梶原一騎の娘・白暁燕とは?残虐な方法で殺されたって本当?
梶原一騎の娘
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白暁燕という人物は一世を風靡した、あしたのジョーなどの作品が知られる有名な漫画家梶原一騎の娘であり、母親は現在も台湾で活躍するタレントになります。産まれた時から台湾で生活していた梶原一騎の娘ですが高校生の時に誘拐された上残虐な方法で殺害されてしまいます。
その殺害方法はあまりにも凄惨で人間の仕業とは思えないほどであったと噂があります。梶原一騎の娘は17歳でその生涯をとげてしまう壮絶な事件の犠牲者となってしまいます。それは17歳の少女が経験するにはあまりにも過酷で悲しみや憎しみ辛さや苦しみは計り知れないものだったでしょう。
犯人の動機や犯人たちの行動、他にも残された遺族のこと等、梶原一騎の娘の身に起こった出来事について探っていきたいと思います。
梶原一騎の娘・白暁燕とは?
白暁燕誘拐殺害事件の真実とは【被害者は梶原一騎の娘】 – NAVER まとめ http://nav.cx/kcumG
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梶原一騎の娘は、まだ母親のお腹の中にいるときに両親が別居に踏み切り母親は自分の国へ戻る道を選択していますので、梶原一騎の娘は産まれた後そのまま母親の元で暮らすことになります。
母親が芸能人であった為、テレビ出演する機会もありました。台湾では儒教が布教しているのですが、儒教の世界では日系人であると見られてしまうため母親は日本の血筋が入っている事を隠すために、梶原一騎の娘としてではなく台湾の子どもとして育てSPなどはつけていなかったそうです。
現在では国際結婚は決して珍しいことではなく色々な国の血筋の人間が色々な国で生活をしていますが、当時はまだ人種差別などが若干残っていたり宗教的な問題も絡んでのことだったそうです。
たしかに、日系として差別することなどを危惧した場合梶原一騎の娘として知られるよりは一般の台湾人の娘として育てたいと考えるのは親としては当然ではありますが、自分自身が有名人であるため金目当ての犯行などを考えSPは付けるべきだったのでは考察できます。
白暁燕誘拐殺害事件で殺害された
産まれた時から母親の祖国で過ごしていた梶原一騎の娘は母親が生まれ育った国で伸び伸びと成長していきます。高校生になって母親譲りの美しい顔になっていいますが、友人と過ごしていたり普通の高校生活を穏やかに送っていましたがその生活は突如奪われることになります。
いつものように学校を終えた梶原一騎の娘は普段と変わらない道順で家路に向かっているところを誘拐されます。誘拐してから犯人たちが梶原一騎の娘に行った行動は常軌を逸するほどの極悪非道な行いでした。
この犯行の理由については、長年暴力団追放の活動を行ってきた母親への警告と報復・母親に借金をしていたゲーム場経営者からの依頼による説の2つが存在しています。
梶原一騎の娘を誘拐して身代金を要求しお金が手に入らなかったら無残にもまだ若い高校生を殺害するという犯人達が行った行動はあまりにも自分勝手な犯行であり、またこの犯行には多くの協力者がいたと言われています。
タレントとして活躍する母親の恨みなどが娘に影響してしまったのかは定かではありませんが、いずれにせよ両親ともに日本でも台湾でも有名人という肩書きが彼女の生涯を早く終えてしまった原因の1つなのかもしれません。
梶原一騎の娘・白暁燕の両親と生い立ち
オールジャンルのオージャン : 【閲覧注意】女子高生コンクリ事件よりもひどい殺人事件ってあるんだな 白暁燕誘拐事件って知ってるか? http://blog.livedoor.jp/ogenre/archives/1846602.html #2chmatome
引用元:オールジャンルのオージャン@ogenreさん
梶原一騎の娘はどのよう少女だったのでしょうか?若くして命を奪われることになった梶原一騎の娘の事や、家庭環境・両親のことについて詳しく説明していきます。
父親は「巨人の星」「あしたのジョー」で有名な梶原一騎
梶原一騎, 寺山修司, 服部良一。
白曉燕は父親はおそらく日本では世代に関係なく名前や作品は誰もが知っている漫画家である梶原一騎の娘になります。代表作には巨人の星やあしたのジョーがあります。50歳で亡くなっているのですが彼の作品は未だに根強いファンがついています。
