【附属池田小事件】8人惨殺の宅間守と遺族、逃げた教師の現在とは?

附属池田小事件とは、大阪教育大附属池田小を襲った殺傷事件です。8人の児童が死亡、教師も含め多数の負傷者が出ました。犯人・宅間守の遺族を煽った発言、児童を置いて逃げたと批判された教師など、附属池田小事件の情報について徹底的にまとめてみました。

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附属池田小事件とは?

皆さんは世界的にセンセーショナルを集めたこの悲痛な事件をご存知でしょうか?現在から18年前の平成13年の時期的にはちょうど今頃、6月上旬に関西に位置する大阪府のとある小学校内で発生した無差別殺傷事件なのです。当然各マスメディアが大きく取り上げられ、色々な事が話題となり問題視されました。

人格が異常で精神を疑うあまりに鬼畜な犯人、世界的にセンセーショナルを集めた事件の概要、当事者である学校側の教師たちの対応などをこの後詳しく解説していきます。色々な事を考えさせられる事件ですのでこの機会にぜひ知っておいてください。

附属池田小事件の概要を時系列にまとめ!

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その当時世界的に開催されていたワールドカップ内でも、命が奪われた少年少女たちに向けて冥福を祈る様なメッセージが世界の国々のTV放送で映しだされました。この事であの治安が良い国『日本』で悲痛で残虐性の高いセンセーショナルな事件が起きている。と世界中の人々が知ることとなりました。

治安が良い国日本で起きた非常に残虐性が高くセンセーショナルを集めたこの事件。あまりご存知の無い方も知っている方にも改めて詳細な概要を知っていただくためにも、学校内のどこで発生したのか、どういった状況だったのか、各当事者の動きなどを時系列ごとに沿ってまとめて解説していきます。

附属池田小事件の概要①午前10時過ぎに侵入

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まずは気になる日時ですが、悲痛な殺傷事件が発生してしまった日にちは平成13年のちょうど今頃だったのです。時刻はAM10時過ぎを指していました。この時刻に殺人鬼はこの時刻に学校内に忍び寄りました。そして彼は見つからない様に『大きな刃物』を隠して、校舎内を徘徊していたのです。

この時の殺人鬼の格好はキンキンの髪色に、ホワイトな上着にグリーンのネクタイをしていて奇抜で柄が悪かったそうです。発生時刻の時間帯は恐らくは2限目から3限目の間だと考えられます。悲しいことにその日の初めに受けた1限目の授業が、命が奪われてしまった少年女子からすると『最後の授業』となってしまったのです。

附属池田小事件の概要②2年東組に侵入

AM10時過ぎに学校内に忍び寄った殺人鬼は、そのまま校舎の一番東に位置する2学年のクラスルームに入室したのです。(実はこの学校ではクラスをABC、123の様にアルファベットや数字で表記するのではなく東西南北に分けて表記していたのです)

そのクラスの少年少女たちはまだ純粋な子供であったため、おもむろにクラスルームに入室した殺人鬼を見ても、直ぐに変質者、不審者であると気付かなかったのです。しかし大きな刃物を持ち、既に興奮状態であったので数秒後に危険を感じて、担任が『逃げろ!』と叫ぶと一斉に少年少女たちは、悲痛な悲鳴を上げて教室を飛び出しました。

そして悲劇が

担任の指示に従うというより、一斉に身の危険を感じて一目散に教室を飛び出した少年少女たち、慌てていたためか大勢が一斉に飛び出したためなのか、転んだりつまづいてしまう子たちもいました。その子たちを殺人鬼はターゲットにして所持していた大きな刃物で容赦なく傷つけたのです。

附属池田小事件の概要③隣の2年西組へ移動

こうして7,8歳の少年女子たち数人が殺人鬼の魔の手により傷つけられてしまったのですが、次に殺人鬼は校舎内の西に位置するクラスルームへと足を運び、興奮状態が収まらないまま入室しました。当然そのクラスルームにいたすべての人間が殺人鬼の事を見ると、不審者のレベルではなく、『犯罪者』『殺人犯』と察して一同パニックになったのです。

附属池田小事件の概要④通報のために飛び出した教師

パニック状態となった校舎の西に位置するクラスルーム、そしてその室内にいた全ての人間。一番年齢が上で責任者と言える担任の女性は、少年少女たちに急いで飛び出すように一言伝えると、担任自身も恐怖でパニックと化したクラスルームを子供たちを残してさっそうと飛び出したのです。この時警察に連絡しなくてはいけない。と考えての行動だったと後に供述しています。

