2019年(令和元年)現在から16年前の平成15年に『D家』の『母親』は『尼崎事件』のファミリーたちから迫害を受けており、様々な仕打ちに遭っていました。
それは殴る蹴るといった肉体的な暴力であったり、高圧的な態度や誹謗中傷のような言葉を浴びせて、また生活の一部を禁じられていたのです。
同じように迫害されて仕打ちを受けていた内縁関係にあった『旦那』の力によって、『尼崎事件』のファミリーたちと一つ同じ屋根の下であった環境からなんとか逃れることに成功したのです。
再び奴隷同然の毎日に
暫くは近畿地方に位置して紀ノ國と呼ばれるような『和歌山』にて、職場に生活環境が整っていた『宿泊施設』のスタッフとして働いていました。
首謀者によって狂わされたファミリーたちや悍ましい輪廻から逃れるように忘れるように生活していましたが、乗用車を買う際に致し方無く『住所変更』をしましたが、それで現在地がバレてしまったのです。
そしてファミリーたちから逃れて4年後の平成19年に、生活拠点でもあり職場でもあった『宿泊施設』に共謀者らが押しかけて強制的に再びまたあの地獄の日々、ファミリーたちに戻されてしまったのです。
家族ゆえに逃れられなかった
元々はまったく血のつながりもなく関係もなかった『C・D家』でしたが、どんどんと首謀者によってファミリーたちの一員に加えさせられていきました。
『マインド』『メンタル』を首謀者によって操られてしまい、悪の所業、迫害などに加担を強いられる者もいて、また自ら道徳心を失ってそれに協力する者も出てきてしまったのです。
故に一度は逃れることに成功した母親ですが、住所変更してしまったので血縁関係にあり協力的な『家族』によって、役所などで開示させれられて現在地がバレてしまい、強制的に地獄に戻らせられたのです。
D家の長女の死体遺棄事件
2019年(令和元年)現在から15年前の平成16年に『D家』の『長女』は迫害されていて、奴隷の様な生活に嫌気がさして『尼崎事件』のファミリーたちから抜けて家を飛び出しました。
悍ましい生活、輪廻から解放された彼女はそこから2年半以上、阪神エリアである『大阪府』にて賃貸住宅を借りて、アルバイトしながら生活していました。
元々彼女は当時はまだメジャーとなっていなかった『情報系』のホームページ作成のような仕事に就いていて、知識も技術も長けていた人物でしたが首謀者らによって『アルバイト』にまで転落してしまいました。
確かに立派な正社員、それも情報系の会社から、言ってしまえばだれでもできる『アルバイト』に転落してしまったわけですから『不幸』に見舞われてしまったといえます。
しかし彼女からしたら人としての自由や権利を一切奪われて、ファミリーたちから迫害を受ける生活に比べれば、よっぽどましであり幸せなことだったのでしょう。
ですが平成18年の『年の瀬』に『尼崎事件』の首謀者らによって、強制的に再びファミリーたちの一員に加えさせられ奴隷のような毎日送る事となってしまいます。
2度目の脱出
忘れかけていた首謀者らが自分の前に現れたときどれだけ絶望したのでしょうか?きっと想像を絶するものだったに違いありません。その後首謀者の計らいによってファミリーたちの1人と内縁の関係になります。
彼女は内縁の関係なったその男性と平成20年に再び2度目の『脱出』を図りましたが、間もなくしてっ首謀者らに見つかってしまい捕まってしまいました。
そして『反逆』した罪に問われるように『罰』が下されました。もちろん言葉通りで本当に何の罪もないなのですが、首謀者や『尼崎事件』のファミリーたちによって狭く薄暗い小屋に拘束させられました。
少なく見積もっても60日以上もの間拘束させられ、首謀者やファミリーたちから激しい暴力を振るわれ、また生命を維持するのに欠かせない『食料』『水分』もまともに与えられなかったのです。
