ジェレミーブエンディアは世界で人気のボディビルダー
ジェレミーブエンディアは1990年にアメリカで生まれたフィリピンとのハーフの人気の元ボディビルダーです。その鍛え抜かれた肉体美に世界中に数多くのファンが存在します。
ジェレミーブエンディアの生い立ちとボディビル遍歴
華やかな記録を残し順風満帆なボディビル人生に見えるジェレミーブエンディアですが、そこには紆余曲折ありました。ここでは引退までを紹介します。
ジェレミーブエンディアの父はボディビルダー
ジェレミーの父親はフィリピン人であり、ボディビルダーだったこともあり、その影響で少なからず興味はあった様です。
そんなジェレミーブエンディアは5歳の時に、既に20kgのベンチプレスをあげていたそうで、その素質は昔からあった様です。
ジェレミーブエンディアは高校時代にアメフトを始める
ですが、ボディビルに興味はあっても、ジェレミーブエンディアが熱中したのはアメフトでした。ボディビルダーの父親からするとかなりショックだったのではないでしょうか?
昔から兄と比べられることが多く、非常に負けず嫌いであったジェレミーブエンディアっが高校生の時はボディビルを忘れて熱心にアメフトに取り組んでいました。
その努力はすぐに認められて、ジェレミーブエンディアはラインバッカーとして大活躍していました。
ケガをきっかけにボディビルの道へ転身
そのままアメフトの世界にどっぷりつかってしまうかと思いきや、彼は試合中に首の椎間板を損傷する大怪我を負ってしまいました。
そのリハビリに1年間を要してしまい、その間はまともなトレーニングができませんでした。そんな時に次に目指したのがボディビルダーでした。
本格的にボディビルの世界を目指すため、学校にバルクアップ用の食事などを持ち込んでいましたが、いじめの標的にもされてしまいました。
プロカード取得しMr.Olympia出場へ
ジェレミーブエンディアは18歳の時についに満を持してボディビルの大会に出場し、なんと初めての参加にも関わらず、6位に入賞することができました。
ですがこの結果に納得できず、暫く大会には出ずトレーニングに励みましたがその甲斐あって2年後に出場した大会で優勝、更にその2年後の大会も優勝しました。
そして遂にプロカードを取得し、夢の「Mr.Olympia」に出場することになりました。彼は2位という成績を残しながらも、挫折を経験することになったのです。
Mr.Olympia 2014年から4連覇を果たす
Mr.Olympiaとは世界各地のどこかで毎年開催されているボディビル界の最高峰の大会です。これはボディビル界であれば誰しもが優勝を狙うほどの価値があります。
ジェレミーブエンディアは持ち前の負けず嫌いの精神から、二度と負けないと誓い、猛烈なトレーニングの末、2014年のMr.Olympiaは見事に優勝を果たしました。
なんとジェレミーブエンディアはその後、Mr.Olympia4連覇を果たし、まさに「Mr.Olynpia=ジェレミーブエンディア」という様に強烈なインパクトを残しました。
2017年大怪我、Mr.Olympia5連覇逃す
まさに覇者であったジェレミーブエンディアは、17年にトレーニング中に胸の筋肉を断裂、そこから長期間にわたってトレーニングができなくなってしまいました。
トレーニング再開から約5ヶ月で昨年度の肉体くらいまで復活させることができましたが、18年のMr.Olympiaでは4位で終わってしまいました。
ジェレミーブエンディアは2位の記録の時でさえ挫折を味わうほどでしたから、Mr.Olympiaと言えど4位ともなれば、相当の落ち込み様だったと予測できます。
2018年惜しまれる中引退へ
そして、2018年の4位の結果を受けて、やはりジェレミーブエンディアはファンにとって非常に残念な決断をしてしまいます。彼は引退を表明してしまいました。
ジェレミーブエンディアは、アメフト選手時代も怪我で転機を迎えていたので、もしかしたら、今回の大胸筋の怪我をした時点で決めていたかもしれません。
とても悔やまれますが、頂点まで上り詰め、数々に結果を打ち出していることから、彼を責める人は誰1人いないでしょう。
ジェレミーブエンディアその他の戦績
Mr.Olympiaで5連覇を逃したジェレミーブエンディアのその他の戦績もとても華やかなものばかりでした。
2012年からNPCの大会では、4大会で1位を獲得し、IFBBの2つの大会でも1位を獲得しています。Mr.Olympiaを含め、まさに総なめ状態です。
2012年のNPC「San Francisco Championships」では7位でしたので、ジェレミーブエンディアの性格を考えると、相当悔しい結果であったと思います。