森などを歩いていた際に動物の死骸と腐敗臭遭遇することもありますが、屋外なのに腐敗臭というのはやはり強烈な臭いを出してしまいます。しかし、限られた空間の中で腐敗臭と血の充満した臭いの中で過ごし続けるという感覚は常人には到底理解も想像もできない状況でしょう。
Contents
ジェフリー・ダーマーの死姦、食人行為とは?
事件当時住んでいたミルウォーキー地区からだけでなく、彼はアメリカ全土から食人鬼と呼ばれ全米を震撼させた人物ですが、彼の奇行はどれほど残虐なものだったのか、彼の行動について見ていきます。
ジェフリー・ダーマーは死体を犯し食べるようになった
彼は高校生の時に同性愛者であることを認め、ゲイバーなどにも通っていました。遺体を食べることで永遠に一緒にいることが出来ると考えていたのでしょう。
彼がこれほどまでに狂気じみた犯行を行ったのは、同性愛者であったこと親からの愛情不足があったこと動物の死骸に異様なまでの興味と執着を見せたこと。様々な要因が積み重なり、自分の欲望と願望の結集としてミルウォーキーの食人鬼は完成してしまったのでしょう。
冷蔵庫の中には、被害者の人肉が入れられていましたが他の野菜などの食量は入っておらず彼は被害者の肉や手首等の一部のみを食べて生活していたとされています。他、子どもの心臓を食べた食人鬼に関する記事はこちらをご覧ください。
頭蓋骨や遺体の写真をなどを保存した
ジェフリー・ダーマーは被害者を酸で溶かした後の頭蓋骨に色を付けるなどしてキャビネットに保管をしていました。また、自分がバラバラにした被害者の遺体をポラロイド写真に納めるなどしています。
自分の殺害を芸術と考えての行動なのか、腐敗していく前の被害者たちを目に焼き付けておくためなのかは不明ですが、異常としか言いようのない行動です。
ジェフリー・ダーマーはロボトミー手術を目指していた?
自分の欲求の為に人の肉を食べるという衝撃時な出来事をした僅か2週間後、またしても黒人の青年が犠牲となりました。それから約半年経過したころ、再び犯行を行うことになりますが、この時から彼の欲求は留まるどころかエスカレートすることになります。
睡眠薬入りの飲み物を提供しいつもなら絞殺するところですが、ジェフリー・ダーマーはこの19歳の黒人男性を自分の思い通りに操るゾンビにしようと考えロボトミー手術を行おうとしました。
この手術は前頭葉白室を切り離すと無抵抗となるため、手に負えない患者への治療法として行われていましたが、非人道的であるという観点から現在では禁止となっている手術になります。
彼はこの禁止されている手術を医学的知識がないにも関わらず試みようとしますが、頭蓋骨に穴をあけ酸を入れることに抵抗が生まれ断念しています。
ジェフリー・ダーマーの理想の恋人像とは?
彼は同性愛者ですが、理想の恋人像というものがありました。自分を裏切ったり逃げたりせず、ずっとそばにいてくれる人物を恋人にしたいと考えていました。恋人が傍にいてくれれば犯罪を犯さずに済むとも考えていました。
被害者に睡眠薬を混入していたのは抵抗できないようにして、拒否されることがないようにするためでした。
ジェフリー・ダーマーの犯行で警察が犯した失態
この事件は、ミルウォーキー警察の対応等に失態があったとしてミルウォーキー当局は世間から大きな批難を浴びることになりました。では、アメリカ史上最悪となったこの事件でミルウォーキー警察が犯した失態はどのようなものだったのか見ていきます。
少年を見殺し同然にしたミルウォーキー警察の失態
彼はラオス人の少年を部屋に招き眠らせた後に、性的暴行を加えています。ジェフリー・ダーマーはこの少年も自分の思い通りに操れる人物にしようと試みますが、少年は隙を見て部屋から逃げ出すことに成功します。
しかし、睡眠薬を混入されていたことから意識は朦朧としてしまいアパートの近くで動けなくなります、買い物から帰宅したジェフリーと鉢合わせし騒ぎになり警察が駆けつけてきました。
警察官はジェフリーのちょっとした恋人同士の諍いという説明を信じ少年を保護せずにその場を立ち去っています。結果として少年はジェフリーの部屋に連れ戻され犠牲となってしまいました。
少年の意識が朦朧としていたことから、注意深く見ていればただの痴話げんかではないことは予測できたはずですが、人種差別により少年の言葉に耳を傾けなかったのではと言われています。
また、偶然テープレコーダーのスイッチが入っておりミルウォーキー警察官3人がゲイ同士の喧嘩を話のネタにして笑っていたのが録音されており、この会話はアメリカ中に知れ渡ることになります。
