「食卓のお肉ができるまで」の内容と真実!見た人の感想も【閲覧注意】

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「食卓のお肉ができるまで」もとい「菜食(ベジタリアン)のススメ」の参考文献をいくつか取り上げました。「食卓のお肉ができるまで」の信憑性を検討してみましょう。

著者や研究に信頼性はある

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菜食に関して、中心となっているのはハーヴィー・ダイアモンドの著作、『ナチュラルダイエットー必要なのは3つの食習慣だけ』(2004、ディスカヴァー・トゥエンティワン)です。

彼はアメリカで栄養科学博士の学位を持っており、健康コンサルタントとして活躍している人物です。

他にもピーター・コックス『新版 ぼくが肉を食べないわけ』(1998、築地書館)も挙げられています。ピーター・コックスはイギリス・ベジタリアン協会初代会長です。

「食卓のお肉ができるまで」は食肉反対派を引用

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「食卓のお肉ができるまで」は、研究者の意見に影響を受けて執筆されたことが分かります。しかし、いくら研究者と言えど、彼らの言っていることをすべて鵜呑みにするのは得策ではありません。

食肉は体に悪い、と言う研究者がいる一方で、菜食のみでは体に悪い、と言う研究者もいます。研究者によって、言っていることは様々です。

「食卓のお肉ができるまで」は、「食肉は体に悪い」という反対派の主張のみを参考にしたのです。

食肉肯定派、中立の立場

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反対に、食肉を肯定する立場の書籍もあります。

『50歳からは肉を食べ始めなさい-元気で老いない長寿のための食事法』(2014、フォレスト出版)は、東京医科歯科大学名誉教授、藤田紘一郎の著書です。

また、食肉に関して全体を俯瞰した、野林厚志の『肉食行為の研究』(2018、平凡社)は人類学の立場から論理を展開しています。

「食卓のお肉ができるまで」もひとつの側面

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「食卓のお肉ができるまで」や「菜食(ベジタリアン)のススメ」を見ると、「こんなにたくさんの著名人が、菜食を勧めているんだ」と思うでしょう。

ただ、それはものごとのほんの一側面にすぎません。

彼らの主張は、絶対に正しいとも、絶対に正しくないとも言えないのです。

「食卓のお肉ができるまで」への皆の意見は?

出典:PhotoAC

少なからず誇張も含まれているのが、「食卓のお肉ができるまで」のようです。

食肉、捕鯨、毛皮等、これらの話題は議論が尽きません。

ここでは、おもに「食肉」にスポットをあて、「食卓のお肉ができるまで」に対する各人の反応にを見ていきます。

「食卓のお肉ができるまで」の内容への意見【食肉反対派】

出典:PhotoAC

「今まで肉を食べていた自分がいかに罪深いかわかった気がします(中略)はっきり言って殺されたあの子たちを思うと肉なんていらないです」

(引用:YAHOO!JAPAN 知恵袋より一部抜粋)

「菜食(ベジタリアン)のススメ」にも、ベジタリアンになるきっかけが「食卓のお肉ができるまで」だったという声が多いです。

反対派の理由には、「残酷さ」が必ずと言ってよいほど挙がります。

「こんなにも喜怒哀楽のある動物(豚・牛・鶏等、他の動物も同じ)を恐怖の中、生きたまま殺して人間の快楽の為に肉にされ、毛皮にされて・・・なんてこんな酷い話は無いと思います。」

(引用:「ベジタリアンになったわけ」菜食のススメより一部抜粋)

人間と同じように感情のあるもの殺し、自分の利益のために利用するとは酷すぎる、という主張です。

ただ、「食卓のお肉ができるまで」を鵜呑みにしたがゆえに「生きたまま殺して」との発想に至ったのでしょう。

「食卓のお肉ができるまで」の内容への意見【食肉肯定派】

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「ありがとう豚さん。貴方が立派に育ってくれたおかげで 僕たちは生きてくことが出来ます。 今日も感謝の気持ちを忘れずにいただきます。」

「残酷だ。 でも人間みんな食べてるんだよね。。。 残さず食べよう。」

(引用:「食卓お肉ができるまで動画を見て、食について考えようじゃないか。」youtube)

肯定派は、犠牲となった動物に感謝して残さず食べる、という人が多いです。

「ただベジタリアンの人たちは植物も生き物だって言うことを理解しなきゃいけないと思う。」

(引用:食卓のお肉ができるまで 検索してはいけない言葉wiki)

また、植物ならいいという考えはおかしい、との声もあります。

ベジタリアンはただの自己満足だという批判もあります。

肉は食べるが屠殺方法を考え直すべきとの意見も

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屠殺の仕方を知ったことにより、殺すにしても方法を考え直すべきだと思った、という見解です。食肉を止めなくとも、動物の負担が減るに越したことはなさそうです。

「食卓のお肉ができるまで」は「検索するべき言葉」?

