尼崎事件とは?
皆さんにも家族という存在がいらっしゃるはずです。限りなく身近な存在である両親や兄弟、祖父母などを総称して『親戚』と呼びます。中にはその親戚だけでも大家族と呼べるくらいの人間がいるかもしれません。
更に従妹や叔父など血縁関係にある存在を『親族』と呼びます。親族まで含めたらもっと大人数になってくるでしょう。きっと全ての関係や『呼び名』を把握しきるのは困難なのではないでしょうか?
今回の記事でご紹介する『尼崎事件』はそれこそ多くの人物、ファミリーが登場してニュースの報道だけでは把握しきれないほど難解で複雑なものなのです。難解にしている理由はそれだけではありません。
さらに難解で複雑にしているのは『尼崎事件』は細かな出来事や事案などを大きく分けただけでも『3つ』の家庭(家族)を『割拠』した事件になるのです。
しかもその真実、その全貌を唯一知っているであろう『元凶』及び『首謀者』は私たちにすべてを語る前に自らの手で命を絶っているのです。つまりはどうあがいてもすべてを知ることはできないのです。
少しでも端折って説明すると恐らく『なんのこっちゃわからない』状態に陥ってしまうはずでしょう。なるべく分かり易く簡潔に皆さんに解説していきますので、ぜひ少しでも『尼崎事件』を知ってみてください。
尼崎事件の主犯は角田美代子!そのマインドコントロールの手口は?
『尼崎事件』の元凶であり首謀者である人物は『女性』だったのです。首謀者は自分の欲望を満たすためであったり、お金を儲けるためであれば手段を厭わない人物であり、人格が非常に歪んでいる人物です。
首謀者は自分の金銭欲な欲求を満たすために、血のつながりがない『家庭』とコンタクトして半ば無理やり『ファミリー』に吸収していき、その表面上のファミリーを利用して『金』を生み出していったのです。
ではどのような手口で、どのような手段で金を生み出していったのでしょうか?またどうやって血のつながりがない『家庭』を自らの手中に収める『ファミリー』に取り込んでいったのでしょうか?
非常に気になる所ではありますが一言で説明するならば『マインドコントロール』現代で言うならば『メンタリズム』とでも言うのでしょうか?
とはいえ皆さんが想像するような人々を楽しませたり幸せにするものとは大きく異なります。弱みを握って心を縛り、言葉巧みに弱者を操る。強いて言えば独裁者のような『悪』の芸当にすぎないのです。
その芸当を理解することがぼんやりしすぎている『尼崎事件』を読み取ることに繋がるかもしれません。こちらの見出しではまずはどのような手口、手段が用いられていたか分かり易く解説していきます。
角田美代子の手口①ターゲットに難癖をつける
まず首謀者は『尼崎事件』計画の始まりである準備段階として、金になりそうな『家庭』に標準を合わせます。そうして徐に近づいてコンタクトを図るのです。
始めはもしかしたらある程度の関係を築くためにも『いい人』を演じて、猫をかぶっているかもしれません。そうしてある程度の関係になった『家庭』に次のステップを繰り出すのです。
そのステップとは相手の心の弱みを握るために『いちゃもん』や『難癖』を付けるのです。
どんな物言いだったかは分かりませんが、きっと権幕でまくし立てて相手を怒鳴り散らしたり、泣きべそかきながら相手に言い寄ったのではないでしょうか。
そうして相手の弱みを握るために『罪悪感』罪の意識、悪いことをしたという気持ちにさせて、一方的な立場を築くのです。
そうして首謀者の言われるがままに金を生み出すため、欲望の捌け口の『ファミリー』の一員となってしまい『絶対服従』させられてしまうのです。
角田美代子の手口②仕事の退職金・賃金を奪う
後程解説していきますが『尼崎事件』に登場するファミリーたちはあまりに多いです。首謀者はそのファミリーたちのすべての『実権』や『人権』を握っていたといっても過言ではないでしょう。
まず手始めに金を稼ぐためにも、自分の権限でファミリーたちが汗水たらして働いて稼いできた給料を『賃金』という名目でせしめるのです。金を稼ぐための手段や手口はそれだけではありません。
更に半ば強制的にファミリーたちの職を奪って、会社、仕事を辞めさせて発生した『退職金』をもせしめたのです。なぜこうも言われるがままなのだろう?そんな疑問が付きまとうのは無理ありません。
