世田谷一家殺人事件の謎に迫る!未解決事件の真犯人説を徹底解説!

世田谷一家殺人事件とは、2000年12月末に東京都の世田谷区に住む一家4人が何者かによって殺害された事件です。遺留品が多く犯人はすぐに逮捕されると思われた事件でしたが、未だ未解決事件となっています。世田谷一家殺人事件の概要と真犯人説を解説します。

この記事をかいた人

初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!
Array

世田谷一家殺人事件とは?2000年に起きた未解決事件!

geralt / Pixabay

わが国の首都であり世界からも多くの観光客が訪れる『東京都』その東京23区の中で最大人口を誇り、南西部に位置する『世田谷区』に当時在住していた、1つ屋根の下で暮らす家族全員が一夜にして命が奪われました。

誰がそんな悍ましい所業をしたのでしょうか?気になる所ではありますが実は2019年令和現在分かっていないのです。つまり凶悪な殺人鬼が野放しになっていて私たちの生活に溶け込みすぐそばにいるかもしれない。

そんな恐ろしい事態が紛れもない『現実』なのです。なぜ凶悪な殺人鬼が未だに検挙に至っていないのか?その疑問、腑に落ちない点の『理由』を知っていただくためにも『世田谷一家殺人事件』を取り上げていきます。

世田谷一家殺人事件の概要

Mediamodifier / Pixabay

今回の記事を通して全くご存じのない方や大方の内容しか把握していない方にも、今一度どれほど悍ましく凄惨であったか理解していただいて、悲劇を『風化』させないようにしていただきたいのです。

ここから徐々に深いところまで詳細をお伝えしていきますが、まずはイメージを掴んでいただくために大部分の内容をクローズアップしていきます。ではここから分かり易く『概要』をまとめて解説します。

世田谷一家殺人事件は2000年に東京世田谷区で発生

冒頭部分でも解説させていただきましたが、事件が起きてしまったのは2019年(令和元年)現在から19年前の平成12年です。つまり約20年もの長い間、凶悪な殺人鬼が野放しになっているのが『現状』です。

悲劇の舞台となったのはその名称を見ていただけば一目瞭然ですが、東京23区の一つで、国内でもトップクラスの人口を有している市街である『世田谷区』のごく一般的な家族の住まいでした。

犯人の特定・逮捕には至っていない未解決事件

もちろん後程詳しく解説する凶悪な殺人鬼の所業も非常に悍ましく、また恐ろしい内容なのですが、更にその凶悪な殺人鬼の正体や目星が分かっていないのです。

ということは当然検挙にも至っていないので『迷宮入り』しています。一刻も早く検挙。と願っているのは被害者たちの遺族たちだけではなく、私たち日本人もひとえにそう願わなくていけません。

2019年現在でも継続して警察が捜査に当たっています。必死さが伝わるように高額の『懸賞金』も課せられているので、手掛かりや証拠になりえる情報を掴んだ方は情報提供して協力しましょう。

20世紀最後の日に起きた事件で年末になると注目される

webandi / Pixabay

前述した通り平成12年つまり2000年の出来事であり、世紀の始まりは『01年』からになるのでこの年は20世紀最後の年にあたります。

更に何月何日なのかというと、『12/30』の晩から『12/31』の朝にかけて、すなわち『年の瀬』に凶悪な殺人鬼の手によって惨たらしいありふれた家族の命が奪われているのです。

つまり色々な『節目』といった時間に世田谷一家殺人事件が起きてしまいました。日本では謎が多くて真相が掴めていない事件が多く起きています。そんな未解決事件が気になる方はこちらをご覧ください。

毎年年前にセンセーショナルが集まる

そのため日本国内では毎年年末になると各マスメディアたちが、今回の記事の様にクローズアップして報道して、世間の『センセーショナル』を集めて話題になります。

凶悪な殺人鬼が検挙されていない迷宮入りしている事件だからこそそのようにして風化させないことが大切なのです。今回の記事を通して皆さんも是非その悍ましい全貌をよく知っておいてください。

世田谷一家殺人事件の被害者と被害状況とは

meineresterampe / Pixabay

ここからいよいよどれだけ残虐で惨烈な所業が行われたのか、よく理解していただくために被害の『詳細』をお伝えしていきます。詳細を嚙み砕いていうならば、どんな人物がどんな目に遭ったかの内容です。

何度も申し上げるように2019年(令和元年)現在でも、一夜にしてごく一般的な何の罪もない家族の命を惨たらしく奪った『凶悪な殺人鬼』の正体や目星も付いておらず、検挙に至っていません。

