こちらも新藤氏が脚本をしていて、乙羽信子さんももちろん出演しています。実際に原爆によって苦しんだ広島の子供たちが書いた作文をベースにして、手掛けられました。
繊細なテーマですが、非常に高い評価を得て、チェコスロバキアで映画における平和賞、ひいては英国アカデミーによる国連賞まで獲得した、世界的にも重要な位置づけのムービーです。
主人公は広島に住んでいたのですが、原爆が投下されてファミリーの中で一人だけ生き残りました。主人公の孝子を乙羽信子さんが演じています。
戦いが終わり、瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、小学校の教師と働く日常を送っていました。しかし、ふと夏休みを利用して故郷を訪れることになります。
被災したころは幼稚園に勤めていて、当時の園児たちの今の状況を知りたいと思い、行動に起こしていきそこでさまざまな経験をしていくというお話です。
乙羽信子の代表映画④1954年「どぶ」
愛妻でも出演した、宇野さんと乙羽信子さんが再び出演し、脚本は兼人さんです。ここでは演じ手として乙羽信子さんのステップアップにつながるような配役に挑戦しました。
知恵遅れという、演じる場合はとても難易度の高い仕事をやり遂げ、乙羽信子さんがさらに独特の魅力を開花させるターニングポイントとなりました。
純真で無垢な女性によって、周囲の者たちの心が揺さぶられて、改心して真面目に真摯に生きて行こうという流れに、多くの日本国民の心を刺激しました。
戦争が終わったばかりの鶴見区にあったある部落を新藤氏が自ら取材をしてたというリアリティが滲み出ています。
ギャンブルに目が無い男性、知恵遅れの女性、新興宗教を盲信する老女、すごい俳優だと自称する男性など荒廃したエリアにいる面々の人間模様を表した力作です。
乙羽信子の代表映画⑤1966年「本能」
40代になりさらに魅力が増して、まばゆくなってきました。そんな矢先に、観世流能楽師の観世栄夫さんと共演した力作になります。
原爆の後遺症で性的な機能不全を抱えている男性を、再び甦らそうと奮起する、とてもユニークな役どころになっています。
絶望の淵にいる、自信もなにもかくもどこかへ忘れてしまった人に発破をかけるという繊細かつ大胆なお話です。
乙羽信子の代表映画⑥1972年「鉄輪」
ちなみに、「鉄輪」と書いて「かなわ」と読みます。
古典芸能の名作を骨組みにかかえこみ、過去と現代を交えながら、男女の機微が展開していくという、とても特殊でユニークなものとして話題にあがりました。
この頃からカラーでの映像が普及し始め、新藤氏にとってもカラー作品の処女作となるものになっています。再び、役者には観世さんが出演しています。
艶やかで、あやうい濡れ場は世間の目を釘付けにし、乙羽信子さんの大人の色気が世間を魅了しました。
夫を奪われたジェラスによって、泥棒猫を藁人形を用いて、呪い殺そうとする、鬼気迫り常軌を逸しているインパクトのあるシーンは必見です。
70年代初頭にこれだけ豪快に性描写を取り入れてるのは、新藤氏ならではと言った所ではないでしょうか。
乙羽信子の代表映画⑦1979年「絞殺」
前述の通り、日本という枠を超えて、世界で非常に絶賛され、賞という形で明確にその才能を世に認識させました。
今回も代用者がいないほどスキルフルなもので、恐ろしさのあまりおしっこをもらしてしまうという、非常に困難な役さえ演じ切りました。
ここでの情交シーンも逸品で、いやらしいという感じと言うより、まさにアートと感じさせる圧巻な雰囲気があります。
開成高校生が殺害された事件を参考に新藤さんが、閉鎖されてしまっているような世界の中での、人現関係の崩壊をテーマに脚本を書きました。
息子の同級生の少女が義父に犯され続けていて、ついには少女が義父を殺してしまったことが発端になっています。
息子は憤りをぶつけるが如く自身の親に暴力を振るいだし、実の母を犯そうしようとするまでに至ります。
息子の行いに対して、危険を感じた父親は殺害してしまいます。母は、息子を返せと父に責めよって、ついには後を追うように死んでしまいました。
殺したところで、何の解決にもならないということが視聴者の心にグサッと刺さります。首を吊って自殺してしまった母役を乙羽信子さんが演じてます。
乙羽信子の代表映画⑧1986年「落葉樹」
新藤さんが自身の幼き日を参考にして描かれています。年齢を経た作家が遠い日を追想し、今は死んでしまった母を想いい起こすという、涙無くしては見れないような感動作です。
貧困によって家族は散り散りになり、家だけでなく土地まで放棄するといった、過酷な少年期に焦点があたっていきます。
少年の母親役は乙羽信子さんで、優しく、時には厳しい、海のように壮大な母を見うけることができます。
60を超えているにも関わらず、少年と真っ裸で入浴しているシーンまであり、相変わらず脱ぎっぷりの良い女優としても健在でした。
乙羽信子の代表映画⑨1992年「釣りバカ日誌5」
西田敏行さんと三國連太郎の名コンビで知られている、浜ちゃんスーさんが至る所を訪れては、人間らしく温かい物語を見せてくれる痛快なシリーズです。
この頃には、すっかり母親役としてもお茶の間に認知されていることもあり、乙羽信子さんは浜ちゃんの親として姿を見せております。
浜ちゃんの母が、孫の育児のために九州からやってくるのだが、ぎっくり腰のため助けることができなくなりました。
しかたなく浜ちゃんは自身の会社に息子を連れて行くのだが、そこで起こるどたばた劇を面白くユーモラスに描いた、ほっこりする映画です。
乙羽信子の代表映画⑩1995年「午後の遺言状」(遺作)
残念ながら公開される頃には、死因は肝臓を悪くして、すでにこの世にいませんでした。最後まで名女優として、乙羽信子さんは人生の大半を映像に捧げました。
アクトレスの主人公が所有する別荘、委託でマネジメントしてる人物の役でした。
オーナである主人公に対してもはっきり発言をする爽快な女性の役で、世間の心を代弁しているようで受け手の心を鷲掴みにしました。
ところで映画と言えば、キャンプなどしながら映画をみることができる機器でポータブルプロジェクターというものをご存知でしょうか。
もし、これから使ってみたいとご興味のある方や、購入を考えている方がいらっしゃいましたら、こちらの記事も是非あわせてご覧ください。
乙羽信子の代表作①代表ドラマ一覧
ドラマの世界でも乙羽信子さんは、頭角を現していて、日本のお茶の間に広く知られていくことになりました。
無数にある乙羽信子さんがドラマの数々を、世間の評判を交えながら述べていきます。