その人物とはバイクに乗りうるさい音を立てて迷惑走行する『暴走族』に所属するヤンキーでした。そんなヤンキーが『戸塚ヨットスクール事件』の舞台となった『学びの庭』の建物の前でたむろしてた。
それ気に食わなかったのか『指導』『体罰』と称してヤンキーに対して、複数の講師がエスカレートした暴行を振るったのです。(教育者たち全体がサディスト集団の可能性があるかもしれません)
ようやく戸塚ヨットスクール事件が立件
それにより加害者である講師たちが検挙したあと、『戸塚ヨットスクール事件』の舞台となった学びの庭の化けの皮が剝がれて、悪事が世間に明るみになっていきました。
戸塚ヨットスクール事件⑧ついに校長など関係者逮捕へ
『戸塚ヨットスクール事件』を引き起こした『張本人』全ての元凶と言っても言い過ぎじゃない、創業者、経営者等、舞台となった学びの庭の講師たちが次々と検挙。
犠牲となったあまりにも若すぎる年ごろで命を奪われてしまった、可能性に満ち溢れた若い未成年男児たちも、少しは念が晴れたのではずでしょう。深くお悔やみ申し上げます。
戸塚ヨットスクール事件の裁判と判決
さて当時もマスメディアや世間から関心が集まった、気になる『法廷』どのような結末を迎えたのでしょうか?
当然受講者たちの命が奪われて、死に追いやっているの所業を犯したので、重い罰が下されるのを遺族も世間も祈っていました。
こちらでは『戸塚ヨットスクール事件』を引き起こした張本人であり、全ての元凶である『戸塚宏』らがどのような刑罰に処されることになったのか、などについて解説していきます。
戸塚ヨットスクール事件裁判と判決①戸塚宏ら傷害致死罪へ
『平成4年』に初めの審判、いわゆる『第一審』が法廷にて開かれた。
『戸塚ヨットスクール事件』に関与した元凶などの犯罪者集団、講師たちに思い罪が下されるのが確定。
そして刑罰が処されることが確定して、このとき『執行猶予』が長期間設けられた。(これは留置期間が長かったことを考慮したためです)
戸塚ヨットスクール事件裁判と判決②控訴するも実刑判決
元凶及び犯人の『戸塚宏』をなどの犯罪者の講師たちが上記の判決結果に納得がいかず、もう一度裁判を執り行うように訴えました。そのため最終的な結果は次に持ち越された。
そして開かれた次の審判のその時の『裁判官』がその理論、体罰、暴行などをその強烈を否定して刑が『加重』されて処罰が決定したのですが、ここでも不服な態度を見せました。
戸塚ヨットスクール事件裁判と判決③上告も棄却される
加重されてより刑が重くなった事に対して更に納得がいかなかった検挙された講師たちの被告は、もう一度審判を執り行うように。その旨を申し立てました。
しかしそれ『最高裁』の裁判官は2回目の裁判にて決まった『処罰』最終的な結果に同意して、その申し立てを認めず処罰が確定。
『戸塚ヨットスクール事件』の元凶は5年以上の服役が確定、他の講師たちは、1年未満から3年の懲役刑がそれぞれが確定し執行された。
戸塚ヨットスクール事件裁判と判決④遺族へ支払命令
更に『戸塚ヨットスクール事件』の犠牲者となってしまって命を奪われてしまった、当時まだ若い少年の遺族の『母親』が4000万円以上の損害賠償を求めて、『審判』を起こしました。
当然ながら遺族の母親が『勝訴』して3000万円ほどを支払うようにの首謀者の元凶ら(講師たち)に命じられました。
こうしてすべての『法廷』が完了しましたが、初めの法廷から最後に開かれた法廷までの期間は19年にもわたったのです。
戸塚ヨットスクール事件のその後!戸塚宏復帰へ
今回の記事でクローズアップしている『戸塚ヨットスクール事件』は約4年にも悲劇が続き、水面下で所業が及んだ、ようやく事態が明るみになり容疑者たちが検挙され審判にて処罰が決定した。
こうして『戸塚ヨットスクール事件』は『無事解決』したかに見えますが、実はまだ続きがあったのです。どういうことなのでしょうか?
ここからは法廷から2019年(令和元年)今に至るまでについて解説していきます。
戸塚ヨットスクール事件のその後①スクールは運営を継続
実は『戸塚ヨットスクール事件』の元凶の創業者および校長、講師らが検挙されてどこかの刑務所に服役されている間も、舞台となった学びの庭である塾はそのまま他の人たちが運営を継続してたらしいです。
その間には『戸塚ヨットスクール事件』と同じ『カタストロフィ』になるような、受講生たち未成年男児たちが命を落とすといった悲劇は起きていなかったようです。
ということは学びの庭自体ではなく、まずい対応、現代社会においては許されるはずない『所業』を行った『戸塚ヨットスクール事件』の元凶らがやはり悪い存在だったのか・・・?