結果的に取り残されてしまった少年少女たちは目の前にいる殺人犯や状況に恐怖に怯え、逃げようにも足がすくんでしまった子もいたことでしょう。そしてこのクラスメートにいた数名の少年少女たちが殺人犯の手により傷つけられてしまったのです。その中には大怪我を負った者、命を奪われてしまった者もいるのです。

附属池田小事件の概要⑤2年南組に移動

殺人鬼は西に位置するクラスルームでも数名の少年少女たちを傷つけると、更に校舎の南に位置するクラスルームに駆け寄りに、狂気に満ちた殺意と共に入室しました。この時不遇にも授業が終わっていて担任が不在だったのです。(一連の悲劇を隣のクラスルームの人間が気づいていたかったという事は悲鳴や叫び声が聞こえなかったのでしょうか?)

少年少女たちだけがいたクラスルームで殺人鬼は、収まらぬ狂気と殺意を持って大きな刃物を振り回して、幼く純粋な少年少女たちを数名殺害したのです。その悲痛な光景を目の当たりにした子供たちと殺人鬼の魔の手が及んだ子供たちの悲鳴が学校中に響き渡り、何も知らずに外で花に水やりをしていた担任にも聞こえたのです。

確保しようとした先生も負傷

外で花に水やりをしていた担任も慌てて校舎の南に位置するクラスルームに戻りましたが、その時2人先生が殺人鬼の犯行を止めるべく抑えつけようとしていました。しかし興奮状態が収まらず狂気と殺意に満ちた殺人鬼は抵抗して、必死に犯行を止めようとした1人の先生を大きな刃物で刺したのです。この先生も大怪我を負ってしまいました。

附属池田小事件の概要⑥1年南組に移動

2人の先生が犯行を止めようと殺人鬼に立ち向かいましたが、激しく抵抗したので返り討ちに遭ってしまい1人は大怪我を負い、殺人鬼の犯行を止める事ができませんでした。そして次のターゲットを狙う様に1学年の南に位置するクラスルームに移動したのです。この時既に多くの人間が殺人鬼の手によって傷つけられています。

附属池田小事件の概要⑦ようやく教師が取り押さえる

2学年の校舎の南に位置するクラスルームの担任、即ち授業が終わった後、状況を知らずに外で花に水やりをしていた担任は、決死の覚悟で暴れ回る殺人鬼の犯行を止めようと必死に取り押さえようとします。この時激しく抵抗した殺人鬼は、お構いなしに担任の身体のあちこちを所持していた大きな刃物で傷つけました。

傷つけられ怪我を負いながらも、強烈な痛みを感じながらも、懸命に殺人鬼に立ち向かっていました。そこに学校の副校長先生が駆けつけ、一緒になって殺人鬼の犯行を止めようとして、2人の成人男性である先生によって、やっと殺人鬼の犯行を止める事ができたのです。悲痛な惨劇が繰り広げられてから10分弱の事でした。

附属池田小事件の犯人は?

ここまで事件の全貌となる概要を当時の時系列ごとにまとめて解説していきました。幼い小学低学年の少年少女たちを狙った悲痛で残虐性の高い無差別殺傷事件であった事を理解していただけたはずです。世界中でセンセーショナルを集めるも頷けるのではないでしょうか?亡くなってしまった被害者たちにご冥福をお祈り申し上げます。

果たしてこれほどまで残虐で悍ましい殺戮をした殺人鬼はどんな人物なのでしょうか?次に今回の世界的にセンセーショナルを集めた悲劇とも呼べる無差別殺傷事件の犯人の人物像や生い立ち、経歴、家庭状況などをまとめて解説していきます。多くの子供たちに向けた殺意のきっかけや動機についてもお話ししていきます。

附属池田小事件の犯人情報①本名「宅間守」

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まず今回のセンセーショナルを集めた悲痛で残虐性の高い無差別殺傷事件を引き起こした犯人、殺人鬼の実名は『たくままもる』と言います。(漢字については上記の通りです。)彼は当時30代後半でいい大人だったのです。見た目は身長が180センチメートル以上ありかなり大柄な男でした。後述でも詳しく解説しますが実は多くの前科を持っていたのです。

