逮捕後に映った報道映像ではびっしりと部屋を埋め尽くす6000本近くのビデオが並べられており、異様な雰囲気を放っていました。
宮崎勤は家族へ暴行や動物虐待をくり返していた
徐々に恐ろしい面が登場します。些細なことで感情のコントロールができず、乱暴を与えて荒れた気持ちを抑えています。それは人間にも動物や生物にも及びます。
一族は腫れ物を触るように感情を高めないように接していたといいます。順番にみていきましょう。
宮崎勤の凶暴性①中学時代から動物虐待を繰り返していた
ある目撃者によると、たくさん空を跳んでいるトンボを捕まえては川沿いに座り込んで、長時間もの間ずっと羽を一枚一枚手で引き抜いていたようです。
また沼地に潜むカエルとミミズを見つけてきては、爆竹を装着させて爆発し、殺していたとされます。自分よりも力の弱い生き物に対し、攻撃をすることは大きな事件の前兆であるとされています。
このように言われるようになったのも、彼が起こしていた行動から実証されたもので現在でもプロファイリングされています。
宮崎勤の凶暴性②妹のささいな失敗に対し暴行を加えた
父からプレゼントされた車に、3歳下の妹が運転中うっかりぶつけてしまったトラブルが起きています。それを知った途端、形相を変えて歯向かってきたといいます。殴る蹴るの乱暴をして豹変したのです。
大事な宝物だったのでしょうが、故意に傷をつけようとしたわけでもなく少しだけですし、力の弱い女性に対しての行動ではないと感じてしまいます。一度逆行すると自分では制御できないのでしょう。
宮崎勤の凶暴性③愛犬にも暴行
ペットで癒される人も多く、懐いてくれるのは何とも可愛いものです。家族同然でもある愛犬に対して、針金を首に巻き付けて締め上げています。
今まで一緒に暮らしてきて情も湧くでしょうが、容赦なく悪の行為をしていくのです。どんどんエスカレートしていき、ついには自分の親にまで及んでいきます。
宮崎勤の凶暴性④家業を手伝うも父親に暴行
取引先から集めてきたお金が見つからないと息子に何気なく告げたのですが、自分が盗んだと疑われていると感じたのでしょう。いきなり怒り狂い、髪の毛を掴んでは後頭部を傍に停めてあった車に何度もぶつけたのです。
それだけでは収まりきらず、奇声をあげながら飛び掛かったことで倒れるターゲットを、上半身や頭を中心に蹴り続けたのです。父は殺気を感じたため、車に乗ると急発進でその場から去ったといいます。
後に当時の心境を、狂っているしか感じず、生きた心地のしない瞬間だったと語っています。家族でさえも異質を感じるのですから、相当だったことがうかがえます。
宮崎勤の凶暴性⑤引きこもりを非難され母親を暴行
当時、はまっていたビデオを見ていることを注意されています。遊んでばかりいないで仕事をしなさいと促したようです。息子の将来を案じて、定職はなければ食べていくこともできなくなります。
親である自分たちが逝なくなった後を考えてのことだったのでしょう。一生懸命に働いてほしいと告げています。熱中している趣味に対して口を挟まれ気に入らなかったため、拳で全身をパンチしてあざまみれにしています。
自分を生んでくれた母に対しても壮絶な経験をさせてしまうのです。息子に痛みつけられ、どんなに悲しかったことでしょう。
宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の流れ
宮崎が殺めた被害者が4名の女児であり、小さな天使を狙った犯行です。世間の子供を持つ親は恐怖に怯えました。悍ましい出来事で目を背けたくなるものですが、概説をそれぞれご紹介していきます。
宮崎勤の犯行①1988年当時4歳の女児を誘拐・殺害
お盆も終わり朝夕は涼しさを感じるようになってきた8月22日に、突然起こりました。埼玉県の市内の歩道橋で、一人で歩いていた女の子を見つけると、ターゲットに見定めたのです。