そうしてどんどん精神的にも肉体的にも追い込まれて『衰弱』していき、最期には平成20年の暮れに命を落としてしまったのです。その後亡骸は血縁関係にある『C家』の自宅の地下に『遺棄』されました。
本来は一番信頼関係にあるはずの家族から酷い仕打ちに遭って最後には命を奪われてしまうのです。そのような残酷なことが現代に起きていたというのですから驚きを隠せません。
D家の母の不審死事件
前述した通りですが一度は『尼崎事件』から、首謀者やファミリーたちから逃れることに成功して約4年もの間普通の生活を取り戻したD家の母親。
乗用車を買う際に致し方なく『住所変更』をして、結局首謀者やファミリーたちに現在地を知られてしまって、強制的に詰まってしまい再び自由を奪われてしまったのですが、その2年後に彼女は謎の死を遂げました。
再びファミリーの一員に戻った約1年後の平成20年に『意識』がなくなってしまい、医療機関に運ばれましたが、そこから意識を取り戻すことなくずっと目を開ける事は無かったのです。
その翌年の平成21年には新たな『肺』の病気も患ってしまい絶命してしまいました。当初は意識を失ったさいも病気によるもので自然的な症状に見舞われたものと認識していました。
しかし後の調べによって初めに意識を落としたのも、人為的な暴行などによって引き起こされた可能性があることが判明したのです。
つまり彼女も『尼崎事件』の首謀者、ファミリーたちに迫害されて酷い仕打ちに遭ったがために命を奪われてしまったのです。
C家長男・C家母の年金窃盗事件
2019年(令和元年)現在からちょうど10年前の平成21年から23年にかけて、『尼崎事件』のファミリーの1つである『C家』の『長男』『母親』の毎年国から定期的に支払われる『年金』が奪われてしまいました。
その額なんと『700万円以上』だったそうです。この事件で検挙されたのは首謀者ではなく、その『サポーター役』つまり第2の悪の巨頭である『D家』の『次女』と首謀者の血のつながっていない『妹』でした。
つまりは首謀者が関与しておらずとも悪の所業、人権を奪う行為がいともたやすく、同被害者であるはずのファミリーの間で行われていたのです。日本で起きた他の『監禁事件』こちらの記事をご覧ください。
2人の情報によって捜査が進展した
またこの事件で検挙された『サポーター役』つまり第2の悪の巨頭である『D家』の『次女』と首謀者の血のつながっていない『妹』の2人によって『尼崎事件』の多くの全貌が明らかになったそうです。
Contents
尼崎事件の概要④E・F家をめぐる事件
アルファベットの順番でも後列に来るように、『尼崎事件』や首謀者、ファミリーたちと関わるようになったのも時系列では後のであります。立件され検挙された『事件』も一つだけであります。
しかしながらこの家庭無くしては、もしかしたら2019年現在においても未だに首謀者の手によってファミリーたちが支配されて、犯罪を繰り広げ、また被害者となる割拠された家庭も増えていたかもしれないのです。
つまり『尼崎事件』が世間に明るみになったのはこの家庭があってのことだったのです。きっかけはどういうこと出来事であったか、また2つの家庭が関与した事件及び出来事を下記にまとめて解説していきます。
繰りかえすようですが2つの家庭が巻き込まれていったのは後のほうです。しかしこの家庭においても半ば強制的に『内縁関係』を結ばせたり、自ら死に追いやるように誘導していったのです。
短い時間であっても、どれだけ赤の他人であっても、相手の心の隙間に付け入り精神を支配してファミリーたちの一員にさせられてしまうのです。
E家は父のクレーム対応がきっかけ
