そうして、陰茎をブロージョブすることを強要し、性行為が終わったら解放すると持ち掛けます。
しかし、終了しても解放されることはなく、新たな拷問が始まります。少年の顔をバスタブに沈めてみたり、少年のペニスに火のついたたばこを押し付けたりと、残虐で気色の悪い行為に及びました。
少年が命乞いをしていても意に介さず、最終的にじわりじわりと首を絞めてその少年を殺しました。
単純にフェラチオをさせたり、相手のアナルにペニスを挿入するようなだけでなく、もちろんそれだけでもかなり酷ですが、相手の陰部を傷つけたりと、かなり常軌を逸した行為に及んでいました。
また、解放するための要求を出しておきながら、要求を満たしても解放せず新たな絶望へ突入させて楽しむという、非常に鬼畜な行いを何人もの少年たちに行いました。
ジョンゲイシーの逮捕までの経緯とは
ここではそんな悪魔のような人物であるジョンゲイシーが、捕まるまでどういった流れがあったのかについて述べていきます。
そして、こんなに殺人を犯していたのに、なぜすぐに捕まらなかったかについても触れていきます。
また犯行を行っていた現場の詳細についても述べていきます。家宅捜査員たちが探索するにあたって、想像を超える危険極まりない環境が待ち受けていました。
ジョンゲイシーに少年の捜索願いから疑われることに
ある警部補がバイトが面接に行ったきり帰ってこなかった、ロバートという少年の件について調査をしていました。犯人の候補として、ジョンゲイシーがあがりました。
そこで、ついにジョンゲイシーの家を訪れたのですが、さまざまな異変が潜んでいました。
ジョンゲイシー宅へ警察が家宅捜査に踏み切る
家からはゲイ関係の娯楽物がたくさん出てきました。中には肛門に使用するバイブレーターまで発見されました。それ以上に警部補が違和感を感じたのは、異様な臭いが部屋いっぱいに立ちこめていたことでした。
ただ、その警部補が訪れる前から監視捜査は行われてはいましたが、エリアでも力のある民主党員として強力な権力を持っていたため、なかなかうまく事が運びませんでした。
時には、人権侵害を理由に民事訴訟を起こしたりして、捜査陣は家の中を調べるまでにはなかなか持っていけませんでした。
当時、ゲイシーは交通ルールを無視した運転をしたりと、微罪の犯罪を起こしていましたが、あえて警察は泳がせるためにとがめていませんでした。
その末に、ある人物にマリファナを渡していたという情報を手に入れることによって、ついに家宅捜査のゴーサインを出すことができました。
ジョンゲイシー宅の床下から少年の腐乱死体が発見!即逮捕
強制的な捜査が実行された結果、家の床下から30人近いご遺体が、綺麗に整頓された形で発見されることになりました。しかし、すでにスペースがなくなっていたので、川に流して遺棄していたことも発覚しました。
逃れら用の無い証拠が出てきたことで、ついにマークされていたジョンゲイシーを逮捕することが可能となりました。
ここまで辿り着くのに多くの犠牲者が続出してしまいましたが、このまま逮捕されていなければ、この倍の被害が出てさらに犯行はエスカレートしていたことでしょう。
遺体の発掘作業は地獄絵図だった
家の死体の捜索は、強烈な悪臭との戦いだけでなく、生命の危険に関わるほどの感染に侵される危険を伴いました。死体たちは腐りきっており、強力なメタンガスに部屋の中は支配されていました。
服が臭いに触れただけでも大変なことになり、洗っても臭いが取れないぐらいの強烈さでした。また、衛生面を考え進入時に来ていた服は焼却して処分しなければならないほどでした。
土の中に埋められた死体を掘り起こすと、再度腐食が進行し、危険な物質や毒性の細菌まで検出されました。なんと話によると、放射能で汚染されている環境よりも危険度は上だったとまで伝えられています。
捜査する人々には、使い捨てることのできるジャンプスーツを着用させ、傷の有無を申告させ、ヒゲを剃ることを徹底させました。もちろん、傷があるものは捜査から外して危険の管理をしていました。
犠牲者の年齢については、最年少の者は9歳で、最年長者は20歳の元海兵ととても幅が広かったです。33人中、状態が悪すぎて身元がわからなくなってしまっている遺体が9体ありました。
また、前述で述べた川に捨てられて遺体に関しては、具体的に4体となっております。犠牲者の多くは男娼の者で、ジョンゲイシーの会社で関わる者が多く含まれていました。
ちなみに、家宅捜査のきっかけとなった行方不明の少年であるロバートの年齢は15歳でした。
ジョンゲイシーの裁判の内容と判決は?
