ジェフリー・ダーマーとは?ミルウォーキーの食人鬼と呼ばれた連続殺人犯!
この人物の名前を聞いて恐怖を感じる人もいることでしょう。この男は自宅で大勢の人間を殺害してバラバラにした殺人鬼で、アメリカの黒い歴史に名を刻み今もなお人々の記憶に根強く残っている事件を起こした人物になります。
1978年の最初の事件を皮切りに13年間で20人近いの人物を殺害しアメリカ中を驚愕させた人物です。事件の背景には彼の生い立ちや家庭環境、当時の警察の捜査等様々な問題があった事件になります。
警察署の無能さと性的マイノリティへの偏見が非難された
彼は同性愛者であり犠牲となったのは全て男性です。中には14歳の少年もいるなど、その犯行に誰もが驚愕し13年間野放しになっていた犯人に人々は怒りを感じました。犯人はは、被害者を殺害した後、屍姦を行った以外にも自分が殺害した人たちを食べるという冷酷極まりない行動をしています。
この男が犯したこの事件は犯行のあった地域の管轄していた警察署の無能さと警察官の対応の問題が露呈し、人種差別及び性的マイノリティに対する差別や偏見がジェフリー・ダーマーの残虐な犯行を13年間も継続させたとして厳しく非難された事件になります。
ジェフリー・ダーマーの生い立ちと家族との関係
同性愛者であり、また両親の仲も良好とは言えず複雑な環境下で過ごしていたと言われているのですが、どのように複雑な幼少期を歩んできたのでしょうか。彼の生い立ちや父や母、兄弟たちとの関係性などについて見ていきましょう。
ジェフリー・ダーマーの生い立ち①母親は薬物中毒で精神不安定
彼の家庭環境は生まれる前から複雑なものでした。母親は精神的に不安定で薬物に依存していたそうです。妊娠中から安定剤を服用するほど精神的に不安定えしたが、出産したあとは症状がさらに悪化し授乳も拒否していたほどです。
産まれた時から母親の愛情が欠落しており、十分な子育てを受けてきておらず彼自身も愛情というものが欠落していたと言われています。このように薬物に依存する母親と父親の間では、言い争いが頻繁に起こっており夫婦関係は悪化の一途をたどっていたと言われています。
彼には弟がいますが、母親は弟がお腹の中にいる間に精神的不安定な病状はさらに悪化しついには寝たきりで過ごすことになります。
母の薬物の副作用は弟にも及んだ
母親は妊娠中の間も、安定剤を1日20錠以上服用するなどしていました。薬の副作用とは恐ろしいもので、弟を妊娠中に安定剤を大量に摂取していた為、安定剤の副作用は生まれてきた弟にも影響を及ぼすことになったそうです。
ジェフリー・ダーマーの生い立ち②父は出生時大学生だった
彼が産まれたとき、父親は当時まだ大学生でした。学生の身の父親であった為、生活は苦しく両親と共に父親の実家に身を寄せて暮らしていました。
大学を卒業した父親は化学工業の研究員への就職が決まりますが、父親の仕事は転勤が多かったため、転勤族となり一家は住まいを転々とすることになります。
ジェフリー・ダーマーの生い立ち③不安定・寄行が目立つ幼少期
薬物に依存し、些細なことで癇癪をおこす母親と、仕事中心で家庭を放置していた父親、両親揃って子どもへの愛情が不足していたため、彼の幼少期の精神状態も正常とは言えず、不安定のまま成長していくことになります。
母親が弟を妊娠しているとき、1日中ソファーに座り動かないという奇行がありました。幼少期のジェフリー・ダーマーは反応乏しく笑わない子供であった為、友人と呼べる人も少なかったようです。
動物の死体に強い興味を見せた
彼の幼少期は小学生時代から無口で友達も少なかったため、近所の森で1人遊びをしていた少年でした。ジェフリー・ダーマーは父親から昆虫採集用のキットをプレゼントしてもらいます。
強い興味を持ったジェフリー・ダーマーは猫やネズミの骨をホルマリン漬けにして楽しむようになります。標本を作ったり昆虫採集などが趣味の人はもちろん大勢いますが小動物等の死骸に異常なほど固執するのはやはり普通の精神状態ではなかったことが考えられます。
ジェフリー・ダ―マーは小動物の死体をホルマリン漬けにすることに興味を持ちますが、虐待して小動物を殺していたわけではありません。しかし、死体に興味をもったことから彼が犯罪を犯すことになったルーツはここにあるのかもしれません。
