白暁燕とは?台湾史上最悪な白暁燕誘拐殺害事件
彼女は、日本人の父と台湾人の母を持つ、ごく普通のハーフの女の子でした。しかし、金銭目当ての下劣な犯罪に巻き込まれてしまい、わずか16歳の若さでこの世を去っています。さらに、その犯行内容が非常に残虐で、発見された亡骸はとても言葉では言い表せないような暴行を受けたことを物語っていました。
しかし、有名人夫婦の娘であったため、事件の真相に関しては様々な憶測がネット上で飛び交っています。彼女は一体、何故被害にあったのでしょうか?また、ネット上で書かれている数々の凌辱については真実なのでしょうか?事件のあらましから、母・白冰冰の現在まで、考察を交えて解説していきます。
白暁燕誘拐殺害事件の被害者となった
漫画家であり日本人の父、人気歌手である台湾人の母と、それぞれの世界のトップスターの娘として生を受けた暁燕さん。しかし、その人生は順風満帆とは行かず、両親は出生前に別居、そのため母親の故郷の台湾で大切に育てられます。普通の娘として成長してほしい、という母の願いもあり、外出時の護衛や送迎はなかったようです。
しかし、そんな願いが悲劇の引き金を引いてしまいます。1997年の春風もうららかな4月に、事件は幕を開けました。いつも通り学校での授業を終えて家路に着いていた暁燕さんは、車で乗りつけて来た犯人一味に、抵抗の間もなく連れ去られてしまいます。その後の顛末は、想像に難くない悲惨なものでした。
残虐な手口と白暁燕の遺体損傷がむごい
親の持つ財産目当てに子供が誘拐される事件は、残念ながら国内外問わず少ない話ではありません。しかし、犯人たちが自分たちの利益を得るために送り付けた誘拐の証拠などが、とても同じ人間が犯したとは思えない非道なものだったのです。事件後も、残された冰冰さんの心の傷が癒えることはありませんでした。
また、身代金の受け取り失敗に怒った犯人たちの身勝手な八つ当たりによって彼女は殺害されてしまいます。事件を知る警察関係者の語るところによれば、今までにない外道な暴行を加えられていたそうです。なんの罪もない弱冠16歳の女の子が、何故そんな目に合わなければならなかったのか、どんな理由があっても許されることではありません。
白暁燕誘拐殺害事件の概要
人生の花盛りであったであろう若さで命を落としてしまった白暁燕さん。では、事件の発端や犯行の手口はどのようなものだったのでしょうか?犯人が要求してきた身代金の受け渡しは何故失敗したのか、事件当時の台湾ではどのような扱われ方をしたのか、また、警察の対応はどうだったのか、詳しく紹介していきます。
高校からの帰宅途中に誘拐される
事件発生の当日、学校での授業を終え暁燕さんが一人で帰宅しているところに魔の手が迫ります。犯人グループは、3人で車に同乗しており、帰宅途中の暁燕さんを誘拐するチャンスをうかがっていました。有名人の母親からなら、巨額の身代金が奪えると考えたのでしょう。
そんなことは露知らず、気付いていない暁燕さんは、抵抗むなしく車に押し込まれて誘拐されてしまいます。万が一普段から警戒していたとしても、大人の男性3人の力の前では、高校生の女の子一人の抵抗は無いに等しいものだったに違いありません。
小指を切断!身代金は500万ドル!
あらかじめ用意していたアジトへまんまと到着した犯人たち。突然の出来事にうろたえ怯える暁燕さんに、非道にも犯人たちは暴行を加えます。母親である冰冰さんへ娘の誘拐を伝えるために、左胸の服をまくった写真と、なんと切断した小指を送りつけようというのでした。
指を切断する痛みになど、大の大人でもとても耐えることなど不可能です。想像を絶するショックに泣き叫ぶ暁燕さんに、犯人たちは殴打を繰り返したであろうことがのちの検死からわかっています。身代金要求のための準備を整えた犯人たちは、計画を実行に移します。
受け渡し場所に犯人は出向かず
事件発生当日の夜、犯人たちは母親である冰冰さんへ電話をし、娘の身柄を拘束していること、無事に返してほしいなら指定する場所に500万ドルを持ってくることを伝えます。連絡を受けた冰冰さんは警察へ通報、指定された場所である霊園には危険を考え警察官たちが待ち構えることになりました。
犯人たちも、初めから素直に冰冰さんが要求に従うという甘い想定はせず、撮影された暁燕さんの写真と切断された小指、改めて身代金の要求について書かれた手紙を残しているのみで、現場に現れることはありませんでした。人質がいるケースの犯罪は解決が難しいようで、日本でも以下の記事のような事件で被害者が死亡しています。
