韓国には三大未解決事件と呼ばれている未だ真相が究明されていない事件があり、この事件はその中の1つになります。驚くことにこの三大未解決事件は全て2006年に時効を迎えている事件になります。では、残りの2つはどのような事件だったのでしょうか。三大未解決事件の謎に迫りましょう。
韓国三大未解決事件①イ・ヒョンホ誘拐殺人事件
1991年に小学3年生だった男児イ・ヒョンホ君がソウルが拉致・誘拐された挙句殺害された事件になります。犯人の動機は身代金目的であり、被害者の男児の家族が裕福であることを知っていた人物であろうと推測されていました。
犯人は公衆電話を利用していましたが、逆探知されないように数分以内に通話を終了させ、一方的に命令だけを伝えていました。身代金の置き場所を指定する際も、警察の尾行を阻止するため場所を随時変更していました。犯人と被害者男児の両親とのやり取りは44日間にも及ぶものでした。
しかし、イ・ヒョンホ君は遺体となって発見されることになりました。捜査の結果男児は誘拐されたすぐあとに殺害されており犯人は身代金だけを奪い始めから子どもを両親の元に返す気がなかったことになります。
この事件において、声紋分析の結果犯人の声は被害者男児の親戚の声と完全に一致したため、警察は親戚を犯人と特定しますがアリバイが立証されてしまい、また声紋以外に証拠が乏しかったことから真犯人を突き止めることが出来ず未解決となってしまいました。
韓国三大未解決事件②カエル少年事件
5人の小学生が山で失踪し大規模な捜索が行われましたが子どもたちを発見することはできませんでした。そして11年後の2002年に、白骨化死体となって発見されることになった事件になります。
カエルを捕まえに行くと言い、5人の少年は山へ向かいますが夜になっても家に帰ってこない事を心配した親失踪届を出し警察や地元の人たちの協力の元必死に探しますが、子ども達の痕跡を見つけることは出来ずメディアに取り上げられ事により、韓国全土を巻き込んだ事件となりました。
2002年に子どもの衣類がいくつも散乱しているのを発見し警察が辺りを調べてみると白骨遺体が見つかり行方不明になっていた子どもたちであることが判明します。警察は子どもたちが遭難したことにより亡くなった事故だと判断しましたが親は納得できませんでした。
子どもたちは普段から現場の山に出入りしていた為、遭難するとは思えずまた衣類や遺体が発見された場所は当時何度も探し回った場所であった為11年後に見つかるなどあり得ないとの理由です。後に警察の調べで子どもたちの頭蓋骨には殴られたような跡があり殺人と断定されますが、時効成立により犯人は不明で未解決のままとなります。
韓国で起きた猟奇的殺人事件
華城連続殺人事件は、犯行の残虐性や未解決であることから社会の関心の高い事件となりましたが、他にも冷静さを欠いた猟奇的な事件は韓国でも起きています。ここでは、韓国で起きた猟奇的殺人事件をいくつか紹介していきます。
乳幼児5人連続拉致殺害事件
1991年から1994年の3年間で韓国の大川市(現在は保寧市)で生後3か月から5歳までの子どもが次々と拉致された事件になります。拉致された子どもの内、1人は自宅の近くで無事発見することができましたが、1人は行方不明のまま、2人は発見された後に死亡、1人は殺害され、遺体で発見されることになりました。
拉致された子どもは寝ている間に拉致されており、5件の被害者の家はどれも半径300メートルの圏内に収まるほど近い場所で事件は起きました。犯行現場が密集していることや手口が同じであることから、同一犯の犯行と考えられていましたが、拉致したり殺害したりしたのかは不明のままとなっています。
韓国のマスコミで大々的に取り上げられ大きなニュースとなりました。警察の捜査では、5人の乳幼児は同じ産婦人科で生まれたことが分かりましたが、これだけでは事件解決の手がかりとはならず他に決めてもなかったことから未解決のまま2009年に時効を迎える事になりました。
ソウル20人連続殺人事件
2003年9月から2004年7月の僅か10か月間で20人の人間が殺害されるという猟奇的な事件になります。最初の犠牲者は大学の名誉教授を務める人物でこれ以降ソウルの富裕層の高齢者や風俗嬢等が次々と殺害されました。
犯人はユ・ヨンチョルという人物で人肉愛好家であると言われています。ユ・ヨンチョルは21人の殺害を自供していますが1人は証拠不十分により不起訴なっている為20人を殺した殺人犯となっています。
犠牲者20人の内3体は遺体を燃やし11体近くは解体した上で内臓を食べたと供述しています。犯人のユ・ヨンチョルは高校時代から窃盗などの犯罪を繰り返しこの事件の前までに合計11年間刑務所で過ごしていました。