先ほども家庭の紹介の際にお話しさせていただきましたが、『尼崎事件』の『E家』が巻き込まれてファミリーたちの一員になったきっかけはひょんな出来事からだったのです。
それは首謀者がたまたま利用した『電車』『列車』で何らかのちょっとしたトラブルが起きて、それを気に食わなかった首謀者がその『鉄道会社』に問い合わせて苦情をいれたのです。
その苦情がどういったものだったのか?また何が気に食わなかったのか?それはファミリーたちの一員である首謀者の『孫』にあたる人物が乗っていた『手車』が電車及び列車の扉に挟まってしまったからだそうです。
そこで対応することになったのが鉄道会社に勤めていた『E家』の『父親』だったのです。首謀者はそこでも高圧的な態度で『暴力団』の関係者であるとハッタリを言って脅しながら『いちゃもん』を付けました。
その時父親の対応が良く、人柄を気に入ったのか、首謀者は当初は威圧的な態度でいちゃもんを付けていましたが、徐々に彼の事を認めて褒めちぎったのです。
そしてファミリーたちの一員に
そこから少し父親も心を開いてしまったのか、段々と家庭同士で交流するようになっていき、半ば強制的に鉄道会社を辞めさせれるなどの状況に陥ってしまいました。
段々と支配されていってしまい、一つ同じ屋根の下で生活させられてついには『尼崎事件』の『ファミリー』の一員になってしまいました。
F家の母の死体遺棄事件
上記でどんなきっかけでどうやって『E家』とその血のつながりがある『F家』までもが巻き込まれていったかについて解説していきましたが、ちょうど首謀者の支配が迫っていくなかである事件が起きました。
それは2019年(令和元年)現在から8年前の平成23年に起きました。『F家』の『母親』が首謀者や『尼崎事件』のファミリーたちから迫害されてしまいました。
首謀者と関わる事やファミリーたちに加わるのを反対したからでしょうか。殴る蹴るの激しい暴力を受けて、また食事やトイレなどの生活の一部を禁じれてしまったのです。
またも人の命が奪われる
その行き過ぎた古い時代の『尋問』『監禁』のような所業によって最後には命が奪われてしまったのです。
そして卑劣な所業により亡骸になったF家の母親は、あの『女子高校コンクリート事件』とほぼ同じ条件で遺棄されてしまったのです。
明らかに人の命を奪う行為をしていると考えられますが、残念ながらそれを立証する証拠はなく、加害者である『尼崎事件』の首謀者や加担したファミリーたちを『殺人』の罪で罰せることは叶いませんでした。
F家の長女の逃亡成功で尼崎事件が発覚
精神を操られた首謀者の駒となった『尼崎事件』のファミリーたちによって監禁、尋問の様な所業を受けた母親が亡くなった後、次に迫害の対象に向けられたのは亡くなった母親の娘の1人である『長女』でした。
長女である彼女は自分の母親の死を間近に見ていて、またどんな所業が繰り広げられていたのか、よく分かっていたのでしょう。
『次は自分が』という迫りくる恐怖を感じて、最後には『死』が待っている拘束から必死に逃れようと抗ったのです。海外で起きた約24年間もの家族間での『監禁事件』に興味のある方はこちらをご覧ください。
ようやく尼崎事件が発覚・・・
他の亡き犠牲者、亡きファミリーたちがどんな仕打ちを受けていたか悟れるように、首謀者や加担するファミリーたちは彼女に対して何度も何度も『暴行』を加えたのです。
いわゆる『ヤキ』よ呼ばれる行為も平気で行われていたのです。何故こんな状況になってしまったのか?そんな疑問に駆られながら、ほぼ完全に『監禁状態』で囚われてしまったのです。
しかし一瞬の隙と限りなく小さな脱出口からそこから逃げ出すことに成功したのです。そして数日後に警察署に駆け寄って『尼崎事件』の全貌を語り、悍ましい輪廻に取りつかれた一家のことが明らかとなりました。
尼崎事件とはどんな事件なのか?