そうして大量の資金をファミリーたちから吸収していくやり口は、古い過去に生きたかつての権力者のような手段であり現代においては『モラル』に欠け、社会性の欠片もないと言えます。
どうしてそんな時代遅れの奴隷、支配者の関係性が成り立ってしまったのでしょうか?恐らく首謀者は他人の心の弱みを握る『天才』だったのかもしれません。
お金を奪うというのはまだ悍ましい『支配』のほんの一部に過ぎないのです。これからさらに卑劣な手口でファミリーたちを自らの汚い『欲』を満たす道具として奴隷同然の扱いをするのです。
角田美代子の手口③マンションに被害者を監禁
『尼崎事件』の首謀者はさらに奴隷の様なファミリーたちを一つ同じ屋根の下であるマンションに『監禁』したのです。
現代においてそのような真似が許されずありませんし、通報したり訴えたりすればまず刑罰に処されることになるでしょう。そのような知識は生きていれば1つの公平な手段として思いつくはずです。
しがし被害者同然、奴隷同然のファミリーたちは何もアクションを起こさなかったのでしょう。それが何故だかわかりますか?
到底理解しがたいことでしょうが、ファミリーたちは既に『メンタル』や『マインド』を首謀者に操られていたのです。きっと通報や訴えたりしたら『反逆行為』にあたり自分が罰せられる。
そんな誤った勘違いを起こしていたかもしれません。欲求を満たすため、面白半分で弄ぶように人の命を奪う『殺人鬼』も反吐が出るほど許し難く、人の風上に置けない輩であります。
この『尼崎事件』の首謀者がした弱者の心を操って自らの醜い欲望のために、ファミリーたちを奴隷同然に扱う所業もまた反吐が出る行為であり、現代社会を生きる同じ人として日本人として大変許しがたいのです。
角田美代子の手口④乗っ取った家族同士で虐待を強要
『尼崎事件』の卑劣な首謀者は更に奴隷同然のファミリーたちに血も涙もない命令を下したのです。それは弱い立場にあるファミリーたち同士で『虐待』を強要するというものでした。
その虐待がどういったものであるか説明していきます。まずは一番分かり易い『暴力』です。暴力は殴る蹴るなどの身体的苦痛を味わせるもの、また誹謗中傷、脅し、威圧的な態度であったり『言葉』も含まれます。
さらに人間が生きるために必要な生活の一環を『禁じ』て制限したのです。では何を禁じたのでしょうか?
それは生きるために必要な栄養を摂取するための『食事』です。人は動物ですから食事をしなければいつかは絶命してしまいます。また飢餓してしまったり、ひもじい辛いを思いをすることになるのです。
また『尼崎事件』の首謀者の命令で、食事をした後に必然的にしなくてはならない『トイレ』を禁じました。少しの我慢でも辛く耐えがたいのですが極限まで我慢させたのです。健康状態にも害を与えかねません。
悲しいことにそれらは首謀者の口からではなく、上からの伝達の様にファミリーたちの間で行われていたのです。こうして『奴隷』であると自覚してしまうような心理状態に追いやられていったのです。
角田美代子の手口⑤血縁関係のない人に共同生活を強要
一つ同じ屋根の下のマンションで『共同生活』を強要したファミリーたちの中には、まったく血のつながりのない、つまりは『親戚』『親族』でもない人たちも混じっていたのです。
つまり難解で複雑すぎる『尼崎事件』は関係がない人たちまで巻き込んで、ほぼ全員が何らかの形で首謀者に服従して奴隷同然の生活をさせられていたのです。
分かっているだけでも『6つ』の家族たちが巻き込まれていくので、本当は更に多くの人たちが犠牲となってしまったかもしれません。
ここまで分かり易くお伝えするためにもかなり抽象的な表現で解説させていただきましたが、後述にてより詳しく一つ一つを解説していきます。
これまでの内容でなぜ現代においてそのようなやり口の『犯罪』が成立したのか?疑問に思うはずです。実はこの『尼崎事件』の始まりは2019年(令和元年)現在から32年前まで遡り昭和62年だったのです。
そして世間や警察に明るみになったのは7年前の平成24年の事だったのです。つまりは約20年以上もの間ファミリーたちは奴隷で地獄の様な生活を強いられ続けてきたわけです。