附属池田小事件の犯人情報②異常性を見せる生い立ち

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事件の現場となってしまったのは大阪府ですが、殺人鬼の彼が生まれたのはお隣の兵庫県でした。彼をお腹に宿した母親は無責任に『アカン降ろしたい』と発言して出産に前向きではなく、彼を愛していなかったことが伺えます。生まれた後まだ小さい頃から多くの問題行動起こしていたのです。どれも『奇行』と呼べる『異常』な行為で精神状態を疑ってしまいます。

その異常な行為の一部をご紹介していきます。まず彼がまだ僅か3歳の頃には、車の通りが激しい大きな道路のド真ん中で『さんりんしゃ』で走行したのです。更には何の罪のない生き物たちに暴行を加えるなどの虐待も行っていました。そして小学生になると他の生徒から虐めを受けていましたが、彼自身も弱い立場の人間を虐めていたそうです。

中学生時代には

彼は優秀な中学校に進学したいと考えていたのですが、成績が伴わず家庭からも反対されていて、この時賢い人間に生まれなかった事を僻み母親を恨んだそうです。中学生時代でも彼が続けていた弱い者いじめは続き、また家庭内でも反抗期となり親に対して暴力を振るったり荒れていたそうです。

高校生時代には

高校生になると教師に手を出してしまい学校を辞めさせられてしまうのです。その後は憧れていていた自衛隊に配属するのですが、そこでも家庭を飛び出した少女を自身が生活した寮の一室に連れ込み、強制性交をして自衛隊も辞めさせられます。

附属池田小事件の犯人情報③精神疾患に塗りつぶされる犯罪経歴

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社会人になっても職を転々とするのですが、何度も犯罪を繰り返しているのです。物件や住居人の家賃の支払いなどを管理する職に就いていた時には、担当していた物件の一室に住む女性宅に押し入り、性的暴行を加えて逮捕されました。この時自身の要求により精神鑑定が行われ、これまでの犯罪歴や奇行を考慮して精神疾患と断定されました。

精神疾患があると断定されると、責任を問われなくなり刑事処罰が下されなくなるのです。その事をいいことにこの後も暴行事件、強姦事件などの犯罪を繰り返しますが、いずれも断定された精神疾患により刑罰を受けずに何度もやり過ごします。

主な犯罪歴

  • 車のライトが明るいという勝手な理由で、他人の車を破壊
  • 木材で兄の車を破壊
  • 高速道路を『逆走』
  • 飲み物の中に『薬』を混入
  • 度重なる強制性交
  • 結婚相手に対して殴る蹴るの暴行

附属池田小事件の犯人情報④複数回の結婚歴

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犯罪を繰り返していましたが、センセーショナルを集めた悲痛な事件を引き起こす約10年前に最初の結婚をします。相手は20歳近く年上のナースでした。彼は自身が立派な医師であると嘘をついて半ば強制的に結婚したのです。嘘はすぐにばれて離婚が成立しましたが、その直後に1人目の結婚相手と同年代の女性と再婚したのです。

2人目の結婚相手は世間的に有名な小説家の妹でありまた高学歴な女性でした。2人目の結婚相手に頼ってバスのドライバーとして就職しますが、ここでもまた強制性交をして逮捕されてしまいました。逮捕された後も2人目の結婚相手に頼り示談解決することになり、犯罪やトラブルが多いことからまたも離婚する事になりました。

3人目4人目の再婚

2人目の結婚相手と離婚した後、今で言う婚活パーティーで知り合った女性とまたもや強制的に結婚すると、2人でハネムーンに旅行にいきましたが、その旅先で動機は不明ですが3人目の結婚相手を暴行します。更にこの時離婚歴を隠していたのですが、それも発覚していしまい3度目の離婚をしてしまいます。離婚した後この3人目の結婚相手にストーカー行為、暴行行為を働き逮捕されました。

逮捕された直後にまたもや婚活パーティーに参加して、そのパーティー内で暴力を振るったのにも関わらず、彼に殴られた女性と4度目の結婚を果たします。しかしトラブルや犯罪が相次いでこの4人目の結婚相手とも離婚します。その後は彼女に対してもストーカー行為を働いて逮捕されたり、ひたすら犯罪行為を繰り返す日々を送っていたのです。

附属池田小事件の犯人情報⑤厳格な父とネグレクト気味な母

先ほどお話しした通り母親は彼をお腹に宿している時に『アカン降ろしたい』と発言して、出産に前向きでなく彼を愛していなかったのです。それどころか育児そのもの自体を放棄していたのです。その為代わりに父親が育児や教育を行っていましたが、父親が厳格な性格で現在なら『虐待』と呼ばれる教育を行っていたのです。

