【三豊百貨店崩壊事故】韓国史上最大の崩壊事故の真相とその後に迫る

Array

先述の通り、この三豊百貨店の跡地も例外ではありません。とはいったものの、この跡地は今や人気のスポットになっています。

人気なのに心霊スポット化した跡地

三豊百貨店の跡地に建てられた複合商業施設の地下駐車場は、韓国の人なら誰もが知る心霊スポットとして有名なのです。

建物が同じ場所で上から下に崩壊したにも関わらず、行方不明者が出ていることもあり、地下にはその無念が漂っているのではと噂されています。

最寄りの地下鉄では、三豊百貨店のロゴ(今ではあり得ない)が入ったショッピングバックを持った親子の霊の目撃時情報もあるようです。

三豊百貨店崩壊事故後の余波とは?

qimono / Pixabay

凄まじい崩壊事故を起こし、救助も難航し、瓦礫の下敷きにあった犠牲者は数知れず、暫くの間、現場付近では腐敗臭の様な異臭が立ち込めていました。三豊百貨店の悲劇後、どういった余波があったのでしょうか?

三豊百貨店事故現場は特別災害地域に指定されることに

12019 / Pixabay

当時まだ就任2年目だった金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、事故現場の救助や復旧に対して支援を受けられるように、特別災害地域に指定しました。

特別災害地域とは、通常地震や大規模火災などでその後の生活が困難な場合などに指定されることが多いですが、この現場は特例でした。

ただの崩壊であれば数日もあれば全ての処理が終わりますが、今回の三豊百貨店の事故は犠牲者などの規模が違いすぎるため、この対応がとられました。

三豊百貨店崩壊事故救助の様子が24時間放送された

frkotou / Pixabay

その凄惨な事故現場の救助などの様子を、韓国の主要テレビ局4社は24時間体制で放送してました。特に報道系のYTNは事故後10分足らずで現場に急行してました。

日本でも、大規模な震災により例外のない被害がもたらされた場合などは同じ規模で報道されますが、まさにそれと同レベルの扱いだったのです。

それほどあまりに唐突でショッキングな出来事であり、世界的に見ても歴史に刻まれるほどの崩壊事故だったことが伺えます。

三豊百貨店崩壊事故の補償額は日本円で約540億超え

geralt / Pixabay

三豊百貨店の経営側が被害者に対して、その人身損害として支払われた補償額は、4000億ウォン(当時の日本円で計算すると約540億円)にも及びました。

補償額が支払われたとしても、負傷者を始め死者が戻ってくるわけではありませんから、遺族の思いは無念であったに違いません。

ですが、のちの生活の補償額(この事故が起きたことによる責任)と考えると莫大な金額であることは確実です。

三豊百貨店崩壊事故後!高層マンションの価格が暴落

Mediamodifier / Pixabay

80年代には、韓国では多くの高層マンションが建築されましたが、これにもほとんど欠陥が見られました。

70年代頃に問題にもなっていた欠陥住宅ですが、法が改正されたりした事で違反はないと予想していたわけですが、現実は違いました。

利益を優先しずさんな施工で全国的に建てられた高層マンションの価格はここに来て大幅に下落してしまいました。

崩壊事故後に他のビルの欠陥工事が相次いで発覚

jarmoluk / Pixabay

三豊百貨店の崩壊事故があった直後に、政府が緊急で行った「全国高層建築調査」では、なんとその悲惨な施工で建築された建物が次々に発覚しました。

韓国国内の9割以上の建物になんらかの欠陥が見られ、そのほとんどに建て替えや修理までもが必要だとされました。

これに関しても、日本でも違法建築は存在しますが、流石に98%ともなれば、その異常さに驚きを隠せません。

三豊百貨店崩壊事故後に幹部3名逮捕・会長懲役10

3839153 / Pixabay

この大事故の原因は明らかな「人災」によるもので、建築基準に満たないのに無理な建築を強行したことが最大の原因とされたため、まず幹部3人は逮捕されました。

会長であるイ・ジュンに対しては、業務上過失致死で10年の懲役で服役することになり、財産は没収され、財閥は解体されました。

会長は逮捕前、報道陣から責任追及され、財産がなくなったことに激怒したことが国民の反感を買ってしまったことなど、波紋を呼びました。

教訓は活かされなかったその他の事故

この大規模な三豊百貨店の崩壊事故の一因としてあげられるものとして、経営者側の判断ミスが挙げられます。この事故が全くもって教訓にはならず、再び悪夢が繰り返されました。

