重信房子の現在は?活動と生涯を紹介!可愛いと話題の娘と逮捕の真相も!

他残りメンバーも、手榴弾にて自爆、取り押さえられひとりは逮捕されることとなりました。

重信房子は奥平からの遺書によってリーダーとなる決意を固める

房子はテルアビブ空港事件で死亡した奥平からの遺書によってリーダーとなる決意を固めることとなります。

この事件を起こした成果により日本赤軍は、反イスラエル派のアラブで称えられることとなりパレスチナ解放人民戦線PFLP組織から大きな信頼を受けることになり、日本赤軍は数々の過激テロ事件をPFLPと共に起こしました。

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このことからアラブ国家からの資金、武器援助を受け90年代まで勢力を伸ばし活動していました。

パレスチナ解放人民戦線PFLPとは

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日本赤軍が同士として共に戦ってきたPFLPは、どのような集団であったのかどのような事を行ってたのかなども詳しくみていきたいと思います。

パレスチナ解放人民戦線PFLP

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パレスチナをイスラエル支配下から開放する目的を持つパレスチナ解放機構PLO(現在パレスチナ自治政府の母体)に属したパレスチナ政党・武装組織です。

1967年にアフマド・ジブリールにより設立されたパレスチナ解放戦線PLFと統一したことでジョージ・ハバシュの元PFLPとまりました。マルクス・レーニン主義を思想とするパレスチナ解放を目指した極左派テロ組織集団です。

ジョージ・ハバシュとは

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1926年ロッド(現在イスラエル領)という街にギリシャ正教の商人の家庭に産まれました。一次中東戦争後家族は難民となりますが、ハバシュは医学生として大学を出て、医学博士となりました。

その後PFLPを結成し、日本赤軍などの数々の組織と共にテロ事件を指揮していきました。2000年にはPFLP議長の座を降りましたが、2008年心不全にてヨルダンのアンマンにて81歳でこの世を去りました。

マルクス主義とは

社会主義的思想をもち、貧富の差を無くし資本家達のお金を社会に分布することで社会の共有財産が産まれると考える資本主義社会の限界を訴える思想です。

極左とは

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社会主義的や共産主義的、急進的自由主義の無政府主義や、革新的、急進的な政治勢力の人物の考え(平等な社会を作るための社会革命)を持つ左翼の思想にたいして、さらに極端な左翼思考を表す時に使われます。

過激事件を起こしてきた集団

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世界の注目をパレスチナに集めるためならテロに訴えてでも辞さないとし、PLO内の他グループと過激な事件を次々と起こしてきました。

目的を達成させるために1970年代は民間人なども巻き込むテロ事件を起こしました。この1970年代に起こしてきた事件のひとつが日本航空を機を標的とした日本赤軍と共に起こしたテロ事件でもあります。

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1970年代後半には、中産階級アラブ人やイスラエル人を狙い過激な攻撃なども行いました。現在でもPLO組織内で最も大きい反主流派の勢力を保っています。

観光相暗殺テロ事件

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PFLPの議長が2001年8月にイスラエル国防軍によりミサイルを発射させ暗殺されたことの報復とし、同年11月イスラエル極右翼派の政治化観光旅行大臣をPFLPが射殺する事件が起こりました。

この事件によりPFLPの後後継者は、逮捕され獄中生活を送っていましたが、2006年釈放まじかであったPFLP議長は、刑務所に侵入したイスラエルにより拘束されることとなってしまいました。

その後のPFLPは?

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2006年パレスチナ自治政府野党の議席を取得し、イスラーム国家に反対を示しパレスチナの現世的な生活を支持しています。

イスラム国内を活動地域としヨルダン川西側やレバノンなどとし、主な支持基としてパレスチナ国内のキリスト教徒コミュニティーや現世思考の人々としています。

現在のPFLPは?