言うことを聞かなかったり、悪いことをしたのなら手を出すのは当たり前で、彼が幼い子供の時から暴力を振るっていたのです。彼の家庭内ではそれが毎日の様に繰り返されていたと言われているのです。彼の歪んだ人格は両親の教育による影響が大きいのではないでしょうか?きちんと愛情を注ぎ正しい教育を施していれば、彼の様な殺人鬼を生まず悲劇が起きなかったかもしれません。

 

附属池田小事件に下った判決内容とは

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殺人鬼が事件を起こす前から精神疾患をいいことに犯罪を繰り返していた事、その両親にも問題があった事、少年時代から奇行や問題を繰り返していた事。彼の生い立ちや経歴についてよく理解して頂けたのではないでしょうか?彼は学校内で無差別殺傷の犯行を及ぶ前から『サイコパス』同然の危険な人格者であったのです。

果たして身も凍る様な悲痛な無差別殺傷事件の犯人である彼に対して、どんな判決結果が下されたのでしょうか?これまでの犯罪の多くは精神疾患を持っていることから、刑事処罰を逃れてやり過ごしていきました。しかし今回の事件では死傷者が多数でており、また幼い子供を狙った卑劣で残虐性の高い犯行なのです。当然極めて重い刑罰が下されなくてはなりません。

附属池田小事件の判決は「死刑」

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これまで精神病患者、精神疾患者として何度も犯した犯罪の責任や刑罰をやり過ごしてきましたが、警察の厳しい取り調べの時に、精神や人格に異常がある人間のフリを装うの止めたのです。この時最後まで精神異常者としてなり切れなかった事に悔やんで涙したそうです。彼の犯行は確かな殺意や動機があった事が明らかとなりました。

そして罪のない少年少女たち、教員を傷つけ命まで奪った残虐性の高い犯行の責任を問われ、最終的な判決では『死刑』が言い渡されました。彼がしてきたことを考えれば至極当然のように感じるのは普通の感性でしょう。

附属池田小事件の死刑判決は別室で聞かされる異例の判決

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判決結果は当然裁判官からその裁判の中で直接、容疑者に言い渡されるのが一般的ですが、今回の彼の判決結果は異例の状況、場所で聞かされることとなったのです。また裁判官が罪状など理由や考慮した点を話した後に判決結果が言い渡されるのですが、これまた異例のケースで先に『死刑』と伝えられたのです。

附属池田小事件の判決中、被害者を刺激する行為から罵声が飛び交う

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殺人鬼の被告は最初の裁判では謝罪する態度、反省の意を見せていましたが、判決結果が言い渡される裁判では、心と身体の両方を傷つけられた被害者、大切な子供の命を奪われた遺族に対して謝罪するどころか挑発するような言動をして、それに対して怒号や罵声が飛び交う事態となってしまいました。

大切な我が子の命を奪った殺人鬼が反省する様子もなく、挑発的、煽る様な態度をしていたら怒りがこみあげてくるのは当たり前です。その為判決結果が言い渡される前に殺人鬼の被告は、早い段階でその裁判から退場させられて、違う部屋で判決を聞くようになったのです。

附属池田小事件の死刑は犯人自ら早めることを志願していた

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殺人鬼は死刑判決を聞いても動じず、それどころか自身の死刑を早めてほしいと志願していたのです。死刑が、死ぬことが怖くなかったのでしょうか?とにかく人格が『狂人』『サイコパス』そのものである事は間違いありません。

後述でも詳しく動機についてお話ししますが、彼は道連れをするつもりで幼い少年少女を殺めており、つまりは元々犯行後に死ぬつもりだったのです。死すらも彼が望んでいる事ならば彼の思うつぼで、傷つけられた被害者や幼い命を奪われた子供たち、その遺族の気持ちは一向に晴れないでしょう。

附属池田小事件の死刑は判決から約1年後の2004年に執行

死刑の執行予定は、事件から3年後。判決が言い渡されてから1年後の平成16年になりました。死刑囚である殺人鬼の望み通り死刑執行が早められたのです。執行時の殺人鬼の状況については後述にて詳しく解説していきます。

附属池田小事件の被害者まとめ

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殺人鬼の彼は最終的な判決では『死刑』が言い渡されたのですが、彼が奪った幼い子供たちの命が還ってくるわけではありませんし、彼自身『死』を望んでいたのです。彼が死刑されることになっても、遺族や被害者たちの気持ちはいつまでも晴れる事はないのです。