この事でミルウォーキー警察の対応は人種差別や同性愛者等に対する差別としてアメリカ中から批難を浴び3人の警察官は懲戒免職処分となります。しかし事態は収束せず、当時の警察本部長も批難の的になりました。
有色人種である少年の話を無視したのだとされ警察官の人種間の差別が問題視されジェフリーが逮捕された後ミルウォーキー市内で事件の犠牲者の追悼式が開かれましたが、この時ミルウォーキー警察の怠慢さと人種差別に対する反発から騒動が懸念されていました。
暴動が懸念されていた被害者の追悼式ですが黒人運動指導者の働きかけにより回避されることになりましたが、警察が人種差別をすることなく、犠牲となった子どもの話に耳を傾けていたら尊い命が奪われてしまうことも、この後被害者が増えることもなかったでしょう。
ジェフリー・ダーマーの裁判での様子と逮捕後の様子
ここから先は、逮捕された後の彼の裁判での様子から判決、そして判決後の彼の人生の様子について紹介していきます。
ジェフリー・ダーマーは15件の殺人で終身刑に
彼が実際に殺害した人数は17人でしたが、証拠が残されていなかった事件などもあり最初と2番目の殺人については立証できませんでした。
容疑そのものは、本人が自供し認めていたため、弁護士は精神異常による犯行としていましたが、陪審員によりこの主張は棄却され15人に対する殺人罪で936年の禁固刑となりました。15人に対しての合計になりますので1人当たり64年ほどとなります。
非人間的な行いをしたジェフリ・ダーマーですので1人当たりの刑の年数もこれほど重たいものになったのでしょうが、936年という判決で生涯刑務所から出ることはできなくなりました。
死刑を望んだが州の死刑禁止の法令で叶わなかった
ジェフリー・ダーマーは自分の罪を認め死刑になることを望んでいましたが、アメリカでは死刑を廃止している州がいくつかあります。
彼が裁判にかけられたウィスコンシン州も死刑は廃止されていたので彼は終身刑に処されることになります。その後死刑制度が残っているオハイオ州でも裁判が行われますが、ここでも終身刑の判決となります。
元FBIのロバート・K・レスラーとの対談は有名
元FBIの捜査官であったロバートはFBIから退いた後、大学で児童虐待などの犯罪に関する講義をしていたそうです。講義を聞いていたこの事件の捜査官が事件の参考になったと連絡したことからロバートはこの事件に興味を持ち関わるようになります。
捜査に関わったことにより、本人と2日間対談することになります。ロバートはジェフリーが犯行に至った経緯等様々な質問をし、拉致した人の頭部にロボトミー手術をしようとした理由の問いかけに知性を消すが身体は生かしておき自分の思うままに行動させたかったと語っています。
そして、一度少年が命からがら逃げ出した際に、もし警察官が自分の部屋に来ていたら犯行はしていないと話しています。
ジェフリー・ダーマーは最後は黒人収容者に殺された
1994年コロンビア連邦刑務所でジェフリーは黒人の受刑者に風呂場で撲殺という最期を遂げています。この黒人男性はクリストファーといい、もう1人一緒に清掃していた囚人殴打し死亡させています。
2人を殺害した経緯としてクリストファーは「自分は神の子だ。父から2人を殺すよう言われた」と話しており、クリストファーはこの件で有罪となりここでも人種差別が少なからず影響していたのではと言われています。
父は今後の科学捜査に役出せるための息子の心理や脳解析などの研究には協力的でしたが、息子が殺害された後宗教的な理由から息子を解剖することは拒否しています。
ジェフリー・ダーマーはサイコパス?IQは高かった?
これほどまでに非道徳な犯罪を繰り返していた彼はやはりサイコパスだったのでしょうか?IQが高かったとの話もあります。では、ジェフリー・ダーマーの性格などを見ていきましょう。
ジェフリー・ダーマーのIQは145?!
ジェフリー・ダーマーは高校生の時の知能指数は145を超えていたとされ天才的な頭脳の持ち主だったことが分かっています。IQの平均値は100となっており、大体IQ80~115の人が約70%といると言われています。
これほどまでに高い知能を持っていれば、善と悪の区別はつくようなものでありますが知能指数と善と悪はまったく別の分類になるのでしょう。自分の知能を生かし世の役に立つことに目を向けることができれば、ジェフリ・ダーマーの未来は違うものになっていたでしょう。
ジェフリー・ダーマーはサイコパスの可能性が高い!