『尼崎事件』をクローズアップしていきましたが、ここまでだけでも非常にボリュームがある内容になってしまいました。恐らくはたいていのひとであればその多くを把握しきれていないはずです。
それは多くの家庭や登場人物が絡むいくつも事案、出来事が起きていているので、その全てを紹介するとなると膨大な情報量になってしまうからです。理由はそれだけではありません。
当事者たちは言ってしまえば私たちからしたら赤の他人でありますし、どんな容姿であるかも、どんな人物であるかも『リンク』していないので、誰が何をしたのかごっちゃになってしまうのは無理ないのです。
更に名前に関しては首謀者以外の人物に至っては、家族間での『呼び名』で呼び、AからFまでのアルファベットで判断しないといけないので、文章だけで内容を理解するのはほぼ不可能と言えるのです。
事件が世間に明るみになった当時のニュースや新聞の報道も同じように、できるだけ分かり易くまとめていたとしても、よほど知能指数が高い人間でなければ『尼崎事件』を理解して把握するのは困難でした。
ではどのようにすれば上手く簡潔に理解することができるのでしょうか?ある作品になぞらえて例えれば割かし理解できるらしいのです。ではその作品とは何なのでしょうか・・・?
尼崎事件はサザエさんに例えるとわかりやすい?
その作品とは日本人であれば世代に関係なく、ほぼ全員が認知しているであろう国民的漫画、アニメの巨頭である『サザエさん』だったのです。
日本で最も有名な家庭である『サザエさん一家』やその登場人物を当てはめることによって、不思議と親近感がわき理解しやすくなるのです。
下記に例えたらどんな出来事が起きてしまったのかを、登場人物たちの名前を借りて解説していきます。
サザエさん式で理解を深めよう
- ①首謀者は『サザエさん』
- ②サザエさんの息子である『タラ』の将来のお嫁さんである『リカ』の一族全体を洗脳してファミリーの一員に加えて、悍ましい所業(監禁・虐待)などを行って一族を崩壊させる。
- ③リカの実の『父親の兄弟』を迫害して、暴力、生活の一部を禁じて『死』に至らしめる。
- ④サザエさんに実の弟である『カツオ』の交際相手である『花澤』をも『死』に追いやる。
- ⑤サザエさんの実の妹である『ワカメ』の内縁関係にある『堀川』を旅行という名目、さらに表向きでは記念撮影時に『事故死』を装って『自害』させて保険金をだまし取る。
- ⑥堀川の『親』の兄弟たちがいなくなってしまう(行方不明)
- ⑦血のつながりもない、赤の他人にあたる『イササカ』『アナゴ』までもいちゃもんを付けて、自由や権利を奪いファミリーの一員に組み込む
- ⑧いろいろな人物たちがいなくなり、また命を落としていく。
- ⑨イササカの『母親』が行き過ぎた監禁、尋問により命が奪われる
- ⑩次のターゲットに選ばれた母親の実の娘である『長女』が逃げて、一連の事態が明るみなった。
尼崎事件の主犯・角田美代子の生い立ちは?
これまで数十年に渡ってファミリーたちを苦しめてきた輪廻がまとわりついた『尼崎事件』をつらつらとまとめていきました。
どのような手口、そしてどんな所業が繰り広げられていたのかなどはお話しさせていただきましたが、まだ気になる首謀者である『角田』がどんな人物であるか、詳しくは解説していません。
それでもきっと悍ましく卑劣な『独裁者』のような社会性に欠ける犯罪者であるということは、既に認識済みなのではないでしょうか?
どんな人物なのか?
