阿部定事件とは?恋人の局部を切り取った猟奇殺人
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女性が加害者でしかも猟奇殺人であることから有名な殺人事件が阿部定殺人事件です。有名な俳優さんで阿部サダヲさんという方がいらっしゃいますが芸名がそこから来てるだけで全く関わりはありません。今回はこの事件がなぜ今でも語り継がれているのか殺人犯である阿部定の人生と一緒に解説していきます。
まるでアニメの世界のような殺人事件
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よくある不倫で終わるはずの事件がこんなにも大きくなったのは不倫で割り切ることが出来なくなった阿部定が当時の恋仲の男性を絞殺したどころか男性器切断という狂気を見せたからでした。死んだ後とは言え、男の人にとっては震え上がる事件です。
今でこそヤンデレという言葉が浸透していますが当時はそのような言葉はありませんでした。愛してるから恋人を殺すそして恋人の大事なところを切断、まるでアニメに出てきそうな狂気っぷりです。その狂気さが故に今でも知っている方は多い事件でしょう。
阿部定は実はとても可愛い女性
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後で阿部定がどのような人物か紹介するのでここでは簡単に説明致しますが、意外にも恵まれた容姿を持つ艶やかな美しい人でした。今の時代の美的センスでも十分に美人と言われるレベルなので昭和の初期であれば誰もが振り返るような美女でありました。
阿部定の生い立ちと石田吉蔵との出会いまで
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昔はごくごく普通の美しい女の子でしたがどこで道を踏み外したのでしょうか。可愛らしい阿部定の幼い頃と阿部定にとっての運命の人石田吉蔵とはいつどんな出会いをしたのか。事件を起こしてしまう以前の普通の女の子だった頃の阿部定について説明します。
阿部定の幼少期は贅沢三昧
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家業として畳店を営んでおり時代を考えると十分にお金持ちの家でしたが生まれたとき母の体調が芳しくなく幼少期は家族で暮らすことが出来ませんでした。今なら大家族の部類ですが当時は珍しくない8人兄弟という子沢山の家庭で、亡くなった子や既に家を出ていた子がいたため父・母・3人の兄弟・阿部定の6人で住んでいました。
一緒に住んでいない時期もありましたが、見目麗しい彼女をとても可愛がって着物や習い事などお金を使うことは惜しまず愛情を注いで大事に育てていました。しかし、それがいけなかったのか、一番甘えたい時期に家族と一緒に居れなかったことがいけなかったのか少々高飛車なプライドの高いきつい女の子となってしまいました。
阿部定14歳でレイプ被害を受ける
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色気があり、ませた美人と評判の阿部定でしたが、15歳の頃に今後の人生を大きく揺るがした大事件が起きました。仲良く遊んでいた慶応大学に通う男子大学生にレイプという最悪の形で処女を奪われてしまいました。
強制的な性行為をさせられたあと、余程酷い行為だったのか性器からの出血が止まらず母親へと相談しました。母親へと相談した後加害者と話し合おうとしたのですが結局機会を作ることが出来ず和解へと至りませんでした。
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それからの阿部定はすっかり心が荒んでしまい俗に言う遊び人となってしまいました。16歳の頃には付き合っていなかった近所の男性と定期的に性的な関係だけを持つ云わばセフレ状態になっています。
今でこそ結婚前に体の関係を持つことは普通となっていますが明治時代ではご法度でした。その頃はお見合い結婚が当たり前でその条件に処女であることが入ることも珍しくありませんでした。こういった背景があり阿部定はレイプ事件後、結婚できないかもしれないと酷く悲観し荒れてしまいました。
阿部定は芸子として売られる
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裕福だったはずの実家でしたが阿部定が16歳の頃兄が家のお金を持って行方を晦ましてしまい実家の畳屋を倒産させることとなりました。しかし、不動産も持っていた実家はそれでもお金に困ることはなく当時の時代背景を考えると本当に裕福な家庭だったと言えます。
しかし、荒れていた愛娘を耐えきれなくなった父親が芸子として知り合いへと売ってしまいます。芸子とは今で言うキャバクラのようなもので性接待はありませんでしたが三味線しか出来ることがなく、次第に体を売りお客さんを喜ばせる方法を取るようになっていきます。