ジェフリー・ダーマーは少年や青年を次々に殺害し肉を食べた凶悪かつ残忍な人物です。殺人や人を食べるという行為を自分自身の欲求や快楽・楽しみだけのために繰り返し行っていた点を見てもサイコパスと呼べるでしょう。
他、世界で有名なシリアルキラーや日本の連続殺人鬼について興味がある方はこちらをご覧ください。
ジェフリー・ダーマーは「善」の部分も持っていた?
この人物は残虐な殺人を繰り返し行っていますが、最初の殺人事件では彼は人を殺してしまったことがトラウマとなっていると自分で語っていることから、善の部分も少なからず持ち合わせていたことが伺えます。
しかし、いくら多少なりと善の部分を持っていたとしても、結局は自首することなく遺体を切断して捨てたことやその後犯行がエスカレートしたことを考えると彼の中にあった善の部分はすぐに消え去ったのでしょう。
ジェフリー・ダーマーの父のその後と本の出版
息子が凶悪な殺人鬼となってしまった父親はその後どうしているのでしょうか。事件後の彼の父親について探っていきます。
ジェフリー・ダーマーの父は本を出版し被害者に慰謝料を払った
父親はある日警察からの連絡で息子が17人もの人間を殺害したと知り衝撃を受け息子が人を殺すなど信じられなかったと語っています。彼の父親だけでなく世の中の親は自分の子どもが犯罪者となると思っている人はいないでしょう。
被害者の遺族は、自分の子どもが無残に殺害されたことで喪失感に襲われていましたが、父親は、A Father’s Storyという本を出版し被害者の遺族とコミュニケーションを取るなどしており、また本の収益の一部を被害者の遺族への慰謝料として寄付をしています。
出版したのは「息子ジェフリー・ダーマーとの日々」
日本語に訳した邦題になります。ミルウォーキーの食人鬼として法廷で裁かれ息子を目の当たりにした父親の苦悩が綴られています。
父親の中にある息子との思い出は楽しく美しいものだったが、魚の内臓や小動物の死骸を見る目は既に殺人鬼としての狂気が宿っていたのかもしれないと語っています。
仕事中心で子育てをあまりしてきて来なかったことに後悔をしている記述もあり、「子育てに気を付け子どもを狂気から救え」と警鐘を鳴らしています。
ジェフリー・ダーマー父は無責任は父親として裁判を起こされた
一時は、被害者と良好な関係を築いていた父親ですが、一部の遺族から子どものしつけや息子の犯した犯行に対して何の責任もとろとしないとされ父親に対して裁判を起こされています。
裁判の費用には莫大なお金がかかり裁判費用が不足する事態になり慰謝料の寄付も滞るようになりました。
勤めていた仕事を退職してからは、オハイオ州で再婚相手と暮らしながら時折コンサルタント業務をしているそうです。また、母親は、息子に判決が下された数年後に亡くなっていることが判明しています。
ジェフリー・ダーマーの犯行現場は?生家は現在も残っている?
ジェフリー・ダーマーが犯罪を繰り返し行っていたアパートや幼少期に育った家は現在どうなっているのでしょうか?彼が幼少期と犯罪を繰り返して遺体とともに生活していた家の現在について見ていきます。
ジェフリー・ダーマーの犯行現場のアパートは取り壊しに
ジェフリー・ダーマーが多くの命を奪い食人をしていた部屋のアパートは事件のあと、周囲の住民と被害者の遺族の意向により取り壊され現在は更地になっているようです。
解体した当初は更地に被害者の冥福を祈る慰霊公園が作られる予定でしたが、計画は白紙となり更地のままチェーンと高いフェンスで厳重にかこまれ荒れ果てた状態となっています。
慰霊公園の建設が白紙になった理由は不明ですが、現場が更地となっており放置されていることを考えると被害者の冥福を祈る場所は必要と考えられます。
ジェフリー・ダーマーの犯罪の一部を行った生家は残っている
ジェフリー・ダーマーが両親が離婚した後にしばらく生活しており最初の被害者を殺害した家は現在もそのまま残されています。クリーブランドのバスというところで自然の多い治安の良い場所となっています。
シカゴやニューヨーク等に住んでいる人たちの避暑地としても有名である場所にひっそりと佇んでいるそうです。現在、人が居住しているかは不明ですがやはり犯罪が行われた家ということで相場よりも安い値段で売りに出されていたそうです。
広い家で庭も広く彼が遺体とともに過ごした寝室もそのままであり、またジェフリー・ダーマーは被害者の遺体を庭の大きな岩の近くに埋めたと言われていますが、その岩などもそのまま残されているそうです。
