田野岡大和くんとは?北海道で置き去りにされた少年
皆さんはこの少年の事を知っていますか?この少年の名前が大々的にニュースで報じられて、世間に知れ渡ったのは現在から3年前の事なので、まだ記憶に新しい方も少なくないのではないでしょうか?もちろんあまりご存じのない方もいらっしゃるはずです。では彼はどのようにニュースで報じられたのでしょうか?
まずある日本の場所が現場になったのですが、それは本州よりもさらに北に位置する島『北海道』です。彼はこの地に存在する無数の木々が生い茂る深い森、それも『山奥』で一人残されてしまい、迷子を通り越して家族の前から突如姿を消してしまったのです。その後果たして彼は無事に生還して家族のもとに帰ってきたのか。この後詳しく事件の全貌や彼についてご紹介していきます。
日野岡大和くんとはどんな少年なのか?家族関係は?
なぜまだ幼気な我が子を無数の木々が生い茂る深く険しい『山奥』に一人で残して放置してしまったのでしょうか?その時彼の父親がそばにいたのですが、彼がある『問題行動』を起こしたがために躾や教育のためにあえて厳しく見放したと、父親は証言しました。では彼が起こした問題行動とは何だったのでしょうか?
また彼はどんな少年なのでしょうか?まずここでは詳しく彼がどのような人物なのか考察してまとめていきます。更に家族構成や家族との仲はどうだったのか?家庭で『虐待』や暴力はなかったのか?など事態を起こした原因でもある少し過激な『躾』からこんな疑問も湧いてくるはずですので、そちらも解説していきます。
田野岡大和くんは発達障害なのか?
当時彼は父親と二人で『山奥』に自然に生えている、食すことができるような野菜などの植物を採りに出かけていたのですが、そこで彼はある『問題行動』を起こしてしまったのです。彼は見ず知らずの通りがかった他人に対して、容赦なく地面に転がっていた『石』を投げつけたのです。いくら幼いとはいえそれは立派な犯罪になりかねません。
どのくらいの大きさの石だったのか、どれくらいの勢いで、どの部位をめがけて投げたのか?などは詳しく語られていませんが、もしかしたら怪我だけでは済まされない事態になっていたかもしれません。更に彼は他人だけではなく通り行く乗用車にも目がけて躊躇なく投げつけました。相手のドライバーが訴えれば『軽犯罪』が成立しかねません。
善悪の判断がつかず他人に関心がない行動
当時の彼の年齢は『7歳』でした。恐らくは家庭においても幼稚園や小学校においても、ごく普通の教育や躾を受けて育っているはずですし、集団行動も経験しているはずです。であれば見ず知らずの『他人』に石を投げつけるという行為が『悪いこと』してはいけない行動であると理解していないとおかしいのです。
しかし彼は容赦なく躊躇もなくそのような悪いこと、すなわち問題行動に走りました。犯罪者でもなければまだ未成年それも小学生だったので、どんな人物であるか人格や生い立ちなどはあまり公開されていませんが、善悪の判断がつかず他人に関心がない行動をとった彼は『精神疾患』や『発達障害』の疑いがあるかもしれません。
田野岡大和くんの父親は仕事ができる良き父親だった!?
彼がまだ少年ながらにして撮った『問題行動』も世間やマスメディアでは大きく関心を寄せ、話題になりましたが、一方で『教育』や『躾』と称して息子である幼気な少年を一人で木々が生い茂り深い森に残してしまうのは、如何なものなのか?やり過ぎなのではないか?虐待にあたるのではないか?と疑問視され話題になりました。
父親は当時40代半ばで職業はいわゆる『エンジニア』であり、課長に就いていて職場からもできる人物として知られていました。もしかしたら現在は重役にまで上り詰めているかもしれません。仕事に明け暮れて家庭の事など顧みない。そんな親もなかにいますがこの父親はどうやら違ったようです。
子育てもできる父親?
この家庭の自宅近くに住む地元住民からは、よく公園や施設などで子供たちと遊ぶ父親の姿を見ていると、取材から確認されているのです。つまりは仕事だけではなく、家庭や子供のこともしっかり面倒を見て支える、愛に溢れる『良きパパ』であったことが伺えるのです。であればやはり問題は息子である少年にあるのでしょうか?