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2013年ヨルダン川西地区でのパレスチナ内閣において、PFLPメンバーが入閣をしパレスチナ国外務大臣を務めました。

また、イスラエルに拘束された議長保釈運動に力を入れ専門サイトを立ち上げただけでなく、英語対応、PayPalによる寄付運動、MLによる釈放運動参加などができるようになっています。

さらに広報活動にも力をいれ、PFLPのYouTubeなどの動画も頻繁にアップしているようです。

日本赤軍とパレスチナPFLPが題材の映画

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この映画は、1971年に製作された記録映画です。日本赤軍がパレスチナに拠点を置いたとされる同年に作られましたが、映画監督は、題材の地となるパレスチナへ行き1週間ほどPFLPと共に行動をし撮った作品だけありリアルに描かれています。

パレスチナでの当時PFLPによる闘争などの政治的な意図を持ち人々の感情などに訴える事が目的であったのではないでしょうか。もちろん重信房子も登場人物のひとりとなっています。

上映

当時の日本は、日本赤軍などが起こした革命運動を知っていたにも関わらず実際海外やパレスチナなどで起きていた紛争は何のために行なわれていたかなど、確実な知識を持った人たちは少なかったといいます。

そんな当時の現状から、バスで全国を周り大学などを中心に上映するという形をとりました。日本では考えられない背景の生きる為に闘い、闘うことを止めたら生き抜けないパレスチナの人々の姿を伝えました。

上映後監督はパレスチナへ

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パレスチナ解放運動へ参加するため、監督は上映後パレスチナへ行き共に活動をしたようです。レバノンで3年の服役をし日本帰国後1年の服役を終え創作を再開しています。

争わなくても問題なく生活できる日本では完全に悪となっている暴力や武装闘争は、現地パレスチナに人々には生きるスデであり一概に悪だと言えるのかなども考えてしまう作品です。

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パレスチナの人々の生活は、今現在も変わることなく戦い続けているという事実をどう考えればいいのでしょうか。服役中の身でもある房子も当時のパレスチナに対し情熱を持って闘っていたことが良くわかります。

世界の人々に、大きなメッセージとして製作されたこの映画は、観る側の人々はどのようなメッセージを受け取ればいいのかも考えさせられる作品となっています。

重信房子が関与したとされるハーグ事件とは

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1974年メンバーがパリのオルリー空港での米ドル偽装所持と旅券行使で逮捕されたことで、メンバー3人はハーグにあるフランス大使館を襲撃し、大使を人質にとりメンバーの保釈を要求するハーグ事件を起こします。

翌日協力組織でもあるPFLPも、フランス当局へプレッシャーをかけるためパリで爆弾を使いテロを起こす作戦で実行されました。赤軍側の要望は、メンバー釈放だけでなく100万ドルを慰謝料とし、さらに国外逃亡用飛行機でした。

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交渉の末フランス政府はメンバーを保釈し、逃亡用飛行機を用意し、オランダ政府は慰謝料30万ドルを渡しました。犯人メンバーは、用意された飛行機でシリアダマスカス空港へ降り30万ドルと所持物を渡し投降しました。

房子も、この事件の関係者とされ国際指名手配をされますが、長い年月逃亡生活を続けることとなります。

重信房子は2000年に大阪で逮捕され起訴された

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国際指名手配を受けた房子は、長い年月逃亡生活を送りますが、その長い逃亡生活にピリオドをうつ事となります。

過激な事件を起こすテロリストの女王とされていた彼女は、どのような逃亡生活を続け逮捕となってしまったのか、詳しく逮捕までをみていきましょう。

重信房子の逮捕①他人になりすまして日本に入国

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長い年月国際逃亡をしていた房子は、自ら他人になりますことで生活をしていました。1997年から2000年の間偽装パスポートを手に入れ関西国際空港から中華人民共和国へと16回もの出入国を繰り返していました。

しかし、そんな逃亡生活も2000年11月に終わりを告げることとなります。

重信房子の逮捕②大阪に潜伏していたところを逮捕

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偽造パスポートで日本へ入国し、大阪の西成区にあるマンションに身を隠していました。そんなある日、日本赤軍関係者を視察していた公安が、房子に似た女性を確認し捜査が開始されることとなります。

房子は独特のタバコの吸い方をしていたこと、顔のほくろが特徴でもありましたが化粧で確認することができず、彼女が使用したカップを押収し指紋を調べたところ本人と一致したことで逮捕に至りました。

事件から26年の間国際逃亡をはかっていましたが、旅券法違反容疑で大阪高槻市で逮捕されました。

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