なので読者の皆さんの視点からも招待や目星を推測『プロファイリング』しながら読んでみてください。(※事実を明確にお伝えするのにあたって『ショッキング』な表現があります。承知のうえご覧ください。)

世田谷一家殺人事件の被害者は父母長女長男の4人

Pexels / Pixabay

凶悪な殺人鬼の卑劣な魔の手によって命が奪われてしまった人物、つまり『犠牲者』はごく普通の家族でした。次にその家族構成を簡単に解説していきます。

父親(40代半ば)母親(40代前半)娘(8歳)息子(6歳)であり、いずれも世田谷一家殺人事件が起きた当時の『年齢』であります。両親はともにそれぞれ働いており下記にその職に就いての詳細をまとめます。

両親の職業

父親は学生時代を終えて社会人になると、すぐにテレビなどのマスメディアに携わる、いわゆる『編プロ』の企業を起こしており、その後は企業向けに『デザイン』等を提供する会社に勤めていました。

母親は勉学に長けていたのでしょうか?恐らくは世間的に名の知れている『学習塾』の系列で塾を営み、講師として働いていました。

世田谷一家殺人事件の被害者①息子は窒息死

cherylholt / Pixabay

犠牲者の家族の中で最初に命が奪われたのは当時僅か6歳の幼気な息子でした。凶悪な殺人鬼はどうやって足を踏み入れたのか分かりませんが、家族が生活していた住まいに侵入すると、徐に息子の部屋に行きました。

その時幼気な6歳の息子はすやすやと何も知らずに寝ていましたが、そこを凶悪な殺人鬼は容赦なくまだ小さく細い首筋を卑劣な手で一気に締め上げたのです。

こうして卑劣な所業により1人の少年の尊い命が奪われてしまいました。この際に締め上げたことによる出血がありましたが、他の傷はなかったことが判明しています。

世田谷一家殺人事件の被害者②父は頭部を刺され死亡

JJuni / Pixabay

次の犠牲者は40代半ばの会社員である父親でした。なにかの『物音』が聞こえたのでしょうか?『危険』を察知したのでしょうか?彼は既に魔の手が及んでしまっている息子の部屋に向かったのです。

しかし彼が悍ましい事態を理解した瞬間に、凶悪な殺人鬼が予め所持していた『刃物』は、彼の生命を維持するのに不可欠な『脳』が詰まっている頭部を貫いていました。まず即死だったのではないでしょうか。

遺体の外傷によると、さらに凶悪な殺人鬼はその刃物で下半身の部位をも斬り刻んでいます。きっとこの時すでに絶命していて意識が無かったのか、最期の悲痛な叫び声もあげれなかったのかもしれません。

世田谷一家殺人事件の被害者③母娘はめった刺しに

Pexels / Pixabay

上記の犠牲者の2人に対しても残虐な方法で命を奪っておりますが、最期に襲われた2人の『女性』である40代前半の母親と僅か8歳の娘に対しては、憎悪や恨みからくる強烈な『殺意』があったと考えられる。

そんな惨烈な方法で命を奪ったことが2人の無残な『遺体』から判明しました。大きな音がなかったためか2人はまだ何も知らずに就寝していました。そこに凶悪な殺人鬼はおもむろに近づいて、犯行に及んだのです。

既に2人目の犠牲者である父親の痛ましい血が付着した刃物で、就寝していた2人の身体を何度も何度も突き刺して残虐に命を奪っているのです。それは2人が既に永眠している状態でも続いたのです。

世田谷一家殺人事件の犯人の犯行後の様子

Free-Photos / Pixabay

大体の場合は計画性があったとしても突発的であったとしても人を殺めた人間は、その後すぐにその場から立ち去ります。ですが世田谷一家殺人事件の犯人である凶悪な殺人鬼はそれと全く異なる行動をしたのです。

では何の罪もなくありふれた4人の家族の命を惨烈に奪ったあと、凶悪な殺人鬼はどんな行動をしたのでしょうか?こちらでは次に理解しがたい、その後にとった『行動』の一つ一つを詳しく解説していきます。

犯行後の犯人の行動①被害者宅に潜んでいた

Free-Photos / Pixabay

前述した通り、明確な殺意があっての計画的に命を奪ったのだとしても、事が済んだあとに被害者の遺体がすぐそばにある現場で一息つくなんてことは、常人の犯罪者であればしないと考えられるはずでしょう。

しかし世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼はあろうことか、自らの手で惨烈な所業を行い『阿鼻叫喚』な状況を作り出した、その住まいで結構な時間を何事もなかったかのように生活するように、滞在していたのです。