田野岡大和くん母と姉、祖父母との家族仲は良好
父親と突如いなくなってしまった張本人である少年に関してはマスメディアが大きく取り上げられ、実名まで公開されていますが、そのほかの家族の情報はほとんど公開されていません。家族構成は父親、母親、娘、息子、祖父母だという事が分かっております。また母親は『ナース』の仕事に就いていたと囁かれています。
後述にて詳しく解説しますが実は世間やマスメディアからこの母親のある言動が非難されました。つまりこの母親も今回の事件において深く関与している人物です。また両親ともに働いているので、子供たちの面倒や教育は『祖母』が中心になって行っていたと考えられます。少年と他の家族との関係は『良好』でした。
両親ではなく祖母が面倒を見ていた
事実として虐待や暴力などの劣悪な家庭環境ではなかったことが明らかとなっていますが、両親は2人ともそれぞれ日中は働いており、面倒は祖母が見ていたと言われています。両親とのコミュニケーションが少なくなってしまっていて、少年である彼は見放されているのかと、どこか『寂しさ』を感じていたのかもしれません・・・。
日野岡大和くんが置き去りにされた「北海道置き去り事件」の概要
先ほど簡単に深い森林に包まれる山奥に、一人残されていなくなってしまった少年の『問題行動』や人格などについて考察していき、また彼の家族構成や両親のプロフィールなどをご紹介していきました。続いてはいよいよ3年前の平成28年に起きてしまった『事件』の概要について詳しく解説していきます。
当然この事件の事をあまりご存じない方もいらっしゃるはずですので、その当時のことを時系列ごとに何が起きて、誰が何をしたのか?などの詳細を分かり易くまとめていきます。前述ではいなくなってしまった彼の結末についてはあまり触れませんでしたが、こちらでその最終的な結末についてもお話しします。
日野岡大和くん置き去り事件①男児行方不明で警察に通報
現在から3年前の平成28年5月、その日、日本の最北端、本州の北に位置する『北海道』に住んでいた一組の家族は、地元周辺に存在していた木々が生い茂る深い森林であった『山奥』に、自然に生えていて食すことのできる野菜や植物を採りに出かけていました。事が起きてしまったのは夕方の時間帯でした。
一緒に出掛けていたはずの家族の一員である『少年』が突如いなくなってしまったのです。彼がいなくなってしまったことに気づくと、すぐに父親が警察に通報して事態が発覚しました。こうして最初は迷子やはぐれてしまったことによる『行方不明』として警察により事件として、捜査および捜索が開始されました。
田野岡大和くん置き去り事件②しつけのために父親に置き去りに
当然警察もニュースとして報じたマスメディアたちも、いなくなってしまったのはひょんなことで、両親の不注意により急に姿を消してしまって迷子になってしまった、はぐれてしまったものだと考えて報じていましたが、後の父親の証言によりそうではなかったことが判明するのです。ではどういったことだったのでしょうか?
