました。インターネットの見えない相手に向けて何度も嫌な思いにぶつかり、それでも立ち向かうしかない彼に、一体どの様な展開が待ち受けているのでしょうか。
殺人犯の汚名を晴らすつもりだった
今回ブログの開設に至った理由として自分の言葉で発信したら「殺人犯」としての誤解がとけると考えたのです。しかし現実は甘くなくコメント欄を承認制にすることを決断するしか方法がなくなるのです。承認制にした事でブログへの中傷が載ることはなくなりました。
しかし、いなくなったわけではなく書き込む場所がなくなっただけだったのです。ターゲットを彼の関係者にむけての攻撃が発生、SNSのファンサークル、最後には全く関係のないところにまで被害が発展し諦めかけていた解決に向けて動き出すしかなくなるのです。
たびたび目撃する「北芝健」という人物
度々提示版などで頻繁に同じ名前があることに気が付きます。書き込んだ回数もかなりありましたが、ハンドルネームではなく名前のため人物を調べてみようと思い立ちました。「北芝健」それが同じ名前で登場する人物でした。何千個もコメントが有る中で同じ名前を探すことは容易ではありません。
関係者や周りの人のおかげでなんとか出てきた全く覚えもない名前でも彼にとってはこれが唯一の手がかりとなります。「北芝健」は元警視庁に勤務していたとしテレビでもコメンテーターなどで出演している人でした。そのうちに一冊の本に出会うのです。
著書「治安崩壊」にはキクチの経歴らしきもの
北芝健が2005年の出版物「治安崩壊」コンクリ事件についてを書いた人でした。「一足はやく出てきた一人はお笑いコンビをしてデビューした」との一文が彼の目に止まります。一瞬、言葉を失った彼はこの本が攻撃に拍車を掛けたのだと確信します。
情報源が本のどこにも記載がなく尚且、個人を特定するようなプロフィールも記載がありませんでしたが、すでにここまで被害が拡大している今結びつけるのは容易な事です。なんとか事態を治めるために再度立ち上がるのです。この頃には彼は周りに誰もそばに寄せ付けないように気を配るほど警戒していました。
スマイリー中傷被害事件⑤再度警察に相談
予期せぬところで過激になり身の危険も感じ始めた彼は、2008年4月再び警察に相談に行きます。僅かな期待を胸に「今度は根拠となり得る証拠も持っている」と向かう彼の決意も虚しく、対応はとても冷たいものでした。
「殺されたら捜査しますよ」警察に相手にされなかった
中野警察署の生活安全課に相談するも全く相手にされることはありませんでした。重大性も理解してもらえず「犯人だと信じている人はいない」「様子を見ましょう」「殺されたら捜査しますよ」など今では考えられない対応をし彼を落胆させました。
すでに交際相手にまで脅迫が及んでおり、彼女との結婚を諦めざるを得ないほどの状況までに追い込まれていた彼は、蕁麻疹等も身体に患う事もありました。「何が怖いって助けを求めた警察が相手にしてくれない方がよっぽど怖かった」と後に語ります。
ゴシップ芸能サイトがさらに噂を拡大させた
事務所内での風当たりも強くなりブログは閉鎖となりました。このブログ閉鎖が運悪くコンクリート殺人事件の犯人の出所日と重なることになり、最悪な状況を招くのです。今まで提示版の被害がマスコミに取り上げられることはありませんでした。
しかしタイミング悪くゴシップ芸能サイトがブログの休止についてコンクリ事件と関連があるような内容で掲載したので、被害は彼自身に収まらず兄弟や兄弟の子供などにも拡大していきました。警察にも行き相手にされないとなると残された道は多くはありませんでした。
弁護士に相談後、刑事訴訟を起こすことに
あまりに被害も大きくなったため弁護士を紹介してもらうことになります。弁護士も事の重大さをわかった上で「中傷した犯人を特定する難しさ」を彼に伝え、それよりも本を出している出版社に民事訴訟で出版差止めと謝罪を求めるように強く勧められます。
民事訴訟の準備をしてく段階でやはり名誉毀損や脅迫罪に当たるので刑事事件はないかと疑問を持ち始めます。民事訴訟はお金も時間もかかり何も補償がありません。仕事が減っている彼にとって苦渋の決断となりましたが3度目となる警察に足を運ぶ事を決意するのです。