首謀者の反社会的な人格を形成したのは、幼少期にさかのぼり両親や家庭の影響があったかもしれないと考えられているのです。
ではここからその首謀者がどのような人物であるか理解していただくためにも、生い立ちや過去の経歴などをピックアップして、噂されていることなどを詳しくご紹介していきます。
尼崎事件の主犯・角田美代子は裕福な父に育てられた
首謀者である彼女がまだ物心がついていない、幼気な少女のときに両親は行き違い『離婚』することになりました。彼女の教育や面倒をみることになったのは、裕福な財力を持っていた『父親』でした。
父親は現在で言うところのオーナーや店長の様な立ち位置であり、ペンキ屋のような仕事を経営していました。雇用者たちを低賃金で雇い、何割かの給料をせしめていて不法に収入を得ていたのです。
しかし雇用者たちを離れさせないように、つまりは辞めさせないように、燃料の代替になるような『飯や酒』を分け与えていて『飴と鞭』でずる賢く人を管理していたのです。
父親の影響を受け継いでしまった
そんな父親の様子を近くで、それも幼い時から見ていたので、それをそのままひしひしと受け継いでいったのです。
後に『尼崎事件』の首謀者となる彼女も同じように立場の弱い人間の心に付け入り、いともたやすく支配してみせたのです。そうそれが血のつながりもない、全く関係な人物であろうと。
考え方、やり方だけではなく威圧的な態度なども父親ゆずりかもしれません。劣悪な家庭環境、両親による虐待などは特になかったと考えられますが。
尼崎事件の主犯・角田美代子は2度の離婚を経験
実は『尼崎事件』の首謀者はこれまでに2回の『結婚』『離婚』をしていました。気になるのは何歳の時にしたのかなのですが、彼女はまだ10代のころに一回目の結婚をしています。
その後いつ離婚したのか、どのくらいの間内縁関係にあったのかは定かではありませんが、20代の事に2回目の結婚、すなわち再婚を果たしているのです。
恐らく2人目の結婚相手ともウマが合わなかったのか早期に離婚しています。
男女間の性格もやはり難があった
当時にしては相当なお金持ちの家庭で生活していたので、父親の影響も相まってかなりわがままな性格であったことが原因で離婚してしまったのではないかと考えれます。
そんな首謀者ですが子供を持った時には、母親らしく真っ当な愛情を注いで育児に取り組んだという女性らしい一面も見せたそうです。
尼崎事件の主犯・角田美代子は朝鮮人?
首謀者である彼女は、人の『マインド』『メンタル』を操作して、間違った考え方を吹き込んで、欲望のために多くの家庭を支配した人物であることをよく理解していただいているはずです。
彼女は弱い立場の人間をどう思い通りに操るか、すなわちどのようにして支配するかを実の父親から心得ており、さらに人を騙すような詐欺行為、嘘についても『得意分野』だったのです。
そこである一つの疑惑が生まれ、彼女はもともと『朝鮮人』であり日本国が管轄している役所や自治体までもを騙しこんで、戸籍自体を乗っ取り『日本人』に情報操作したのではないかと囁かれています。
尼崎事件の主犯・角田美代子への判決と事件後の様子
どこまでも闇が深い『尼崎事件』の長い輪廻が終わり、首謀者と精神を操られてしまい加担してしまったファミリーたち数名が検挙されたわけですが、その後はどのようにことが進んでいったのでしょうか?
ここにきてようやくですが、『尼崎事件』首謀者の裁判でどのような判決が下されたのか、また判決が言い渡された後どうなったのかを詳しくお話しさせていただきます。
尼崎事件の主犯・角田美代子は無期懲役判決
『尼崎事件』の首謀者である彼女に言い渡された判決は『無期懲役』でした。この結果は世論で賛否両論が巻き起こりました。
多くの人たちを古い過去の『独裁者』のように支配して、そのファミリーたち同士で『監禁』『暴行』などを行わせて数名の人間の命を奪っているわけです。なので罪の重さを考えれば『死刑』も相応しいはずです。
ですが死刑に値するには、長期に及んでいてその全貌を把握しきれていないため証拠などが不十分でした。またその当時は『裁判員制度』が導入されていたので、裁判には一般人が介入しておりました。
尼崎事件の主犯・角田美代子は留置所で自殺
2019年(令和元年)現在から7年前の平成24年の10月ごろに『尼崎事件』の首謀者である彼女が検挙されました。
その僅か2か月後に豚箱と呼ばれるような留置施設の中で『自害』したのです。それはまるで悍ましい輪廻に巻き込まれて監禁・暴行・制限を受けて命を落とした亡きファミリーたちを追うかのようでした。
角田美代子の自殺で尼崎事件は未解決事件へ
『尼崎事件』の全ての元凶と言っても過言ではない首謀者がこの世を去った今、私たち世間がその全貌を知ること、明らかにすることがほぼ不可能となってしまったのです。
本当の意味では解決しておらず迷宮入りしてしまったといってもいいのではないでしょうか。まだ当事者から語られていない『犠牲者』や『出来事』があるかもしれません・・・。
尼崎事件の主犯・角田美代子の親族は6名起訴
当然ながら『尼崎事件』の共謀者となってしまったファミリーたちもいます。彼らは多くの人物を卑劣な所業で『死』に追いやっているので、その罪は極めて重いと考えられました。
もちろん彼らも初めは首謀者の言いなりになり『駒』として利用されただけに過ぎないのかもしれませんが、それでも直接手を下してしまっているので『犯罪者』『殺人犯』になんら変わりないのです。
尼崎事件のその後は?黒幕がいた?