次に殺人鬼の手によって引き起こされたセンセーショナルを集めた悲痛な残虐性の高い事件の被害者たちの詳細をまとめていきます。どんな人物がどんな被害に遭ってしまったかなどを詳しくお話ししていきます。

附属池田小事件の被害者①死亡者は8名

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卑劣な殺人鬼の手によって命を奪われたのは、小学2年生の少年少女7人、そして小学1年生の子供が1人、計8名もの幼気な少年少女たちが死亡者となってしまいました。彼たちの輝かしい未来や可能性に満ち溢れた命は1人の卑劣な殺人鬼によって奪われてしまったのです。遺族の悲しみは一生癒える事はないでしょう。

附属池田小事件の被害者②体の怪我と心の怪我

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また殺人鬼の犯行を止めようとした先生や、大きな刃物によって身体を傷つけられて大怪我を負ってしまった少年少女たちもいました。大きな刃物で切り付けらたわけですから、その傷は一生残らない可能性も十分に考えられます。実際に殺人鬼の手によって傷つけられた先生、少年少女たちだけではなく、現場に居合わせた他の子供たちも被害者なのです。

まだ幼くピュアな精神を持っていた少年少女たちは、大きな男が殺意を持って刃物を振り回して次々と友達を傷つける様子を目の当たりにしていたのです。想像を絶する悲劇を目撃し体験した子供たちは心の怪我を負ってしまったのです。トラウマや恐怖心を抱えてしまい精神病を患ってしまった児童が大勢いたのです。

心の怪我

想像を絶する悲劇を目の当たりにしたわけですから、トラウマや恐怖心を抱えてしまうのは当然ですが、更に『何故助かったのか』『死なないでもよいか』と助かった少年女子たちはその様に、助かった自分に対して責任を感じてしまったのです。心の怪我を負った第2の被害者は現在立ち直ることが出来たのでしょうか?

附属池田小事件の被害者③児童の保護者

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当時現場となった学校内は、パニック状態となっていて被害に遭ってしまったと思われる児童の家族にスムーズに連絡する事ができなかったのです。その為被害に遭った少年女子たちの家族の一部は、自身の病院に運ばれた子供の行方も分からず、発見していた時には時すでに遅しだったという現状もあったのです。

鬼畜な殺人鬼の手によって命を奪われた8人の少年少女たちの遺族は、彼が死刑されたとしても大切な子供の命が還ってくるわけではありませんし、納得できないでしょう。一生その悲しみは消える事はないのでしょう。

附属池田小事件の犯人の今

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実際に身体を傷つけられ怪我を負った少年女子たちだけではなく、心に大きな怪我を負った少年女子たちも大勢いた事実、そして彼らの傷の深さは想像を絶するものであった事を分かっていただけたはずです。幼い子供たちの明るい未来と命を奪い、幼気な少年少女たちに大きなトラウマやこころの傷を負わせた、殺人鬼の所業は絶対に許されません。

センセーショナルを集めた悲痛で残虐性の高い事件の引き起こした張本人である犯人、殺人鬼の現在について次に解説していきます。彼は現在も収容されているのでしょうか?それともすでに死刑が執行されて亡くなっているのでしょうか?

附属池田小事件の犯人は2004年に死刑執行

殺人鬼は自分の死を待ち望んでいるかのように、早期に死刑執行が執り行われることを懇願して、担当の弁護人にもその旨を伝えて、早く執行されないのであれば法的に当時の法務大臣を訴える。という構えを見せていたくらいなのです。結果的に彼の望み通り、死刑判決が下された1年後の平成16年に執行され、彼はこの世を立ち去りました。

死刑が決行された時刻はAM8時で、直前にタバコとジュースを口にしたそうです。後述でもお話ししますが死刑判決が言い渡された後に実はある女性と5度目の結婚をしていて、彼は死刑される間際に刑務官に『妻にありがとうと伝えて』と話していたのです。しかし被害者や遺族たちに対しては結局最後まで、謝罪や反省の意は見せなかったのです。

附属池田小事件で生き残った子供と保護者の今

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鬼畜で卑劣な殺人鬼の現在は既に死刑が執行され亡くなっていること、そして決行される直前の彼の最期の言動について解説していきました。次に殺人鬼の手によって大怪我を負わされたものの、命は助かった少年女子たち、そして大切な子供の命が奪われてしまった『今』のことについてお話ししていきます。