犯行後の犯人の行動②負傷した傷の手当をしていた

rawpixel / Pixabay

実は凶悪な殺人鬼は自身の身体の一部を怪我して血が出ていました。状況から考慮すれば恐らくは、何かを察知して既に殺めた僅か6歳の息子のもとに向かってきた40代半ばの父親の命を奪うときだと考えられます。

凶悪な殺人鬼はその怪我の応急処置のため、また流れ出る血を止めるために、惨劇の舞台となった住まいに置いてあった『バンドエイド』や『タオル』更には『ナプキン』などで血を止めようとしました。

後程改めてお話しさせていただきますが、これらのアイテムは重要な物的証拠として押収されました。

犯行後の犯人の行動③アイスなどを飲食していた

silviarita / Pixabay

よほどお腹が減っていたのでしょう?それとも無類の甘いもの好きだったのでしょうか?

凶悪な殺人鬼は現金を奪ったあとで店などで食料を購入すればいいもの、その前に悲劇の舞台となった住まいに設置していた冷蔵庫を漁って、色々な飲み物や食べ物を口にしていたのです。

色々なものがあったのですが、その中でも本来は犠牲者となってしまった4人が食べるはずだった、ほぼ全員分ほどの『アイス』を好んで口にしているのです。

飲食した形跡

惨たらしい姿となった世田谷一家殺人事件後の住まいにはその異様な形跡が顕著に残っていたのです。その形跡の中には凶悪な殺人鬼の本人の『歯』の並びや構造が分かるものもあったことが囁かれています。

犯行後の犯人の行動④家を物色し不必要品を浴槽へ

manbob86 / Pixabay

世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は、4人の命を奪った後、強盗や窃盗の様に住まいの部屋中を漁って金目の物や欲しい物を探していました。

先ほど解説した惨劇の舞台となった住まいでの行為、本来であれば不用意な『食事』及び『応急処置』から出たごみなどを、住まいの設備のひとつである『お風呂』の湯船に棄てていたのです。

凶悪な殺人鬼は自分が必要なもの欲しいものと要らないものを『厳選』していたようで、住まいのリビングとお風呂場に形跡が残っていて、その様子が伺えました。

犯行後の犯人の行動⑤トイレを使用

cocoparisienne / Pixabay

住まいのお手洗いにもいっており用を足していました。そこでも犠牲者となってしまった4人家族の所有物を漁っていたのです。

また一部のマスメディアによれば『糞』が検出されており、そこには犠牲者の4人が食事したと考えられる以外の食べ物が含まれていたようで世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼のものではないかと囁かれています。

尚、真実かどうかは定かではありません。吐き気を催すなどの突発的な症状に見舞われて緊急の場合であれば、お手洗いを利用するのは理解できますが・・・。

犯行後の犯人の行動⑥リビングで仮眠

Pexels / Pixabay

ここでもなんとも余裕綽々な様子が伺えたのです。世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼はなんと悲劇の舞台となった住まいの『リビング』で小一時間以上仮眠をとっているのです。

よほど眠たかったのでしょうか?当然ながら命を奪いという非人道的行為をしていて、それも残虐なやり方でしたからさぞ興奮していたはずです。そんな状況で、そんな場所でよく眠れるものだ。

と感心してしまいますが、逆の発想をすれば悍ましい所業を働いているつまりは犯行に及んでいる最中もそれほど興奮しておらず、終始『冷静』であったことも十分に考えられそうです。

犯行後の犯人の行動⑦パソコンを操作していた

StartupStockPhotos / Pixabay

更に世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は何か明確な目的があったのか、悲劇の舞台となった住まいに置いてあった『パーソナルコンピューター』すなわちPCをも捜査していたのです。

この事はカーソル、ポイントを動かしたりクリックなどをする『マウス』のみから検出された『指紋』やネットワークの利用履歴から判明しました。

またネットに繋がられた時間から凶悪な殺人鬼が滞在した時間が推測されましたが、最近になって別の可能性が示唆されて本当はもっと早期の段階で住まいを後にしている見解も出てきています。

世田谷区一家殺人事件で残された犯人の痕跡と犯人像とは?

