梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件の真相!残虐すぎる手口と犯人の動機とは

巨人の星やあしたのジョーで有名な梶原一騎。そんな梶原一騎の娘・白暁燕である白暁燕誘拐事件が発生!切断した小指を送りつけるなど悪逆非道な手口に台湾と日本中が注目していました。今回は白暁燕誘拐殺害事件の概要と、ネットで尾ひれが付きすぎている梶原一騎の娘・白暁燕の死の真相などについてご紹介します。

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梶原一騎の娘・白暁燕とは?残虐な方法で殺されたって本当?

白暁燕という人物は一世を風靡した、あしたのジョーなどの作品が知られる有名な漫画家梶原一騎の娘であり、母親は現在も台湾で活躍するタレントになります。産まれた時から台湾で生活していた梶原一騎の娘ですが高校生の時に誘拐された上残虐な方法で殺害されてしまいます。

その殺害方法はあまりにも凄惨で人間の仕業とは思えないほどであったと噂があります。梶原一騎の娘は16歳でその生涯をとげてしまう壮絶な事件の犠牲者となってしまいます。それは16歳の少女が経験するにはあまりにも過酷で悲しみや憎しみ辛さや苦しみは計り知れないものだったでしょう。

犯人の動機や犯人たちの行動、他にも残された遺族のこと等、梶原一騎の娘の身に起こった出来事について探っていきたいと思います。

梶原一騎の娘・白暁燕とは?

梶原一騎の娘は、2人は娘がまだお腹の中にいるときに別居に踏み切り母親は自分の国へ戻る道を選択していますので、梶原一騎の娘は産まれた後そのまま母親の元で暮らすことになります。

母親が芸能人であった為、テレビ出演する機会もありました。台湾では儒教が布教しているのですが、儒教の世界では日系人であると見られてしまうため母親は日本の血筋が入っている事を隠すために、梶原一騎の娘としてではなく台湾の子どもとして育てSPなどはつけていなかったそうです。

現在では国際結婚は決して珍しいことではなく色々な国の血筋の人間が色々な国で生活をしていますが、当時はまだ人種差別などが若干残っていたり宗教的な問題も絡んでのことだったそうです。

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たしかに、日系として差別することなどを危惧した場合梶原一騎の娘として知られるよりは一般の台湾人の娘として育てたいと考えるのは親としては当然ではありますが、自分自身が有名人であるため金目当ての犯行などを考えSPは付けるべきだったのでは考察できます。

白暁燕誘拐殺害事件で殺害された

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産まれた時から母親の祖国で過ごしていた梶原一騎の娘は母親が生まれ育った国で伸び伸びと成長していきます。高校生になって母親譲りの美しい顔になっていいますが、友人と過ごしていたり普通の高校生活を穏やかに送っていましたがその生活は突如奪われることになります。

いつものように学校を終えた梶原一騎の娘は普段と変わらない道順で家路に向かっているところを誘拐されます。誘拐してから犯人たちが梶原一騎の娘に行った行動は常軌を逸するほどの極悪非道な行いでした。

この犯行の理由については、長年暴力団追放の活動を行ってきた母親への警告と報復・母親に借金をしていたゲーム場経営者からの依頼による説の2つが存在しています。

梶原一騎の娘を誘拐して身代金を要求しお金が手に入らなかったら無残にもまだ若い高校生を殺害するという犯人達が行った行動はあまりにも自分勝手な犯行であり、またこの犯行には多くの協力者がいたと言われています。

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タレントとして活躍する母親の恨みなどが娘に影響してしまったのかは定かではありませんが、いずれにせよ両親ともに日本でも台湾でも有名人という肩書きが彼女の生涯を早く終えてしまった原因の1つなのかもしれません。

