世田谷一家殺人事件の謎に迫る!未解決事件の真犯人説を徹底解説!

世田谷一家殺人事件とは、2000年12月末に東京都の世田谷区に住む一家4人が何者かによって殺害された事件です。遺留品が多く犯人はすぐに逮捕されると思われた事件でしたが、未だ未解決事件となっています。世田谷一家殺人事件の概要と真犯人説を解説します。

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世田谷一家殺人事件とは?2000年に起きた未解決事件!

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わが国の首都であり世界からも多くの観光客が訪れる『東京都』その東京23区の中で最大人口を誇り、南西部に位置する『世田谷区』に当時在住していた、1つ屋根の下で暮らす家族全員が一夜にして命が奪われました。

誰がそんな悍ましい所業をしたのでしょうか?気になる所ではありますが実は2019年令和現在分かっていないのです。つまり凶悪な殺人鬼が野放しになっていて私たちの生活に溶け込みすぐそばにいるかもしれない。

そんな恐ろしい事態が紛れもない『現実』なのです。なぜ凶悪な殺人鬼が未だに検挙に至っていないのか?その疑問、腑に落ちない点の『理由』を知っていただくためにも『世田谷一家殺人事件』を取り上げていきます。

世田谷一家殺人事件の概要

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今回の記事を通して全くご存じのない方や大方の内容しか把握していない方にも、今一度どれほど悍ましく凄惨であったか理解していただいて、悲劇を『風化』させないようにしていただきたいのです。

ここから徐々に深いところまで詳細をお伝えしていきますが、まずはイメージを掴んでいただくために大部分の内容をクローズアップしていきます。ではここから分かり易く『概要』をまとめて解説します。

世田谷一家殺人事件は2000年に東京世田谷区で発生

冒頭部分でも解説させていただきましたが、事件が起きてしまったのは2019年(令和元年)現在から19年前の平成12年です。つまり約20年もの長い間、凶悪な殺人鬼が野放しになっているのが『現状』です。

悲劇の舞台となったのはその名称を見ていただけば一目瞭然ですが、東京23区の一つで、国内でもトップクラスの人口を有している市街である『世田谷区』のごく一般的な家族の住まいでした。

犯人の特定・逮捕には至っていない未解決事件

もちろん後程詳しく解説する凶悪な殺人鬼の所業も非常に悍ましく、また恐ろしい内容なのですが、更にその凶悪な殺人鬼の正体や目星が分かっていないのです。

ということは当然検挙にも至っていないので『迷宮入り』しています。一刻も早く検挙。と願っているのは被害者たちの遺族たちだけではなく、私たち日本人もひとえにそう願わなくていけません。

2019年現在でも継続して警察が捜査に当たっています。必死さが伝わるように高額の『懸賞金』も課せられているので、手掛かりや証拠になりえる情報を掴んだ方は情報提供して協力しましょう。

20世紀最後の日に起きた事件で年末になると注目される

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前述した通り平成12年つまり2000年の出来事であり、世紀の始まりは『01年』からになるのでこの年は20世紀最後の年にあたります。

更に何月何日なのかというと、『12/30』の晩から『12/31』の朝にかけて、すなわち『年の瀬』に凶悪な殺人鬼の手によって惨たらしいありふれた家族の命が奪われているのです。

つまり色々な『節目』といった時間に世田谷一家殺人事件が起きてしまいました。日本では謎が多くて真相が掴めていない事件が多く起きています。そんな未解決事件が気になる方はこちらをご覧ください。

毎年年前にセンセーショナルが集まる

そのため日本国内では毎年年末になると各マスメディアたちが、今回の記事の様にクローズアップして報道して、世間の『センセーショナル』を集めて話題になります。

凶悪な殺人鬼が検挙されていない迷宮入りしている事件だからこそそのようにして風化させないことが大切なのです。今回の記事を通して皆さんも是非その悍ましい全貌をよく知っておいてください。

世田谷一家殺人事件の被害者と被害状況とは

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ここからいよいよどれだけ残虐で惨烈な所業が行われたのか、よく理解していただくために被害の『詳細』をお伝えしていきます。詳細を嚙み砕いていうならば、どんな人物がどんな目に遭ったかの内容です。

何度も申し上げるように2019年(令和元年)現在でも、一夜にしてごく一般的な何の罪もない家族の命を惨たらしく奪った『凶悪な殺人鬼』の正体や目星も付いておらず、検挙に至っていません。

なので読者の皆さんの視点からも招待や目星を推測『プロファイリング』しながら読んでみてください。(※事実を明確にお伝えするのにあたって『ショッキング』な表現があります。承知のうえご覧ください。)

世田谷一家殺人事件の被害者は父母長女長男の4人

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凶悪な殺人鬼の卑劣な魔の手によって命が奪われてしまった人物、つまり『犠牲者』はごく普通の家族でした。次にその家族構成を簡単に解説していきます。

