尼崎事件の真相とその後は?角田美代子の生い立ちや裁判、自殺の理由は?

それは関係している人物や家庭が多すぎるからであり、一人一人の首謀者との関係性の『呼び名』が把握しきれないためなのです。

こちらでは次に一体どんな家庭が奴隷の様な『ファミリー』として巻き込まれていったのかお話ししていきますが、この記事ではその家族たちをアルファベットで『A家』から『F家』と表現させていただきます。

A家では母一人・子供三人が角田美代子と同居していた

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『尼崎事件』に登場する『A家』は事件上初めに首謀者が生活を共にした家庭の事であります。

2019年(令和元年)現在ではその家庭の全ての人間がこの世を他界していると考えられています。簡単に家族構成について解説します。

『母親』は現在から90年ほど前の昭和2年から3年に誕生して、一番上の『長男』は60年ほど前の昭和28年から29年に誕生して、『次男』は同じく60年ほど前の昭和33年に誕生しています。

B家は遠縁である角田美代子に難癖をつけられた

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『尼崎事件』に登場する『B家』は2019年(令和元年)現在から21年前の平成10年に、遠い親戚関係にある首謀者にある出来事の際に『いちゃもん』『文句』を言われました。

その出来事とはその『B家』の親戚にあたる人物が亡くなった際の『葬式』であります。奇しくもこの家庭もすべての人間がこの世を他界していると考えられています。

家族構成について解説します。『母親』は現在から90年ほど前の大正14年に誕生していて、その母親から見て息子の息子、つまりは『孫』が現在から40年ほど前の昭和49年から50年に誕生しています。

C家は角田美代子の内縁の夫と関わりがあった

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『尼崎事件』に登場する『C家』は首謀者と全く血のつながりはありません。ではなぜ関わっていくことになってしまったのでしょうか?

それは首謀者の旦那とこの家族の『長男』が中学生時代の友人であり学友であったためなのです。そんなちょっとした繋がりから大きく事件に巻き込まれていくことになっていくのです。簡潔に家族構成をまとめます。

『母親』は2019年(令和元年)現在から約90年ほど前の大正13年に誕生して、息子の一人である『次男』は昭和23年から24年に、同じく息子の『長男』(学友)は昭和17年から18年に誕生しています。

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また母親からみて『孫』にあたる人物は現在から40年ほど前の昭和55年に誕生しています。更に母親から見て娘である『次女』は現在から70年ほど前の昭和27年から28年に誕生しています。

ここまで各アルファベットの家庭の『家族構成』やその『誕生日』についてつらつらと記述していますが。非常にややこしいので覚えたり把握しなくても結構です。

あくまでも、それだけの多くの人物が『尼崎事件』そして首謀者に巻き込まれてしまったというポイントを押さえていただきたいのです。下記の家庭の家族構成に至って同様のことが言えますので予めご了承ください。

D家はC家と親戚関係だった

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『尼崎事件』に登場する『D家』に至っても全く血のつながりがない家庭でした。

前述した首謀者の旦那と中学生時代の学友、友達関係であった『長男』から関わりをもって『ファミリー』になった『C家』とこの家庭が血のつながった『親戚』関係にあったのです。

そんなよく分からない連鎖で何故か繋がりをもっていくことになっていくのです。家族構成について簡単にご紹介します。

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『母親』は2019年(令和元年)現在から70年ほど前の昭和24から25年に誕生して、その母親の娘の一人である『次女』は昭和60年に誕生、同じく娘の一人である『長女』はその3年前の昭和57年に誕生しています。

『血縁上』では全く繋がりが無く、首謀者とはかなり遠い離れた存在なのですが、この家庭の人間は非常に深く首謀者と『尼崎事件』に関わっていくことになるのです。

実はこの家庭には『尼崎事件』の首謀者とともに『サポート役』として一緒に共謀したといっても過言ではないキーパーソンがいます。そのキーパーソンはこの家庭の『次女』でした。(後述にて詳細を解説)

E家は角田美代子のクレーム対応をしてしまったのがキッカケ

『尼崎事件』に登場する『E家』この家庭も本来であれば血のつながりもありませんし、ほぼ全く関係していなかったのです。ある偶然の出来事によって関わりを持つようになっていしまったのです。

その偶然の出来事とは、現在から10年前の平成21年に首謀者が電車や列車を利用した際にその『鉄道会社』にいちゃもんを付けたことでした。そこで対応したのがこの家庭の『父親』だったのです。

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父親は2019年(令和元年)現在からちょうど50年前の昭和44年に誕生していて、後に首謀者によって精神をコントロールされ、悪の所業に加担してしまうことになるのです。

また父親の内縁の関係にあった妻も同じ昭和44年に誕生していています。

F家はE家と親戚関係

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『尼崎事件』に登場する『F家』この家庭はCとDの関係と同じように『E家』と血のつながりがある『親戚関係』にあったのです。

