高山正樹とは?「仙台女児連続暴行事件」の犯人!
高山正樹は、日本の性犯罪者です。100人以上の幼い女児に対して性的暴行を加え、その様子を撮影するなど、自身の身勝手な欲求のはけ口にしました。現在は刑務所に収監されており、無期懲役刑で服役しています。
しかし、その公判中には精神疾患を装って減刑を求めたり、刑の確定がされてもなお、いまだ統合失調症であることを主張して無期刑の執行停止を企んだりするなど、獄中においても反省の色は微塵も見られない様子です。
高山正樹の生い立ちと女児に興味を持ったきっかけ
いったい、この男はどのようなバックグラウンドを持って生きてきたのでしょうか。なお、あまりにも事件の被害者が多く残忍な犯行であったためメディアには報道規制が掛かっており、世に出回っている情報は少ないのが現状です。
また、事件当時、男は無職であり、社会との関わりや人間関係が希薄であったこともその原因として窺えるでしょう。こうした社会的引きこもりの孤立は現在も問題になっており、打開策の検討が進められています。
高山正樹の生い立ち①父親は中国人で母親は日本人
この男の父は中国人、母は日本人であったので、高山受刑者はいわゆる在日中国人2世です。一家は宮城県仙台市に住み、父は料理屋に勤めるシェフでした。今でも宮城県には中国料理屋が多く立ち並ぶ地区があるそうです。一家の生活は経済的に恵まれていたとは言えず、家庭内のトラブルもたびたびあったようです。
在日中国人だから犯罪を起こした、という短絡的な主張はたいへん差別的で適切ではありません。しかし、こうした事件が起こるたび犯人のバックグラウンドが事件との関連性を探して取り上げられるのは避けようのないことで、結果として印象を悪くしているのは事実です。
高山正樹の生い立ち②ハーフが理由でいじめにあっていた?
高山受刑者は事件の裁判中に、自身が在日中国人であったことを理由に学生時代いじめを受けたことがあると供述しました。これは、詐称した精神疾患と関連づけて裁判官の同情を引くためにおこなったものと推測されますが、当時の同級生によれば「そんな事実はなかった」とのことで、判決文を見ても事件との関与は認められていません。
また、たとえいじめが事実であったとしても、それが100人以上の子供を身勝手な性欲のために傷つけた原因と結びつくのはおかしな話であり、そればかりを主張し続けるのは自身の犯した罪の大きさが理解できていない厚顔無恥な振る舞いと捉えることができます。
高山正樹の生い立ち③中学時代には女子の着替えを覗いていた
この男は、中学時代にはすでに性犯罪者予備軍としての片鱗を見せていました。当時の同級生が、高山受刑者はことあるごとに体育の授業で女子児童の更衣室を覗き、コントロールできない自身の性欲に関しても「男がエロくないと人類は繁栄しない」などと身勝手な言い訳を並べて、痴漢行為の正当性を主張していたと証言しています。
年頃の中学生男子としては珍しくない衝動的な言動だった可能性は考慮できるとしても、自己中心な思考や性的倒錯に関しての罪悪感や自制心がないまま成長し、結果として性犯罪を起こしたのですから、酌量の余地はないと言えるでしょう。どんな理由があっても、身勝手な犯罪が許されるものではありません。
大人になってからは母親へ暴力をふるい保険金を巻き上げ生活
成人した高山受刑者は、定職に就いていませんでした。そのため実母へ家庭内暴力をふるって怪我を負わせ、降りた保険金を巻き上げて暮らしていました。社会との接点もなく自堕落な毎日を送っていた高山受刑者が行き着いた先は鬼畜にも劣るものだったのです。
この一件からも、男が自己中心的な性格であったことは想像するにかたくありません。実際に逮捕後も、自分のことは棚に上げて子供時代にいじめられていたことを強調し同情を得ようとするなど、他人のことは顧みない他罰的な傾向が強く見られます。
高山正樹が女児に魅力を感じたきっかけは小6女児との散歩
犯行に及ぶちょうど一年ほど前の1996年、高山受刑者は自宅近くの河川敷にて、犬の散歩をしていた小学校高学年の女子児童を見かけます。この児童に惹かれた高山受刑者は、あまつさえ彼女に声を掛けて一緒に散歩するようになりました。
逮捕後には、「この時をさかいに幼児や児童を性愛の対象として見るようになった」と供述しています。これはいわゆる性犯罪の前兆事案と呼ばれる行為で、この男の場合にも、些細なきっかけを発端としてエスカレートしていったものと推測されます。
高山正樹が起こした「仙台女児連続暴行事件」の概要