結婚をしていましたが度重なる犯罪が原因となり離婚をしており、この妻が元風俗嬢であったことから殺人のターゲットに風俗嬢が含まれていたのは元妻への当てつけだったと言われています。ユ・ヨンチョルは2005年に裁判で死刑が確定しています。
小学2年女児殺害切断事件
2017年小学2年生の女児が殺害され遺体を切断されるという事件が起こりました。しかしこの事件で世間を騒然とさせたのは犯人が17歳の少女と18歳の少女だっことにあります。少女2人は事件の数か月前にSNSを通じて知り合いそのころから狂気じみた会話を行っていたと言われています。
事件当日、17歳の少女Aが18歳の少女Bに「狩りに出かけてくる」と話したところ、18歳の少女は「戦利品が欲しい」と言った為。Aは公園で遊んでいた被害者の女児をうまく丸め込みマンションへ連れていき絞殺した上で包丁で切断したと供述しています。
臓器は生ゴミとしてゴミに出し、胴体ははマンション屋上に遺棄しています。戦利品が欲しいと言ったBに小指と腕、太もも肉などはビニール袋に入れてそのまま渡しておりまた、2人は遺体を持ったまま3時間ほど食事をしたり買い物をするなどの常軌を逸した行動をとっています。
Aは犯行を認めましたが、心神喪失状態であったことを主張し、裁判官や検察を睨みつけるといった行動をとりまた、「Bが殺人の指示を出したから従っただけ」と証言し「反省や罪の意識がない」とみられました。最高裁にて少女Aには20年の懲役が確定しました。少女Bについては殺人ほう助で懲役13年の判決となりました。
世界の未解決事件は数多くある
韓国や日本だけでなく、世界中で見ても未解決のまま迷宮入りしてしまった事件は数多く存在しています。ここでは世界で起きた事件で未だ未解決となっている事件について紹介していきます。日本の未解決事件に関する記事はこちらをご覧ください。
イル・モストロ事件
イタリアのフィレンツェで発生した主にカップルが狙われた連続殺人になります。8組16名が殺害されており犯人を「フィレンツェの怪物」と呼んだことによりイル・モストロ事件やもしくはまたは単にカップル殺人事件等と呼ばれています。
犯行は年に1回程度で夏で月のない新月の夜でまた休日の前日の晩にドライブ中のカップルを襲うという同じ手口になります。被害者を射殺して遺体を切開し性器を持ち去るという猟奇的なものでした。1993年に1人の男性が逮捕されましたが、犯行を否認したまま亡くなっており今現在未解決となっています。
ボーイ・イン・ザ・ボックス
1957年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件の被害者の男児に冠せられた名前になります。4歳から6歳の男児が全裸で段ボールに入れられており体中にあざがあったと言われています。
事件はマスコミの注目を集め、男児の顔写真のポスターなどが貼りだされるも有力な情報を得ることができず、犯人逮捕に至っていないだけでなく被害者の男児の身元もいまだ不明の未解決事件となります。
ブラック・ダリア事件
1947年1月15日にアメリカで女優死亡のエリザベス・ショートの遺体が発見された殺人事件になります。死体は損壊状態は残虐的なもので胴体は2つに切断されていましたが、遺体を洗浄しており犯人につながる証拠1つもありませんでした。
また、事件が発覚してすぐに被害者の所持品と思われるものが新聞社に送られてきました指紋は出てこず世間の注目を浴びマスコミでも大きく取り上げられ500人近い犯人と名乗る人物や関係者が現れましたが確証を得ることが出来ず未解決となっています。
切り裂きジャック
未解決事件と聞いて真っ先に浮かぶ人が多いとされるのが切り裂きジャック事件になります。1888年に約2ヶ月間にロンドンで売春婦5人殺害された事件になります。署名入りの声明文を新聞社に送るなどしており劇場型犯罪の根源とも言われています。
神経症患者から王室関係者に至るまでまで、事件の犯人像(男性か女性か、職業等)について様々な論議が行われて決ましたが事件から130年以上経った現在も犯人は不明のままとなっています。
犯行は公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者は鋭利な刃物で喉を掻き切られた後特定の臓器を摘出されています。専門の知識を有することから解剖学的知識がある医師が犯人だろうというのが一番の有力な説となります。