彼は、すでに死亡しているカエルやリスなどの小動物たちを解剖してみたり強酸につけて骨を採取したりしてホルマリン漬けにしてコレクションにしていました。既に骨になっている小動物を見つけるとどの骨の部位なのか、どんな生き物だったのかと興味が沸いたそうです。
はたから見れば、生き物への生態について関心があり探求心にあふれる少年だったという見方もできます。
その興味を生物学者を目指したりすることに向けれればジェフリー・ダーマーは殺人を犯すことはなかったでしょうが、彼の心は研究に向くことはなく、もっと大きな生物すなわち人間に向いてしまうことになります。
幼少期より動物の死骸に対して強い関心があったことから、やはり彼が遺体をバラバラに解体したこと等は、動物をの死骸を見て楽しむことから始まり父親のプレゼントがきかっけとなったと言えるでしょう。
8歳の頃に同級生から性的暴行を受けていた
ジェフリー・ダーマーはクラスメイトから性的虐待を受けるというトラウマになるような被害にあっています。しかし、両親同士による話し合いの結果警察には届けていません。
この時、子どもだからと双方の親の話し合いで決着をつけるのではなく、警察に届けを出していれば善と悪の判断はできるようになっていのかもしれません。
学校でもとても物静かな子どもで、友達も少なく誰かと一緒に行動することはなく、一人で行動をするのが好きな幼少期でした。幼少期からネグレクトのような母親の拒絶と仕事中心の父親との間で育ったため人と関わる事の感情などが欠落していたのでしょう。
ジェフリー・ダーマーの生い立ち④高校時代に同性愛者だと自覚
小さいころから物静かな少年でしたが、頭脳明晰であった為頭非常に良かったと言われています。しかし、授業に集中できなかったり癇癪の発作を起こしたふりをして授業を妨害する行為が頻発し学校では問題児となっていました。
産まれた時から母親は薬物依存で愛情を受けていなかったため、女性への愛情女性からの愛情が欠落しており同性愛に目覚めたのではと推測されています。しかし、当初は同性愛者であることを認めようとはしなかったそうです。
高校の卒業パーティーの時に女性を誘い参加していますが、途中で女性と一緒にいるのが耐えられなくなり女性を残して逃げ帰ったことから自分は同性愛者だとはっきり自覚することになりました。
願望は同性とのセックスではなく同性の死体と過ごすこと?
卒業パーティーでの出来事から自分は同性愛者であると認識をすることになりますが、ジェフリー・ダーマーの願望は同性との性交渉ではなかったと言われています。
動物の死骸を集めてホルマリン漬けなどにすることを好んでいたジェフリー・ダーマーだっただけに、願望は同性の死体と過ごすことだったと言われています。
女性との接し方がわからず、同性愛として生活していくことになったジェフリー・ダーマーですが、当時の時代はまだ性的な差別や偏見の目もあり同性からも冷たい視線を送られることもあったそうです。
死体であれば、拒否をされることも冷たい視線を送られることもないため、同性の死体と過ごし認められた空間を作ることを望んだのではと推察できます。
ジェフリー・ダーマーの生い立ち⑤両親が離婚しアル中に
高校生になったころから、以前よりあった親の諍いは更にひどくなり、両親の仲は修復不能なほど悪化し離婚調停の為別居状態でした。離婚が決定した際に父親は家を出ていき母親が念のため一緒に暮らすよう勧めます。
しかし、この問いかけに無反応を示したため、母親は弟のみを引き取り家を出ていき家族が一緒に暮らしていた家にジェフリー・ダーマーはたった1人で生活することになり、孤独にさせたことが殺人を犯してしまう1つのきっかけとなったのではと言われています。
両親が離婚をしたころはまだ高校生で同性愛者であることに悩んでいる時期でした。このことから次第にお酒の味を覚え始めお酒に逃げるかのようにアルコール中毒へとなっていきます。
ジェフリー・ダーマーの起こした事件の概要は?
では、父親と母親の確執から離婚を経て1人で過ごすことになるジェフリー・ダーマーはその後どのような人生を歩み何故史上最悪の連続殺人鬼と言われているのか、事件の内容について詳しく見ていきます。
ジェフリー・ダーマーの被害者は17名!