附属池田小事件で生き残り、大人になった子供の今とは

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殺人鬼の手によって大きな刃物で刺され、大怪我を負いましたが何とか生き延びた女性がいます。彼女の家族は事件直後も心に大きな傷が残らぬように、なるべくニュースや事件の事から遠ざけて配慮していたそうですが、彼女が中学生の時にはクラスメイトが喧嘩をしているの見て『過呼吸』になってしまったのです。

更には高校時代に近くで人が倒れたのを目撃したのですが、恐怖で足がすくんでしまい動くことが出来なかったそうです。これらは恐らく悲痛な事件のトラウマや記憶が影響している『心の怪我』によるものでしょう。彼女はその後、心のケアしてくれた看護師やカウンセラーの様に、人の事を支えるような仕事を目指して現在は『子供教室の先生』に就職しています。

附属池田小事件を経て前を向く保護者

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この悲痛な事件によって命を奪われた少女の保護者の1人は、当時大きな悲しみに包まれて苦しんでいました。この時に友人や同じ被害者の遺族、先生などに心を支えてもらった経験から、強く生きなくてはいけない。自分も悲しみを抱える人たちの心を支えたいと考え、事件から一年後の平成14年に言葉で心のカウンセリングをする知識を学んだのです。

そして『精神対話士』という資格を取得して、更にその知識や経験を深めてその道のエキスパートにな成長していきました。。現在でも震災に見舞われ家族の命を失った被災者や事故、事件の被害者など大きな悲しみを抱える人たちの心を支えるという偉大な活動をしています。またその他の支援活動団体や自治体のトップやリーダーを務めるなど、心に大きな闇を抱える人たちの為に日々奮闘しているのです。

附属池田小事件はなぜ起きた?

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何故幼い少年少女たちが無差別に傷つけられる残虐性の高い事件が起きてしまったのでしょうか?当然殺人鬼である犯人の動機が大きく関係しています。ではこれまでにも数々の奇行、問題行動、犯罪を繰り返してきた殺人鬼の動機やきっかけは何だったのでしょうか?こちらでは彼の動機について考察していきます。

どんな動機であれ彼が行った卑劣で残虐な犯行の数々の理由として、到底納得できるものではありません。罪のない人間を傷つけた殺人鬼は間違いなく大変身勝手で非道な人格者なのです。彼の歪んだ人格を作り出したと言っても過言でない両親にも責任があると言えるのではないでしょうか?

附属池田小事件の動機①「下関事件の模擬犯になりたかった」

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彼は上記のように供述しているのですが、この『下関事件』といっても該当するものが4つほどあり、お隣中国で起きた虐殺事件、あとは同名の駅が放火された事件、第二次世界大戦後に起きた在日朝鮮人のデモなども同じように呼ぶのですが、恐らくは今回の事件が起きる2年前の平成11年に起きた通り魔殺人件だと思われます。

今回ご紹介している附属池田小事件の様に無差別殺傷事件は日本で他にも起きているのです。同様に世界的にセンセーショナルを集め、日本中を震撼させ騒然させました。あの有名なアニメや電子の街『秋葉原』で惨劇が起きてしまったのです。その事件について気になる方や興味のある方は是非こちらの記事をご覧ください。

下関事件

この通り魔殺人事件では罪のない人間が数名殺害、殺傷されており、犯人は無差別に犯行に用いた車を使って意図的に人を撥ねて、車から降りると刃物を振り回して更に人々を殺傷したというもので、秋葉原の通り魔事件に類似しています。この事件の犯人の動機も自身に降りかかる不幸や災難を、身勝手に社会のせいにしてそれが動機となりました。

この事件は平成11年に起きて同年に逮捕されましたが、無差別に通り魔殺人した被告に最終的な判決が下されたのは、その8年後の平成20年の事で死刑判決が言い渡され、執行されたのはその4年後の平成24年の事でした。今回ご紹介している小学生を無差別に殺傷した事件の犯人、殺人鬼が死刑決行されるのがいかに早かったかが分かりますよね。

附属池田小事件の動機②「前妻に後悔させたかった」

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彼は離婚、再婚をこの時既に4回も繰り返していて、どの女性の事を指しているのか分かりませんが、もしかしたら全員かもしれません。彼女たちに自分と知り合って交際して結婚していた事を後悔させたかったと話しているのです。非常に身勝手な理由で理解しがたい内容です。

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