阿部定は娼妓として各地を転々と
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芸子の店を転々としていた阿部定でしたがせっかく人気者になれたというところで性病になりました。性病を患ってしまったことをきっかけにもっと自暴自棄になってしまいどうせ体を売るなら変わらないからと娼婦へと転身しました。
高級娼婦となった阿部定は結婚の話も出ましたが結婚話が出た男性の知り合いもお客さんであったため破断し阿部定は店を辞めてしまいました。容姿が良く最初は高級娼婦として働けていましたがトラブルを起こすことが多くお店を移るたびに安い店へ落ちました。
阿部定「鰻料理吉田屋」で石田吉蔵と運命の出会い
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いかがわしいお店で働く彼女でしたが学校の校長をしていた男性と出会い交際を始めました。とても誠実で彼女を深く愛してくれていた男性で自分を売ることで生きてきた彼女を叱りきちんとした道へと行けるように料亭を紹介し仕事を見つけてあげました。なお、紹介先の店主の石田吉蔵は結婚していました。
阿部定事件の概要
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自分を大事にしてくれる彼氏の頑張りにより真っ当な仕事が出来るようになり偽名を使って働き、人生をやり直そうと頑張っていたところで石田吉蔵に惚れてしまいました。そして、殺人事件を起こすまでに至ってしまうのですがどのようにして事件が起こってしまったのか、事件の状況の詳細を説明します。
阿部定事件の現場は尾久の待合旅館「満佐喜」
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真っ当に生きていくために体を売らないで仕事をしていた阿部定でしたが自分を想ってくれる人がいるにも拘らず不倫の泥沼にはまっていってしまいます。石田吉蔵が既婚者であったことから最初はバレないようにと気を使っていましたが不倫という人の道を外れた行為がバレないわけはありませんでした。
妻にバレてしまっても二人の関係は終わることなく二人で駆け落ちをして、宿泊所を転々とし毎日毎日お互いの体を貪り合いました。そして、事件が起こった数日前から二人は満佐喜という今でいうホテルに滞在していました。
石田吉蔵を就寝中に絞殺
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様々な負の感情を我慢出来なくなった彼女は誰にも触れさせないようにする誤った道を選んでしまいました。昭和38年の5月の中旬、いつものように激しい性行為を何回も何回も満足するまで行いさっきまで愛し合っていた男を着物の中ヒモで首を絞めて窒息死させました。
石田吉蔵は窒息プレイを好んでいた
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首を絞めて殺したのは情事の最中に石田吉蔵に首を絞めることを毎度頼まれていたからでした。事件が起こる数日前も情事の最中に首を絞めることを頼んでいて終わった後に痕が残ってしまうほどに激しく窒息プレイを楽しんでいました。
冗談だったのか本当に望んでいたのか今となってはその真意が分かることはありませんが、次絞めるのなら止めないでほしいとお願いしていました。そして、阿部定にとってはそれが本気に思えてしまい本当に殺してしまいました。
阿部定|石田吉蔵の局部を切断
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不倫の仲になって殺しただけでは飽き足らず、息をしていないのを確かめて男性器をナイフで切断し自分の物にしてしまいました。毎日毎日性行為に耽っていた阿部定にとっての男性器とはもっとも思い出深い石田吉蔵の体の部分であり一番思い入れが強かったのでしょう。
阿部定は非常に嫉妬深い女性だったようで、関係を持ち始めてからは男性器にナイフを翳して他の女性と行為をしないで欲しいと頼んでいました。妻帯者で不倫関係となっていましたが他の女性とも関係を持っていて女遊びが激しかったことが伺えます。
阿部定|石田吉蔵の太ももに血のメッセージ
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男性器切断というイメージしかないかもしれませんが、事件はそれだけでは終わりませんでした。他にも奇行はあり、男性器を切断した時の血でダイイングメッセージならぬ愛のメッセージを残していきました。自ら手にかけたもう息をしていない石田吉蔵の体を使い誰にも渡さないと言う強い意志表示をしています。
太腿に自分の名前と石田吉蔵の名前を書き二人きりと書き残しています。彼女は隠すつもりなどさらさらなかったようで、バレてしまってもいいから一緒に居たのは自分であるとアピールしたかったのだと考えられています。
阿部定|石田吉蔵の左腕に「定」