非常に驚かされる、全てがひっくり返ってしまうような噂があるのですが、実は首謀者として知られている『角田』という女性すらも何者かによって『ファミリー』と同じように操られていたというのです。
角田は操られていた?黒幕説が浮上
実は他人を支配する術や能力に長けていた首謀者やその父親の更に上をいく、カリスマ的存在の男がいたようで、その人物が更に『ノウハウ』などを受け継いでいたらしいのです。
そして首謀者自身もそのカリスマ的存在の男、つまりは真の『黒幕』に躍らせられていたというのです。もちろんこれは現在の段階では『事実無根』であり、あくまでも説の一つであります。
角田への恐怖を被害者が告白
『尼崎事件』のファミリーであったD家の『父親』は首謀者から逃れて生活していました。そんな父親が世間に明るみになったあとで首謀者がいかに恐ろしいか、また心情を『告白』しました。
水面下で首謀者やファミリーの卑劣な所業が行われていたさなか、実の娘である姉妹たち、そして母親が大きく巻き込まれてしまっている状況を、父親は少し離れた所で見守っていたようです。
母親と長女が『死』に追いやれてしまい、まだ若かった次女はどんどん『悪』にしまったことを大変悔やまれています。幸い『大罪人』として生還する事ができた次女のことは、現在も家族として見ているそうです。
「恐怖の館」が人手に渡る
『尼崎事件』の舞台。首謀者や支配されたファミリーたちが一つ同じ屋根の下で生活していた『マンション』の物件が、2019年(令和元年)現在から6年前の25年に人手に渡ったそうです。
人手に渡ったとはいっても当然ながら『不動産』が所有しているだけなので、恐らく現在も住居人が見つかっていないと考えられます。最高クラスの事故物件となってしまったので致し方無い状況と言えます。
尼崎事件の主犯・角田美代子の自殺の謎
さて前述にてさらっと解説した通り『尼崎事件』の首謀者である彼女は、無期懲役が言い渡されて『豚箱』と呼ばれるような留置施設に収容された後、自害してこの世を去ってしまいました。
一生囚われて自由がないのであれば死んだほうがまし。とでも考えたのでしょうか?しかし首謀者がこれまでに行ってきた凶行は、死に追いやるほどほどの懲役よりも酷い『監禁』をしているのです。
実はこの『死』にはいくつかの謎が付きまとうのです。こちらではその『謎』について解説していきます。
Tシャツでの自殺は可能なのか?
もともと刑務官にたいして『もう死にたい』と心境を漏らしていたようですが、首謀者はどこにでもあるような布の『Tシャツ』で自害したのです。しかし一部ではそんなものでは『死』には至らないのではないか?
と囁かれています。というのも刑務官たちが異変に気付いたときもすぐにその『袖』は亡骸となった首謀者の首がからすっとほどけていったそうです。
また気を失うくらいまでは可能ですが、最期までつまりは『絶命』するまで継続的に力を維持して自身で首を締め上げるのは不可能なのではないかと考えられているのです。であればどうやって自害したのでしょう?
尼崎事件の主犯・角田美代子の自殺の動機は?