前述でも解説したとおり、それは父親が『教育』や『躾』のためにその少年を無数の木々が生い茂る、深い森林の山奥に一人にして残してしばらく放置したというものだったのです。つまり少年に反省させるためにあえて、冷たく怖い思いをさせて分からせようとしたのです。もちろんこの父親の教育も世間から関心を集め批判を浴びました。
田野岡大和くん置き去り事件③6日間の捜索の末無事発見される
いなくなってしまったその日にも警察や家族で必死に捜索が開始されましたが、少年の姿を発見することはできず、2日目には警察官だけではなく『消防隊』も捜索に加わり勢力をあげて捜索に当たりましたが、この日も発見できませんでした。最終的には自衛隊員までもが動員されて辺り一帯をぬかりなく探しましたが見つかることはできませんでした。
体力的にも立地的にも少年の命に支障をきたすくらいの時間が既に経っていました。現場では非常に緊迫した空気が立ち込めて家族も捜索に当たっている各隊員も焦りを感じ始めて、連日マスメディアもその様子をニュースで報じていたので日本中が心配しました。恐らくこの時きっかけを作ってしまった父親が一番罪悪感を感じていたことでしょう。
そしてようやく・・・
少年が深い森林の山奥で一人残されたことにより、いなくなってしまってから6日が経過して『7日目』のことでした、彼がようやく発見されたのです。それも怪我一つなく命に別条ない元気な姿で見つかりました。家族で出かけて訪れていた山奥から、5キロメートル以上離れており、徒歩で通れる道となれば10キロメートルは優に超える『自衛隊』の施設で発見されたのです。
その施設の入り口、門の前に一人でポツリと立っていたそうで、自衛隊員が声をかけると身元が確認できすぐに『お腹が空いた』と発言したそうです。すぐに水と食料を与えて、こうして無事に保護されました。
生還できたポイント
この連日は辺り一帯雨が降り続いていて、そのような環境では余計に体力が奪われてしまいかねないのですが、彼は移動しながらも雨宿りをしていたと証言したのです。この行動が『生還』に繋がったと専門家はそう話しています。また学校生活の中でもスポーツ万能で運動神経に優れた生徒として知られていたそうです。
田野岡大和くん置き去り事件④田野岡大和くん発見後に父親が謝罪
現場から遠く離れた場所に位置する自衛隊の施設で保護され、行方不明であった少年が無事に発見されたあと、今回の事件を引き起こしてしまった原因、つまりは少年を無数の木々が生い茂る森林の山奥に一人で残した父親は、報道陣の取材を受けてマイクが向けられると、マスメディアや警察、世間に向けて謝罪しました。
『自分の行き過ぎた躾や教育のための行動が、息子に非常につらい思いをさせ、危険な目に遭わせてしまった』と話して、更に『皆さん(各方面)にご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございませんでした』と深く謝罪しました。そのあと捜索に携わった各隊員に対して感謝の意を述べて、今後はこのようなことを引き起こさないように子供を大切にする旨を語りました。
行き過ぎた躾については
自信がとってしまった行き過ぎた『躾』については、『これまでずっと愛称を込めて我が子を育ててきたのは事実で、このようなことにはなるとは思っていなかった。深く反省している。自分としては我が子のためにと行き過ぎた躾をした』とそう発言しました。
田野岡大和くん置き去り事件⑤両親は警察に児童相談所へ通告された
上記の通り父親は全面的に自身がとった『教育』や『躾』が間違っていたことを認めて、反省しそれを謝罪しました。父親の取った行動が肉体的暴力ではなく、精神や心理的に虐待に当たる疑いがあるとして児童相談所に報告して通達しました。
しかしもともと家庭環境が劣悪なものでもありませんでしたし、父親や母親、そのほかの家族との関係も良好であったので施設に移される心配はないと考えられます。現在はきっと愛情にあふれた絆の強い家族として一緒に生活しているのではないでしょうか?なんにせよ少年が生還し、無事に発見できて本当に何よりであります。
なぜ事件は起きた?田野岡大和くん置き去り事件の不可解な点
先ほどのコラムで、事件がいつ起きて何がきっかけで少年がいなくなってしまったのかなど事態が起きてしまった当時の状況、どれくらいの時間どれくらいの隊員が動員され捜索にあたったかなど、そして最終的には6日経過して7日目で自衛隊の施設で保護され、無事に発見されたという一連の流れについては理解していただいたはずです。
少年が一人でサバイバル状態の中を静観して、無事に発見されて何よりなのですが、実はこの事件の背景ではある腑に落ちない出来事があったのです。それがいったい何だったのか?どんな内容なのか?次にこちらで解説していきます。
田野岡大和くん不可解な点①父親の証言が二転三転する
発見された際は、マスメディアや各報道陣のまえで、世間や警察、息子に対して深く謝罪して反省していた父親ですが、実は事態を報告する際、つまりは自身の我が子がいなくなってしまったことを通報する際と、後の証言が『二転三転』していたのです。その二転三転した証言がどういう内容か詳しく解説していきます。
初めに警察に通報した際には『家族で森林が生い茂る山奥まで、食すことのできる植物を採りに出かけていたら、息子が突如いなくなってしまった』と不意に迷子になりはぐれてしまったと証言しているのに対して、2日目の午前中には『教育や躾のために意図的に一人で残して放置した』と証言したのです。
なんで真相を明かしたのか?
