渡辺美佐子は86歳の今も女優として活躍!
様々な役をまるで七変化のようにみせる渡辺美佐子は、あと4歳で卒寿祝いとなる現在でも気品あふれる容姿は変わることなく女優として活躍しています。
86歳になられるまでにも、様々な役柄を演じ女優としての人生を歩んでこられております。七変化をみせる渡辺美佐子の詳しい情報をのぞいていきたいと思います。
渡辺美佐子のプロフィール
東京市35区となり、ロサンゼルスオリンピックの開催され1932年に東京でお生まれになりました。10月23日生まれで麻布がご出身です。血液型はABで、1953年から映画・ドラマ・舞台など芸能活動を始められた日本の女優さんです。
ご家族は亡くなられた旦那様と息子の3人です。現在86歳ですが、女優として現役でご活躍されています。
主な出演作品は、『ムー一族』『赤い疑惑』『おしん』『春よ、来い』『おひさま』『渡る世間は鬼ばかり』などのテレビドラマ、『果しなき欲望』『つぐみ』などの映画作品があります。
「化粧」などの舞台では好評であったことから二幕が書き加えられるなど、女優として数々の賞もお取りになられています。
渡辺美佐子の生い立ちと経歴
次に彼女がどのように女優となったのか詳しい女優までの道のりなどの情報もお伝えしていきます。
大ベテラン女優になるまでのきっかけとなった経歴などご紹介していきます。
渡辺美佐子が女優を目指したきっかけは高校生?
渡辺美佐子が女学生であったの若い頃(故)信欣三(1970年中盤までは欽三)さんの大ファンであったようです。当時電車通学をされていた彼女は、ラッキーなことに電車通学中に信さんと同じ電車に居合わせたようです。
車内で居合わせただけでなく、なんとその後渡辺美佐子さんは大胆にも信さんの後を追いある俳優座までついて行きました。
俳優座の中の様子を伺っていると、俳優養成所の募集チラシを渡されたことで興味を持ち始めオーディションをお受けになられたようです。
実践女子学園高等学校は塩沢ときや真琴つばさも出身
偶然にも同じ電車で大ファンの俳優さんに会うことができたのですが、当時通学されていた高校は実践女子学園高等学校でした。
こちらの学校は、塩沢ときさんや真琴つばささんなどもご卒業生でいらっしゃいます。
渡辺美佐子は高校卒業後俳優養成所へ入所
俳優養成所の募集チラシをもらい高校御卒業後にオーディションをお受けになり合格をされたことで、3期生として俳優養成所へ入ることとなりました。
ここから俳優への人生に向け歩んでいくこととなられます。
養成所同期には愛川欽也、杉田弘子、穂積隆信、安井昌二も
偶然にもチラシをもらいオーディションを受け簡単に合格をしたかのように思ってしまいなすが、養成所での同期メンバーには、有名な大物俳優達が揃っていました。
きんきんの名でも親しまれていた愛川欽也、穂積隆信、杉田弘子、安井昌二などと言った大物俳優達が養成所での同期メンバーでいらっしゃいます。
渡辺美佐子は養成所卒業後「ひめゆりの塔」で映画デビュー!
養成所を無事御卒業され劇団新人会へ入団し初舞台ブレヒトの『家庭教師』、映画デビューは『ひめゆりの塔』で女学生役としてはたします。
この映画は沖縄が舞台とし第二次世界大戦末期を描いたもので、当時大ヒットしたことで東映の倒産危機状態を救った映画であったようです。
その後、日活と契約を結び数々の活躍を見せることとなりますが、1962年日活との契約を解除し、多くの映画会社で出演しさらなる活躍をみせていきます。
日活契約解除してからの7年後には新人会を退団し彼女中心とした「兆」という演劇集団を立ち上げますが、同年解散しています。その後も人気テレビドラマ『ムー一族』『おしん』などでカメレオン女優の成果をだしていきます。
七変化をみせる渡辺美佐子劇団新人会退団時のびっくり事件!
渡辺美佐子は、劇団新人会を退団する際退団届けを劇団員の一人に預けたようです。しかし、その預かった内容が何なのか告げられなかった劇団員は、預かっていることを忘れてしまったようです。
劇団や仲間達は、その事実は知るはずもなく渡辺美佐子が退団届けを書いたことすら知りませんが、美佐子本人は退団したつもりでいたことからも、メディアを通じ渡辺美佐子退団との情報を聞くこととなりました。
退団の情報を初めて知った劇団は大騒ぎとなってしまったようです。その後劇団は幕を下ろし新たに渡辺美佐子を中心とし、旧新人会メンバーも加わっての「兆」が立ち上がったようです。
渡辺美佐子の現在の活動は?