またなぜ自害したのかもはっきりとは分かっていないのです。こればっかりは難解すぎる『尼崎事件』の全貌と同じで首謀者しか分かっていません。
『死にたい』と口にしてたという証言は『警察』によるものであり、もし自害を懸念しているのであれば綱やロープの代わりになる物を近づけるのお甚だおかしいのです。
もしかしたら首謀者が一度『保険金詐欺』で行ったように、自害に見せ変えて何者かが『死』に追いや矢っと可能性も考えらえなくはないでしょう。
同房者の証言「図太いオバちゃん」
いわゆる『豚箱』と呼ばれるような留置施設に収容されたときは、一室に1人ではなく『独房』には複数の他人も居合わせて生活していたのです。
首謀者と短い間生活を共にした人物の話によれば、首謀者は大方のイメージ通りで肝っ玉がすわっていてどこかふてぶてしい『おばちゃん』だったそうです。
尼崎事件に関する書籍
実は今回記事でクローズアップしている難解で複雑な事件を取り扱っている書籍があるのです。一冊の本でつらつらと読んでいただくのも、全貌や詳細を読み取る方法の一つかもしれません。
家族喰い――尼崎連続変死事件の真相
実際に舞台となった土地まで足を運ぶだけではなく、1人のジャーナリストが独自の調査を長期にわたって行うためにもそこに暫く『滞在』して聞き込みを行いました。
そうして手に入れた新たな情報や当事者しか知りえないであろう背景などがこの一冊にまとまっているのです。『ノンフィクション作品』でありながらハラハラドキドキさせられます。
モンスター 尼崎連続殺人事件の真実
どのようにしてどこにでもいるような『5つの家庭』を操って支配下にあるファミリーたちに加えさせたのか、どこのマスメディアも記事も抽象的な表現でしたか語られることはありません。
しかしこの作品ではそういった犯行内容や非人道的な所業などがより詳細に描かれており、その悍ましさや苦しすぎる状況がよりリアルにひしひしと伝わってくる作品です。興味がある方は是非読んでみてください。
尼崎事件に類似しているやばい事件
今回の記事でクローズアップしている『尼崎事件』は色々な家庭が関わり、その家族間で卑劣な凶行や所業を繰り返して、多くの人間の命が奪われていきました。
実は日本では同じように何年もの間、家族間で卑劣な凶行や所業を繰り返して、多くの人間の命が奪われた『やばい事件』が起きていたのです。
しかも今回のケースのように首謀者が他の家族たちを『暴力』『威圧』などで精神や考え方を支配して、家族同士で残虐な行為を行わせるという卑劣な所業が、事態が明るみになるまで行われていたのです。
北九州監禁殺人事件
全ての始まりは2019年(令和元年)現在から23年前の平成8年の事でした。そこから人間の心の隙間に付け込み、弱みを握ったり同じ立場同士で『敵視』させて焦点をずらしたりするなどしたのです。
あらゆる卑劣な手を使って家族たちを完全に支配して、多くの犠牲者を生んだ主犯格は現在『死刑囚』として収容されていました。
非常に『胸糞悪い』ことで知られており、当事者たちが状況に応じて痛ましい『被害者』にも凶悪で残虐な『加害者』になるのですが、これも全ては主犯格が仕向けたものなのです。
尼崎事件は全貌を把握しきれない大きな事件
今回の記事でクローズアップした極めて難解な『尼崎事件』では、本来は血のつながりもない全く関係ない家庭までもが巻き込まれていき、長い年月の間でその輪廻が繰り広げられ、多くの犠牲者を生みました。
首謀者である『角田美代子』により多くの家庭、人間たちが言いなりとなった奴隷のように扱われて、被害者間でも特定の人物が迫害されて『監禁』『虐待』『制限』など悍ましい所業により命が奪われたのです。
事案、出来事、登場人物などが多すぎて、更に『尼崎事件』の全てを知っているであろう角田が自殺してしまったので、幸いにも『当事者』ではない私たち世間が『全貌』を把握しきることはまず不可能なのです。