尼崎事件の被害にあった家
ここまでざっとお話しさせていただきましたが、何度も言うように今回の記事でクローズアップする『尼崎事件』はあまりに複雑であり難解なのです。
それは関係している人物や家庭が多すぎるからであり、一人一人の首謀者との関係性の『呼び名』が把握しきれないためなのです。
こちらでは次に一体どんな家庭が奴隷の様な『ファミリー』として巻き込まれていったのかお話ししていきますが、この記事ではその家族たちをアルファベットで『A家』から『F家』と表現させていただきます。
A家では母一人・子供三人が角田美代子と同居していた
『尼崎事件』に登場する『A家』は事件上初めに首謀者が生活を共にした家庭の事であります。
2019年(令和元年)現在ではその家庭の全ての人間がこの世を他界していると考えられています。簡単に家族構成について解説します。
『母親』は現在から90年ほど前の昭和2年から3年に誕生して、一番上の『長男』は60年ほど前の昭和28年から29年に誕生して、『次男』は同じく60年ほど前の昭和33年に誕生しています。
B家は遠縁である角田美代子に難癖をつけられた
『尼崎事件』に登場する『B家』は2019年(令和元年)現在から21年前の平成10年に、遠い親戚関係にある首謀者にある出来事の際に『いちゃもん』『文句』を言われました。
その出来事とはその『B家』の親戚にあたる人物が亡くなった際の『葬式』であります。奇しくもこの家庭もすべての人間がこの世を他界していると考えられています。
家族構成について解説します。『母親』は現在から90年ほど前の大正14年に誕生していて、その母親から見て息子の息子、つまりは『孫』が現在から40年ほど前の昭和49年から50年に誕生しています。
C家は角田美代子の内縁の夫と関わりがあった
『尼崎事件』に登場する『C家』は首謀者と全く血のつながりはありません。ではなぜ関わっていくことになってしまったのでしょうか?
それは首謀者の旦那とこの家族の『長男』が中学生時代の友人であり学友であったためなのです。そんなちょっとした繋がりから大きく事件に巻き込まれていくことになっていくのです。簡潔に家族構成をまとめます。
『母親』は2019年(令和元年)現在から約90年ほど前の大正13年に誕生して、息子の一人である『次男』は昭和23年から24年に、同じく息子の『長男』(学友)は昭和17年から18年に誕生しています。
また母親からみて『孫』にあたる人物は現在から40年ほど前の昭和55年に誕生しています。更に母親から見て娘である『次女』は現在から70年ほど前の昭和27年から28年に誕生しています。
ここまで各アルファベットの家庭の『家族構成』やその『誕生日』についてつらつらと記述していますが。非常にややこしいので覚えたり把握しなくても結構です。
あくまでも、それだけの多くの人物が『尼崎事件』そして首謀者に巻き込まれてしまったというポイントを押さえていただきたいのです。下記の家庭の家族構成に至って同様のことが言えますので予めご了承ください。
D家はC家と親戚関係だった
『尼崎事件』に登場する『D家』に至っても全く血のつながりがない家庭でした。
前述した首謀者の旦那と中学生時代の学友、友達関係であった『長男』から関わりをもって『ファミリー』になった『C家』とこの家庭が血のつながった『親戚』関係にあったのです。
そんなよく分からない連鎖で何故か繋がりをもっていくことになっていくのです。家族構成について簡単にご紹介します。
『母親』は2019年(令和元年)現在から70年ほど前の昭和24から25年に誕生して、その母親の娘の一人である『次女』は昭和60年に誕生、同じく娘の一人である『長女』はその3年前の昭和57年に誕生しています。
『血縁上』では全く繋がりが無く、首謀者とはかなり遠い離れた存在なのですが、この家庭の人間は非常に深く首謀者と『尼崎事件』に関わっていくことになるのです。
実はこの家庭には『尼崎事件』の首謀者とともに『サポート役』として一緒に共謀したといっても過言ではないキーパーソンがいます。そのキーパーソンはこの家庭の『次女』でした。(後述にて詳細を解説)
E家は角田美代子のクレーム対応をしてしまったのがキッカケ