なぜ父親は2日目の午前中にいなくなってしまった『きっかけ』の真相を急に明かしたのでしょうか?罪悪感に駆られたため、真相を伝えることで発見につながると思ったからなど色々考察する事ができますが、恐らくは警察がある『矛盾』に気づいてそれを突っ込まれたからだと言われています。ではその矛盾とはいったい何なのでしょうか?
それは当初、家族で無数の木々が生い茂る山奥に訪れたのは、食すことのできる『植物』を採りに来たためだと話していたのですが、その植物が一つも所持していなかったそうなのです。そこを警察が指摘して真相が明らかになったのではないかと言われているのです。そうだとすると、わざわざ行き過ぎた『躾』のために家族でそこまで出かけたのでしょうか・・・?
行き過ぎた『躾』の詳しい概要
- 乗用車で木々が生い茂る山道を進んでいた
- 途中で少年だけを降ろして数百メートルほど進んだ
- 泣きじゃくったので乗せた後、また降ろして数百メートルほど進んだ
- 戻ったらいなくなっていた
田野岡大和くん不可解な点②父と姉の証言が食い違う
2日目の午前中に上記の『行き過ぎた行動』の真相を父親が包み隠さず証言して、当初ついた嘘は、その行動が『躾』や『教育』ではなく『虐待』とみなされて世間や周りから非難されるのではないかと危惧したためだと胸の内を語りました。一方で警察に父親の娘も当時の状況を証言していたらしく、2人の言っている事が大きく食い違っていたのです。
その娘は『父親と少年は二人で車から降りて、目的どおり木々が生い茂る山奥に出かけて、食すことのできる植物や野菜を採りに行き、しばらくして父親だけ戻るといなくなってしまった事態が告げられた』と言って、当初の父親の証言に、『辻褄』を合わせるかのように口裏を合わせるかのように、『虚偽』の内容を話したのです。
田野岡大和くん不可解な点③母親も嘘の証言に加担
実は当時マスメディアが報じたニュース番組の中で、母親がいなくなってしまった少年を探す様子の映像が流れましたが、その際に母親であれば必死に焦りを感じて懸命に『我が子』の名前を呼びかけるのが普通の行動と考えられますが、彼女はどこか平然として端的に呼びかけていて必死さが見られなかったという世間の声があがっていたのです。
そしてその様子からある一つの疑惑が生まれました。この母親が娘や父親がこの事態について警察に言及する際に、立場が悪くならないように、指摘や非難されないように嘘の証言を述べるように提案して誘導したのではないかと囁かれているのです。そして2人の口裏を合わせるように仕向けたのではないかと考えられています。
田野岡大和くん「北海道置き去り事件」奇跡の生還
この一連の事件がマスメディアにより報道され、世間に知れ渡り父親の行き過ぎた『教育』について問題視されて話題を集め、更に虚偽の内容をはじめの通報の際に警察に伝えていたことが明らかになっって、より強い『バッシング』を受けましたが、報道陣の前で会見に臨んだときには誠心誠意、謝罪と反省の意を見せていたので世間の多くは『常識人』として捉えたのではないでしょうか。
事の張本人である少年も見ず知らずの他人に石を投げつけるという、大変危険で犯罪につながりかねない『問題行動』を起こしていたことが明らかになり、一部では少年も非難の対象になりました。しかし一方で奇跡の生還を遂げたという、彼の『サバイバル能力』や『生命力』についても関心が集まりました。ここではそんな彼の行動について振り返っていきます。
田野岡大和くんの奇跡①発見場所は自衛隊の宿泊施設
もう一度振り返ると保護されて発見されたのは、当時家族が訪れていた『山奥』から直線距離では5キロメートル、実質の移動距離は10キロメートル離れた場所に位置する自衛隊の施設でした。この距離は当然大人であってもなかなかの距離がありますが、彼は子供であったので身体も小さく体感的には倍近く感じたはずでしょう。
しかしながら、彼が発見されたのはいなくなってから6日経過した7日目だったのです。単純計算すれば一日2キロメートルも進んでいないことになるのですが、体力がなく身体が衰弱していたためでしょうか?もちろんその理由も考えられますが、発見されたときそこまで衰弱しておらず、むしろ元気であったらしいので理由はほかにあると考えられます。
