伊勢崎市同居女性餓死事件とは?事件のその後と犯人の金井幸夫の生い立ちも

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足腰がおぼつかない彼女でありましたが、命の危機を感じたのでしょう。勇気を振り絞って外に逃げています。食べておらず体力もない弱い体は、あっけなく連れ戻されてします。

その役目をしたのは、父親でした。あれだけ気に留めた行動を起こしていますが、家族の目が怖かったのでしょうか。自分に力が向いては困ると思ったのかもしれません。

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2度目の脱出失敗で手足をガムテープで縛られるようになり、家という恐怖の箱の中で弱っていくのを、ただ待つだけという死のレールが敷かれていました。

長谷川三根子の死が近いことを知っても一家は黙認し続けた

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骨と皮だけの姿になり、逃げる気力も動きもできなくなり、目を見開いているだけの放心状態が続きました。か細い声で、痛いことや苦しいことを訴えていますが誰の耳にも届かず日数だけが過ぎていきます。

2001年11月頃からは、誰もが死を悟ったようです。体の衰弱が明らかであり、病院へ連れて行くにも家へ返すこともできない状態でした。父親が仕事を休んで、ひたすら監視していました。

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心配で傍にいたのではなく、いつ息絶えるのかを生の目で見届けようとしていたのです。気まぐれで幸夫がご飯をあげようとしたら、受け取ろうとした手を姉が叩き、米が床に落ちてしまったのです。

それでも必死に命を繋ぎ止めようとした彼女は、口に入れたといいます。ただ弱り切った体は、悲鳴を上げていました。咬むことも飲み込むこともできなかったのです。

長谷川三根子の死後2日、幸夫の通報で事件が発覚した

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11月10日に亡くなったとされます。朝には冷たくなっており、暗い部屋の中で一人寂しく幕を閉じたのでした。2日後に警察を呼んだのですが、悪びれる気配は全くありませんでした。

救急に、妻が息をしていないと通報し、放置していたら息をしなくなったと告げています。その声は大切な人が死んでしまったときの取り乱す様子はなく、淡々としており落ち着いていました。

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亡骸は、今まで息をしていたのが不思議だったような姿でした。一切の水分を摂っていないことから骨に皮は張り付き乾燥しており、ミイラを見ているようだったといいます。

行方がわからず、会いたいと願っていた彼女の両親と夫は、その場に崩れ落ちたのでした。どんな姿でも生きて会いたかったと愛する三根子と無言の再会を悔やんだのです。

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怒りと悲しみが一気に襲ってきたことでしょう。しばらく顔を見ていなくても、愛する人を失った空虚感は、そう簡単に立ち直ることはできなかったのです。

伊勢崎市同居女性餓死事件の判決

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このままでは死んでしまうと一家は悟ったとされますが、誰一人救おうと行動しませんでした。一緒の屋根の下で暮らしていたはずなのに、いないものとして過ごされ、人として生きていくことを全て奪われています。

4人は、殺人罪として前橋地裁に起訴され、主犯として刑罰を受けた幸夫は懲役12年、暴力という痛みを与え続けた母親と姉には共謀犯として8年、父は4年の実刑は2002年11月に確定しています。

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ただ、この刑罰に関して、徐々にと苦しみを与え続けその経緯を楽しんでいるかのような残忍な行いであり、命を軽く見ているのではないかと年数が短すぎるのではという声もあるようです。

また一家にとって主となっている男の存在が恐怖でしかなく、自分が被害に遭わないように仕方なく主従しているといった闇も見えています。

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従うしかなかった彼女らは、ある意味被害者でもあり心に傷を負った同士が寄り添っている関係性がありました。痛みつけるターゲットを常に仕留めておかなければ、一家として保てなかった異質さも際立っています。

第三者が介入できにくい家庭と言われる悪の箱の中で日常的に行われていた地獄のような日々は善悪の判別もできないほど、心を蝕んだのでした。

伊勢崎市同居女性餓死事件のその後は?

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血の通った人間が行うことではないような生き地獄の一連は、世間が震撼しました。遺族の悲しみは計り知れないものです。何もあの日と感情は変わっていなくとも陽は昇り毎日が必ず訪れます。

月日だけが流れていきましたが、全員の刑期が終了しているとされます。遺族からしてみると、のうのうと表にできてきた彼らを一生恨んでいくことでしょう。

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現在はどのような状況なのでしょうか?その後に迫ります。

2019年現在、主犯含め全員出所も足取りは不明

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塀の中で罪を償い、表社会へ出されています。秋田県に嫁いだ一番下の妹は、身元引き受け人を拒否していますので、どこでどのように暮らしているのか闇に包まれています。

以前から定職に就かずに姉の障害者手当と、少しばかりの父のバイト料で生計を立てていたことから考察すると、まともに従事しているとは考えにくのではないでしょうか。

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職に就いたとしても、長くは続かないことでしょう。生活保護を受けているか、もしくは改心し真面目に精を出しているのかもしれませんが特殊な家庭環境だったため性分というものは、そう簡単に変えることは難しいのではないでしょうか。

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