『尼崎事件』に登場する『E家』この家庭も本来であれば血のつながりもありませんし、ほぼ全く関係していなかったのです。ある偶然の出来事によって関わりを持つようになっていしまったのです。
その偶然の出来事とは、現在から10年前の平成21年に首謀者が電車や列車を利用した際にその『鉄道会社』にいちゃもんを付けたことでした。そこで対応したのがこの家庭の『父親』だったのです。
父親は2019年(令和元年)現在からちょうど50年前の昭和44年に誕生していて、後に首謀者によって精神をコントロールされ、悪の所業に加担してしまうことになるのです。
また父親の内縁の関係にあった妻も同じ昭和44年に誕生していています。
F家はE家と親戚関係
『尼崎事件』に登場する『F家』この家庭はCとDの関係と同じように『E家』と血のつながりがある『親戚関係』にあったのです。
そんな連鎖現象のようにして巻き込まていってしまうのです。そして実はこの家庭のある人物なくして薄気味悪い『尼崎事件』が世間に明るみになる事は無かったのです。
『母親』は2019年(令和元年)現在から70年ほど前の昭和19年から20年、つまり第二次世界大戦中に誕生しています。その母親の娘である『長女』は現在から50年ほど前の昭和43年に誕生しています。
尼崎事件の概要①A家をめぐる事件
ここから仮にアルファベットで分けさせていただいた家庭が関与している一つ一つの『出来事』及び『事件』をご紹介していきます。
その事件の数も非常に多くごっちゃになってしまうので、内容も主要部分を捉えて把握していただけたら良いのではないでしょうか。
まずは『尼崎事件』のすべての始まりともいえる『A家』をめぐるエピソードの数々を解説していきます。先ほどもお話しした通りこの家庭の人間は全て首謀者によって亡くなっています。
A家の母の失踪事件
2019年(令和元年)現在から32年前の昭和62年にこの家庭の母親が突如としていなくなってしまいました。いなくなってから約7年後に当時60代半ばにして亡くなったという『記録』が残されました。
しかし奇妙で悍ましい『尼崎事件』が明るみになった後、奴隷同然の『ファミリー』たちの口から衝撃の事実が語られたのです。
その事実とはいなくなったその年に実はファミリーたちからの行き過ぎた暴力、虐待行為によって命を落としているのです。そしてその亡骸を地元近くの『海域』に遺棄していたらしいのです。
現在は・・・?
この事実を知った警察はその場所を必死に捜索しましたが2019年(令和元年)現在もいまだに、その亡骸が発見されていないそうです。
ファミリーたちの話が本当であれば、1人の家族がいなくなってしまった『失踪事件』だったと思えば、実は家族ぐるみの『殺人事件』であったわけですが、残念ながら『時効』を迎えてしまっています。
A家の長男の保険金詐欺事件
2019年(令和元年)現在から14年前の平成17年に首謀者と共に『尼崎事件』のファミリーたちは日本の最南端にある『沖縄県』に旅行に来ていました。
勘が鋭い方でしたらお気づきでしょうが『旅行』というのはあくまでも名目であり、本来はある卑劣な目的を果たすためにこの地を訪れていたのです。
テレビの刑事ドラマなどによく出てきそうな海と崖をバックにした景色、いわゆる『断崖絶壁』と呼ばれるような地が沖縄県に存在していていました。
死に追いやる卑劣な行為
それは『まんざもう』と呼ばれる芸術及び観賞価値が高い場所であり、そこに足を運んで思い出作りに『記念撮影』をしたのですが、もちろんそれもあくまで名目だったのです。
その際に誤って足を滑らせて崖から転落してこの家庭の『長男』が『事故死』したのが表向きな記録でしたが、実際は首謀者により『心中』するように仕向けられたのです。
実は長男に保険金が掛かっていたのです。もうお分かりですね首謀者はお金を手に入れるためにファミリーの一人であるこの家庭の長男を死に追いやり、保険金を『詐欺行為』でだまし取ったのがこの事件です。
狂気に満ちたお別れ会
事故死に見せかけて、脅迫して死に追いやったその日の前日には『尼崎事件』のファミリー一同で、明くる日にはこの世を他界するであろう『長男』の狂気に満ちた『お別れ会』まで開いているのです。