事件当日の夜に
実は事件当日、つまりは家族とはぐれてしまったその日の夜に自衛隊の施設に到着して、そこで発見されるまで生き長らえていたのです。そこでどのように生活をしていたなどかは後述にて詳しく解説します。
サバイバルを生き抜く能力
実はその当時、連日のように雨が降り続いていたのです。こうした環境下であればより一層体力を奪い、衰弱に拍車をかけます。彼は生まれながらの嗅覚と勘が備わっていたのか、雨が降っている時間は無理に動こうとせず、雨宿りできる場所でその場をやり過ごしたというのです。この点も彼が無事に生還できた大きな要因であると専門家は言いました。
彼の事をよく知る人物によると、学校生活の中でも体育やスポーツにおいて、常に余裕を見せていたくらい体力がずば抜けていて、また7歳とは思えない発想で周囲の教師や大人たちを出し抜くアイデアが思いつく人物だそうで、もともと彼はサバイバルを得意とする『冒険家』のような素質があったのかもしれません。
田野岡大和くんの奇跡②施設は鍵がかかっていなかった
『奇跡』はそれだけではなかったのです。自衛隊の施設の入り口は2つありましたが、本来はその扉は両方とも一般市民が侵入できないように鍵がかけられているはずなのですが、内1つの扉にはたまたまカギがかかっていなかったのです。これにより彼は施設内に侵入する事が出来て、隊員たちが使用する布団のようなものに包まり身体を温める事ができたのです。
またその施設内で水も補給して飲んでいたそうです。当然ながら一部では本来きちんと施錠をしておかなくてはならない扉を不注意で解放状態にしてしまって、一般市民の侵入を簡単に許してしまった自衛隊のセキュリティーも問題視されましたが、やはり世間の声の多くは、彼の生存能力の高さや状況判断などに『賞賛』の声が集まりました。
発見されるまでそこに滞在した状況判断力
その地元周辺の自衛隊曰く、彼がたどり着いた自衛隊の施設から夜になると、遠くの方には宿泊施設の灯りが微かに見えるそうで、普通であれば翌日かその日のうちにその宿泊施設を目指して出歩く可能性も考えられるのですが、彼は雨が降り続いていた環境を考慮してあえてそこにずっと滞在していたのです。この状況判断能力も人々から感心されました。
田野岡大和くんの奇跡③まっすぐ駐屯地へ向かう方向感覚
先ほども解説したとおり、家族たちとはぐれてしまい一人っきりで迷子になったその日の夜に、すでに自衛隊の施設にたどり着いていたのです。通報があったタイミングは夕方だったので、それを考慮すると10キロメートル先の施設までほぼ道を間違えずにまっすぐ向かった事が伺えるのです。
彼がまだ幼気な少年であることもそうですが、この近辺の土地勘が備わっていたわけでなく、方向感覚の良さや野生の嗅覚、勘のみでこの地を目指したのです。実際に幸いにも施設は隊員の宿泊する施設であり、温かな布団のようなものも備わっていたので、彼の野生の嗅覚や勘が正しかったと言えるのです。
田野岡大和くん置き去り事件での自衛隊の活躍
実質6日間も行方不明になってしまったが、最終的には無事に元気な姿で奇跡的に生還して救助された少年のそれまでの行動は、私たちを驚かせるほど生命力にあふれて、状況判断も幼気な少年とは思えないほど的確だった事。そんな彼の野生の嗅覚や勘から奇跡的な生還を果たした事が分かっていただけたのではないでしょうか?
前述でも少しお話させていただきましたが、今回の捜索では警察だけではなく救急隊員までもが動員され、更に地元に配属していた『自衛隊』までが動員されるという異例の事態になったわけですが、ここでそんな自衛隊の活躍を振り返ってみましょう。行方不明者を捜索するという異例なミッションにおいて、果たしてどんな活躍を見せたのでしょうか?
田野岡大和くん捜索①200人以上の捜査員で捜索
その当時、捜索隊員はなんと200人以上を超えていたそうです。そして警察官や救急隊員、自衛隊員がそれぞれ横並びに一列になって、彼の身元や手掛かりが落ちていないかを探し出す、いわば『ローラー作戦』という形式をとって捜索しましたが、結局発見する事ができませんでした。