自宅まで追行しています。すぐ一人で飛び出してきたため、涼しいところへ行こうと優しく声をかけ、素直に応じたため車に乗せて移動しました。
現場は見通しが良く小学校から丸見えとなっていますが、運悪く夏休み中だったため教員も不在で、誰一人目撃した人物はいなかったといいます。
山奥へ向かい涼んでいましたが辺りは暗くなり不安を覚えた女の子は、泣き出したため押し倒して首を絞めています。家族からの通報も手掛かりが一切ない状態で、行方不明者となっていました。
宮崎勤の犯行②当時小学1年生の女児を誘拐・殺害
大胆にも小学校の前で行動しています。道を教えてほしいと困っていることを告げ、同じく車に乗せています。10月3日の事でした。多摩市にある山奥の変電所まで連れて行き、絞殺したのです。
公に報道されてから、全国の小学校では道を尋ねられても絶対に知らない人物の車に乗ってはいけないことを警告しています。
昼間でも人通りはほとんどなく、日陰となっており薄暗く不気味さを感じるところでした。最初の女の子が息絶えた場所から近くで及んでおり、同じように動かなくなった体の陰部に指を入れています。
絶命したと思ったはずでありましたが、若干の息があったようです。体が一瞬動いたことで、本人は恐怖を覚えたため逃げるようにして立ち去っています。
宮崎勤の犯行③当時4歳の女児を誘拐・殺害
もうすぐクリスマスで心躍らせるシーズンに入ろうとしていた12月9日、夕方に行動を起こします。16時半ごろ、家の横を歩いていた女の子に、寒いから暖かい場所に寄っていかないかと誘っています。
車に乗せて暖房が効き始めると、お風呂に入るからといいながら洋服を脱がせてカメラ撮影しています。怖くなって泣き出したため、馬乗りになり窒息させています。どんなに苦しかったでしょう。
失禁をしたことに慌てて処理しようと動いています。真っ暗闇となった夜20時に、冷たく動かなくなった体は停めていた駐車場の裏にあった山奥へ遺棄し、衣類は川へ投げて捨てています。
心配していた両親は、二度と目を開けない状態でも姿だけ戻ってきてくれてよかったと語っています。
宮崎勤の犯行④最初の被害者宅へ遺骨入り段ボール箱を放置
2月に、被害者宅の玄関に段ボールに入れた遺骨と声明文を放置するという悍ましい行為をしています。亡骸は事前に母が仕事している畑で家財道具とともに火をつけて燃やしたのでした。
両親へ送りつけた文面は年配の女を装っており、悪びれた様子もなく、困っていたから娘を返してあげたという不気味な内容がびっしりと綴られていました。
2度目に殺めた小学生の少女も同じく送ろうと試みたようですが、遺体は発見できずに計画は失敗に至っています。
宮崎勤の犯行⑤当時5歳の女児を誘拐・殺害
また罪のない幼い女児がターゲットにされています。年は変わり1989年のことです。梅雨時期でしたが晴れ間が覗いた6月6日の江東区の団地内の公園で遊んでいた姿を、写真撮らせてほしいと近寄っています。
今までと同じように手慣れた様子で、言葉巧みに車内まで連れ込んでさらっています。少し走った後、路上駐車した中で首を強く締めています。自宅にそのまま運んだといいます。
衣類を全部脱がせて裸にさせ、写真と動画の両方収めています。処理に困ったためノコギリでバラバラ遺体にしたのでした。指は焼いて醤油をつけて食べたといいます。
胴体部分は埼玉県の霊園トイレへ、手足は自分の家近くの山の中、頭部は奥多摩の山奥へ放置したのでした。何とも残酷なことに髪の毛は全て抜き取られていたとされます。
全て人通りのほとんどない場所を選んでおり、発見を遅らせるためだったことがうかがえます。お墓詣りに訪れた際にトイレを利用した人物が人らしき姿を発見したことから、明るみとなりました。
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