最初から判断ミスだったセウォル号沈没事故

Tama66 / Pixabay

記憶に新しい大規模海難事故ですが、そもそも出港予定の日は天候が非常に悪く、あたりは霧が立ち込めていました。

当時港で待っていた乗船予定の学生らはキャンセルになってしまうのじゃないかと肩を落としていた様ですが、出港することが決まりました。

日本であれば視界領域が基準に満たされていなければ出港されませんが、実はこの船会社は、キャンセルによる赤字を防ぐために強行したのです。

三豊百貨店と状況は違えど内容はほぼ同じ

stevepb / Pixabay

三豊百貨店の崩壊事故も、元はと言えば経営者側が途中で建設予定だったものに大幅な変更を加えたことで事故につながってしまいました。

建築基準を満たしておらず、余計に負荷がかかっていたにもかかわらず、営業開始してしまったのです。セウォル号も三豊百貨店も、最初の判断を誤らなければこの痛ましい事故は引き起こされなかったかもしれません。

異常は報告されていた

27707 / Pixabay

セウォル号が強行した日の船長は、元の船長ではなく、69歳のピンチヒッターで、副船長は、なんと前日入社の新入社員だったのです。

その時点でおかしいですが、この日、作業員から積荷が重すぎるから危険という指摘を受けていました。ですが船長がこれを許可してしまいます。

更に1番危険だった海域を、遅延のせいで本来の担当であった1等航海士が操縦することはなく、新人の3等航海士になってしまったことで、沈没事故を招きました。

船長は一目散に逃げた

geralt / Pixabay

左に急旋回したことで積荷が左に寄り、船体が横転してしまい、船内ではSNS用の写真などを撮ったり、逆に避難を呼びかけたりパニック状態でした。

ですがこの時、船長は一目散に船外逃げてしまい、特に避難指示を出すこともなく、まるで状況が飲み込めていないような行動でした。

しまいには、誰よりも早く救助されてしまいました。自分が乗組員だとわからないように、ズボンを脱ぐという徹底ぶりを見せました。

三豊百貨店と類似点がありすぎる

Karen_Nadine / Pixabay

三豊百貨店と照らし合わせると、やはり経営陣は崩壊するまでその危機感はまるでなく、異常が報告されても利益ばかり優先し、修復しようとしませんでした。

そして三豊百貨店の経営陣は「流石にもう崩れる」という警告を聞き、避難指示を出さず、とっとと三豊百貨店から出て行ってしまいました。

こういった点も、ほぼ同じといっていいくらい類似していることから、沈没事故を含め過去の事故が何も教訓とされていないことがわかります。

海洋警察の不手際

skeeze / Pixabay

実はこの沈没事故にはまだ問題点がありました。船体が完全に横を向き、沈みかけてる時に船内ではなんとか外に脱出しようとする人たちが数多くいました。

ですが到着した海洋警察は、何故だか船内に取り残された人たちを救出には行かず、事もあろうか自力で脱出した人だけを救助していました。

内側から窓を割ろうとしている人もいましたが、それにちっとも見向きもせずに見捨てるような行動すらしていたのです。

事件は被害者側の勝利

rawpixel / Pixabay

こういった場合でも何故か判決は軽かったりすることが多い中、裁判所は船会社に全面的に非があることを認めました。

船長を含めた関係者約15人が逮捕され、事故当時一目散に逃げ延びた船長には無期懲役の判決が下りました。

セウォル号のオーナーは逃亡したため指名手配され、のちに遺体で発見され、海洋警察にも懲役刑が課せられました。

三豊百貨店などの歴史から学ばなかった

Free-Photos / Pixabay

ここまででお分かりの通りで、韓国国内で起きた(三豊百貨店を含む)数多くの事故の殆どが利益を優先していてその体質は変わりませんでした。

2000年代に入り、現在までの間に我々が知っているだけでも同じような事故が何度も繰り返し起きてしまっています。

これ以上の犠牲者を出さないためにも、利益よりも安全面を重視した安心できる社会づくりをしていただきたいと願います。

世界や日本でも報道された三豊百貨店崩壊事故

stevepb / Pixabay

突然襲いかかった三豊百貨店の大崩壊事故は、韓国国内でも大々的に報道されました。では、日本をはじめとした世界ではどのように報道したのでしょうか?