日本では梶原一騎の娘として名前が知られていますが産まれる前に母親が母国へ帰国しています。彼には様々な黒い噂があり度々マスコミを賑わせていた人物になります。他にも私生活にも問題があったと言われています。
過去には逮捕されたことも
数々のヒット作を世に送り出してきていますが、彼の歴史は全てが順風満帆という訳ではありませんでした。過去に数々のトラブルを起こしたことがあります。1983年に編集者への暴行容疑や恐喝罪などで逮捕されています。
また、覚せい剤取締法違反の嫌疑もかけられていました。逮捕された2か月後に保釈されることになりますが、保釈当日に贅沢三昧な豪華な食事をし意識を失い壊死性劇症臓炎になり危篤状態となっています。
暴飲暴食とはまさにこのことをいうのでしょう。勾留中は食べ物は質素なものですので、保釈されてすぐに外の空気がうれしく食べたいものを食べたくなる気持ちはわかりますが、意識を失って危篤状態になるほどまで暴飲暴食をするのは節度がないとしか言いようがありません。
母親は台湾人歌手・白冰冰
日本では梶原一騎の娘として知られている白曉燕ですが、彼女の母親も台湾出身で現在も活躍している歌手になります。彼女は貧しい家庭に産まれ育っていますが、18歳の時に台北の歌唱大会で優勝をしています。
この優勝がきっかけとなり芸能界デビューすることになります。頭角を現した彼女は台湾で確固たる地位を築き上げていきます。台湾での芸能活動を続けており1980年代には台湾でも人気のタレントに成長していましたが、演技と歌唱力に磨きをかける為日本に来日をしています。そこで白冰冰は梶原一騎で出会うことになります。
結婚をした翌年に、彼女は梶原一騎の娘である白曉燕を身ごもることになりますが彼女の人生はまだまだ波乱に満ち溢れたものになりました。
梶原一騎のDVにより白冰冰・白暁燕とは別居へ
2人が出会ったのは歌唱力と演技力を勉強する為来日していたときに出会い結婚しています。結婚の翌年には梶原一騎の娘として白曉燕が誕生していますが梶原一騎はアルコール依存だったとされおり、その影響でDVが生じていました。
日本には亭主関白や男尊女卑という風習があり、当時はまだ一部の地域や家庭などでは残っていたのでしょう。漫画家として著名となり多くの財を手に入れた彼ですが、その為、横暴癖が出てきたのかもしれません。
様々な要因が重なり、彼女は生まれてくる梶原一騎の娘の身を案じて、別居を決断し台湾に帰国する道を選択します。この台湾への帰国の際に飛行機のチケット代を支援してくた人物がいましたが白冰冰は支援してくれた人が誰かわからず探している旨を発表したところなんとその人物は夫の運転手を務めていた男性でした。
自分が使えている人の妻と子供を逃がすような行為を行うことが自分の立場をいかに悪くするかわかっている上での行動だったことから、それほどまでに彼女と娘の身をこの運転手も案じていたのでしょう。
白暁燕は白冰冰と台湾へ戻り「普通の」台湾人として生活
母親の白冰冰は夫のDVから逃れるため古郷の台湾へ帰国した為、梶原一騎の娘の白曉燕は産まれた時に父親と対面することはなく、その後も母親の祖国の台湾で台湾人として生活することになります。
梶原一騎の娘の白曉燕はハーフでしたが、母親は自分の娘が日系として見られることを避けるために梶原一騎の娘ではなく、台湾人の娘として育てていくことを決意し、学校も普通の学校に通わせSP等も特につけていませんでした。
日本で世間から認知されているのは有名漫画家の娘であるということですが、母親はごく普通の台湾人の女性として育ててきました。しかし、メディアに顔が出るようになってからもSPは付けずに行動していたため、この行動が裏目に出たのではとも言われています。
貧富の差が激しい国などでは自分や家族の生活を守る為に富裕層の子どもを誘拐して身代金を奪ったりするケースは頻繁に発生しています。今回も、母親が有名人であり本人も母親と共にテレビ等に出る機会が増え目をつけられてしまったと推察できます。
白暁燕は白冰冰とテレビ出演することも
日系ではなく台湾の子女として生活をさせたいという母親の思いから、他の女子高生と変わらない時を過ごしていた梶原一騎の娘ですが、母親が芸能活動をしていた為成長するにつれて母親と共にテレビに出演する機会が徐々に増えていく事になります。
このことから梶原一騎の娘の顔は台湾中で知られることになったのでしょう。この頃から多少なりとも周囲を警戒していれば最悪の事態は避けられたのかもしれません。
梶原一騎が亡くなった後に誘拐事件発生!守れぬ父の無念さ
梶原一騎の娘が拉致監禁・殺害されてしまう10年前に父親は年明け早々体調不良により入院し同月21日にそのまま50歳でこの世を去っています。
