「食卓のお肉ができるまで」の内容と真実!見た人の感想も【閲覧注意】

少なからず誇張も含まれているのが、「食卓のお肉ができるまで」のようです。

食肉、捕鯨、毛皮等、これらの話題は議論が尽きません。

ここでは、おもに「食肉」にスポットをあて、「食卓のお肉ができるまで」に対する各人の反応にを見ていきます。

「食卓のお肉ができるまで」の内容への意見【食肉反対派】

出典:PhotoAC

「今まで肉を食べていた自分がいかに罪深いかわかった気がします(中略)はっきり言って殺されたあの子たちを思うと肉なんていらないです」

(引用:YAHOO!JAPAN 知恵袋より一部抜粋)

「菜食(ベジタリアン)のススメ」にも、ベジタリアンになるきっかけが「食卓のお肉ができるまで」だったという声が多いです。

反対派の理由には、「残酷さ」が必ずと言ってよいほど挙がります。

「こんなにも喜怒哀楽のある動物(豚・牛・鶏等、他の動物も同じ)を恐怖の中、生きたまま殺して人間の快楽の為に肉にされ、毛皮にされて・・・なんてこんな酷い話は無いと思います。」

(引用:「ベジタリアンになったわけ」菜食のススメより一部抜粋)

人間と同じように感情のあるもの殺し、自分の利益のために利用するとは酷すぎる、という主張です。

ただ、「食卓のお肉ができるまで」を鵜呑みにしたがゆえに「生きたまま殺して」との発想に至ったのでしょう。

「食卓のお肉ができるまで」の内容への意見【食肉肯定派】

出典:PhotoAC

「ありがとう豚さん。貴方が立派に育ってくれたおかげで 僕たちは生きてくことが出来ます。 今日も感謝の気持ちを忘れずにいただきます。」

「残酷だ。 でも人間みんな食べてるんだよね。。。 残さず食べよう。」

(引用:「食卓お肉ができるまで動画を見て、食について考えようじゃないか。」youtube)

肯定派は、犠牲となった動物に感謝して残さず食べる、という人が多いです。

「ただベジタリアンの人たちは植物も生き物だって言うことを理解しなきゃいけないと思う。」

(引用:食卓のお肉ができるまで 検索してはいけない言葉wiki)

また、植物ならいいという考えはおかしい、との声もあります。

ベジタリアンはただの自己満足だという批判もあります。

肉は食べるが屠殺方法を考え直すべきとの意見も

出典:PhotoAC

屠殺の仕方を知ったことにより、殺すにしても方法を考え直すべきだと思った、という見解です。食肉を止めなくとも、動物の負担が減るに越したことはなさそうです。

「食卓のお肉ができるまで」は「検索するべき言葉」?

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「食卓のお肉ができるまで」は、検索してはいけない言葉に分類される一方で、「検索するべき言葉」のタグもつけられています。

サイトの静止画、映像は確かに残酷で、目を覆いたくなるものばかりです。だからこそ、食べるために我々が殺す動物たちの存在に気付かされるのでしょう。

出典:PhotoAC

ただ漫然と食事をしてはいないか。ときにその命を、捨ててはいないか。思い返してみて、私たちは改めて命の大切さを考え直すことができるのです。

その、一つのきっかけになることから、「食卓のお肉ができるまで」は「検索するべき言葉」に分類されるのでしょう。

屠殺場見学に行こう

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家畜を殺す、肉にすることが屠殺場での仕事です。現在、日本全国には195か所の屠殺場(屠畜場)があります。

場所によりますが、申し込みをすれば見学が可能です。小学校など、団体での見学を受け入れている場所もあります。

ただし、相当ショッキングな光景が展開されると思われます。実際に足を運ぶ際は、くれぐれもご注意ください。

加古川食肉センター

兵庫県加古川市に位置する食肉センターです。家畜の追い込み、屠殺から枝肉冷蔵まで、作業の工程をたどっていくことができます。

衛生管理の厳重化が進む昨今の現場で、「安心・安全なお肉を食卓に届ける」ことを示すために見学を受け入れています。

東京中央卸売市場食肉市場・芝浦と場

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東京都新宿区西新宿、品川駅港南口に位置する市場です。「お肉の情報館」という博物館も併設した複合施設です。

と場自体は常に見学ができるわけではありませんが、お肉の情報館は自由に見学できます。情報館では家畜の屠殺映像も見られます。そのままの映像で、誇張はありません。

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