しかし、事件が立て続けに行われているにも関わらず被害者の女性たちが警戒心もなく犯人と接している可能性があったことから女性による犯行ではとの噂も多く存在しています。
ヒンターカイフェック事件
ドイツで起きた事件の中でも謎の多い犯罪と言われている殺人事件になります。1922年ヒンターカイフェックの住人6名がつるはしによって殺害されています。犠牲となったのは、農場の主人とその妻、夫妻の娘とその子供2名、使用人の女性でした。
農場主の夫婦の娘の2歳の男の子の父親は、娘の父親であると噂されており、近親相姦の行為は周囲の人は殆ど知っていたそうです。犯行に使われたつるはしが被害者の家の床下から発見されるなど謎が多く残っており切り裂きジャック事件と並ぶ有名な未解決事件の1つになります。
ボドム湖殺人事件
1960年にフィンランドのボドム湖でキャンプきていた4人の若者達が何者かにナイフと鈍器のようなもので襲われ、3名が亡くなり、1名が重傷を負った殺人・傷害事件になります。有力な情報が得られないままで現在未解決となっていますが新しい情報や見解は度々浮上していると言われています。
ゾディアック事件
この事件も切り裂くジャックやヒンターカイフェック事件と並ぶほど世界的に見ても関心の高い未解決事件の1つとなります。アメリカで起きた連続殺人事件で捜査は現在も継続中になります。ゾディアックは犯人が手紙の自分の事をゾディアックと呼んでいました。
1968年から1974年に確認できているだけで5名を殺害している事件になり。科学捜査が進んだ現在でも犯人不明のままで未解決となっています。また、1990年代には、ニューヨークでゾディアック事件を模倣したとされる連続殺人が発生しています。
一度アーサー・リー・アレンという人物が容疑者候補とされます当人は既に死亡していましたが手紙についていた唾液のDNA鑑定とアーサーのDNAを確認したところ不一致であったため、犯人ではないとされています。
オスカー・スレイター事件
1908年にスコットランドで発生した殺人事件でグラスゴーに住む老婦人が撲殺された事件になります。事件の犯人として、ドイツ人のオスカー・スレイターという人物が浮上しました。スレイターは国外逃亡犯としてアメリカで逮捕されることになりました。
スレイターは無実を主張していましたが、目撃証言を決め手として死刑判決となります。しかし、様々な疑問が浮かび上がり助命嘆願によりスレイターは減刑されます。またコナン・ドイルを始め多くの著名人もスレイターの冤罪性を訴えており更には、真犯人の存在を指摘する警察内部の告発があった為再調査が始まります。
再調査が行われてもスレイターに対する刑の判決が覆ることはありませんでしたが、重要な証言した人物たちが次々と証言を撤回したことにより政府は控訴を認め、事件から約20年が経過した1928年に控訴審で無罪となりました。
スレイターが犯人であったというのは間違いであり、冤罪であったことが明確に証明されることができスレイターは自由の身となりましたが、この事件の真犯人は結局捕まっておらず事件は真相不明となっています。
風化させていい事件は1つもない
8件の世界で起きた未解決事件を紹介しましたが、まだ他にも世界中で真犯人が見つからないまま未解決となっている事件は多く存在しています。日本は殺人による時効は撤廃されていますが、現在でも時効が存在している国や地域は多くあります。
時効により、犯人が捕まることなく生き延びるなどということは遺族からしても許されることではなく、事件解決までに時間がかかればかかるほど、人々の記憶から忘れさられてしまうものになります。しかし犠牲になった被害者の事、大切な人を奪われた遺族の事を考えると忘れてもいい事件等ありません
事件の風化を防ぐためにも、どのような事件が起きてどれぐらいの人が悲しみ嘆き執念の捜査をしているのかを公にすることは、新たな情報を得る機会でもあり事件解決の糸口に繋がることもあります。事件の風化を防ぐとともに事件の解決ができるようにどのような事件であっても忘れてはいけないと考えられます。
華城連続殺人事件はまだ終わっていない
この事件は犯人不明のまま未解決で刑事事件的には幕を下ろすこととなってしまいましたが、このような残虐な手口で罪のない尊い命が奪われてしまったことは紛れのない事実であり犯人が罪に問われるなかったことは決して忘れてはいけない事件になります。
捜査を担当した刑事が手記を出したり時効成立の際にメッセージを残すなど事件の風化させず、時効が成立してるとは言え被害者遺族や捜査に信念を費やした刑事にとってはたとえ時効が成立していても犯人を突き止めたいという思いが強い事件でこの事件はまだ終息していないと言えます。