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「食卓のお肉ができるまで」は、検索してはいけない言葉に分類される一方で、「検索するべき言葉」のタグもつけられています。

サイトの静止画、映像は確かに残酷で、目を覆いたくなるものばかりです。だからこそ、食べるために我々が殺す動物たちの存在に気付かされるのでしょう。

出典:PhotoAC

ただ漫然と食事をしてはいないか。ときにその命を、捨ててはいないか。思い返してみて、私たちは改めて命の大切さを考え直すことができるのです。

その、一つのきっかけになることから、「食卓のお肉ができるまで」は「検索するべき言葉」に分類されるのでしょう。

屠殺場見学に行こう

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家畜を殺す、肉にすることが屠殺場での仕事です。現在、日本全国には195か所の屠殺場(屠畜場)があります。

場所によりますが、申し込みをすれば見学が可能です。小学校など、団体での見学を受け入れている場所もあります。

ただし、相当ショッキングな光景が展開されると思われます。実際に足を運ぶ際は、くれぐれもご注意ください。

加古川食肉センター

兵庫県加古川市に位置する食肉センターです。家畜の追い込み、屠殺から枝肉冷蔵まで、作業の工程をたどっていくことができます。

衛生管理の厳重化が進む昨今の現場で、「安心・安全なお肉を食卓に届ける」ことを示すために見学を受け入れています。

東京中央卸売市場食肉市場・芝浦と場

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東京都新宿区西新宿、品川駅港南口に位置する市場です。「お肉の情報館」という博物館も併設した複合施設です。

と場自体は常に見学ができるわけではありませんが、お肉の情報館は自由に見学できます。情報館では家畜の屠殺映像も見られます。そのままの映像で、誇張はありません。

見学者の感想

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牛を殺すことが日常化していることがとてもショックでした。(中略)少しずつでも、肉の消費量を減らしたい、そう思います。(中略)「感謝をして食べるから」など、無意味です。感謝をすれば、殺害が正当化されるなど、とんでもないことです。

(引用:「加古川食肉センターへ見学に行ってきました」JAVAひろしま 動物たちと幸せに暮らすためのブログ)

「殺す」ことに焦点を置いた感想です。「感謝して食べる」など無意味と述べ、食肉に反対しています。

反対に、ショックは受けなかったという声も。

頭や手足を切り落とされたり、内臓や皮を処理されていく姿に対して、感傷はあふれません。(中略)こういうふうにわたしの食べている肉はできている。本当に命なのだ。スーパーやお肉屋さんにいけば、気軽に、安価なお肉が手にはいるけど、それはものすごい数の命と労力の成果なのだ。

(引用:「【2016】品川駅すぐの芝浦屠場で屠畜の見学をしてきた。」はてなブログ エスプリプロジェクト)

感じ方は人によって様々ですが、共通しているのは、やはり「命の実感」でしょう。

「食卓のお肉ができるまで」から考える毛皮事情

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従来の毛皮業界に反対し、是正しようとする運動が近年では盛んになっています。

業界の動きを、かいつまんで見ていきます。

毛皮は本当に必要なのか?今はフェイクファーの選択もある

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「毛皮を着ることは、ちょっと時代遅れだと思いますね」

(引用:「リアルファーはもう時代遅れ」エコファーバッグが示すラグジュアリーの新基準 FUMIKODA STORY)

2017年、とある講演でそう語ったのはグッチの社長兼最高経営責任者、マルコ・ビッザーリです。同講演ではさらに、グッチがFur Free Alliance(FFA)に加盟したことを発表しました。

ニューヨーク発のブランド「HEURUEH」のエコファーなど、動物由来のリアルファーは必要ない、という考えが、ハイブランドファッションでは主流なのです。

毛皮は「殺す」から「つくる」へとシフトしつつあります。

ファッション業界でも毛皮廃止の動きが!

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グッチに限らず多くのラグジュアリーブランドが、リアルファー反対を宣言してきました。

アルマーニ、ZARA、Leeなどの有名ブランドがFFAに参加しており、日本ではtovやEle’Sacなどが参加を表明しています。

今や、FFAの活動は世界各国に広がりつつあります。こうした活動によって、毛皮を狙われる動物が救われるかもしれません。

肉や毛皮だけじゃない。人間のために犠牲になる動物

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食用になる動物、毛皮のために殺される動物を、「食卓のお肉ができるまで」から見てきました。

人間のために犠牲となった動物は、それだけではありません。原因は環境問題など多様ですが、ここでは人間社会を維持するために、人間が殺す生き物を見ていきます。

年間4万頭が殺処分される犬・猫

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環境省の統計資料、「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況(平成29年度)」によると、一年間で4万3216頭もの犬、猫が殺処分になっています。

これらは捨てられたペット、動物愛護団体や保健所に持ち込まれたペットです。負傷動物も含めると、殺処分の件数は5万1495件に上ります。

捕獲された野生鳥獣は殺処分がほとんど

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熊が里に降りてきて人を襲った、イノシシに農作物を食い荒らされた、増えすぎた鹿が生態系を壊してしまう、といった野生鳥獣による被害が、日本でも多発しています。

麻酔銃や罠で捕獲された野生生物は、ほとんどの場合殺処分になります。また、やむを得ない場合はその場で殺すこともあります。

他に方法がない以上、仕方がないかもしれません。しかし、先に彼らの住処を奪い、生態系を変えたのは我々です。そして勝手な都合で殺すのです。

「食卓のお肉ができるまで」は食肉について考えさせられるサイト

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「食卓のお肉ができるまで」は、静止画、映像の過激さが際立つサイトです。ただし、その「過激さ」も、また一つの事実なのです。

私たちは命を頂いていて、だから生きていることを、「食卓のお肉ができるまで」は否応なしにに気付かせにきます。それは人々の心に少なからぬ変化を与えるでしょう。

「殺す」こと、「食べる」ことをあなたはどう考えますか。食卓を見つめなおしたとき、どの命を頂くかはあなた次第です。

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