もう一度思い返してほしいのですが、『尼崎事件』は1日や1か月、1年単位のものではなく数十年に渡りいくつもの事件が起きているのです。
果てしない年月もの間、悍ましく狂気に満ちた輪廻に囚われ続けながら首謀者やファミリーたちはどのように生活していたのでしょうか?またどんな心理状態にあったのでしょうか?到底理解しがたいです。
A家の次男死体遺棄事件
2019年(令和元年)現在から8年前の平成23年にこの家庭の『次男』が、一つ同じ屋根の下で生活していた他の『尼崎事件』の『ファミリー』たちと何らかの原因を巡って口論になって『トラブル』を起こしました。
それがよほど気に食わなく逆鱗に触れたのか、首謀者及び他のファミリー数人で次男のことを殴る蹴るなどして『リンチ』まがいな暴力を浴びせました。
さらに自宅に備わっていた小さな物置の様な『小屋』に数日間監禁して、生命維持に必要な食料や飲料を一切分け与えず、最期には死に追いやったのです。
その後・・・
彼らの悪事はそれだけではとどまりませんでした。首謀者と『尼崎事件』のファミリーたちの数人はその亡骸を『ドラム缶』に詰めて、容赦なく生コンやモルタル、セメントの様なものを流し込んで固めたのです。
そうして出来上がった重量ある怨念漂いそうなドラム缶を、日本の中国地方に位置する『岡山県』の海域にて放棄しているのです。
そうそれはまるで過去に起きてしまった悲劇。足立区、三郷市で発生した有名な『女子高校コンクリート事件』のような遺棄方法でした。そのドラム缶と次男の亡骸は平成24年に発見されました。
尼崎事件の概要②B家をめぐる事件
先ほど一つの家庭である『尼崎事件』の『A家』が関与している出来事や事件についてまとめていきましたが、どの概要も非常に悍ましく汚いやり口であったことがよく分かっていただけたはずです。
しかし先ほどお話しした内容はまだほんの一部でしかないのです。次に解説していくのは『尼崎事件』の『B家』が関与している出来事や事件です。
前述した通りですがこの家庭は、首謀者とは遠い親戚にあたり、母親の実の姉が亡くなりその『葬儀』でのいちゃもんや文句がきっかけとなって、ファミリーの一員となり深く関わってしまったのです。
長男(首謀者の義理兄)
また難解でややこしい『尼崎事件』においては、いなくなってしまった人物。他界してしまった人物。命を落としてしまった人物のほとんどは首謀者の計画によるもので『事件性』があります。(供述で判明)
しかしこの家庭の『長男』言い換えれば首謀者の『義理兄』にあたる人物は、2019年(令和元年)現在から19年前の平成12年に突如いなくなってしまっていますが、首謀者の計画ではなく事件性はないそうです。
つまり狂気に満ちた頭がおかしくなるような輪廻に取りつかれた生活、ファミリーと首謀者に嫌気がさして自ら行方をくらました可能性が高いと考えられます。
B家の母の不審死事件
2019年現在からちょうど20年前の平成11年にこの家庭の母親が亡くなってしまっています。調べによれば首謀者の計画であったり、仕向けられた『死』ではないそうです。
しかしながら、生きていて『尼崎事件』のファミリーたちと生活していた頃には、他の人物から殴る蹴るなどの激しい暴力を受けていたり、満足な飲食をさせてもらえなかった。
などの卑劣な虐待を受けていた状態であったことが語られており、もしかするとその影響で命を落としてしまったことも十分に考えられます。
警察も捜査
勿論警察もその線を考慮して彼の死について徹底的に操作しましたが、やはり首謀者やファミリーたちは直接関与していなかったようで『裁判沙汰』にはなっていないようです。
B家の母の長男転落事件
上記のこの家庭の母親が亡くなった事件と同年である『平成11年』に起きています。この家庭の『長男』までもがこの年に命を落としてしまったのです。
そのとき長男は完全な自由を奪われてはいなかったものの『外出禁止』や他人との接触を禁じられていたようで、そんな状況の中で彼は1人『心中』してこの世を去ってしまいました。
悍ましい輪廻が続いたファミリーたちが生活していた一つ同じ屋根の下の『マンション』のバルコニーから、身を投じて心中しました。
長男の死も事件性はない?
