それは、GOの出演した前述のものとは別の作品が関係しています。同じくCOATの出版している「BABYLON STAGE 28 スカウト」というビデオにおいて、18禁ビデオのスカウトを請け負っており、街で見つけた男性に対してビデオへの出演を要求するというような内容です。
GO is GODのGOは騙して撮影しギャラもピンハネする
作品の中では初対面である男性にも臆することなく話しかけ、割のいいバイトがあると紹介してくれるまでは良いのですが、男性がそれを了承すると態度を180度変えてきます。ハードなプレイに加えて紹介していた5万円のギャラも「貰えるわけないだろ!」と渡さなかったことなどが屑呼ばわりされる原因です。
GO is GODのGOは屑な行動すらも神だと言う声も多い
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ですが、ギャラを渡さなかったのは掘られる男性からのGOへのお布施である、上手い話を持ち掛けたのは人間が生まれながらに持つ原罪を暴くため、そして態度を急変し脅したのは誘惑に負けてしまう人間に厳しい試練を与えるためなど、屑な行動も神ならではのことであったという声もあります。
GO is GODのGOの神さが広まる
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こんな風に初めは人間の屑呼ばわりされていたGOも、その屑な行動すら神の人間への裁き、試練であるなどという風に無駄に行動が正当化されています。そして、彼の神としての偉大さはネットを中心として今も広まっているようです。
「GO is GOD」YHNによる福音書
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「初めに淫夢があった 淫夢は神とともにあった 神はGOであった」というようなYHNの福音書なるものまでネット上では作られているようです。この福音書の中では、全ての淫夢はGOによりつくられた、闇は淫夢には勝てなかったなど、GOと淫夢を共に聖なるものと見ています。
ちなみに本来の福音書というのは、キリスト教において救世主とされているイエス・キリストの言動を記録したものです。マタイによる福音書、ルカによる福音書など、一般的には新約聖書にある4つの福音書のことを指しています。
GO is GODのGOを神とする動画が作られる
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これに加えて、ネット上ではGOを神とあがめるような動画も多数投稿されています。例えばキリストの肖像画の顔の部分だけをGOの顔に変換したり、背中に翼を生えさせてこの世ならざる天井の存在にするなど、人間を超えた存在とした動画はいろいろとあります。
GO is GODのGOはGOとつく物があがめられる
このようにネット上で神としてあがめられているわけなのですが、単に彼だけがそのような存在を受けているわけではなく、同じく「GO(ゴー)」とつくようなものには紙であるGOの加護があるとされ、やはり神聖視されているとかいないとか。
例えば、京都アニメーションにてアニメ化された「けいおん!」の第2期オープニング「GO!GO!MANIAC」、TYPEMOONの手掛けるスマートフォンアプリ「Fate Grand Oder(略してFate GO)」などには「GO」が入っていますので、神がかった作品であるとみなされています。
淫夢で学ぶ聖書において神の立場に
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こんな形で方々に風評被害をまき散らしている彼ですが、ネット上では実際にGOを神と見立てて聖書の内容を書いたものまであるのです。あくまでネタですが、軽い漢字で聖書の内容を知ることができるのでこれはこれで勉強になるかもしれません。
天地創造の7日間を描いている
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まず本物の聖書の中では、一日目に神が闇の中の水の上に立っており、「光あれ」という言葉でその場所に光が存在し、闇と光が分かたれる、二日目は空、3日目は陸と海と続き、最後の7日目だけは休まれています。この7日目がキリスト教における安息日の元となっています。
そして、GOも同じように一日目に「フラッシュ!」の一言で光と闇を分かち、二日目は「そういえば空作ってなかったね」と言って空を作るといった風に軽い感じで世界を創造していっています。
GOは神であり淫夢ファミリーの一員
人物像の紹介でも記述しましたように、GOが出演していた18禁ビデオはホモビデオという視聴する絶対数が少ないであろうジャンルの中にあって、出演した男優たちが非常に個性的であったために「淫夢ファミリー」とも呼ばれています。
GO is GODのGOが所属する淫夢ファミリーとは?
そして、GOもそのファミリーの1人とされています。出演した第3章以外にも第1章に第2章、第4章などがあり、それに出演した人たちと合わせてそう呼ばれています。一方では神とまで呼ばれているGOと同じファミリーに属している他のメンバーも只者ではないことが伺えます。