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もっと自分のモノだというアピールがしたかったようで死体の左腕にも自分の名前である「定」という文字をナイフで刻んでいます。死体を隠すどころか死体に自らの名前を書いたり、通常の精神ではとても考えられないことばかりで恐ろしいほどの執着心が感じられます。
阿部定の逃走劇で世間は阿部定パニックへ
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死体にメッセージを残していくほどの狂気を見せた阿部定ですがその後一時的に行方不明となってしまい、大捜索となりました。怖くなって逃げ出したとは違う阿部定の逃げた後の行動と世間に与えた影響について説明します。
阿部定2日半の逃亡劇
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凄まじいほどの執着心でしたが遺体を置いていって宿泊していたホテルから逃亡し、その逃亡は二日に及ぶものでした。殺人を犯した後逃げ切るつもりだったようで着物を変え、宿を変え捜査を切り抜けようと試みていました。
耐えられないほどの独占欲の果てに石田吉蔵を殺したのですが、性欲が収まることはなく、こういう時だからこそ燃え上がるのか運命の出会いのきっかけとなった男の元へ行き性行為に耽っていました。男を頼り逃亡生活を続けていましたが、いよいよ捕まりそうになり自死を考え始めたところで逮捕されました。
阿部定にメディアが大興奮!号外配布
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今までにない事件だったのでみんなが驚き誰もが気にしてどこの局も報道がこの事件だらけでした。号外が出るほどの大事件となり、逮捕されるとより話題になり渦中の人物がどのような女か一目見るために新聞社やテレビ局以外の一般人も集まるほどの騒ぎでした。
阿部定人気で国会までもが中断
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逮捕の瞬間、国会は議会中でしたが号外が出るやいなや取り合いへと発展し、美人でいい女だ、やっと逮捕かの言及があり議題は事件のことへと変わりました。逮捕されるまでは似ている女性がいると犯人ではないかとその町の人はみんなパニックとなりました。
阿部定事件により「局所」という呼び名が定着
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官能的でイヤラしい事件に連日連夜報道され盛り上がりを見せて世間にとても影響を与えましたがそれだけではありませんでした。そして事件の報道の影響で男性のシンボルをなんて呼ぶか迷った末に局所という呼び名が定着しました。
阿部定確保「謎の笑顔」を残す
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逃げていた途中で入ったホテルで事件が載っている新聞を見ると「まあ、大事件ですね」とまるで他人事のように呟いていたという記録が残っています。捕まりましたが残っている写真ではなんと意外なことに妖艶な笑みを見せ報道陣や警察を沸騰させました。
阿部定と石田吉蔵の局部の行方
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なくなることが無い部分なので使うことはない言葉ですが、今回の事件はそれが非常に大事で皆さんの気になることでした。切断した後の狂気の普通では考えられない彼女の行動をじっくりとご紹介していきます。
阿部定「局部」を肩身離さず持ち歩く
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嫉妬に塗れてしまい切断して自分の物にした後、大事に紙に包んで自分の着物の帯に入れてひと時も離さないように持ち歩いていました。今では考えられませんが、逮捕後は男性器を博物館で一般人も観れるようにと公開されていました。
阿部定「局部」を刑事に見せてほほ笑んだ
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大騒ぎになってしまいましたが、逮捕でき彼女の少ない私物を漁ってもお目当の石田吉蔵の性器はなかなか出てきませんでした。焦れったくなった警察は阿部定に石田吉蔵の性器をどこにやったかを尋ねました。
行方を聞かれ諦めたのかここでも妖しい笑みを見せて被害者男性の切断済みの性器をチラッと見せたら着物帯の中に直し込みました。彼女が要所要所で美しく笑みを見せていたのは写真映りを良くすることに執着していたからです。
阿部定が局部を切り取ったのは「一番かわいい大事なものだから」
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なぜ選りに選って性器を切り落としたのか皆が一番気になるところだと思いますが、そこでなければならなかったわけが彼女にはありました。大変嫉妬深かった阿部定は納棺師であっても石田吉蔵の遺体を綺麗にされるときに性器を触られるのが嫌だったからでした。