世界中のマスコミが三豊百貨店崩壊事故に注目

ivanacoi / Pixabay

実は、記録にもあるように、三豊百貨店の事故による死者が500人以上出ましたが、負傷者として900人余りの人たちが救出されていたのです。

事故が起きてから通常であれば72時間以内に救出しないと、そのほとんどの場合に人間は死亡してしまう確率が限りなく100%に近くなってしまいます。

ですが奇跡的に何日間もの間生き延びた人もいたことから、連日世界中でトップニュースとして報道されました。

日本でも三豊百貨店崩壊事故の特番が組まれるほど話題に

Andrys / Pixabay

日本でも同じように大々的に報道されて、その悲惨な現場状況が報道され、世間の人たちの認知度はかなり高かった様です。

特にこの辺りの時代の韓国は、何かと建物などの建築物が崩壊し、死傷者が多数出ていましたが、そのレベルの違いに驚かされた事でしょう。

更に、もう生存者はいないとされ、瓦礫の撤去に移ったあとに、生存者が発見されたことも大きな話題となりました。

三豊百貨店崩壊事故で最後に救出された女性が日本の特番に登場

Pexels / Pixabay

耳にしただけで震えてしまいそうな三豊百貨店の事故で、驚くべきことに次々と生存者が発見され、世界中がその奇跡の瞬間を目の当たりにしました。

瓦礫の下敷きになりながらも、運良く雨水が流れてきて水分補給できたり、近くにいた生存者と声を掛け合いながら救助を待っていたようです。

その中でも最も最長の17日間もの間瓦礫の下で生き抜いた女性は、その後日本のTV番組に出演し、特番が組まれました。

『アンビリバボー』で特集も組まれた三豊百貨店崩壊事故

RonPorter / Pixabay

救出された犠牲者たちの特番のほか、この三豊百貨店を振り返る様な編成でフジテレビ系の奇跡体験アンビリーバボーでも紹介されました。

やはりこの大事故の犠牲やでありながら、長期間の間瓦礫の下にいながらも奇跡的に助かったというのは世間的に大きな衝撃を与えました。

それ以外でも、記録的でかつあまりに衝撃的な崩壊事故であったため、日本で韓国などの事件や事故の特集が組まれる場合は、ほぼ確実に紹介されています。

三豊百貨店崩壊事故がモチーフとなった作品を紹介

Bokskapet / Pixabay

三豊百貨店は韓国国内としても忘れられない大事故として語り継がれていますが、今回の事故がモチーフとなった映画などの作品がいくつかありますので紹介いたします。

崩壊事故で恋人を失った主人公!映画『ノートに眠った願いごと』

Amazonで見る

2006年に公開の映画で、基本的にはラブストーリー仕立てではありますが、実はこの物語の結末を左右するのが三豊百貨店の崩壊事故でした。

結婚を間近に控えた2人が家具を見に行こうと待ち合わせしますが、彼が到着するのを三豊百貨店の地下で待つことにしました。

すると突然、三豊百貨店の崩壊に巻き込まれ帰らぬ人となります。追憶の中の恋人を、彼女の新婚旅行計画をもとに旅をする愛に溢れた物語になっています。

崩壊事故がつないだ絆?韓国ドラマ『ただ愛する仲』

ただ愛する仲 DVD-BOX1

Amazonで見る

