三豊百貨店とは?45秒で崩壊した韓国のビル
この三豊百貨店(サンプンペッカァジョム)は6年のみの営業の幻の超人気商業施設の事です。この時期は多くの施設が誕生し、その代表格とも言えたこの施設は、「45秒」で多くの犠牲者を出すことになりました。
三豊百貨店崩壊事故の前日はどんな状況だったのか
ここまで大規模な事故があったともなれば、その前兆の様な現象が発生していなかったのでしょうか?ここでは三豊百貨店が事故を起こす前日にあった内容を紹介します。
三豊百貨店の所在は韓国ソウル特別市瑞草区
まず、日本語の読み方だと「さんほうひゃっかてん」とも呼ばれる三豊百貨店は、三豊団地の前の区間の空き地にオープンし、連日賑わいを見せてました。
当時の韓国は、ロッテワールドが開業したり、オリンピックが開かれたりと大変賑わいを見せ、この施設に至っては、売り上げ高も業界で1位を誇ってました。
そこから見ても分かる通り、日本でいう高度経済成長中の様な、実に華やかな時代だったと言えます。
三豊百貨店は開店5年目にして床にヒビが入る
ですが、三豊百貨店は既に蝕まれていました。なんと文庫書店が入っていたフロアに亀裂が入ったのです。どうやら本の重さに耐えきれなかった様です。
この書店は幸いにも、崩壊事故が起きた3ヶ月ほど前に撤退していたため(理由は不明)、悲劇に巻き込まれることはありませんでした。
コンクリートの床が本の重みに耐えられない意味がわかりませんが、それ程建物が弱っていたという事です。
ひび割れの原因と危険度
コンクリートの床がひび割れを起こす原因は乾燥か気温の変化などが一般的なことの様です。
ですが、崩れる恐れがある「不同沈下」と、強度不足などの施工不良の可能性もかなりあるので、業者に調査を依頼するのが通常の手順のはずです。
ですが、「たかがひび割れごとき」と言わんばかりの対応で、原因を探ろうとしないなど、大勢の客を呼び込む商業施設の責任者とは思えない対応でした。
三豊百貨店事故前日から天井がひび割れていた
そして三豊百貨店の事故が起きた年の4月ごろになると、テナントにレストランが入っていたフロアの天井にも原因不明の亀裂が入りました。
書店が入っていた床にも亀裂が入っていたのですから、三豊百貨店自体を一旦休業して専門業者による原因調査をすれば変わっていたかもしれません。
日本では考えられないとは思いますが、建物が傾いていると報告があっても、利益を優先させてしまい、原因追求が行われることはありませんでした。
三豊百貨店崩壊が起こった事故当日の状況とは?
結果的に人気の施設として暫く君臨していた三豊百貨店でしたが、遂にあの日がやってきました。その運命の日とも呼べる当日には何があったのでしょうか?
三豊百貨店事故当日はエアコンが効かなかった
実は三豊百貨店の事故当日、まだ5月とは思えない気温でだったのに、エアコンは原因不明の故障という事で動かず、室温は30度を超えていました。
ですがこれもエアコンの故障じゃなく、屋上に設置された冷却装置をローラーで牽引し移動させた事により負荷がかかったためでした。
因みにこの時に、局部的にダメージを与え、移動させるのに邪魔な柱を切断してしまうという大変危険な行動に出たのです。
事故当日!建物の安全性に関する問い合わせが殺到していた
前日に、天井に原因不明の亀裂が入っている事を報告していたレストランは、その亀裂がさらに大きくなっていることを報告してました。
「天井から水が垂れてきた」「建物全体からきしむ音が聞こえる」など、売り場から声は上がってましたが三豊百貨店の経営陣は無視していました。
そう、三豊百貨店の崩壊事故当日、「そもそもこの建物は大丈夫か?」と核心をつく様な指摘が上がっていたわけです。
安全面の配慮の欠落
これがもし日本で起きていたらと考えると、水が垂れてきた時点で割と騒ぎになります。
客に水が垂れてしまう事や、商品が汚れる、水道管が破裂したのでは?などと、いろんな可能性を考えるものです。
ですがここでは、売り場の声を抽出せずにただ売り上げを伸ばすことだけを考えて対策を練ろうとは思わなかったわけです。
周辺住民や専門家からの警告を無視し営業を続けたところ崩壊
実は三豊百貨店の開業当時から数多くの異変を訴える人たちがいました。それは従業員はもちろん、周辺住民からも寄せられていました。
三豊百貨店のA棟の屋上にあった冷却装置の音が異常にうるさいと苦情が寄せられ、冷却装置を移動しましたが、当日の報告もあり、緊急会議を開きました。
ですが、問題があり危険と指摘した業者とは反対の、あとで補強すればいいという意見を採用し営業を続けたところ、地獄を目の当たりにすることになりました。
事故で死者は502名・負傷者937名に上った
三豊百貨店の事故直前に、危険を察知した従業員らが、大声で避難を呼びかけると、何も知らない客たちは一斉に外へと避難しようと飛び出しました。
ですが三豊百貨店の崩壊がたったの45秒ほどだったことから、そのほとんどの人たちが逃げきれず、建物の破片の下敷きになりました。
多くの死傷者を出し、行方不明者まで出したこの三豊百貨店崩壊事故は、世界的に類を見ない衝撃的な大惨事となってしまいました。
三豊百貨店崩壊事故の原因は?