数々の殺人を犯して、ようやく逮捕されたジョンゲイシーですが、裁判ではどのような判決を受けたでしょうか。
また、ジョンゲイシーは裁判の場で驚くべきことを主張し始めました。さらに、拘束されてからも再び殺人を犯そうと試みました。生粋の殺人鬼であるようなエピソードもありますので是非ご覧ください。
ジョンゲイシーは終身刑21回、死刑12回の判決が下された
後述で詳しくのべますが、最期の最期まで悪あがきを続けてなんとか、刑を免れようとしました。しかし、最終的には12回に及ぶ死刑判決を言い渡されて、終身判決も21回ほど下されることになりました。
ジョンゲイシー自身が所有する億を超える資産を駆使して、20回を超える上訴をしたり、模範囚のようにふるまったり、時には陰謀によって自身を亡き者にしようとしている者がいるなどの説をほのめかしたりしました。
次にさらにどんな悪あがきを展開していったのかより詳しく見ていきましょう。
ジョンゲイシーは多重人格者説を主張!
とくにかく死刑になることを免れることに躍起になっていたジョンゲイシーは、多重人格者を装うことを試みました。逮捕後に、精神の鑑定を受けるためにシカゴにある精神病院につれていかれることになります。
その時、自身の中に4人の人格が潜んでいて、そのうちの一人が犯行に及んでいたと主張し始めました。
当時、多重人格者で有名な「ビリー・ミリガン」が話題になっており、それに便乗して多重人格者を装って死罪にならないようにしようとしたのではないかと言われています。
しかし、ジョンゲイシーの再三による多重人格の主張は却下されて、偽りの病だと判断されて有罪判決になりました。
ジョンゲイシーは自分で自分の弁護士を務めた?!
以前も法に関わっていたこともあってか、自らの弁護をセルフで行おうとしていました。冤罪を理由に再審請求をして、裁判をできるかぎり延長させることに努めました。
刑務所の中でも、テレビジョンの取材にも積極的に応じて、アーティストや哲学者のようにふるまったり、罪を反省するどころか、いかに少年を殺すことが楽しいのかということを自慢げに語っていたそうです。
世の人々の怒りはさらに増していき、死刑執行を求める声が次第に大きくなっていきました。
ただ、死刑を逃れるためとはいえ、ここまでずうずうしくパフォーマンスを広げるジョンゲイシーに対して各種専門家たちは興味を抱き、たくさんの論文が生み出されることになりました。
ジョンゲイシーが面会に来た少年に暴行未遂!死刑確定に
専門家だけでなく、一般の人々の間でも興味を抱いた人は少なからずいました。その中の一人、18歳のジェイソン少年はジョンゲイシーに手紙を送っていました。
当時は情報管理が甘い世の中だったので、ジョンゲイシーはジェイソンの連絡先を手に入れて、電話で交流するようになりました。
ジョンゲイシーは、彼の興味を引くようなことを巧みに言って、面会する機会をつくることに成功しました。そこで、看守の目を盗んで、隠しカメラの死角になるところにロケートして、少年を暴行しました。
少年の服を脱がせようとした時に、看守が発見して、間一髪少年は救われました。ただ、この行動が決め手となり、ジョンゲイシーは死刑の道が確実なものとなっていきました。
暴行未遂を受けた少年のその後
ジェイソンは、昔から他の服役囚ともコンタクトをとっており、囚人たちの深い所に潜む心理的なものを探るのが趣味だったそうです。
そうして、ジョンゲイシーとの一件以来、シリアルキラーの心理に関する本を著し、犯罪の被害者の弁護をやるようになりました。しかし、2006年に自身の家で自殺をして、生涯を閉じました。