WandererCreative / Pixabay

先ほどお話しした通り悲劇の舞台となった住まいには凶悪な殺人鬼が数時間過ごしたであろう、異様な形跡が多く残っていました。

その形跡の中には世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼の手掛かりや情報となるも『証拠』も多く残されていたのです。

どんな物が残されていて、そこから何が導き出されたのかなどを詳しく皆さんに解説していききます。

世田谷一家殺人事件の犯人は現場にDNAを残していた

geralt / Pixabay

具体的にどの瞬間で負ったものか判明していませんが、世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は何の罪もないありふれた4人の家族の命を残虐に奪うという、惨烈な所業をした際に『右手』を怪我して血が出ていました。

そしてその血痕を拭き取るどころか、悲劇の舞台となった住まいにあった色々アイテムで自らの傷口に押し当てたりして血を止めて、そのアイテムを不必要として棄てるように残していたのです。

当然ながら血液が検出できれば生き物である人間の個体差がある染色体や『DNA』が鑑定できるのです。

犯人のDNAから年齢を推定

typographyimages / Pixabay

その鑑定された染色体及びDNAから、おおよその年齢が割り出されました。2019年(令和元年)現在から30年から50年以上も前の昭和40年から昭和60年生まれと推定されました。

すなわち事件当時の年齢は高校生から30代半ばくらいだと考えられて、少年から青年と呼ばれるような人物と推定されました。当然ながら現在生きていれば30歳~50歳くらいの中年男性なります。

これにはある程度の運動能力が無いと、犠牲者となってしまった家族の住まいに侵入することが困難であるという点も考慮しているそうです。(血液から鑑定されたDNAから性別が『男』と確認されました)

犯人の持ち物からも年齢を絞った

尚、2019(令和元年)現在は更に推定される年齢層を絞っており、世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は当時10代後半から20代前半と見ているそうです。

これは凶悪な殺人鬼が悲劇の舞台となった住まいに残した、自身の所有物、もっと言えば当時身に纏っていた衣類などのファッションアイテムから考慮したためです。

DNAから東洋人と西洋人のハーフの可能性が高いと判明

EliasSch / Pixabay

凶悪な殺人鬼の傷口から出た血液の処置に用いられたアイテムに付着していた『血』から鑑定されたDNAから得られた情報は性別や年齢層だけではありませんでした。

大方の『人種』のルーツなどの情報も得られたのです。それにより日本人であれば割合の少ないパターンだという事が判明して、さらに両親は『東洋人』と『西洋人』である可能性が高いことが示唆されました。

とはいえあくまで大方の情報であり『可能性』の話なので、断定には至っていないので当然ながら純正の日本人の可能性も考えて捜査に当たっています。

犯人は凶器も現場に残していた!

ROverhate / Pixabay

また多くの場合は人の命を奪った犯罪者は『証拠』になりえるものを残さないように処理することを自然に理解いるはずでしょう。

ですが凄惨な世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は一番初めに残してはいけない証拠と考えられそうな『凶器』すら残していたのです。(初めから検挙されない自信や確証があったのでしょうか?)

凶器には予め用意していた硬い魚の鱗を捌くためのような『鋭い包丁』それが破損してしまったことにより、住まいにあった料理するためのごく普通の『包丁』の2種類の『包丁』が用いられました。

犯人の服からも多くの遺留品が!

ここで更なる驚くべきことに、世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼は容赦なく刃物を振りかざして何度も突き刺したことによる『返り血』が身にまとっていた衣類に付着したために『義替え』をしたのです。

その着替えにより新たに着用した衣類は、犠牲者となってしまった家族の一人である40代半ばの父親のものです。

そして自らの手で殺めた4人の返り血がついてしまった元々身にまとっていた衣類を、丁寧に畳んで悲劇の舞台となった住まいに残して去ったのです。人物像を推測するのに利用された衣服の数々を下記にまとめます。

犯人の服①トレーナー

迷宮入りしてしまった世田谷一家殺人事件が起きた同年にTVで放送された、あるドラマに出演していたSMAPの『キムタク』が身にまとっていた上着であり、当時ブームとなっていたファッションアイテムでした。

デザインはシンプルで2色で形成されており、首周りから腕の部分が濃い『パープル色』胸から腹の胴にかけては『ネズミ色』でした。犠牲者となってしまった家族の血が多く付着していました。

よほど愛用されていたようで、非常に色が褪せていて原色をとどめていませんでした。しかし製造年月日は同年の平成12年でした。

犯人の服②ジャンパー

Pexels / Pixabay

お手頃価格で充実した機能性とファッション性を売りにした人気ブランドの『ユニクロ製』でした。色は『ブラック』でサイズは『L』こちらも流行アイテムの1つでした。

世田谷一家殺人事件から約2か月前に販売されており、発売されたとたん即刻『品切れ』になるほど人気のアイテムであり、国内の人々の多くが所有しており着用していました。

犯人の服③帽子

キャップタイプの様に前方に半円のつばがあるタイプではなく、円状につばがついてあるタイプである。

カジュアルであり、雨の状況下でも中に水分がしみ込まないといった特徴があるので、合羽のように用いられる場合があるタイプです。

こちらも新しめのアイテムで初めて発売が開始されたのは約2年前であり、型番のようなものから世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼が着用していたものは、約1年前の平成11年製であることが判明しました。