一番思い出の多いところを切り落とした
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これは性器を切り落とした理由を求められたとき彼女が実際に発した言葉で名言ともなっています。殺して逃げる際に何か石田吉蔵の思い出となる部分を形見として持って行きたかったようで生首や胴体を持ち歩くことは出来ないと判断したから思い入れの深い性器だったのです。
女性ではなく男が男性器を切断して食べた事件ですが、海外でも異常性癖による事件が起きていました。殺した上に人を食べたという異常としか言えない性癖の持ち主とその殺人鬼の生い立ちが知りたい方はこちらの記事をお読みください。
阿部定事件の裁判
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人々の興味を引き一世を風靡した事件も裁判となり収束へと向かっていきました。しかし、やはり裁判も一風変わった凄いもので話題に欠かすことはありませんでした。どのような裁判となり判決はどうだったかなどを説明します。
阿部定の予審調書は後に「愛のバイブル」となった
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とても性的な事件でしたが、ここでも一風変わった彼女は性体験に対して全部を語り喋りました。本来なら忘れたいはずの初めての強姦の記憶も語り芸子時代のこと、娼婦として働いていた時のこと、今までの男性経験なども裁判中に語っていました。
警察での調書は流出しないようにされていましたがこれだけ話題になったので欲しがる人が多く気付いた時には世に出回ってしまっていました。裁判の時の赤裸々な性を語った記録も出回りまるで官能小説のようだと高い評価を受けバイブルとして様々な人が参考にしました。
阿部サダ事件の判決は懲役6年
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懲役10年を要求しましたが殺人事件にしては随分と短い6年という判決結果でした。珍しい事件であり、なおかつ美しくある加害者を一目見たいという人が殺到し当時では大変珍しいことに傍聴を希望する人で溢れ返りました。
罰則が軽かったのは阿部定の精神鑑定が変態性癖であると出たことが関係しています。裁判の結果が出た後本来なら汽車を使い移動を行うのですが、阿部定があまりにも有名すぎることから特別に車で移動しています。
意外にも模範囚だった
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被害者の血塗れの肌着を手離したくないと暴れたこともある彼女でしたが、栃木刑務所へと収監された彼女の仕事振りはいいもので模範囚となりました。一周忌になるとやはり思い出すようでおかしくなってしまっていましたが、宗教にハマり落ち着きを取り戻しました。
阿部定は1941年恩赦により出所
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捕まったのは1936年で懲役6年の刑を言い渡されましたが、それより1年ほど早く出所しています。初代の天皇が即位してから2600年経った記念の紀元二千六百により模範囚だった阿部サダの刑期がさらに短くなり恩赦となりました。
阿部定の出所とその後
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本来より非常に短い判決でしたが、有名となり過ぎて出所の後もみんなが彼女を気にかけていました。愛した人を自分の手で殺した阿部定が出所後どのような人生を生きて亡くなったのか彼女の出所後の生活を説明します。
阿部定「吉井昌子」と改名し事実婚へ
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これだけ話題となり変態と言われた阿部定は普通に生きていくために刑事がつけた吉野晶子という名前へと改名しました。出所したばかりの阿部サダは芸子時代にヒモとして養っていた秋葉とその妻のところで生活していました。
その後には料亭で働いてその時のお客さんと事実婚をして普通の暮らしをしていたようです。空襲に巻き込まれながらも場所を転々とし農業をするなどして子供はいないながらも普通の女性として夫と二人で過ごしていました。
阿部定本『昭和好色一代女 お定色ざんげ』を名誉棄損で告訴
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普通に生きていたのですがやはりあれだけ話題になった彼女をみんなが気にしており、阿部定の人生を書いたエロ本が発売されることとなりました。本の出版を阿部定は認めずに名誉毀損であるとして訴えを起こして本の出版は無くなりました。