光クラブ事件とは?天才東大生・山崎晃嗣の闇と事件の影響も解説

しかし、その影響の大きさから警察に目をつけられることになります。当時の法定利息は9%までであったため、物価等制令違反で検挙されました。社長秘書の女性から、会社の収支の全てを税務署へリークされたことがきっかけになりました。こうして「光クラブ」は一気に転落へ向かいます。

光クラブの出資者に有名な起業家も

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光クラブには多くの出資者が集まり、本社には融資したい出資者が列をなしたといいます。話題性から多くの東大生も出資に参加していたようです。その中には、誰もが知る東大出身の有名企業家も含まれていました。その意外な人物と驚きのエピソードを紹介していきます。

「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」創業者の藤田田

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出資者の中には、日本人で知らない人がいない「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」創業者の藤田田(ふじた でん)が存在しました。1926年生まれで、1944年に山崎と同様、東京大学法学部へ入学しています。山崎晃嗣と同時期に東大へ通っており、学部は違いますが、他に作家であるに三島由紀夫もあげられます。

藤田田は山崎と交流があったようで、山崎の印象を「頭のいいやつ」と語っています。好奇心が強かった藤田田は、山崎の「光クラブ」へ融資していました。藤田田の名言のひとつに『人は金と使命感で動く』という言葉がありますが、戦後の無秩序で混沌とした時代に、山崎に共感するところがあったのかもしれません。

山崎の自殺は藤田田の助言だった?

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藤田田は、「光クラブ」の経営が行き詰まった際も融資金をきっちり回収しています。山崎が債権回収について藤田田に相談しますが、藤田は『法的に解決することを望むなら、君が消えることだ』と冷たく突っぱねました。

現状を打破するためには、契約の「事情変更の法則」しかない、と吹き込んだのは藤田田という話もあります。「事情変更」とは、すなわち山崎の自殺をほのめかすものでした。真相はさだかではありませんが、その後、山崎は服毒自殺を選択します。

光クラブ事件の首謀者・山崎晃嗣のその後

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逮捕後1ヶ月で処分保留で釈放となった山崎。会社の信用は失墜し、業績は瞬く間に悪化していきます。「光クラブ」の社長として時代の寵児ともてはやされた山崎晃嗣の人生は、その後どのような結末を迎えたのでしょうか。

光クラブ事件の中心人物の山崎晃嗣は26歳の若さで服毒自殺

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逮捕後、山崎は持ち前の頭脳で警察の取り調べを論破。結局1ヶ月で不起訴となり釈放されます。しかし時は既に遅し。山崎のワンマン経営だったため、帳簿や通帳などは警察に没収されており、業務はストップしていました。さらに、債権者が出資金の返済を求め、約3000万円の債務を背負うことになります。

債権者へ債務返済を約束した11月25日の前日、資金回収が出来なかった山崎は、11月24日に毒物により人生の幕を下ろしました。まだ26歳の若さでした。こうして、終戦後世間を騒がせた光クラブ事件は結末を迎えます。

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山崎の死後「光クラブ」は解散しますが、関係者らの中には闇金業を続けるものもいました。山崎の相棒だった三木仙也も金融ビジネスを続けますが、「光クラブ」とビジネスの根本や、ブランディングの手法は全くで、詐欺まがいの金融事業を繰り返しました。

光クラブ事件の中心人物の山崎晃嗣の残した遺書とは

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山崎は、服毒し意識がなくなる直前まで遺書を書き続けていました。その内容とは、『契約は完全履行されるべきである。契約とは人と人との間で履行するものであり、死人という物体には適用されない。自らの死体をもって倫理的統一を全うした。』と書かれており、山崎の徹底的な合理主義を最後まで貫き通しました。

遺書は、彼の意識が無くなる直前まで続いていたため、書きなぐられた文字の最後は解読不能となっています。最後まで彼が伝えたかったことは一体なんだったのでしょうか。今となっては知る由もありません。

光クラブ事件の中心人物・山崎晃嗣とは?

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「光クラブ」の中心的存在だった山崎晃嗣は、彗星のごとく現れ、26歳の若さで生涯を閉じました。一体彼はどのような人物なのでしょうか。激動の時代を駆け抜けるように生きた山崎晃嗣。彼の生い立ちに迫っていきましょう。

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