ジェフリー・ダーマーに殺害された被害者は実に17人に及びます。同性愛者であったため、被害者全て青年男性や少年たちになります。
彼の犯行はどれも残虐極まりないもので、思わず目を背けたくなるほどの犯行でした。
殺人現場が「ミルウォーキーの食人鬼」の由来に
ジェフリー・ダーマーにこのような名前がついたのは、殺人現場が由来となります。彼が当時住んでいた場所はアメリカのウィスコンシン州にあるミルウォーキーという場所であったことから名づけられました。
当時のミルウォーキーで彼が住んでいた場所は、ストリップ小屋等が密集していたり娼婦が徘徊しているような場所だったそうです。
ジェフリー・ダーマーは被害者を解体し人肉を食べた殺人鬼!
ジェフリー・ダーマーの殺害手順は一貫して同じ方法でした。飲み物に睡眠薬を混入すると相手は意識が朦朧とし始め次第に眠りにつく。相手が眠ったところで絞殺し遺体をバラバラにするという方法です。時には、肉を酸で溶かした後骨を砕いて自宅の庭にばら撒いて遺体を処理していました。
ジェフリー・ダーマーが初めて人肉を食べたと言われているのは1990年の9月になります。自分が理想とするタイプに出会い、その黒人男性を部屋に誘い、いつもなら絞殺するところですが、この時は喉を切りつけて相手を殺しています。
しかし、これでは欲求が解消されなかったと感じ、あろうことか黒人ダンサーを解体し肉を食べたと言われています。この出来事がきっかけで逮捕までの間、人の肉を食べ続けるという奇行を繰り返していました。
殺害現場の部屋は警察官も吐くようなありさまだった
犯行現場となった部屋は、彼が幼少期から集めていた小動物たちのホルマリン漬けにされたものだけではなく、これまで殺害してきた被害者たちの遺体の一部などが置いてあり腐敗臭が強烈に漂う部屋だったそうです。
家宅捜索で彼の部屋に足を踏み入れた際、あまりの異臭や人間の仕業とは思えない異様な光景が行われており、これまで様々な現場で経験をしてきた警察でさえ吐き気を催してしまうような部屋の状況だったそうです。
この強烈な異臭を放ち凄惨な光景の部屋に彼は普通の人間として寝起きする生活を送っていましたが、死臭等の腐敗臭の臭いは強烈なものです。彼はこの異臭に関してなんとも思わなかったのか、それとも臭い事態に快感を覚えていたのかはわかっていません。
ジェフリー・ダーマーは同性愛者!被害者は主に黒人男性
ジェフリー・ダーマーが殺害した被害者は、殆どが黒人の青年か少年でした。黒人に嫌悪感を持っていたという説もありますが、彼は同性愛者であり男性の好みにもこだわりがあったとされ、黒人の男性に好みの人間が多かったという見方が強いです。
人種差別が事件の発覚を遅らせた?
この事件は、当時のアメリカにまだ残っていた黒人に対する偏見と差別が事件の発覚を遅らせたのはと言われており、事件の現場の地域のミルウォーキーの警察に対する批難が多く寄せられることになりました。
ジェフリー・ダーマーは終身刑になり獄中で黒人囚人に殺害された
結果的にアメリカ史上最悪の食人鬼の犯行は露呈することになり、裁判にかけられることになります。ジェフリーは自分が死刑になることを希望していたと言われていますが、ミルウォーキー地域では死刑が廃止されていますので、彼は終身刑の判決となりました。
終身刑となり、監獄の中で過ごしていたジェフリー・ダーマーは1994年同じ刑務所に収監されていた黒人男性にお風呂場を清掃中に撲殺されてしまいました。
ジェフリー・ダーマーの起こした事件の数々!