そして、2000年を迎えた宮城県仙台市内では、女児に対する暴行事件が多発していました。直近で被害のあったアパートで張り込みをしていた警官が、目撃証言に当てはまる不審な男を発見し声をかけましたが、挙動不審な言動を繰り返したためその場で緊急逮捕しました。
この男は職務質問に対してかたくなに自分の名前すら名乗ろうせず、警官に対して異様な敵対心を見せるなど、異常性が際立つ様子を見せていました。逮捕後にはおびただしい余罪も発覚し、自宅からは犯行の様子をおさめたビデオテープが何本も欧州されるなど、おぞましさが際立ちました。
高山正樹が起こした事件①2000年女児強姦事件発生
高山受刑者に関連する暴行事件について、2000年8月8日の逮捕時までに提出された被害届は60件以上にものぼっていました。多発した事件の犯人が同一犯であるとみた警察は事件現場への張り込みを行ない、厳重な警戒態勢を敷いていたのです。捜査網にかかり、声をかけられた男は最後まで抵抗をしましたが、あえなくその場で逮捕となりました。
高山正樹が起こした事件②挙動不審な人物が犯人だった
強制わいせつ容疑で緊急逮捕された高山受刑者は、事件現場となっていたアパート前で何かを物色している様子を見せていました。警官に声を掛けられてからも、「アパートに住む友人に会いにきただけ」と誤魔化していましたが、会いに行く友人の名前すら答えられず、部屋番号さえわからないなど、もはや言い逃れはできない状況でした。
また、任意同行を求めた警官から逃れるように近所のコンビニへ駆け込んだり、「弁護士に電話をかけさせてもらう」などと話したり、いまいち的を射ない挙動不審な言動を繰り返しました。ついには緊急逮捕されるまで名前も告げず、犯行を認めない強気な態度を崩すことがないまま、連行されたのです。
高山正樹が起こした事件③逮捕後100人以上の余罪も発覚
逮捕後の家宅捜査と供述などにより、この男が襲った女児の数は少なくとも100人以上に及んだことが明らかになりました。初犯は逮捕3年前の1997年にさかのぼり、男曰く「小学校高学年くらいのきれいな顔立ちをした女の子を人に見つかりにくい場所に連れて行き、服の上から胸を触った」と証言しています。
この一件をさかいに女児への性的接触に味をしめた高山受刑者は、次々とターゲットを変えて常習的に卑劣な暴行を重ねました。なかには同じアパートで複数の犯行に及んだこともあり、徐々に慢心していった様子が窺えます。また、被害に遭った女児の姉が、その現場を間近で目撃してしまったこともあったようです。
高山正樹が起こした事件④残忍かつ卑劣な犯行が明らかに
男が行なった手口はあまりにも残虐でした。女児との性的行為を行いやすくするためにわざわざローションを持参し、行為の様子を録画するためのビデオカメラまでをも携えて犯行に及んでいたのです。
これらの品は逮捕時にも所持していました。警官が声をかけることがなければ、新たな犠牲者が出ていたかもしれないのです。また、本件は被害に遭った女児の人数があまりにも多かったために、各メディアには報道規制が掛かるほどでした。
警察が高山正樹を緊急逮捕した瞬間をカメラは捉えていた
あまりの異常性に、この事件は男の逮捕前からメディアの注目を集めていました。そのため警察の捜査線上に容疑者として現れた高山受刑者のことも彼らはもちろんマークしており、警官を追うようにして張り込んでいました。こちらに紹介したのは、まさに男が逮捕される瞬間の映像です。
男は、おどおどした様子もなく受け答えしているように見えますが、実のところは警官に声を掛けられてパニック状態なのか、いまいち何を言いたいのか分からないことを述べています。緊急逮捕を告げられた瞬間に至っても自身の犯行を認める気配はなく無駄な口答えを続けており、この姿からは男がいかに不遜な性格をしているか垣間見ることができます。
高山正樹逮捕後明らかになった卑劣な犯行の詳細
高山受刑者が逮捕された後、警察の捜査や本人の証言により、その鬼畜極まりない犯行の手口が次々と明るみに出ました。聞けば耳を塞ぎたくなるほどの異常性と独りよがりで自己中心的な言動の数々は決して許されるものではなく、司法によって科せられた罰をもってしても到底償いきれる罪ではないでしょう。
被害者は幼い少女たちであり、はじめは服の上から身体に触れるだけだった行動もエスカレートし、挙げ句の果てには子宮破裂や会陰裂傷などといった深刻な大怪我を負わせるようになりました。
高山正樹の犯行詳細①被害者は3歳~10歳の女児だった
卑劣な男の毒牙にかかってしまった被害者は、全員が年端もいかぬ幼い少女でした。大人の男から身勝手な性欲をぶつけられ、抵抗や逃走を考えるより先に、ただならぬ恐怖で足がすくんでしまったことでしょう。怖くて大人に告白できなかったという子がいるのもおかしくありませんし、それを逆手に取った卑劣な犯行です。