精神的も肉体的にも追い込まれての心中だと考えられますが、こちらの事件もどうやら首謀者や『尼崎事件』のファミリーの直接的な影響ではなかったのは『裁判』の大正ではありませんでした。
尼崎事件の概要③C・D家をめぐる事件
次に解説するのは『尼崎事件』の『C家』『D家』が関与している出来事や事件です。先ほど解説した通りですが首謀者の旦那の中学生時代の『学友』『友達』だったのがC家の『父親』でした。
つまり地は繋がっておらず他人同然なのですが、心と行動を支配されてしまうファミリーたちに加えられてしまうのです。そしてCと血のつながりがあったDまでもが巻き込まれてしまうのです。
この2つの家庭には、首謀者の人間の心の弱さに付け込んで支配するという『精神操作』が顕著に及んでしまったのです。その結果により家庭間で命を奪ってしまう事態にまで発展してしまいました。
2つの家庭が関与している出来事、事件が多く7つもあります。できるだけ分かり易く簡単にその概要を解説していきます。
どちらかというと首謀者の旦那の友人関係にあった『C家』の方がまだD家よりも繋がりがあると考えられますが、ほとんど繋がりのない『D家』のほうが事件の数が多くより巻き込まれていくのです。
C家の母の死体遺棄事件
2019年現在から16年前の平成15年に発生しています。まだその当時はD家は『尼崎事件』のファミリーに加わるか加わっていない時でした。
C家の『母親』は首謀者やファミリーたちによっていじめを受けるように、何度も痛ましい暴力を受け続けて、またろくな食料や飲料を与えずに肉体的にも追い込んで、最期には命を奪われてしまったのです。
その死の原因は当然ながら、首謀者や支配された奴隷同然のファミリーたちによるいじめの様な所業のせいです。亡骸は『D家』の自宅にある物置の下に埋められ、供述により発見されました。
傷害致死と時効
しかしながら明確な殺意があったわけではないので『殺害』をしているわけではないとして、『傷害致死』として扱われました。
実は時効年数が2倍に引き延ばされたのは平成22年であり、その時はまだ平成15年でした。そのため『傷害致死』となれば時効は10年しかなかったのです。そして裁判が行われたのは平成25年のことでした。
つまりその時はもうすでに『時効』を迎えてしまっていて、立件することが『不可能』となってしまったのです。あと少しばかり明るみになるのが早ければ、きちんと実行犯たちを罰せれたかもしれません。
D家の叔父の死体遺棄事件
2019年(令和元年)現在から15年前の平成16年に発生しています。D家の『叔父』(父親の実の兄にあたる人物)も『尼崎事件』の首謀者やファミリーたちによって迫害されていました。
長期にわたって酷い暴力を受けて、また飲食も満足にさせてもらえずに最後には命を落としてしまいました。もちろん『死』に追いやったのはその迫害や虐待によるものです。
当事者たちの口から亡骸の場所が伝えられて『C家』の自宅の下に遺棄されていたことが判明して発見されましたが、既に損壊が激しく『司法解剖』をしても正確な死因や外傷などを鑑定することができませんでした。
時間が経ち過ぎていた
そのため時効ギリギリで立件出来て該当する容疑者たちを裁判にかけることはできたのですが、残念ながら決定的な証拠が無く、証拠不十分であるため刑事処罰を下すことはできませんでした。
明らかに卑劣で容赦ない『虐待』『暴力』が原因で2人の命が奪われているのですが、その2つの事案とも裁判で正しく罰せることは叶わなかったのです。
これに至っては『時効』が既に迎えてしまったため、『証拠』が得らなかったためと、凄惨な事態が明るみになるのに時間が経ちすぎてしまっていたのです。