梶原一騎の娘・白暁燕の両親と生い立ち

梶原一騎の娘はどのよう少女だったのでしょうか?若くして命を奪われることになった梶原一騎の娘の事や、家庭環境・両親のことについて詳しく説明していきます。

父親は「巨人の星」「あしたのジョー」で有名な梶原一騎

白曉燕は父親はおそらく日本では世代に関係なく名前や作品は誰もが知っている漫画家である梶原一騎の娘になります。代表作には巨人の星やあしたのジョーがあります。50歳で亡くなっているのですが彼の作品は未だに根強いファンがついています。

日本では梶原一騎の娘として名前が知られていますが産まれる前に母親が母国へ帰国しています。彼には様々な黒い噂があり度々マスコミを賑わせていた人物になります。他にも私生活にも問題があったと言われています。

過去には逮捕されたことも

数々のヒット作を世に送り出してきていますが、彼の歴史は全てが順風満帆という訳ではありませんでした。過去に数々のトラブルを起こしたことがあります。1983年に編集者への暴行容疑や恐喝罪などで逮捕されています。

また、覚せい剤取締法違反の嫌疑もかけられていました。逮捕された2か月ごに保釈されることになりますが、保釈当日に贅沢三昧な豪華な食事をし意識を失い壊死性劇症臓炎になり危篤状態となっています。

暴飲暴食とはまさにこのことをいうのでしょう。勾留中は食べ物は質素なものですので、保釈されてすぐに外の空気がうれしく食べたいものを食べたくなる気持ちはわかりますが、意識を失って危篤状態になるほどまで暴飲暴食をするのは節度がないとしか言いようがありません。

母親は台湾人歌手・白冰冰

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日本では梶原一騎の娘として知られている白曉燕ですが、彼女の母親も台湾出身で現在も活躍している歌手になります。彼女は貧しい家庭に産まれ育っていますが、18歳の時に台北の歌唱大会で優勝をしています。

この優勝がきっかけとなり芸能界デビューすることになります。頭角を現した彼女は台湾で確固たる地位を築き上げていきます。台湾での芸能活動を続けており1980年代には台湾でも人気のタレントに成長していましたが、演技と歌唱力に磨きをかける為日本に来日をしています。そこで白冰冰は梶原一騎で出会うことになります。

結婚をした翌年に、彼女は梶原一騎の娘である白曉燕を身ごもることになりますが彼女の人生はまだまだ波乱に満ち溢れたものになりました。

梶原一騎のDVにより白冰冰・白暁燕とは別居へ

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2人が出会ったのは歌唱力と演技力を勉強する為来日していたときに出会い結婚しています。結婚の翌年には梶原一騎の娘として白曉燕が誕生していますが梶原一騎はアルコール依存だったとされおり、その影響でDVが生じていました。

日本には亭主関白や男尊女卑という風習があり、当時はまだ一部の地域や家庭などでは残っていたのでしょう。漫画家として著名となり多くの財を手に入れた彼ですが、その為、横暴癖が出てきたのかもしれません。

様々な要因が重なり、彼女は生まれてくる梶原一騎の娘の身を案じて、別居を決断し台湾に帰国する道を選択します。この台湾への帰国の際に飛行機のチケット代を支援してくた人物がいましたが白冰冰は支援してくれた人が誰かわからず探している旨を発表したところなんとその人物は夫の運転手を務めていた男性でした。

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自分が使えている人の妻と子供を逃がすような行為を行うことが自分の立場をいかに悪くするかわかっている上での行動だったことから、それほどまでに彼女と娘の身をこの運転手も案じていたのでしょう。

白暁燕は白冰冰と台湾へ戻り「普通の」台湾人として生活

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母親の白冰冰は夫のDVから逃れるため古郷の台湾へ帰国した為、梶原一騎の娘の白曉燕は産まれた時に父親と対面することはなく、その後も母親の祖国の台湾で台湾人として生活することになります。

梶原一騎の娘の白曉燕はハーフでしたが、母親は自分の娘が日系として見られることを避けるために梶原一騎の娘ではなく、台湾人の娘として育てていくことを決意し、学校も普通の学校に通わせSP等も特につけていませんでした。

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