犯人グループのアジトへ乗り込むも主犯格を取り逃がす
その後も犯人グループと警察の応酬が続き、警察の慎重な調査で、誘拐事件発生から約10日が立ったころ、ついに犯人たちが潜伏していると思われるアジトが突き止められ、突入作戦が実行されます。しかし、突入前の2度に渡る受け渡しのミスで、すでに彼女は殺害されていました。
警察の突入後、両者は激しい攻防を繰り広げます。突入時は7人ほどの犯人グループがいましたが、そのうちの3人を警察は取り逃してしまいます。運の悪いことに、取り逃した3人は最初に暁燕さんを車で誘拐したと思われる主犯格でした。
白暁燕の開放をテレビで訴えるも
犯人を敢え無く取り逃した警察は、母親である冰冰さんや、犯人グループの肉親をテレビに出演させ、犯人の自首と人質の開放を促すなど、情に訴える作戦をとりました。しかし、努力の甲斐あらず、犯人グループからのコンタクトがとられることはなく、同月28日に暁燕さんは帰らぬ人となって発見されました。
このテレビ出演をきっかけに、有名歌手の娘が誘拐されたということが広く周知され、世間には動揺が広がります。このゴシップにマスコミはこぞって飛びつき、報道競争は熾烈を極め、あろうことか被害者宅に危害を加える報道社まで出てきたようです。日本でも被害者のプライバシー保護がたびたび取り沙汰されますが、どこの国でも同じようです。
銃撃戦で犯人は自殺
誘拐事件から4か月が経った8月、警察はついに主犯格のうち2人を台北で発見します。抵抗した犯人たちに警察も銃で反撃し、激しい銃撃戦が繰り広げられました。警察の猛攻に逃げ切れないと悟ったのか、うち1人である林春生は、自らを打ち抜きその場で死亡しています。
しかし、逃亡したほかの仲間や暁燕さんの安否などについて、一切を語らずにあの世へと逃げ去ったため、警察は新たな情報を得ることができませんでした。必死の捜査の末、3か月後の11月にはもう一人の逃亡犯・高天民と再び銃撃戦に持ち込みますが、林と同じように高も真相を語らず拳銃自殺しています。
立てこもった残る主犯が投降
大使館に人質を取って男が立てこもる事件が発生するのですが、その犯人が残る主犯格である陳進興でした。投降後の弁護について条件を提示するなどの必至の説得の末、陳は自首し一連の事件は幕を下ろします。
逮捕後に陳に下されは判決は、もちろん死刑。それに加えて、日本円にして約6億円以上もの賠償金の支払い命令が下されました。しかし、犯人たちが残した傷跡は、そんな大金ぐらいで償えるような、浅いものではものでは到底なかったと言えるでしょう。
白暁燕を誘拐した犯人グループへの判決
同情の余地ない卑劣な犯人たちですが、彼らには一体どんな重い刑が科されたのでしょうか?また、アジトで見つかった数名や、様々な最期を迎えた主犯格3人など多くの実行犯や協力者がいたようですが、法で裁かれた正式な犯人数は何人だったのでしょうか?
日本と同じように、では現在でも死刑制度が採用されています。死刑の廃止については様々な意見が交わされていますが、罪のない人間の尊い命を自分勝手な都合で奪うような残虐な犯人に対しての遺族感情を慮ると、落としどころの難しい議題と言えるでしょう。
主犯は死刑5回・懲役59年
自首をすると罪が軽くなる、という話もありますが、この事件ではそのような甘い情状酌量はされませんでした。主犯の陳は、死刑と懲役刑をそれぞれ5回と59年が科されます。これは、台湾の司法制度では犯した罪それぞれに刑がかけられるため、そのような判決になっています。
逃亡している最中にも、誘拐事件、身代金への強盗事件、果ては人相の変更のため手術をさせた病院での殺人・および強姦事件を起こすなど罪を重ねていました。そのため、それぞれの事件一つ一つについて刑が科される形になりました。罪状の内容も考慮してか、死刑判決が下されたのと同じ年にすぐ死刑が執行されています。
協力者は18人も!?
少女一人を誘拐し、隠れ家を用意し、さらに事件発覚後は何か月も逃亡し……という一連の犯行を少人数で行うことは不可能に近いでしょう。この事件でも、それぞれ重さは違えど犯行に協力したとみられる人物は20人近くいたと言われています。
刑から逃れるために、ほとんど全員が自分は協力者じゃないと嘘をついて言い逃れようとしましたが、警察や裁判所がそんな口車に乗るはずがありません。主犯格3人の親族や血縁者を含む6人ほどが最終的には逮捕され、それぞれが罪を償うこととなりました。
白暁燕の生い立ち!輝かしい両親をもつプロフィール!