ここからは、ジェフリー・ダーマーがアメリカ史上最悪の殺人鬼として名を刻むことになった事件の数々を順に紹介していきます。17人の青年・少年を手にかけていますが、彼の犯行には共通点がありました。どのように被害者を選別し殺害するまでに至ったのかを見ていきます。
ジェフリー・ダーマー第一の殺人の被害者はヒッチハイカー
最初の事件は彼が車を運転していた際に、偶然ヒッチハイクをしていた青年を自分の車に乗せてあげるところから始まります。
ジェフリー・ダーマーは言葉巧みに青年を自宅へと招き楽しい時間を過ごしますが、父親の誕生日だから早く帰らなければという青年にまだ一緒にいたい一心で背後からダンベルで頭部を殴打します。
気絶した青年をそのまま絞殺した後、ジェフリー・ダーマーはしばらくその部屋で酒を飲みながら青年の遺体を見つめていたそうです。その後腹部を切り裂き青年の血を全身に浴びて興奮を覚えたそうです。
まだ一緒にいたいと考えることは、恋愛感情としてはごく普通の感情ではありますがその後殺害して血を浴びるという行動は明らかに常軌を逸した考えであると言わざるを得ません。
数日間、遺体を近くに置き一緒に過ごしていましたが次第に死臭が強くなってきたため、渋々遺体を解体し頭部以外を森に埋めることにしましたが、この最初の犯行罪悪感からかトラウマになったと語っています。
犯行後アルコールにますます溺れることに
最初の被害者は彼が初めて家族の話を一緒にした相手でまだ一緒にいたいとう、その思い一心での突発な殺人でした。しかし、この事が心の中に眠っていた猟奇的な部分が覚醒することになりました。
1人目を殺害した後、以前よりアルコールに依存していましたが、罪悪感からか、彼のアルコール依存は今まで以上にアルコールに溺れるようになります。
ジェフリー・ダーマーにとってこの事件はトラウマとなった
一番最初の犯行は、打ち解けることができた青年ともっと一緒にいたいという思いからの突発的な犯行だった為、この殺人は彼からしてみれば長い間トラウマとなっていたそうです。犯罪が露呈した後の取り調べでも最初の事件は嫌な思い出しかないと語っています。
この事件から人生の歯車を狂わせることに
父親はある女性と再婚し息子が住んでいた家に戻ってきますが、当然父親は息子が殺人を犯した等と知らずにアルコール依存症のみ打開するべく大学への進学を進めます。
父親の勧めで大学に入ることになりましたが、大学生活は寮であったため、寮の自分の部屋でアルコールを取り続け、血液バンクに自分の血を売って酒代を稼ぐようになりました。まず、アルコール依存の息子を大学の寮で生活させるという目の届かないところに置いたのが失敗でしょう。
酒浸りになり大学の講義もまともに出席だきなかったジェフリー・ダーマーは1学期終了時点で退学勧告となり大学を退学し陸軍へ入隊することになります。憲兵ではなく衛生兵に回された後は順調に昇進を重ねたそうです。
ところが、ドイツに派遣された際に再び酒浸りとなり任務が遂行できなくなり兵役満了の時に除隊することになります。
なお、このドイツへ派遣されている間5件の殺人事件が発生しており、犯行の方法が類似していることからこの事件も彼の犯行ではと考えられていますが本人が関与を否定知るため真相は解明されていません。
ジェフリー・ダーマーはゲイバーで問題を起こすように
ジェフリー・ダーマーは陸軍を除隊した後に職に就いていますが、居住していたミルウォーキーにはスラム街が多かったためゲイバーに頻繁に通うになりました。
計画的に犯行を行うための下準備なのか、ゲイバーで知り合った男性に睡眠薬を混入した酒を飲ませていたそうです。しかし、ある時一緒に飲んでいた一人が意識を失い病院に運ばれてしまいます。
この事が原因となり、この店への出入りが禁止となってしまいます。しかし、この件に関しては警察の介入はありませんでしたので、出入り禁止となっただけで前科等は何もついてません。
ジェフリー・ダーマー第二の殺人の被害者はゲイバーの青年
2人目の被害者となったのは、24歳の青年でした。打ち解け、意気投合した2人はホテルで一夜を共にしますが、翌朝目を覚ましたジェフリー・ダーマーは青年の姿を見て驚き焦りました。なぜならその青年は亡くなっていたのです。
自分が殺害したと思いスーツケースに青年を詰めて祖母の家まで運んだあと地下室で解体しゴミとして処分しています。
ジェフリー・ダーマー第三の殺人の被害者はモデルのバイトの青年
3人目に犠牲となったのはまだ幼い少年でした。バス停にいた少年に声をかけ言葉巧みに家に連れ込んでいます。ジェフリー・ダーマーは相手に声をかけるとき色々なパターンを用意して声をかけています。
そして、睡眠薬を混入した飲み物を飲ませ意識が朦朧とし抵抗できないようになると、首を絞めて殺害しています。その後地下室へと少年の遺体を運んだあと解体し、被害者の体を溶かした後、骨を砕きばら撒いています。
この時の殺害方法がルーティンワークとなる