現在でも渡辺美佐子は女優業を謳歌されているようにも感じます。拝見するお姿はご高齢ということを感じさせない様子でいらっしゃいます。
現在の活動を詳しくお伝えしていきます。
渡辺美佐子は86歳の今も数々のドラマや映画に出演!
『ムー一族』などのホームドラマから、涙を誘う『おしん』などのヒットドラマで活躍されてきた七変化術をみせる渡辺美佐子ですが現在も圧倒的な演技力をみせておられます。
メディアなどでお見かけする彼女のお姿は、現在86歳というお歳を感じさせることがないほど姿勢も良くお肌も綺麗で品のあるご様子です。
お若い頃からお綺麗であったのですが、現在でも若い頃同様に女優としての熱い熱意のようなものも感じられます。
しかし、旦那様のご病気の闘病生活のため一時期お仕事をお休みされていたこともあり、お姿がみれなかったせいか整形疑惑や死亡説なども流れたことがありましたが、もちろんお元気でいらっしゃいます。
渡辺美佐子出演の最新作は「誰がために憲法はある」
渡辺美佐子主演の最新作は、松元ヒロ(芸人)原作の一人舞台憲法くんの作品を基に、原爆朗読劇であった「夏の雲は忘れない」のドキュメンタリー映画とされています。
「誰がために憲法はある」のドキュメンタリーは、渡辺美佐子の初恋の人が広島原爆で命を落としたことを知り1980年から渡辺美佐子率いる女優仲間と続けていた朗読劇が映し出されています。
戦争の恐ろしさを現代の若い世代にも伝え引き継いで生きたいとの思いが強く、時代が流れ戦争経験者が少なくなってきた現代にこそ必要な事だと活動を続けてこられたようです。
監督は井上淳一、2019年4月27日より全国で順に公開されました。
渡辺美佐子は8月のNHKドラマにも出演予定!
近状の活躍は、映画に留まらず2019年8月8日放送であるNHKドラマ「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~」に日系二世の日下部綾役として出演をします。
太平洋戦争でのフィリピン攻防戦を生き抜いた日本人女性の実体験を元に描かれたドラマとなっています。
2019年秋公開映画の「いのちスケッチ」にも出演!
2019年2月頃から撮影入りしていらっしゃり、2019年11月15日から全国で公開予定とされている「いのちスケッチ」にも主人公の祖母役としてご出演されます。
舞台は福岡県大牟田市の動物園です。この動物園は実在し動物福祉でも有名な延命動物園です。人間と動物の感動ヒューマンドラマです。
86歳というご年齢でありながらも、現在でも映画、舞台、テレビと1年に少なくとも1回は活動されているとのことで、女優人生を謳歌されていらっしゃいます。
渡辺美佐子の夫は?夫婦で闘病生活も
彼女は、TBS社員であった大山勝美とご縁があり人生のパートナーとなります。1955年から事実婚関係であった放送作家であった男性と1959年に別れてます。
しかし、旦那様のご病気がわかり夫婦での闘病生活を送られたようです。渡辺美佐子は七変化女優としてではなく妻・母としての時間をお過ごしになられたご親族などの事も詳しく知っていきたいと思います。
渡辺美佐子の夫は元TBSの大物プロデューサー!
ご縁のあったお相手は、元TBSの社員で大物プロデューサーとして大活躍され演出家でもありました。そのため、渡辺美佐子と環境も近かったこともあったことから、お顔をあわせることが多かったようです。
監督などもつとめ、「ふぞろいの林檎たち」「知らない同士」などの有名なヒットドラマを手がけておられました。1992年に定年を迎え退職されましたが、その後「カズモ」という製作会社を立ち上げ多くの作品をだしていました。
渡辺美佐子の夫とのなれそめをご紹介
気になる2人のなれそめですが、お仕事上一緒になる事があったことから大山勝美の襟元に付いていた汚れを見て「もしかして、独身?」と声を掛けた渡辺美佐子の一言がきっかけであったようです。
その後1年程のお付き合いが始まった後、1965年にご結婚されました。
渡辺美佐子は夫との間に一児をもうける
旦那様との間には、3年後に一児の男の子をご出産されています。息子さんは現在50歳前後のご年齢だと思われますが、芸能関係のお仕事ではなくコンピューター関係の一般のお仕事をされているようです。
ご結婚当初、旦那様に子供は男の子がいいと言われたことがあったようで、念願の男の子が産まれご夫婦共にお喜びになったのではないでしょうか。
渡辺美佐子の夫にガン宣告、夫婦での闘病生活
旦那様は退職後から体調を崩し1998年ガン宣告をうけました。旦那様のガン宣告を受け女優業専念のため家事などはお手伝いさんにまかせっきりであった彼女は、65歳で初めて自身で家事をやりご夫婦で闘病生活に入られました。
もちろん初めての家事であったことで、相当ご苦労もなされたことだと思いますがお仕事柄今まで家族3人揃ってのご飯は難しいことでしたが、環境が変わったことで揃って食べれるようになった事に幸せを感じていたようです。
闘病生活、慣れない家事仕事など大変な時期であったと同時に、家族としての時間が持てたことで良い思い出となったのではないかと思います。
渡辺美佐子の夫は2014年に多臓器不全で他界
闘病生活も、2014年10月5日で終わることとなります。大山勝美はガン宣言から18年後の82歳で他界してしまいます。最後は息子と共に妻渡辺美佐子としてみとられました。
退職後にガン宣告をされ胆管ガン手術をされていますが、6年後に再発してしまい腸閉塞を繰り返しながらもお仕事を続けられていました。
渡辺美佐子の夫に関連して死亡説が流れたことも
死亡説が流れたのはネット上だけでのことでしたが、噂の発端は、旦那様がお亡くなりになったことから、渡辺美佐子が亡くなったとゴシップにされたことでのデマ情報であったのではないでしょうか。
ネットでのゴシップネタのようなものは、ネットが盛んな時代になるにつれて多くなっていることが事実なだけに正確な情報か気をつけたいことです。現在も女優として、お歳を感じさせることなく演技を謳歌されています。
渡辺美佐子の出演作をご紹介!