こちらは2PMのジュノが主演の2017年公開の韓国ドラマで、大きな事故にあった2人が傷を癒し合う物語になってます。

主人公とヒロインはどちらも過去に三豊百貨店の崩壊事故に巻き込まれており、何度も悪夢に悩まされるほどトラウマを抱えて生きてました。

そんな同じ境遇を持つ奇跡の生還者である2人が出会い、惹かれ合い、お互いに傷を癒しながら愛し合って行く過程を描いたラブストーリーです。

韓国ドラマ『応答せよ1994』でも三豊百貨店崩壊事故が話題に

応答せよ1994 DVD-BOX1

Amazonで見る

こちらの韓国ドラマは、韓国のケーブルテレビ史上、歴代最高視聴率を叩き出したモンスタードラマとも呼べる作品です。

舞台は1994年の主人公ナジョンの両親が経営する新村下宿で、基本的にはバラエティに近いコミカルなラブストーリーとして展開して行きます。

ですが12話目で三豊百貨店の崩壊事故に合いそうになる場面があり、これは実際の証言をもとに作られた様にとてもリアルで当時話題になりました。

チョン・イヒョンによる小説『マイスウィートソウル』にも

マイ スウィート ソウル DVD-BOX I

Amazonで見る

この作品は、のちにテレビドラマとしても放送はされましたが、一定のファン層はいたものの大ヒットとはなりませんでした。

30代で仕事をなくし、就職難により悩んでいた主人公が、三豊百貨店で旧友に会い、急接近します。そのあと就職も決まり、生活は軌道に乗りました。

ですがある時、三豊百貨店に行っても旧友がおらず帰ってくると、速報で直後に三豊百貨店で崩壊事故があったことを知ります。幸せの歯車が再び狂い出す、という話です。

三豊百貨店崩壊事故に類似した韓国の事故

VladArtist / Pixabay

韓国では三豊百貨店のような建物の様に、大きな人工物が崩れ落ちる様な大きな事故が度々起きています。ここでは三豊百貨店の崩壊事故以外に類似した事故を紹介します。

1970年の臥牛アパート崩壊事故

TheDigitalArtist / Pixabay

臥牛(ワウア)アパート崩壊事故とは、1970年にソウル市の公営住宅で起きた大規模な崩壊事故のことで、死者を33人出した痛たましい事故でした。

当時は無許可住宅問題というのを抱えており、その政策として建築された市民アパートだったのにも関わらず、崩壊開始から一気に粉々になりました。

建設予定期間が2年だったにも関わらず、たったの6ヶ月で完成するという異常な欠陥住宅でした。これにより、既存のアパートが補強されました。

慶州マウナオーシャンリゾート体育館崩壊事故

Free-Photos / Pixabay

こちらは2014年に起きた屋根の崩壊事故で、10人の学生らが命を落とした大惨事となりました。

施設内に設けられた講堂は、体育館として使われており、当時は学生らによる新入生歓迎会が行われていました。

ですが降りしきる雪の重さに耐えられず、屋根が崩れ落ちました。こちらも施工の段階で欠陥があり、日頃から安全点検が行われていなかったことも問題となりました。

セウォル号沈没事故も類似事件

egorshitikov / Pixabay

こちらの海上事故は、死者が多いこともあり、日本でも大々的に報道され、記憶に新しく感じる方が多いのではないでしょうか?