この3人目のジェフリ・ダーマーの殺害方法は統一されることになりました。そして、警察の目をかいくぐり彼は犯罪を度々繰り返すようになります。
ジェフリー・ダーマーは少年への性的暴行で逮捕されるがすぐに釈放
息子のアルコール依存などから脱却させるため、父親は息子を独立させようと考え独り暮らしをさせますが、独立してまっとうな人生を歩むどころか引っ越しをした翌日に事件を起こすことになります。
少年を言葉巧みに自宅に誘いこみ睡眠薬入りの飲み物を飲ませますが、少年は異変を感じ逃げだして警察に通報しています。
未成年への性的暴行で逮捕されることになりましたが、保釈金を支払い逮捕から一週間後には釈放されることになります。この性的暴行についての裁判が開かれるまでには少し時間がありました。
少年暴行の判決までの間にも殺人を犯していた
性的暴行に対して裁判が開かれるまでの間にも彼は殺人を犯していました。ゲイバー出会った男性を祖母が暮らしていた家に連れていき殺害した後遺体を切断しています。
また、この時黒人男性の頭部と性器を取り出し保存しておくことにしました。芸術か何かと勘違いしたのでしょうか。記念品のように保存していたそうです。ここから彼の残虐行為は止まることを知らなくなります。
ジェフリー・ダーマーは「神殿」で数々の殺人を犯す
性的暴行に対する判決で有罪となりますが、仮釈放された後ジェフリー・ダーマーはスラム街にあるアパートに引っ越しをしていますが、この部屋でジェフリー・ダーマーは次々と犯行を繰り返すようになります。
数々の残虐な犯行が行われたこの部屋は「ジェフリー・ダーマーの神殿」と言われるようになり、犯罪史に名前を残す場所となります。神殿と言われると神々しいイメージがありますが、全くの逆であり一部の狂信者から呼ばれているだけです。
説明しなくとも、殺害現場は痛ましい出来事が発生した場所であり称えられる場所では決してありません。しかし、アメリカ史上最悪の食人鬼と言われてしまっている以上、殺害現場が興味本位で呼ばれることはある程度仕方のないことなのでしょう。
引っ越しをして早々にジェフリー・ダーマーは刑務所から出所したばかりの青年を殺害し、次に犠牲になったのもまた青年であり、ターバンを巻いた男性だったそうです。
大きな間隔を開けずに犯行を重ねてたのですが、一度少年の殺害に失敗した際警察の動きを警戒してジェフリー・ダーマーはしばらく犯行を自粛しています。
このまま犯罪を行うことなく普通の人間として生活をしていれば、ジェフリ・ダーマーが食人鬼となることも大勢の少年や青年が犠牲になることもなかったでしょう。しかし彼は、行動を自粛したとことで彼の欲望は悪い方向へ爆発してしまうことになりました。
ジェフリー・ダーマーはここでの犯行で食人も犯すように
一時は、犯行を自粛していたのですが、約2ヶ月後に再び犯行を再開することになります。自分の好みの青年と出会い自宅に言葉巧みに招き入れいつもの手口で意識を朦朧とさせると、喉元を切り付け殺害しています。
いつものように、遺体を解体するところまでは今まで通りでしたが、2か月間犯行を自粛していた欲求は満たされることなく、ジェフリー・ダーマーは殺害した黒人ダンサーを食べることにしました。ここから、彼は食人鬼へと変貌を遂げることになります。
ジェフリー・ダーマーの事件は被害者が逃げ出し事件が発覚
ジェフリー・ダーマーの凶行は1991年に終わりを迎えることになります。巡回していた警察官2人が助けを呼ぶ叫び声を聞き駆け付けると手首に手錠をかけられている黒人男性がいました。
黒人男性から事情を聴きいたところ男性に殺されかけたと話したことから、警察はその黒人男性に案内をしてもらい部屋に行くと中から何食わぬ顔で玄関から顔を出しています。
警察官に対して冷静に対応しており一見何の問題もないように思えましたが、部屋の中から酷い異臭がしていることに警察官は気づき家に入ろうとしますが、暴れ出したため、警察官は手錠をかけ拘束します。
そして、警察官は部屋の手錠のカギを探す最中に驚くものを発見します。それは数々の殺人の証拠やバラバラとなった被害者たちの一部を発見しジェフリー・ダーマーは逮捕されることになりました。
犯行現場は解体された人肉にまみれていた
警察官がジェフリー・ダーマーの前歴等を確認すると性的暴行の前科があったため、部屋の中を調べることになりました。すると部屋の中からは目を疑うような光景が広がっていました。
さらに家宅捜索を行ったところ、溶かされた3人分の胴体や色を塗られ飾られていた頭蓋骨が発見され、またキッチンの鍋の中には切り取られた手首や足や性器等が入れられていました。
部屋の床は剥がされた被害者の皮や手足の指などが散乱しており解体道具も見つかり、この部屋から11人もの被害者の遺体が見つかることになりました。内臓や頭部等は冷蔵庫に保管されていましたが、酷い異臭と残虐な状態に体調不良者が続出するほどだったと言われています。