災厄のような事件に巻き込まれ、悪夢のような時を経て命を落とすこととなったうら若き彼女。冒頭でも少し紹介した通り、それぞれの分野で活躍していた輝かしい両親の間に生まれ、母の故郷・台湾ではその天性の愛らしさとスター性を存分に発揮し、お茶の間で愛されていました。
ほとんどの人が、彼女の両親どちらかの名前であれば知っていることでしょう。この章では、悲惨な事件に巻き込まれた被害者としてではなく、一人の高校生の女の子としての彼女の生来を紹介していきたいと思います。
母は台湾の人気タレント白冰冰(パイ・ピンピン)
暁燕さんの母である白冰冰さんは、台湾の芸能界で注目を集める人気スターでした。18歳の時に歌の技術を見初められ芸能界デビューを果たし、活躍の場を広げるための勉強として、演技を学ぶために日本へ渡っています。その際に、のちの夫となる梶原さんと知り合います。
彼女は女手一つで娘を育て上げた苦労の人で、自分の力でのし上がありスターの座を手にしまています。夫とは別居していたため、一人娘である暁燕さんを非常にかわいがっており、他の子と同じように普通の女の子として育ってほしいと願っていたようです。2人の関係は良好で、一緒に親子タレントとしてテレビに出演することもあったとか。
父は人気漫画家梶原一騎
暁燕さんの父親が日本人であることしに何度か触れましたが、その父親はなんと、日本で最も有名な漫画家の一人である梶原一騎さんです。梶原さんは、巨人の星や明日のジョーなど、いわゆる「スポコン漫画」の代表者です。彼が執筆したほとんどすべての作品がヒットしており、現在でもメディアで取り上げられるなど愛されています。
ステップアップのために日本を訪れていた白冰冰さんと出会い、結婚し娘を授かりますが、その娘の出生前に家庭内不和によって別居。娘が生まれた1年後には離婚が成立し、父子が顔を合わせることはありませんでした。暁燕さんの誘拐事件が発生する10年前には病に倒れ、惜しまれながらこの世を去っています。
幼くして両親が別居
彼女の両親は、暁燕さんが生まれる前に別居しています。原因は、梶原さん側の家庭内暴力とも、生活基準や性格の不一致ともいわれており、様々な要因が絡まりあって残念な結果になってしまったようです。別居期間は4年ほどでしたが、暁燕さんが生まれた翌年に正式に離婚しています。
そのため、暁燕さんは母親である冰冰さん一人の手によって台湾で大切に育てられました。暁燕さんは厳密にいえば一人っ子ではなく、母親が違う兄弟が5人ほどいたようです。しかし、梶原さんと冰冰さんの別居のタイミングや、梶原さんの早世もあり、面識は全くなく、存在を知っていたかも定かではないようです。
台湾ではアイドル的な人気も!
台湾での一大スターの娘として生まれた暁燕さん。そんな境遇もあってか、年齢を重ねるにつれて母親である冰冰さんとテレビ番組などのメディアに露出する機会が増えていったようです。母親譲りの愛らしい容姿と明るい性格で、お茶の間のアイドルとして親しまれていたようです。
誘拐事件が明るみになり、彼女の死亡が確認されたあとの世間の悲しみは容易に推し量ることができません。冰冰さんによって設立された文教基金会や、毎年行われている被害者の心身ケアを訴える活動にも多くの賛同者がおり、彼女がいかに台湾の人々にとって大切な存在であり、事件が残した傷跡がいかに大きいものだったかがわかります。
白暁燕の死因は?残忍な暴行があった?
誘拐されて拉致監禁、そして暴行の末の殺害、という悲惨な最期を迎えた暁燕さん。監禁されていた間や、身代金受け渡しの失敗後に殺害された際にひどい暴行があったことは、彼女の名前をインターネットで検索すれば嫌というほど見ることができます。検索してはいけない言葉、として紹介されることがあるほどです。
しかし、これだけ有名な事件であれば噂に尾ひれがつき、実際の内容よりもエスカレートした記述されることもあります。事件当時の報道で、正式にわかっている被害はどのようなものなのか?また、彼女が死亡してしまった直接の原因はなんだったのかを紹介していきます。一部残酷な描写を含みますので、苦手な方は注意してください。
白暁燕の死因①内臓破裂による出血多量
彼女の遺体の検死結果によれば、直接の死亡原因は出血多量によるショック死のようです。主に頭部や腹部を集中的に硬いものや強い力で殴打されており、その衝撃によって血管や臓器が破裂してしまったようです。遺体の発見時には、破裂した肝臓からの出血が0.5リットル以上もあり、それによってお腹が膨らんでしまっていたようです。
また、殴打による暴行だけではなく、ひも状のもので気管を絞められたあともあったようですが、首などに残された跡からは生活反応は見られず直接の死因ではなかったようです。殴打によるショックも想像を絶するほどの苦痛があると思いますが、窒息による苦しさが加わらなかったことは救いだった、というべきでしょうか。
白暁燕の死因②人の形をしていなかったという噂も
この事件概要としても有名なエピソードに、最初の遺体発見者が「動物の死骸かと勘違いした」とコメントしたものがありますが、遺体に加えられた暴行は原型をとどめないほど凄惨なものだったのでしょうか。発見場所が水路であったことも相成り、まさか人間の死体がある、と思わなかったということも手伝ったかもしれません。
先程も紹介した通り、出血による身体の一部の変形などは見られていたようですが、ネット上ではそれ以上にグロテスクな描写を交えた紹介が多々あります。細かい描写については紹介しているサイトによって異なっており、正確なものはわかりませんので主に共通している項目について触れたいと思います。
拷問の後のような甚振り
発見された遺体の手足は拘束されており、身代金要求の際の証拠材料として切断された小指の傷跡以外にも生爪をはがしたような跡があったそうです。爪についての暴行は、拷問が行われていた古来からかなりの苦痛を伴う行為として知られており、かなり非道な行いだと言えます。