そんな連鎖現象のようにして巻き込まていってしまうのです。そして実はこの家庭のある人物なくして薄気味悪い『尼崎事件』が世間に明るみになる事は無かったのです。

『母親』は2019年(令和元年)現在から70年ほど前の昭和19年から20年、つまり第二次世界大戦中に誕生しています。その母親の娘である『長女』は現在から50年ほど前の昭和43年に誕生しています。

尼崎事件の概要①A家をめぐる事件

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ここから仮にアルファベットで分けさせていただいた家庭が関与している一つ一つの『出来事』及び『事件』をご紹介していきます。

その事件の数も非常に多くごっちゃになってしまうので、内容も主要部分を捉えて把握していただけたら良いのではないでしょうか。

まずは『尼崎事件』のすべての始まりともいえる『A家』をめぐるエピソードの数々を解説していきます。先ほどもお話しした通りこの家庭の人間は全て首謀者によって亡くなっています。

A家の母の失踪事件

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2019年(令和元年)現在から32年前の昭和62年にこの家庭の母親が突如としていなくなってしまいました。いなくなってから約7年後に当時60代半ばにして亡くなったという『記録』が残されました。

しかし奇妙で悍ましい『尼崎事件』が明るみになった後、奴隷同然の『ファミリー』たちの口から衝撃の事実が語られたのです。

その事実とはいなくなったその年に実はファミリーたちからの行き過ぎた暴力、虐待行為によって命を落としているのです。そしてその亡骸を地元近くの『海域』に遺棄していたらしいのです。

現在は・・・?

この事実を知った警察はその場所を必死に捜索しましたが2019年(令和元年)現在もいまだに、その亡骸が発見されていないそうです。

ファミリーたちの話が本当であれば、1人の家族がいなくなってしまった『失踪事件』だったと思えば、実は家族ぐるみの『殺人事件』であったわけですが、残念ながら『時効』を迎えてしまっています。

A家の長男の保険金詐欺事件

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2019年(令和元年)現在から14年前の平成17年に首謀者と共に『尼崎事件』のファミリーたちは日本の最南端にある『沖縄県』に旅行に来ていました。

勘が鋭い方でしたらお気づきでしょうが『旅行』というのはあくまでも名目であり、本来はある卑劣な目的を果たすためにこの地を訪れていたのです。

テレビの刑事ドラマなどによく出てきそうな海と崖をバックにした景色、いわゆる『断崖絶壁』と呼ばれるような地が沖縄県に存在していていました。

死に追いやる卑劣な行為

それは『まんざもう』と呼ばれる芸術及び観賞価値が高い場所であり、そこに足を運んで思い出作りに『記念撮影』をしたのですが、もちろんそれもあくまで名目だったのです。

その際に誤って足を滑らせて崖から転落してこの家庭の『長男』が『事故死』したのが表向きな記録でしたが、実際は首謀者により『心中』するように仕向けられたのです。

実は長男に保険金が掛かっていたのです。もうお分かりですね首謀者はお金を手に入れるためにファミリーの一人であるこの家庭の長男を死に追いやり、保険金を『詐欺行為』でだまし取ったのがこの事件です。

狂気に満ちたお別れ会

事故死に見せかけて、脅迫して死に追いやったその日の前日には『尼崎事件』のファミリー一同で、明くる日にはこの世を他界するであろう『長男』の狂気に満ちた『お別れ会』まで開いているのです。

もう一度思い返してほしいのですが、『尼崎事件』は1日や1か月、1年単位のものではなく数十年に渡りいくつもの事件が起きているのです。

果てしない年月もの間、悍ましく狂気に満ちた輪廻に囚われ続けながら首謀者やファミリーたちはどのように生活していたのでしょうか?またどんな心理状態にあったのでしょうか?到底理解しがたいです。

A家の次男死体遺棄事件

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2019年(令和元年)現在から8年前の平成23年にこの家庭の『次男』が、一つ同じ屋根の下で生活していた他の『尼崎事件』の『ファミリー』たちと何らかの原因を巡って口論になって『トラブル』を起こしました。

それがよほど気に食わなく逆鱗に触れたのか、首謀者及び他のファミリー数人で次男のことを殴る蹴るなどして『リンチ』まがいな暴力を浴びせました。

さらに自宅に備わっていた小さな物置の様な『小屋』に数日間監禁して、生命維持に必要な食料や飲料を一切分け与えず、最期には死に追いやったのです。

その後・・・

彼らの悪事はそれだけではとどまりませんでした。首謀者と『尼崎事件』のファミリーたちの数人はその亡骸を『ドラム缶』に詰めて、容赦なく生コンやモルタル、セメントの様なものを流し込んで固めたのです。

そうして出来上がった重量ある怨念漂いそうなドラム缶を、日本の中国地方に位置する『岡山県』の海域にて放棄しているのです。

そうそれはまるで過去に起きてしまった悲劇。足立区、三郷市で発生した有名な『女子高校コンクリート事件』のような遺棄方法でした。そのドラム缶と次男の亡骸は平成24年に発見されました。

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