少なくとも年に1回以上はご活動されている彼女ですが、今までにも多くの出演作で変幻自在の名演をみせてくれています。その出演作をご紹介していきます。
まだ若い世代で彼女の事をしらない方でも当時人気番組であった「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などはご存知ではないのでしょうか。
渡辺美佐子の出演作①果しなき欲望(1958年)
今村昌平監督であった果しなき欲望で、1958年に小悪魔要素を持つ悪女役として出演されました。この映画でブルーリボン賞助演女優賞を受賞されました。
翌年には「マリアの首」での演技力が評価され、新劇演技賞を受賞するなど彼女の女優としての評価が高くされることとなります。
当時の時価6000万のモルヒネをめぐっての奪い合いを描いた映画でしたが、見事悪女役を演じられました。
渡辺美佐子の出演作②赤穂浪士(1964年)
大沸次郎の赤穂浪士を原作とし、当時の豪華キャストで話題となった2作目NHK大河ドラマにも出演しました。
大河ドラマでの最高視聴率53.0%という異例の数字をだした記録があるドラマでした。この赤穂浪士が、彼女のドラマデビュー作品となっています。
渡辺美佐子の出演作③ムー一族(1978年~1979年)
当時のお茶の間人気ドラマであったムー一族は、東京で90年続く老舗の足袋屋のうさぎ屋を舞台としたコメディーホームドラマでした。
あまりに人気番組であったことから、通行人役などでの飛び入参加でザ・ドリフターズやピンクレディー、細川たかし、具志堅用高、新沼謙治なども出演したり、ドラマでは珍しく生放送などがおこなわれました。
渡辺美佐子は、うさぎ屋の主人宇崎安男(伊東四郎)の妻役のみんなから親しまれ頼られる女性の役を演じています。
渡辺美佐子の出演作④おしん(1983年~1984年)
橋田壽賀子原作・脚本の日本だけでなくインドネシア、台湾、ベトナム、シンガポールなど世界68カ国でも絶大な人気であったおしんに出演する役者として彼女は選ばれています。
ご覧になったことが無い世代の方もおしんというワードを、情報番組やなつかしのドラマ紹介番組などのテレビから聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか?
テレビドラマ枠で最高視聴率62.9%をだすほど戦後の動乱から貧困時代生活からの苦労した時代の流れでのおしん(主人公)の成長とともに描かれた人気感動ドラマでした。
日本以外の国でも人気をあげた『おしん』は、現在でも世界中で人気があるようで『おしん』という日本語が海外でも共通の言葉となっているほどの人気ヒットドラマでした。
渡辺美佐子は、上京してきたおしんの髪結い師匠役の長谷川たかとし出演しました。義理人情の厚い人物とし人生の師匠との役位置としておしんの成長を近くで見守る重要な位置役でもありました。
おしんの中年期の役をつとめ、渡辺美佐子と他共演もあった乙羽信子の記事もご一緒にどうぞ
渡辺美佐子の出演作⑤渡る世間は鬼ばかり(2004年~2007年)
1990年からの21年間に渡り全10シリーズ510回放送されましたが、2004年~2007年に放送された第7.8シリーズで渡辺美佐子は東京にある老舗和菓子屋の女将菊村サワ役で出演しました。
長年に渡る人気ホームドラマで、それぞれの家族のありかたを描いたドラマです。
七変化をみせる渡辺美佐子と橋田壽賀子作品
彼女は橋田壽賀子先生(以下先生)脚本の作品に多く出演しています。