また、二次性徴すら迎えていない未熟な身体に暴行を加えればどうなるか、正常な神経の持ち主であれば容易に想像がつくはずです。しかし、男は、痛みや恐怖に怯えて泣きじゃくった女児に対しても自身の欲求を満たすまでは行為を止めることはなかったとされています。
高山正樹の犯行詳細②初犯以降4日に1度のペースで女児を襲う
高山受刑者が初めて犯行を行なったのは1997年であると本人が証言しています。そして、ここから4日に1度のペースで女児を暴行したとも述べました。当時無職で社会的繋がりが希薄であったことから児童の遊びまわる時間帯にも動き回ることができたのです。家庭内暴力をふるっていたことなどからも、年齢の割に、いかに狭い了見を持っていたかが推察できます。
また犯行のペースが頻繁であることから、頭の中では一日中ほとんど常に自身の性欲に関しての興味しか持っておらず、およそ一般的な成人とはかけ離れた思考回路をしていたことは明らかです。近所との繋がりなどがあれば早期に逮捕を望めたかもしれませんが、何と言っても社会的接点が薄かったことが致命的でした。
高山正樹の犯行詳細③「猫を探して」と誘い出して犯行
男は犯行現場や被害女児の物色をし、目当ての女の子を見つけると、「怪我をした猫を探している。手当をしなければならないから、一緒に探して欲しい」と声を掛けました。幼心にも同情を買うような文句を並べて人気のない場所へ誘い込み、犯行前には怖がられないようつとめて優しい態度を取っていたといいます。
男の行動を理解できないまでも、異変に気づいて泣きじゃくり嫌がる女児に対しては、「ここから薬が出る」と口淫させたり、性交に至らずともそのような姿勢を強要したり、他人の気配を察していち早く現場から逃走するなど、自身の欲を満たしてしまえばあとはどうでもよく、また同じ犯行を何度も繰り返していたことから極めて悪質で身勝手であると分かります。
高山正樹の犯行詳細④犯行の様子をビデオ撮影
高山受刑者は犯行に及ぶ際、ビデオカメラを携帯していました。己の行なった暴行の模様をテープにおさめ、自宅へ持ち帰って保管していたのです。逮捕後の家宅捜索によると、その数は45人分にも及びました。何の目的でテープを保管していたのかは文字にするのもおぞましくありますが、小児性愛者の犯行では多く見られる行動とのことです。
高山正樹の犯行詳細⑤「誰かに喋ったら殺す」と口止め
暴行後、犯行前に見せていた優しさとは打って変わって女児を恫喝し、「誰かに喋ったら殺しに行く」「絶対に秘密」と口止めを行いました。脅された女の子たちの中には、恐怖のあまり、高山受刑者から受けた凶行を両親にすら打ち明けられずにいた子もいました。こうしたことを鑑みるに、表沙汰になっていない事件も少なからず存在すると言えそうです。
また、犯行後に被害者へ口止めをするだけではなく、犯行現場やターゲットをあらかじめ下見して吟味を重ねていたことも分かっています。おびただしい事件の数々が、いかに冷静で計画的に遂行されていたかは明白で、これらが決して衝動的な犯行ではないことを裏付けるものでもあります。
高山正樹が起こした「仙台女児連続暴行事件」裁判の様子と判決
逮捕後の公判では、一旦認めた犯行を精神疾患のせいにして口を閉ざし減刑を求めるなど、どこまでも見苦しい様子を晒していました。結果として弁護側の主張は跳ね除けられ、執行猶予や減刑も認められることはなく、とうとう無期懲役を言い渡されることになったのです。
被害者への反省の色を見せることよりも先に自分の身を案じて保身に走る姿は実に滑稽で許しがたく、起こした犯罪の悪質さに加え、裁判中も減刑を狙って詐病を演じるなど、初犯とは言えど情状酌量の余地に乏しく再犯の可能性が極めて高いと言わざるを得ないものでした。
高山正樹の裁判①女児11人に対する強姦罪等で起訴される
裁判では、1999年から2000年にかけての暴行事件について起訴されました。検察側は、このとき起訴された11件のほかにも、3年間でおよそ100人以上の女児に暴行を繰り返し45人への犯行をビデオカメラで撮影、保管していたことを指摘しました。一回目の公判前までは、男は自身に問われた罪を認める供述をしています。
しかし、この時点ですでに弁護側は心神衰弱による刑の減軽を狙っていたようで、第一回の公判では「男に接見をおこなったが公訴事実について認否の確認ができなかった」として、弁護側の意見を述べず、引き延ばしを行なっています。この間、口裏を合わせて詐病を演じる段取りを決めていたのでしょう。