当時世界でも例外のなかったほどの大きな崩壊事故が起きてしまった三豊百貨店の原因はなんだったのでしょうか?そのずさんな内情を紹介します。
元々オフィスビルにする予定だったが急遽百貨店になった
元はと言えば、この三豊百貨店が建てられた広大な区域には、商業施設を建てられる許可が下りない区画でした。
それもあり、当初は三豊建設産業のオフィスを建築予定でした。この会社は経営の母体であり、当初の予定では4階建てでした(地上も地下も4階)。
ですが、どうしても商業施設(のちの三豊百貨店)を建てたかった会長は、そのままオフィスビルの建設をやめ、商業施設の建設を目論見ました。
公務員を賄賂で買収していた?
三豊百貨店は建築の段階で会長の野望は打ち砕かれました。その違法性を指摘され、市の当局から建築中止を呼びかけられたのです。
ですが、それでも三豊百貨店を完成させたかった会長は、上級職員に賄賂を渡して買収し、なんとこの違法建築の許可をもらっていたのです。
さらに宇成建設が作成、提出した三豊百貨店の図面には手が加えられ、本来いるべきはずの現場監督も駐在させないまま工事はスタートしました。
三豊百貨店の手抜き工事も次々に発覚することに
なんとこの三豊百貨店の工事を請け負った業者(宇成建設)は、本来のあるべき基準値を下回る分量で作られた非常に水っぽいコンクリートを使用しようとしてました。
さらに鉄骨や接合部分にも利益を優先した不正があったため、当初予定していた4階部分までこれが原因で非常に脆い建物となってしまいました。
ここでも韓国ゼネコン業界に根強く残された安全面よりも利益を優先しようという考え方が適用されてしまったのです。
さらに拍車をかけた
会長は当初の予定を変更してさらにもうひとフロア増設するように提案しました。風通しの悪いこの会社で、これに反対意見を出せる人はいませんでした。
ですが宇成建設が、利益優先の手抜き工事をしてる以上、これ以上の不正をすることができないので、これに反対して担当から降ろされます。
その後参加した三豊建設も経費削減のために数多くの手抜き工事をし、重量超過した状態で5階部分を増設してしまいました。
やりたい放題の負荷設計
どこの国でも大抵売り場には必ず防火シャッターを設置します。ですが、三豊百貨店ではその代わりにビルの中心の大黒柱の1/4を撤去してしまいました。
更にエスカレーターを設置し、吹き抜け構造にしたいがために、なんと柱を補強するどころか更に細くして鉄筋の数まで減らしました。
更に超過分の5階と、屋上の給水タンクで、当初の計算をはるかに超える過負荷状態になってしまいました。
三豊百貨店の強度を弱めるような行動もいくつか取っていた
知識がない人でもフロアが一つ増えたことで柱を補強したり、逆に増やすなどしなければいけないのはわかります。
ですが本来なら鉄筋を入れるところにスチール製の一斗缶(石油缶)を詰め、梁が必要なのに荷重制限のある建築法をとったり、5階のコンクリート使用量を増やしたりしてました。
それでも建築基準を満たせるように、5階はスケートリンクにする予定でしたが、三豊百貨店の完成直前になってレストラン街に変更されました。
更に前年にも
建築の段階で崩壊の原因の9割を作ってしまいましたが、更に事故があった前年にもあり得ない事をしてしまいました。
なんと、市に無断で地下の売り場を増設してしまいました。これでこのビルの強度は更に下がってしまったのです。
ここまで来るととても信じられる様な事ではなくなって来ましたが、現実にこれらはその目先の利益のために強行されたのです。
事故当初はガス爆発説やテロ説も出ていた
事故が起きた当日は前述にもあるように、三豊百貨店自体の異常が数多く上がっていたにも関わらず、営業は中止されませんでした。
そして突然、爆発にも似た轟音とともに崩壊してしまったことから、当時は欠陥による事故ではなく、ガスの爆発か、北朝鮮がテロを起こしたか、などが原因ではないかとされていました。
少し前にガス爆発事故があった
三豊百貨店がこの崩壊事故を起こす2ヶ月ほど前に、大邱上仁洞(だいきゅうかみじんどう)で大規模なガス爆発がありました。
これは、デパートの新築工事中にガス管を破損し、ガスが充満、爆発し多くの死傷者を出しました。
これもあり、この「45秒の大惨事も」はじめのうちはガス爆破説が浮上しており、手抜き工事が原因とは夢にも思いませんでした。
安全性を無視したことが全ての元凶
この韓国史上最大で最悪な三豊百貨店の大事故は、着工の段階での不正から始まり、起こるべくして起きてしまったといっても過言ではありません。
とにかく色んな説が飛び交いましたが、違法建築を賄賂によって許可、2回も利益を優先した低水準の材料で建築した事の三重の人災が招いた事故だったのです。
日本では、三豊百貨店までは行かずとも耐震偽偽装などによる違法建築の事件がありました。当時大変話題となりましたのでこちらを確認ください。
三豊百貨店崩壊事故の跡地・現在の姿とは?
