光クラブ事件とは?天才東大生・山崎晃嗣の闇と事件の影響も解説

一高は、東京大学教養学部、千葉大学医学部・薬学部の前身となる学校です。全国から優秀な学生、教授が集まり、卒業生の多くは東京大学へ進学しているエリート校でした。山崎もエリートへの道を着実に歩んでいきます。

光クラブ事件の山崎晃嗣の生い立ち②東京帝国大学法学部に入学

tookapic / Pixabay

1943年、一日15時間の猛勉強の末、一高から東大帝国大学法学部に入学します。父親から東大医学部教授の期待をかけられていたようです。しかし、時代は太平洋戦争の真っただ中。勤労動員が拡大し、学生も例外ではありません。山崎もこの激動の波に巻き込まれていきます。

光クラブ事件の山崎晃嗣の生い立ち③学徒出陣中、人間不信となる

学徒出陣により、陸軍主計少佐として北海道旭川に配属されます。山崎は見下していた上官からの理不尽に耐える屈辱の日々を送ります。さらに一高時代からの同級生を上官の私的制裁で亡くしてしまいます。

終戦の際、上官を庇う形で、米や油などの食料を横領していた罪に問われ、懲役1年半・執行猶予3年の判決を受けます。警察から尋問の際に虐待され、約束されていた横領分の分け前を受け取ることもできず、人間に対する強い不信感を抱きます。これは彼の人生に大きく影を落とすことになります。

光クラブ事件の山崎晃嗣の生い立ち④東大復学後は猛勉強の日々

Pexels / Pixabay

東大に復学した山崎は、これまでを取り戻すように猛勉強の日々を送ります。全ての科目で優を取る「全優」を目指すため、勉強、食事、睡眠など一日全てに優先順位を付けて行動していました。結局「全優」は達成されませんでしたが、東大史上もっとも天才と言われるほどでした。

山崎の特殊な性格とは?

suvajit / Pixabay

山崎は戦時中の経験により、大学構内ではほとんど人と接することはなかったようです。学力や知能のみ最上なものという考えをもっていたようです。冷酷なまでに徹底的な合理主義者で、全ての行動は彼独自の合理主義に基づいたものでした。

病的なほど几帳面

congerdesign / Pixabay

1日のスケジュールを病的なほど几帳面に記録していました。全ての行動は30分単位で記録し、それは勉強、睡眠、女性関係に至るまで詳細に書かれています。また、細かく優先順位を付けて、勉強は「有益時間」、恋人と過ごす時間は「女色時間」、空想などは「無益時間」とし、全ての行動に対して◎、○、△と自身の評価を付けていました。

彼の病的な記録癖は、亡くなる約3年前から自殺するまで1日も欠かすことなく続きました。その手記や遺書は書籍化され、2006年に再出版されていましす。彼の人生観や人柄が詳細に垣間みれる内容になっています。

女性を道具として扱う面も

Counselling / Pixabay

山崎は6人もの愛人がいたと言われます。ただし恋愛感情は皆無でした。愛人に誠意が無いと言われれば、『誠意とはいいわけと小利口に逃げることである。私の誠意を見てくださいという言葉ほど履行されぬものはない。人は合意にのみ拘束される』と告げたといいます。

妊娠した女性に対して堕胎を迫り、女性が断れば自殺するよう仕向けるしかないなどど、恐ろしい言葉を日記に残しています。肉体関係を結ぶためだけの女性秘書をおいていましたが、その女性こそが税務署のスパイであり逮捕のきっかけを作った事はなんとも皮肉です。

光クラブ事件の与えた影響①作品

DariuszSankowski / Pixabay

光クラブ事件は、現在も語り継がれるほどの話題性があり、また首謀者である山崎晃嗣の特殊な人物像から、さまざま小説や映像作品の題材にされています。ここでは特に有名な2作品を紹介します。

NEXT 光クラブ事件の影響を受けた作品①『青の時代』(三島由紀夫著)