なぜ、逮捕に至らなかったのか、それは毒物を立証できなかったのです。しかし、武の父親も調べ上げ、風邪薬に含まれる「アセトアミノフェン」とお酒の関係性に気づき、一気に進展があります。
八木が本件では「毒物」を使用した事を完全否定したものの、第2の被害者森田さんからは、風邪薬の成分のアセトアミノフェンがでてきたのです。
風邪薬と死亡率の因果関係
風邪薬に入っている成分でアセトアミノフェンの成分があります。この成分を多量に服薬すると、数時間後に胃腸炎、1~3日後に肝毒性等の症状をあらわすこともあるそうです。
主に自殺でも用いられることでも有名です。現在は血中濃度で特定が可能になり、血中濃度の高値が認められると診断も確定します。
本来は水で飲むため代謝で外に押し出すこの成分が、お酒が入ると働きが変わり、肝臓への毒性が加わり、無毒効果もなくなるため、森田さんや川村さんのように体に異変をもたらしたのです。
犯人の八木茂は逮捕時に手錠をかけられたVサイン
2000年3月24日にようやく事件に進展が見られます。八木と愛人3人を偽装結婚の罪で逮捕したのです。
本庄保険金殺人事件を調べるための別件逮捕だったのですが、八木は逮捕時にカメラ目線でピースをするなどのパフォーマンスを実施、世間の人々を唖然とさせました。
警察の取り調べは4人共否認する姿勢を崩さないため、難航すると思われていましたが、武を筆頭に愛人達は事件への関与を認め始めます。未だ、2人の被害者からは毒物は検出されていません。
しかしながら、第2の森田さんから検出されたアセトアミノフェンはアルコールと一緒に摂取すると、死亡する可能性が大きいのが明らかになっています。
本庄保険金殺人事件の裁判の概要と判決
複雑な人間関係も含めて八木と愛人の起こした事件は、ここまで8ヶ月の時間を費やし、ここからも長い時間がかかることになります。双方の食い違う意見が注目されました。
未だに、証拠が不十分な裁判は、どのように進んだのか、直接手を下していない八木の判決はどうなるのか迫っていきましょう。
本庄保険金殺人事件主犯格である八木茂は死刑判決
一緒に捕まった愛人3人とは別々に裁判が行われました。裁判の一番の争点となったのは、八木が直接手を下していないため、計画を立てたことも指示した証拠もないことです。
そして、8人に保険を掛けていたことは動かしがたい事実です。裁判では、第1被害者の佐藤さんの死因が断定できていないため、殺人なのか、自殺かの判断がつかないこともあげられました。
第2の殺人についても、風邪薬を服用させていてもそれが直接の死因に繋がっていなければ、殺人ではないとの弁護側からの強い主張もあったようです。一筋縄では行かない事件であり、裁判は長引くことになります。
本庄保険金殺人事件の裁判①2002年第一審で死刑判決
さいたま地裁で出た結果は死刑判決でした。2002年10月1日のことです。「殺害の指示も出しておらず、証拠もない」として無実を訴える姿勢を変えなかった八木に、裁判官からは厳しい判決が下されます。
犯罪史上例を見ない悪辣な犯行とし、有料で行った記者会見などにも触れ、嘘で自分を守り責任転換し、反省が見られないとしました。
愛人の証言についても共犯者の証言と事柄の経過が一致するとして、証言に信ぴょう性があるとます。そのため、八木の判決は死刑に至りました。
本庄保険金殺人事件の裁判②2005年控訴棄却、死刑支持
不服として申立てた20005年1月13日の東京高裁でも、変わらず死刑の判決は覆されることはありませんでした。裁判官が厳しく、弁護側が用意した様々な証拠を有効とせず退けます。
弁護側が主張を通すのに限界を感じ、裁判を諦めました。弁論時も判決時も八木は姿を見せませんでした。
本庄保険金殺人事件の裁判③最高裁上告棄却、死刑判決
3年後の裁判では検察が提出した武の証言について弁護側が異議を唱えます。検察の証言は「死刑を回避したいなら自白しないと命は助からない」と言った状況下にあり信ぴょう性にかけると主張します。
更に、利根川で発見された遺体の肺と腎臓に残されたプランクトンの違いに着目し、生きている人間が水を大量に飲んでからだと「溺死」であると主張しました。
その主張は通ることはなく、計画性の高さが伺えること、巨額の保険金をだまし取ったことに間違いはないとして死刑判決はやむを得ないと判断されました。
本庄保険金殺人事件で犯行を手伝った3人の判決
事件の判決結果で一番重かったのが、武まゆみ(32歳)無期懲役でした。彼女は複雑に全ての出来事に関与が認められたためです。
アナリエ・サトウ・カワムラ(35歳)は15年判決が決まりました。森田孝子(38歳)は12年の判決です。途中まで八木をかばう姿勢を見せていた彼女らは、八木の勝手な言い分に我にかえったのでしょう。
途中から正直に話したことで、心の葛藤が見えてきます。そこからは愛人らは八木に本当のことを話すように、手紙を送るようになります。検察側からの指示だったのかもしれません。
本庄保険金殺人事件のその後
本庄保険金殺人事件の判決結果が出たその後の彼らの様子も見てみましょう。20年程前に起きた出来事のため、時期的に満期で服役を終え出所を迎えた人もいます。
刑が決まってしまえば、ある程度面会も許されるので、逮捕されている受刑者にコンタクトを取る記者も少なくないようです。
八木茂の弁護団は本庄保険金殺人事件を冤罪だと主張
未だ八木は自分の無罪を主張しています。愛人らの証言は検察側によって、記憶を塗り替えられたもので、証拠として信ぴょう性がないとします。弁護団も後押しするように、再審請求をしています。
2009年、2015年の本庄保険金殺人事件の再審請求はいずれも棄却されており、2016年12月にさいたま地裁に再審請求をしています。
争点となるのは、第1の被害者の死因にあり、警察の調べがしっかりと行われていれば、再審請求は実現しなかった可能性は否めません。当時、自殺で処理されていたあとの保存状態は良いとは言えないでしょう。
死刑判決を受けた時の八木はかなり動揺していて、手に負えなかったと後に会いに行った記者が様子を話しています。
後に、少しは気が晴れた様子になっていましたが、おそらく八木にはしっかりした弁護団がついており若干の望みがあったから去勢をはれたのではないかと語っていました。