高山正樹の裁判②第二回公判では心身耗弱を装い減刑を狙う
第一回の公判前には己の罪や犯行を認めていた高山受刑者でしたが、続いて開かれた第二回の公判では様子が一転し、なんと車椅子に乗って現れました。前回とは打って変わって終始うなだれた様子を見せ、事件に関してはどんな問いかけに対しても口を利かず、罪を認めようとはしませんでした。その代わり、急に「幻覚が見える」「幻聴が聞こえる」などと、精神分裂病(現在の統合失調症)に罹患していることを主張し始めます。
一般的に、はじめから病識のある精神分裂病患者はいないものです。こうした男の主張に対しては裁判官も、「目に見えるもの、耳に聞こえるものが幻覚・幻聴であると自覚がある(=病識がある)うえ、その内容も場当たり的で具体性に乏しく信用できない」と述べました。
高山正樹の裁判③二つの精神鑑定を精査し精神状態は正常と判断
弁護側はこの男を犯行時精神衰弱であったとして減刑を求めましたが、行われた2回の精神鑑定においては、捜査段階と鑑定時とで供述の内容が異なるがそれが精神疾患のせいであるとは認められないこと、犯行時や逮捕時には事態に即応した行動を取っていたことから精神衰弱の疑いはないとして、男の主張は何一つとして認められませんでした。
男は精神鑑定にあたり「犯行を行なったのは性欲とは関係のないことであり、むしろ苦痛だった。汚れのない優秀な遺伝子を残すためだった」などと荒唐無稽な供述も行いましたが、もちろん認められませんでした。犯行は自身の欲を満たすために行われたものであり、衝動的ではなく至って計画的であったことからも、精神分裂病であるとは診断されなかったのです。
高山正樹の裁判④死亡者は居ないが犯行の残忍さから無期懲役判決へ
男は精神衰弱に関してしつこくアピールを繰り返しましたが、精神鑑定の結果は正常であることと、反省の色は全く見えないことなどから、裁判所はこの男に情状酌量の余地はないとし、「犯行はおぞましいの一言に尽き、鬼畜にも劣る」と糾弾、無期懲役を確定しました。死亡者のいない性犯罪で、前科がない人間が無期刑に課せられるのは異例のことでした。
被害者に対する謝罪の念が一切ないことや、裁判中の詐病や、やりとりから見える人格の偏りからすれば再犯の可能性は極めて高いこと、社会に与えた影響も看過することができないとされ、弱冠26才であったことや前科がなかったことを最大限に考慮しても、最高刑を科す以外にすべはないと判断されたのです。
性犯罪における一般的な刑の重さは?
日本の性犯罪における強制性交等罪(旧強姦罪)の法定刑は懲役5年以上と定められています。高山受刑者が判決を受けた当時は旧強姦罪の時代であり、懲役3年以上と現在より軽い刑が定められていました。いずれにせよ、殺人が行われていない姦淫事件に関しては現在でも有期懲役であることが大半です。
また、性犯罪については、再犯の可能性が高いか、更生の余地はあるかなど、判断に難しい事柄を加味しての判決となることが多く、法律が改正されてからも改善点を主張する声は絶えません。実例としても、女児へのわいせつ行為を繰り返して4回逮捕されている男が存在するなど、再犯防止に関する深刻さは根深いものとなっています。
日本は性犯罪者に甘い?
本国において、強姦にともなう罪は前述の通り懲役5年以上であり、これは強盗を犯したのと同程度の重さです。2017年の法改正前までは強盗の方が罪が重かったことを見ても、日本の性犯罪に対する認識の甘さは、そもそもの罪の軽さにあるとも言えます。大した罪に問われないため、再犯を起こす犯罪者も多くいるのです。
たとえばアメリカのニュージャージー州では性犯罪者情報公開法という法律が施行されています。これは1994年に制定されたもので、暴力的な性犯罪者の情報を近辺の地域住民や学校に情報提供することができる法律です。近年ではインターネット上で犯罪者のデータベースを公開することを義務付けた法律もできました。
再犯防止にGPSを埋め込むべきとの声も
数カ国で導入されている対策として、性犯罪者へのGPS機器の取り付けがあります。しかしこれはあくまで再犯後の捜査に有効というだけで、前述した性犯罪者情報公開法と同じく防止には効果が低いことが分かっています。GPSを取り付けたり、身柄を公開したところで、再犯を起こす者は起こすのです。
海外においては、事件を防止するには性犯罪につながる小児性愛を障害として認め、治療するほうがよいという論調が強いです。性的嗜好自体は罪ではありませんが、犯罪に繋がる行動を認知行動療法によって抑えたり、そもそもの性欲を抑えるために薬物治療などが有効なようです。