自分のアルコール中毒や暴力が原因で娘とは離れ離れの生活となり娘が若くして命を奪われた事実を知りません。娘がつらい目に合っているときに自分は既にこの世にはおらず、娘を守ることができなかった父親の無念さはとても大きいものでしょう。
また、彼に近い関係者の人も、「もし梶原が生きておりこのことを知れば、彼は間違いなく犯人へ報復をしていた」と語っています。一緒に住んでいなくとも、違う国に住んでいようとも白曉燕は梶原一騎の娘であることには変わりないため子を想う父親の気持ちは皆同じということでしょう。
梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件の概要
ここからは、梶原一騎の娘の白曉燕が犠牲となってしまった今回の出来事の全貌について見ていきます。まだ若く未来ある少女の命が無残にも奪われてしまったものになり、史上類をみない残虐な誘拐事件とされ今もなお人々の記憶に刻まれている事件となります。
梶原一騎の娘は解放されることなく僅か17歳で生涯を終えることになりました。彼女の遺体を検死した担当者も、こんなにも悲惨な状態は見たことがないと言う程の様相だったそうです。
犯人達の行動や、残虐性被害者に対する仕打ちや被害者の母親に送り付けてきた証拠などを説明していきます。
高校からの帰宅途中で誘拐
陳進興・林春生・高天民主導の元、学校帰りの梶原一騎の娘を待ち伏せし学校帰りの梶原一騎の娘が犯人が潜んでいた車を通過する頃合いを見計らい梶原一騎の娘を拉致して鼻以外の顔をゴムバンドで拘束しています。
学校が終了する時間をわかっていたことや、まだ人通りも幾分ある時間帯であったことからやはり周到に計画をたて一人になる場所や人目につかない場所などを把握していたのではと推測できます。
鼻を塞がなかったのは息ができるようにして、身代金を手に入れるまで窒息死されるのを避けるためです。学校からの帰宅時間を狙っている為まだ人通りもあった中での犯行で計画性が伺えます。
身代金は500万ドル!切断された小指が送られる…
梶原一騎の娘は縛られ拉致監禁され言葉を失うほどの暴虐武人なことをされ、左手の小指を切断しています。証拠として写真と一緒に送り付けて身代金を要求しています。大切な娘の切断された指が送られてきたときの母親の気持ちは絶望へと突き落とされたような感覚だったと推察できます。
証拠とは言え、指を切断されるなど女性しかもまだ高校生の彼女にとっては他人には到底理解的ない苦痛と悲しみ怒りがわきがっていたことでしょう。犯人達がいかに目的のためなら手段を択ばない人物だったのかが想像できます。
受け渡し場所に犯人現れず
犯人が身代金の受け渡し場所として指定してきたのは、とある霊園でした。警察は受け渡し場所へと向かいますが誰も現れることなく、周囲を確認したところ、新たな身代金要求のことが書かれたメモ紙があっただけでした。
母親は娘のために犯人の要求通りにしますが、現金の受け渡しは失敗に終わってしまいます。お金を手に入れることができなかった連中は腹いせに梶原一騎の娘に集団暴行をして度重なる暴行の末彼女は殺害されてしまいます。
女子高生1人に大の大人の男数人で暴行をされてしまっては当然力で勝てるわけもなく、また彼女は指を切断されていますので出血から貧血なども起こしていたことも推測でき抵抗する体力は殆どのこされていなかったのでしょう。
その後角材に手足を縛り付け遺体をドブ川に遺棄された事件になります。当時梶原一騎の娘の白暁燕はまだ17歳で彼女の中にも将来の夢は満ち溢れていたはずですがその夢も命も無残に奪われることななりました。
警察が犯人グループのアジトへ乗り込むも主犯格逮捕ならず
事件発覚から数日後、警察は犯人グループのアジトを突き止めることに成功します。そこで、警察は犯人グループを襲撃しますが、犯人グループ7名のうち、4人は逮捕することに成功します。
しかし、事件の真相を知っているであろう肝心の主犯格3人が逃亡してしまい梶原一騎の娘の発見も犯人逮捕も大幅に遅れてしまいました。警察の失態ともいえます。
この時、全員を逮捕することができていれば真相を知る人物に自殺されることなく、梶原一騎の娘の死の真相は全て明らかになっていたかもしれないことを考えると残念でなりませんが警察はもちろん諦めたわけではありませんでした。
白暁燕は見つからず人質開放をテレビで訴える
アジトを突き止め、突入し4人を逮捕することに成功した警察ですが、肝心の被害者の行方は分からないままでした。しかしまだ梶原一騎の娘が生存しているという希望はありました。警察は一筋の希望にかけ梶原一騎の娘が無事でいることを考慮し、居場所を知る目的で母親や犯人の身内をテレビに出演させます。