実際に犠牲にあったのは、修学旅行中の学生や教員たちのほか、一般客も含め、延べ299人にのぼります。捜索にあたった作業員も8名亡くなってます。

原因は分からずじまいでしたが、船長らが避難誘導を行わなかったとして問題になり、殺人罪で逮捕されています。海上事件としては、過去最大となりました。

城南市野外コンサート換気口崩落事故

ARTsbyXD / Pixabay

事故当時はアイドルグループの「4minute」がコンサート中で、観客は約700人ほどいました。そこにあった一段高くなった換気口の上にも観客がいました。

ですが、その換気口鉄製の金網状の蓋が崩壊し、上に乗っていた観客が20m下の換気口内部に転落してしまい、約16名が死亡しました。

これは韓国社会の安全対策への意識の欠落が招いた悲劇であることも批判されました。そして取り調べを受けたイベント主催者は翌日に自殺しました。

ロッテ建設中の二度に渡る崩落事故

markusspiske / Pixabay

韓国のロッテ建設がソウルの郊外の道路工事を請け負ってましたが、ここで橋が崩落し、作業員1名が犠牲になってしまう事故が起きました。

原因は橋の上でコンクリートを流し込む作業中に、橋がその重さに耐えられなくなり崩壊してしまったということでした。

ここで問題だったのは、ロッテグループが前年に建設した第2ロッテワールドで死亡事故があり、安全祈願をしたばかりだったことです。

2019年にも韓国でビル崩落事故があった

MichaelGaida / Pixabay

こちらの事故はかなりタイムリーな話題で、今年の7/4に起きました。ビルの撤去作業中に道路側に崩壊し、通行していた車などが巻き込まれました。

30トンにもなる残骸は、通行していた車に襲いかかり、車は大破、乗車していた女性が死亡し、同乗していた男性も重傷を負いました。

作業員は葬儀社の廊下で地べたに座り込み、遺族に謝罪しました。今回の事故も、三豊百貨店の事故を全く教訓にできていませんでした。

安全対策より利益!?韓国製の建物の闇

grafic-vision / Pixabay

国内でも多くの犠牲者を出し、その度に教訓として未来に生かそうとしてはいますが、実際にはそれは全く生かされずに、数多くの事故を起こしていました。

その背景として、自国に資源がないことで、海外の巨大建造物の入札が韓国の発展材料ともなるため、ゼネコンは精力を注いできました。

特に財政の厳しい国は、安値の韓国ゼネコンに発注することが多かったのですが、やはりそこは値段に相当したずさんな手抜き工事が行われていたのです。

国内・聖水大橋の崩壊

k_r_craft / Pixabay

東亜建設産業グループは1979年にソウルに巨大な聖水大橋を建設しました。1994年に中央部分が突如として崩壊し多くの犠牲者を出しました。

原因は接合部分の接合不良と、経年劣化によるものでしたが、安全点検は実施されておらず、そのずさんな手抜き工事が波紋を呼びました。

その後、別の建設会社が立て直しを図るいましたが、これにも手抜き工事があったことが判明し、社会を揺るがすものとなりました。

マレーシアの競技場は1年で崩壊

Free-Photos / Pixabay

2009年にマレーシアで起きた韓国製の競技場の崩壊事故で、幸いにも観客がいない時に起きたため、犠牲者はいませんでした。

ですが、スタジアムを建設した韓国の建設会社は89億ウォンもの大規模な修繕をしたにも関わらず、屋根は再び倒壊してしまい、現在は屋根無しになっています。

これがもしサッカーなどの試合中に起きたとしたら、数千、または数万単位の犠牲者が出ていたに違いありません。

パラオは非常事態宣言を発令

Comfreak / Pixabay

アメリカから独立したばかりだったパラオは、中心都市のコロール島とバベルダオブ島をつなぐ巨大な橋の建設を海外ゼネコン向けに募集しました。

手を挙げたのは日本の鹿島と韓国のSOCIO2社で、後者が鹿島の半額だったことから施工しましたが、凹みが目立つ様になり、建設途中で崩壊しました。

これをパラオは非常事態と見て海外に援助要請を出し、政府の援助で鹿島が無償で補修工事に当たりました。

ラオスの事故は国際問題へと発展した

Tama66 / Pixabay

当時海外での建設の実績が欲しかったSK建設は、周りから手抜き工事を心配される中、西武発電とともにダムの建設を始めました。

ですが、基準に満たない低水準の建設が原因で、ダムは次々に決壊し、遂には周辺集落に避難指示を出しましたが程なくして襲われてしまいました。

問題は、SK建設の社員はすぐに避難させていたことと、責任をラオスに突きつけてきたことで国際問題へと発展してしまったのです。

経済成長の裏にあった闇

fradellafra / Pixabay

かつては最貧困とまで言われた韓国ですが、急激に経済成長を遂げた反面、ゼネコン業界では安全性を無視し、利益を優先した結果多くの悲劇を生みました。

90年代以降は、三豊百貨店をはじめとするそのずさんな建築方法が明るみになり、国内のほとんどの建築物に欠陥があることも発覚しました。

財政面を考慮した上で安全性を優先するかどうかの判断を、正しい方向に向かせるには、昔ながらの体質を変える必要があるのです。

三豊百貨店崩壊事故の悲劇を忘れてはいけない

Myriams-Fotos / Pixabay

こうした様に、韓国でもその安全性に対する意識の欠落が前々から指摘され、改善しようとする人たちが数多くいながらも、そうでない人もまた多くいます。

特に、多くの利用者が出る高層ビルや橋など、手抜きをすればどうなってしまうのかが安易に予想できるはずです。

利益を優先し、基準に満たない素材で建築された建物は、のちに取り返しのつかない大事故につながることを、これからも忘れないでほしいです。

日本の違法建築事件はこちら

日本の商業施設の跡地のその後はこちら