現場を知る人全員がトラウマになる程のまさに地獄と化した三豊百貨店の現在の跡地はどうなっているのでしょうか?
2019年現在は高級マンションが建っている
現在、三豊百貨店の事故があった跡地には、商業施設ではなく、オフィスビル郡の中に高級マンション「アクロビスタ」が建てられています。
三豊百貨店の事故の原因に関しては、自然災害ではない明らかな「人災」であり、今回のマンションに関しては問題は見られていません。
ですが、瓦礫に埋もれた犠牲者のいる三豊百貨店の跡地に立てられたことから、事故物件扱いされてもおかしくありません。
三豊百貨店の跡地!それでも超人気のエリア
元々、三豊百貨店があった付近は、風水的にもとても運気がいい場所で、大きな役場も集中していて、大変利便性が良いのもあり、今も変わらず人気だそうです。
あれだけの大惨事の跡地ともなれば、気持ち的には住みたいとはなかなか思えない気もしますが、このマンションの住人は「三豊百貨店」という言葉は禁止されてるそうです。
特に高級マンションを中心として、そのアーケード内には有名なレストランやカフェがあり、未だにこのマンションには億ションが存在しているそうです。
跡地のある瑞草区は副都心
三豊百貨店があった跡地を購入したのは、実はスマートフォンなどでも有名なサムスンで、その本社も三豊百貨店の跡地と同じ瑞草区にあります。
最高裁判所、国立図書館などの公共、文化施設のほか、レクサスやメルセデスなどの輸入車のディーラーもこの瑞草駅周辺に密集しています。
そういう事もあり、会長はこの場所が商業に適していると確信して三豊百貨店の建築を強行したのかもしれません。
跡地は建設時から曰く付き
三豊百貨店の跡地に新しい建物を建築中に、なんと作業員が事故で亡くなっているそうです。
日本であればもしかしたら建築自体がストップしてしまうかもしれませんが、その後は無事に建築を終えました。
慰霊碑を立て「過去のことは忘れよう」という前向きな姿勢かもしれませんが、それでも跡地は有名な心霊スポットでもあり、人気のスポットでもあるのです。
事故を気にしないということではない
あれだけの大規模な事故があった三豊百貨店の跡地ですが、今でも変わらず人気のスポットとなっているのは、決して当たり前の光景ではありません。
割と最近のお話で、ロッテワールドタワーという100階以上の超高層ビルがショッピングモールとしてオープンしましたが、建設中に事故が頻発しました。
さらに水漏れや亀裂などもあり、修復後も「安心して買い物できない」として客足は遠のいているのが現状です。
日本では跡地がなかな売れない
日本でもかつて、ホテルニュージャパンが客のタバコの不始末で大火災に発展し、33人の死亡者と24が重軽傷を負う事故がありました。
事故後、その跡地が売却されることはなく、暫くそのまま放置され、事故後15年ほど経ってようやく解体し、新しいビルが建てられました。
三豊百貨店の跡地の場合はすぐに売却されましたが、日本ではやはり事故のことを機にする傾向にあるのか、なかなか売れませんでした。
三豊百貨店跡地は心霊スポットと化している
韓国でも日本と同じ様に、「髪の長い女の人がいる」「男の子の霊がいる」のように各地で怪談話や心霊スポットなどが存在しています。