【山本義徳】筋肉博士のステロイド使用と現在!ダルビッシュ有との関係も!

そして日本で最もレベルの高い日本ボディビル選手権大会が1994年10月に大阪サンケイホールで行われました。そして8位に入賞することができました。

1995年にドーピング検査に引っかかり2年間の出場停止に

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翌年、JBBF(日本ボディビル・フィットネス連盟)の大会で抜き打ちのドーピング検査で陽性になり出場停止となります。JBBFはドーピングに対して厳格な対応をしていて永久追放される人もいます。

山本義徳の戦歴②IFBBミスターアジア(ライトヘビー級)3位

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JBBFの大会に出場停止となり、日本国内の大会に出場することを辞め、海外に進出します。同年1995年に行われたIFBB(国際ボディビルダーズ連盟)ミスターアジア(ライトヘビー級)で3位に入賞しました。

山本義徳の戦歴③NPC アイアンマン・アイアンメイデンで優勝も

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その3年後の1998年には、NPCアイアンマン・アイアンメイデンで優勝します。このNPC(National Physique Committee)とはアメリカで最大のアマチュアボディビル組織です。

山本義徳の戦歴④NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ(ヘビー級)優勝

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何年もの間、NPCの大会に出場し入賞することができました。そして2005年に行われたNPCトーナメント・オブ・チャンピオンズ(ヘビー級)で優勝しますがこの大会を最後に引退することとなりました。

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山本義徳の現在は?

現在も相変わらず鍛えているので筋肉で身体は大きくなっています。中学生の時に入った陸上部でプロテインを飲むように言われたことによりサプリメント等にも興味を持ち研究に研究を重ねるようになりました。

山本義徳の現在の活動とは

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活動内容はパーソナルトレーナーとして、アスリートのトレーニングや栄養面を指導しています。また、研究熱心が高じて、それらの書籍を出版しています。書籍の出版に関しては、自分のために勉強した栄養学をまとめたデータを整理するために書籍にし、多くの人に伝えたいと思い実現したそうです。

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