監禁王子・小林泰剛の現在は?生い立ちや北海道・東京連続少女監禁事件に迫る

交際している男女の同棲だと思わせるように、住民票も移動させるように指示をしています。恐怖のあまり抵抗することも、逃げ出すこともできなかった心の状態は平常ではいられなかったことでしょう。

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市役所の書類上では、カップルで一緒に暮らしているとしか映らなかったようです。実際には密室となる部屋の中で、壮絶な生活が虐げられていたのです。

北海道同様に性的暴行に加え殴るなどの暴行を加えていた

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自分に落とせない女はいないと豪語するほど自信をもっていたとされます。寂しがり屋を演じては母性をくすぐり近づいています。

相手が自分に気が向いてきたことを察知すると機嫌を悪くし、ターゲットが下手に出たところで支配をスタートしていったのです。前回の騒動と同じく首輪をつけては暴力で抑制をし、服従させています。

監禁した女性が自力で逃げ出した事から発覚

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必死だったことでしょう。あるときチャンスが訪れたのです。彼が精神不安定が酷くなったことで数日間入院をします。支配者から一旦離れたことで、思考回路は正常に動き出したのでしょう。

同じマンション内の夫婦に助けを求めて、公衆電話を掛けるための小銭を貰い、警察へ通報をし即刻保護されています。脱出することに成功したのです。

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心外的ストレスの症状が激しくみられており、母と再会しても認識できないほどの疲弊ぶりでした。大きな災害が起きると発症しやすいとされる心の病です。

壮絶な日々だったことが分かり、生きる地獄だったことでしょう。3か月ぶりの自由を手に入れたものの心の傷は簡単に修復できないものでした。

2005年に監禁致傷容疑で逮捕

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前回と同じ監禁容疑で再度捕まっています。取調べで話す中でも、異質な雰囲気は健在でした。自分の興味を引く話題では、スムーズな会話ができたようです。

反対の場合ですと急に不服となり口を閉ざしたといいます。モテるテクニックの話題となると流暢に話しだすのでした。被害者に対しての謝罪もなく、悪びれた様子は一切見せなかったようでした。

前回の逮捕から執行猶予中での再逮捕だった

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北海道の判決は2003年の真夏であった8月に確定しており、2度目の犯行は約半年足らずしか経過していない年が明けた2月というスパンの短さで、全く反省をしていないことが分かります。

統合失調症のために通院をしていたことも彼を勘違いさせていたのです。2回目の支配をしている背景には自分は精神病を患っているから、捕まらないと言い切っていたというのです。

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偏った思考が仇となりエスカレートさせてしまったのかもしれません。保護観察の目があれば未来は変わっていたでしょうか。

監禁王子は他にも複数の余罪があったことが発覚

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通報した少女以外にも沢山の女性を監禁していたことが明らかとなっています。17歳女子高生を青森県内にあるホテルで3日、22歳を東京世田谷区のマンションで約4カ月、23歳を同じく自宅で10日閉じ込めています。

いずれも若くてアニメのコスプレ会場でターゲットを定め、服従して己の欲求を満たしていたのです。

監禁王子・小林泰剛の生い立ち

どうして犯罪に手を染めてしまったのでしょうか?歪んだ人間性は昔から形成され異常意識の兆候があったのかを検証していき、プロフィールをみていきましょう。

青森県五所川原市の資産家の家に産まれる

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地域では有名な裕福な家庭で育ち、何不自由なく過ごしています。旧姓は木村であり、保育や学業といった教育に携わる施設を複数経営しておりました。

そのほか、青森県知事を務めていたほか、国会議員や警察の本部長といった国を賄う上で重要な地位の存在が血族でいます。絵に描いたようなお坊ちゃまだったのです。

小学校時代「王子」と呼ばれていた

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多くの小学生はランドセルを背中に背負い、徒歩で学校まで通うのが通常です。富裕層のご令息ですから待遇が桁違いでした。

毎日、送迎専用のベンツで学校まで横付けだったようです。クラスメイトからは王子と呼ばれていました。このときから名前は確率していたのですね。

中学時代は不登校児だった

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誰もがエリートの血筋を受け継いでいた彼に期待をしていたことでしょう。生まれたときから自然と人生のレールが敷かれているかのような環境であったため、社会的地位の高い仕事に就くことが当然という考えでありました。

そんな重圧があったのか、学校でいじめのような行為が見受けられたのか本人は口にしないので定かではありませんが、通えなくなっています。このころから徐々に精神疾患が出始めたとされます。

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高校受験にも失敗をしてしまったことで厳格な父からは、軽蔑され関係が悪化していきます。それをかばうかのように母は常に見方でいてくれ守ってくれる存在でありました。

慕っていた母親の死

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唯一無条件に自分を可愛がってくれた偉大な母が突然、死去してしまいます。事故死といわれ、昨日まで元気だったにもかかわらず突如還らぬ人となってしまったことで、心の準備もできていなかったようです。

このときから破滅の人生が少しずつ始まってしまいました。本人も最愛の存在をなくしてしまったことで、破壊してしまったと語っています。

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誰でもお母さんという存在は偉大であり、大きくなっても特別な存在です。早くになくしてしまったことで心のバランスが崩れてしまったのでしょう。父との関係も修復不可能まで悪化を辿るのです。

すでに、歪んだ精神が形成されていったといえる時期でもあります。大切な人を失ってしまった喪失感が行ってはいけない方向へ向いてしまったのです。

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