犯人の服④マフラー

グリーンの色をベースにしたカラフルなチャック柄であり、こちらのアイテムはかなり安価であることが分かりました。

長さは成人男性用のものではなく、比較的短く小さなものであり、使い古されていたので世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼が学生の頃から使用してた可能性が示唆されました。

日本では珍しい韓国製のスニーカーを履いていた

Free-Photos / Pixabay

日本ではまず流通されていないお隣韓国製の『スニーカー』を履いていました。現代であれば『韓流』といった言葉があるように、ドラマやアーティストなど様々な文化が日本でも流行しています。

しかしその当時はまだそこまでそういった国際的な文化は普及しておらず、流通の手段も現在ほど多様化していませんでした。

つまり色々な『手掛かり』が相まって世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼はより一層『外国人』である可能性が高まったのです。サイズは大体27~28センチメートル前後と考えられています。

世田谷一家殺人事件の犯人はフランス製の香水を使用

silviarita / Pixabay

原産は遥か海を越えてヨーロッパになりますが、日本国内でも各地で購入することができたメジャーな香水であり2019年(令和現在)から37年前の昭和57より発売が開始されています。

また一般人も使用しますが日本だけではなく、世界的に『スケボー』を嗜む人物やヒップホップなファッションや文化を好む人物からよく愛用されているアイテムです。

犯人が使用していたバッグから日本国外の砂が!

croisy / Pixabay

世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼が悲劇の舞台となった住まいに置いて行ったのは服だけではありませんでした。

身にまとっているファッションアイテムの一つであり、実用性を兼ね備えた『バック』も残して置いていったのです。その中には日本では絶対に存在していない『砂』が入っていました。

当所はアメリカ合衆国の西海岸沿いのカジノで有名な『ラスベガス』のものだと判断されましたが、後に同じく西海岸沿いのスケボー文化が盛んな『カルフォルニア』だと判明しました。

世田谷一家殺人事件の前後で不審者情報が相次ぐ!

Pexels / Pixabay

ここまででも凶悪な殺人鬼がなぜか悲劇の舞台となった住まいに残して置いて行った物が多く、そこから『調べ』で割りだされるDNAなどの手掛かりヒントとなるものが多いことをよく分かっていただけたはずです。

ですが多かった情報はそれだけではなかったのです。世田谷一家殺人事件の前後では凶悪な殺人鬼かもしれない『不信者』の情報が相次いだのです。

事件前現場周辺で不審者の情報が

nightowl / Pixabay

世田谷一家殺人事件の1日前には悲劇の舞台となった住まいから、そう遠くはない(約1.5キロメートル)駅付近で凶悪な殺人鬼が残していた、身にまとって衣類と類似した若い男の目撃情報が上がっています。

また命を奪われてしまったありふれた家族の一人である40代前半の母親自身も、世田谷一家殺人事件の数日前に悲劇の舞台となった住まいの前に不自然に停車している『1台の車』を目撃して不審がっていました。

上記の情報は被害所遺族から明らかになったものです。実はこれだけではなくまだ多くの不審者、目撃情報が悲劇の舞台である住まい近辺であがっております。

事件後にも怪しい男の情報が寄せられた

Free-Photos / Pixabay

悲劇の舞台である住まい周辺の『公園』で不審者。当日にはある女性が乗用車を運転中に近くで歩行者と『衝突事故』を起こしていますが、その歩行者は慌てていて手の辺りから血を流していました。

さらにその歩行者は名乗らず連絡が取れなかったそうです。まだ腕に相当な怪我をしている男が駅に手当してもらっており、服装も凶悪な殺人鬼と類似していました。

世田谷一家殺人事件の後にも数年後に何度か『怪しい人物』の情報が寄せられました。その情報もその都度警察のホームページに公開されていますので、気になる方はそちらをご覧ください。

世田谷一家殺人事件の犯人が逃走した時間は?

世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼の行方を掴むうえで重要になってくるのが、悲劇の舞台となった住まいをいつ出たか。つまりは『逃走』した時間になります。残された情報からいつ頃であるか割り出されました。

世田谷一家殺人事件の犯人は31日の午前10時頃に逃走か?

rkarkowski / Pixabay

NEXT 世田谷一家殺人事件の犯人は31日の午前10時頃に逃走か?