ジェフリー・ダーマーをモデルにした映画・音楽
ジェフリー・ダーマーを題材にした映画は4件、音楽は2件あります。しかし、この4件の映画はいずれも日本で公開はされませんでした。しかし、4件の内3件の映画はDVD化されています。ここでは、映画の内容などについて1件ずつ小紹介していきます。
作品①映画「ジェフリー・ダーマー」
2002年にアメリカで公開された映画になります。食人鬼となってしまったジェフリー・ダーマーの犯行手口や彼の素性が描かれているサイコサスペンス映画です。
猟奇的なシーンや人を食べるシーンなどは殆ど描かれておらずグロテスクな映画が苦手な人でも大丈夫な映画です。
作品②映画「ジェフリー・ダーマー ライジング」
殺人犯目線ではなく殺人犯の父の目線で描かれた映画になります。この映画は息子が犯罪を犯してしまうまでに追い詰められていたのかや、自分の何がいけなかったのか等自問しながら生きていく映画となっています。
作品③映画「My Friend Dahmer」
2017年にアメリカで公開されたこの映画は、彼の幼少期から高校を卒業するまでの青年期を描いた映画です。食人鬼となり犯すことになる前までの光景を描いた映画となり彼の家庭環境やど幼少期を描き彼の背景にある闇が描かれた映画となっています。
作品④音楽「Slayerのディヴァイン・インターヴェンション」
Slayerというバンドが1994年に発表した楽曲になります。Slayer第6弾のアルバムの9曲目にある【213】という楽曲が彼を題材として作られています。213という数字は、彼が住んでいたアパートの部屋の号室になります。
作品⑤音楽「KESHAのCannibal」
2010年にアメリカの歌手ケシャが発表したCannnibalという楽曲になります。カニバルとは【人の肉を食べる人】という言葉で、これはアメリカ史上最悪の食人鬼となってしまったジェフリ・ダーマーを現わしておりフレーズの中にも彼の名前があります。
IQの高い知的な男が連続殺人犯に!?
4年の間に30人以上の女性を手にかけたと言われているアメリカのシリアルキラーがいます。その人物はテッド・バンディという人物です。
彼は、IQが160あったと言われ高学歴であるほかにルックスもよく、カリスマ的な存在でした。しかし、彼は女性を強姦等し殺害したあとも凌辱するなどした悪質なサイコパスです。
彼は裁判の場において、弁護士をつけずに自分で自分の弁護をしています。刑は有罪となりましたが、その後脱獄をして再度犯罪を行っています。最終的には死刑となり電気椅子にて2分間にも及び電流を流され息を引き取っています。
日本人も食人鬼は存在していた!!
1981年フランスに留学していた当時32歳の男性が食人をする罪を犯しています。その男性は日本から来ていた佐川一政という人物でした。
友人となった25歳のオランダ人の女性を自宅に招待し銃で射殺しています。佐川一政は遺体の一部は生の状態で食べたと言われています。そして遺体を解体した後はバラバラにした遺体を写真に納めています。
他にも遺体の一部をフライパンで調理して食し、残りの遺体の部分はスーツケースに入れ池に捨てようとした場面を周囲に目撃されてしまいます。逃亡を図りますが、2日後に逮捕されることになりました。
また佐川一政はこの事件を起こす前にも日本で犯罪を犯してたことが明らかになっており、フランスに留学する前近所に住んでいたドイツ国籍の女性を食べる目的で襲っています。
被害者に告訴されることになりますが、父親が動き示談金により告訴は取り下げられることになりましたが、幼少のころから人の肉に興味があり食べてみたいという欲求があったと語っていたそうです。
日本で人食などあまり想像ができないかもしれませんが戦前などにはよく人食をしたという事件が複数件発生しているのは事実であり日本でもけして他人事ではない事件と言えるでしょう。
ジェフリー・ダーマーはアメリカ史上最悪レベルの食人鬼!
ジェフリー・ダーマーは、自分の欲求のために20人近く殺害しその肉を食べたり自分の思いのままに動く人間にしようと試みたアメリカ史上において最悪レベルの殺人犯に名前を連ねる人物になります。
欲望の赴くままに犯行を繰り返した彼ですが、最終的に犯罪は露呈することになりそして彼が手にかけたのは黒人などの有色人種の人たちですが彼はまさに黒人により撲殺という最期を遂げ、これまで自分が殺害してきたことへの因果応報なのかもしれません。
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