父親(40代半ば)母親(40代前半)娘(8歳)息子(6歳)であり、いずれも世田谷一家殺人事件が起きた当時の『年齢』であります。両親はともにそれぞれ働いており下記にその職に就いての詳細をまとめます。

両親の職業

父親は学生時代を終えて社会人になると、すぐにテレビなどのマスメディアに携わる、いわゆる『編プロ』の企業を起こしており、その後は企業向けに『デザイン』等を提供する会社に勤めていました。

母親は勉学に長けていたのでしょうか?恐らくは世間的に名の知れている『学習塾』の系列で塾を営み、講師として働いていました。

世田谷一家殺人事件の被害者①息子は窒息死

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犠牲者の家族の中で最初に命が奪われたのは当時僅か6歳の幼気な息子でした。凶悪な殺人鬼はどうやって足を踏み入れたのか分かりませんが、家族が生活していた住まいに侵入すると、徐に息子の部屋に行きました。

その時幼気な6歳の息子はすやすやと何も知らずに寝ていましたが、そこを凶悪な殺人鬼は容赦なくまだ小さく細い首筋を卑劣な手で一気に締め上げたのです。

こうして卑劣な所業により1人の少年の尊い命が奪われてしまいました。この際に締め上げたことによる出血がありましたが、他の傷はなかったことが判明しています。

世田谷一家殺人事件の被害者②父は頭部を刺され死亡

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次の犠牲者は40代半ばの会社員である父親でした。なにかの『物音』が聞こえたのでしょうか?『危険』を察知したのでしょうか?彼は既に魔の手が及んでしまっている息子の部屋に向かったのです。

しかし彼が悍ましい事態を理解した瞬間に、凶悪な殺人鬼が予め所持していた『刃物』は、彼の生命を維持するのに不可欠な『脳』が詰まっている頭部を貫いていました。まず即死だったのではないでしょうか。

遺体の外傷によると、さらに凶悪な殺人鬼はその刃物で下半身の部位をも斬り刻んでいます。きっとこの時すでに絶命していて意識が無かったのか、最期の悲痛な叫び声もあげれなかったのかもしれません。

世田谷一家殺人事件の被害者③母娘はめった刺しに

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上記の犠牲者の2人に対しても残虐な方法で命を奪っておりますが、最期に襲われた2人の『女性』である40代前半の母親と僅か8歳の娘に対しては、憎悪や恨みからくる強烈な『殺意』があったと考えられる。

そんな惨烈な方法で命を奪ったことが2人の無残な『遺体』から判明しました。大きな音がなかったためか2人はまだ何も知らずに就寝していました。そこに凶悪な殺人鬼はおもむろに近づいて、犯行に及んだのです。

既に2人目の犠牲者である父親の痛ましい血が付着した刃物で、就寝していた2人の身体を何度も何度も突き刺して残虐に命を奪っているのです。それは2人が既に永眠している状態でも続いたのです。

世田谷一家殺人事件の犯人の犯行後の様子

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大体の場合は計画性があったとしても突発的であったとしても人を殺めた人間は、その後すぐにその場から立ち去ります。ですが世田谷一家殺人事件の犯人である凶悪な殺人鬼はそれと全く異なる行動をしたのです。

では何の罪もなくありふれた4人の家族の命を惨烈に奪ったあと、凶悪な殺人鬼はどんな行動をしたのでしょうか?こちらでは次に理解しがたい、その後にとった『行動』の一つ一つを詳しく解説していきます。

犯行後の犯人の行動①被害者宅に潜んでいた

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前述した通り、明確な殺意があっての計画的に命を奪ったのだとしても、事が済んだあとに被害者の遺体がすぐそばにある現場で一息つくなんてことは、常人の犯罪者であればしないと考えられるはずでしょう。

しかし世田谷一家殺人事件の凶悪な殺人鬼はあろうことか、自らの手で惨烈な所業を行い『阿鼻叫喚』な状況を作り出した、その住まいで結構な時間を何事もなかったかのように生活するように、滞在していたのです。

犯行後の犯人の行動②負傷した傷の手当をしていた

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実は凶悪な殺人鬼は自身の身体の一部を怪我して血が出ていました。状況から考慮すれば恐らくは、何かを察知して既に殺めた僅か6歳の息子のもとに向かってきた40代半ばの父親の命を奪うときだと考えられます。

凶悪な殺人鬼はその怪我の応急処置のため、また流れ出る血を止めるために、惨劇の舞台となった住まいに置いてあった『バンドエイド』や『タオル』更には『ナプキン』などで血を止めようとしました。

後程改めてお話しさせていただきますが、これらのアイテムは重要な物的証拠として押収されました。

犯行後の犯人の行動③アイスなどを飲食していた

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