釣崎清隆は有名死体写真家|死体を撮る理由とは?覚せい剤での逮捕歴も?

釣崎清隆は死体写真家として有名な人物です。ただグロテスクなものを作品としているわけではなく、死というものをもっと身近に感じてほしいという思想の元、長きにわたり死体の写真を撮り続けています。この記事では釣崎清隆の死体写真家としての活動や思想、現在の姿についてご紹介していきます。

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釣崎清隆とは?死体写真家として有名な人物

釣崎清隆は写真家の間では非常に有名な人物であり、死体を撮影する事で非常に有名です。大学は慶應義塾大学文学部の出身であり、卒業後は写真家としての活動を始め、世界の様々な国へと取材に訪れています。

では一体、世界各国でどれくらいの写真を実際に撮ったのでしょうか。紛争地域を含め世界の様々な国で今までに撮られた写真の数や、内容についても紹介します。

釣崎清隆が撮った死体写真は1000体以上にのぼる

terimakasih0 / Pixabay

釣崎清隆は死体を撮る唯一無二の存在であり、主に日本国外を中心とした危険な地域も含め、治安が悪い場所でも自ら足を運び訪れています。

撮影した死体の数は約1000体となっており、他にはない、死をテーマとした写真を約25年もの長い間撮り続けています。

釣崎清隆はなぜ死体の写真を撮るのか?

今までに何枚もの死体を撮り続けてきた釣崎清隆ですが、気になるのはなぜ死体を撮るのかです。本人はどんな思想を持っているのか、また死体に対する考え方などを見ていきます。

死から目をそらしてはいけないという思想

Pexels / Pixabay

釣崎清隆には死は生きている人間なら絶対に訪れる事、また死体から目を逸らす事はいけないという思想があり、この思想がきっかけで何体もの死体をカメラに収めるようになりました。

各国の死体に対する扱いや敬意の払い方の違いを知る

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世界各国へ訪れた経験がある釣崎清隆は、インドでは供養として遺体を神聖な川へ流す事を知り、遺体を傷付けないように丁寧に扱う日本との、死体への扱い方の違いを知るように。

またインドと日本との遺体への敬意の払い方の違いも学んだ事から、死体を撮る事は、国によって文化の違いを学ぶ目的でもあると言われています。

釣崎清隆の写真は漂白された世界に一石を投じている

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最近では死体や残酷な画像を大勢の人目に触れさせるような事は少なくなりましたが、釣崎清隆は亡くなった理由に関わらず、今までに何体もの死体を実際に写真を撮り続けています。

中には反対する意見もありますが、これまでに撮影された死体写真は、死体を人目に触れさせないという漂白された世界へと、一石を投じている作品群であると言えるでしょう。

釣崎清隆が死体写真家になるまで

ここからは釣崎清隆が過去に働いていた場所や死体写真家になるまでの経緯、また映像の世界に興味を持つようになったきっかけ等を説明します。

高校生の頃から自主映画を制作し映像の世界に興味があった

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釣崎清隆が映像の世界に興味を持つようになったのは高校時代と言われており、過去に自主映画を制作した経験があるのも非常に有名な話です。

AV制作会社に魅力を感じ、シネマジックに就職

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過去の仕事は知らない方が多いですが、実は過去にはAVの制作に魅力を持ち、株式会社シネマジックへ就職し、約二年半もの間働いていました。

実は元々V&Rへの就職を検討していたという話があり、恋人に止められた事がきっかけで、シネマジックへ入り働くようになったと言われています。

知人の依頼でバンコクへ行き死体写真を撮るようになった

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釣崎清隆はシネマジックで働いている間も映画を撮影したいという思いが強く、二年半で業界を離れると、知人に頼まれバンコクへと向かう事に。

バンコクへ到着し初めて死体をカメラで撮影する事になりましたが、死体の他にない被写体としての魅力を感じた事から、その後は色々な地域で本格的な撮影を始めるように。

拠点をコロンビアに移した後、エンバーミングと出会い映像を撮り始める

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釣崎清隆はこれまでに何か国かの国へ訪れていますが、1995年頃からは、主に活動場所をコロンビアへと移す事に。

内戦が起こる事もあるコロンビアでは死化粧師のような存在であるエンバーミングが有名ですが、活動場所を移してからこの技術に出会った事により、感銘を受け映像を撮り始める事となりました。

釣崎清隆の活動拠点は?

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釣崎清隆はコロンビアを一つの拠点としていましたが、実は他にも危険な地域に足を運び撮影しています。では一体どんな場所で撮影を行っていたのか、危険な地域を含め紹介します。

活動拠点①メキシコやロシアなどの犯罪地帯

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釣崎清隆は危険な地域へも訪れる事で有名ですが、そんな釣崎清隆が撮影に訪れていた一つの拠点としては、時に危険な犯罪事件が起きる事もあるロシアやメキシコの犯罪地帯などが挙げられます。

特にメキシコの犯罪地帯は治安面で非常に危険ですが、釣崎清隆は死体を被写体としてカメラに収めるため、リスクや危険を恐れずに自ら危険な地域へと飛び込んでいます。

活動拠点②パレスチナなどの紛争地帯

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釣崎清隆はこれまでに沢山の危険と有名な地域での活動を行っていますが、その中でも特に一番危険と言ってもいいのが、紛争地帯として度々名前が上がるパレスチナ等の国です。

パレスチナ等主に中東の国は紛争が起こる事もあり、日本とは比較できない程死体を目にする事が多く、時には紛争で被害に合った人の死体を被写体とし撮影する事も。

活動拠点③日本の樹海や災害現場で遺体を撮影することも

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これまでに釣崎清隆は海外の地域を拠点とし撮影を行っていたイメージですが、実は海外だけには留まりません。過去には日本を撮影場所とし、富士の樹海で遺体を撮影した事も。

また日本は海外の危険地帯に比べると安全ではありますが、2011年には東日本大震災により多くの方が亡くなり、釣崎清隆は実際に現場を訪れ遺体をカメラに収めています。

活動拠点④戦争が起きている国にはあまり立ち寄らない?

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危険地帯での死体撮影を何度も行ってきましたが、実は取れ高が悪く非効率という理由から、あえて戦争が起きるような国に立ち寄る事は避けているという話も。

戦争が起きる国の方が安全な国よりも撮影機会が多いと思いがちですが、実は戦争が起きる国では取れ高が悪く、撮影が非効率という釣崎清隆の独自の考え方が理由としては挙げられます。

釣崎清隆の活動と作品

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釣崎清隆は他の人にはない貴重な経験や知識などを活かし、複数の分野で幅広く活動しています。ここからは写真家としてはもちろん、分筆家や映画監督としての活躍についても迫っていきます。

映画監督として『死化粧師オロスコ』『ジャンクフィルム』などを制作

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監督を担当し長年に渡って制作してきた作品には「死化粧師オロスコ」や「ジャンクフィルム」などがあり、これまでの自分自身の経験を活かした、他にはない唯一無二の作品を残しています。

特に短編集である「ジャンクフィルム」の作品は監督や撮影はもちろん、編集も釣崎清隆自身が行っており、有名な映画祭に選出される程、映画監督としての実力が高く評価されていた事が分かります。

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