人質となっている、梶原一騎の娘白曉燕の開放や逃げている主犯格の3人の自主を訴えていました。しかし、このテレビ出演からマスコミの報道は過熱していきマスコミが白冰冰ら親子の住む家の扉を破壊してしまう事態も発生しました。
当時は、メディア等で訴えかけたり新聞などに掲載することにより犯人を動きを抑制させるという動きが主流だったそうです。梶原一騎の娘が誘拐された時も同様の方法となりますが、これが裏目となる場合もあります。
日本でも誘拐された子どものことが報道され犯人を抑圧するつもりが逆に犯人を刺激してしまい子どもが殺害されてしまうという痛ましい事件がありました。報道で真実を伝えることは大切なことですが報道の在り方は日本でも世界でも課題の1つと言えるでしょう。
銃撃戦で犯人は自殺
逃亡している連中には自首や投降を促すのではなく見つけ次第射殺するようにとの命令が下されていました。梶原一騎の娘が誘拐されてから4か月後逃亡中の主犯格を発見しますが、ことはうまくいかず警察官800人との間で銃撃戦が繰り広げられることになりました。
この銃撃戦により警官2人が死傷することになり、3人の内1人は6か所近くの銃弾を浴び自ら命を絶つことを選択して事件の真相の口を閉ざします。
この銃撃戦が行われる前の6月と8月に同じように誘拐事件を企て身代金を奪うことに成功し犯人たちは更に逃亡することになります。身代金の支払いに成功している為被害者は無事解放されています。
最初の銃撃戦から3か月後には2度目の銃撃戦となり警察が周囲を囲んでいたので、逃げ切れないと悟った高天民は梶原一騎の娘の事件の事を話すことなく自ら拳銃自殺を図ります。
残る主犯は立てこもり事件を起こす
主犯格3人のうち自殺を図った2人は真相を墓まで持っていきます、そして残りの1人の陳進興は南アフリカ大使館駐在武官官邸に5人の人間を人質に立てこもり事件を起こすことになります。
2度の銃撃戦と立てこもり事件を経てこの事件はようやく終息へと向かうことになりました。また、この誘拐事件に関する他の記事はこちらをご覧ください。
梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件について当時の日本報道は?
産まれる前に、娘の白曉燕と離れ離れに暮らすことになりましたが、この事件は日本ではどのように扱われたのでしょうか?梶原一騎の娘誘拐事件の日本での報道の様子などについて見ていきます。
台湾で一番の凶悪事件とされる
梶原一騎の娘の出来事は、被害者へ行った数々の非人道的な行いから台湾の歴史の中で最も残忍で凄惨な凶悪事件と呼ばれています。台湾ではあまり残忍な事件が発生しているなど聞かないため、梶原一騎の娘の事件は台湾だけでなく世界に衝撃を与えます。
殺害事件というのは、被害者の無念はもちろん被害者遺族も大切な家族を失った悲しみを一生抱いて生きていく事になります。そして犯人も人の命を奪った責任を一生罪の十字架として背負うことになります。殺人は被害者も加害者も報われることのない犯罪になります。
日本でも「梶原一騎の娘・白暁燕」として大々的に報道へ
犠牲となった少女が有名漫画家の娘であったことから日本でも大きく取り上げられた事件になります。梶原一騎の娘が被害者となったという事実も日本中を駆け巡りましたが、その後待ち受けていた被害者となった梶原一騎の娘の状況等も連日大きな話題となりしばらくは日本のニュースで取り上げられることになりました。
しかし、まだネット等が十分に普及していない年代でまた情報源も不確定なことが多かったことから事件の報道は憶測が殆どでありこの憶測が尾ひれをつけて過剰に報道されることもありました。
梶原一騎の娘・白暁燕を誘拐した犯人陳進興に下った判決は?
梶原一騎の娘白暁燕の誘拐事件の主犯格3人の内の1人陳進興は他の真相を知るメンバーが2人自殺したため、1人だけ裁判で裁かれることになります。ただ一人生き残った主犯格に下された判決や協力者について見ていきます。
判決は死刑5回・懲役59年
最終的な判決は死刑5回、懲役59年9カ月という判決でした。そして、その年の10月に陳進興の死刑は執行されています。陳進興が今回の事件の真相を全て話したのかは明らかにされていません。
賠償金は史上最高額の6億円超!
この梶原一騎の娘誘拐事件は、母親への賠償金も発生していますが、その額は台湾史上最高額と言われている約1億7000万台湾元だったそうです。当時の日本円に換算すると約6億円の金額になります。