大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件とは?小林正人・大倉淳・芳我匡由の現在

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光市母子殺人事件をきっかけに少年犯罪の厳罰化が進んだといえ、死刑判決にはこのような流れが影響した可能性があります。

以降少年法に関しては何度かの改正が進んでいます。

2014年には有期刑の上限が20年に引き上げられ、2016年には裁判員裁判が始まって以来初となる少年への死刑判決が下ったりしています。現在では、少年法適用年齢の引き下げも議論になっています。

この裁判員裁判が始まって以来初となる少年への死刑判決となった事件について知りたい方はこちらをご覧ください。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件のその後

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死刑判決後、小林正人は名古屋拘置所から東京拘置所に移管され、大倉、芳我の両名は一貫して名古屋拘置所に収監されています。

弁護人による最高裁判決を不当とする集会が死刑判決後に開かれており、小林・大倉両名が名古屋高裁に再審を請求しています。

小林正人・大倉淳は再審請求をするも棄却

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2011年、小林正人は新たな証拠として専門家に依頼した精神鑑定書を提出し、心神耗弱を理由に無罪を主張しています。

小林は、死刑判決が下された背景には少年事件の厳罰化の流れがあったと考えていました。被害者側にも非があると思っていましたが、遺族感情に配慮して黙っていたといいます。

大倉淳も2013年に遺体鑑定書を提出し、自らの暴行が死因になっていないことを主張しています。いずれも2013年に再審請求は棄却されています。

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再審請求は真実をもとに審理してほしいとの思いで要求したものでした。ですが、世間的にみて、あるいは被害者の遺族から見てこの行動はどう映ったでしょうか。

特に遺族には、死刑回避のための行動であり反省があったのだろうかと疑念を抱かせてしまった面がありました。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の死刑囚たちの現在

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このような冷徹な事件を起こした死刑囚たちは、現在どうなっているのでしょうか。牢屋の中で何を思い、日々を過ごしているのでしょうか。死刑囚に関わることがなかったという人々には気になるところです。

今のところ死刑の執行はされていませんが、詳細に見ていきましょう。

小林正人はクリスチャンの女性を「おかん」と慕う

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事件を起こした間もないころは反社会的な態度をとっていた小林正人でしたが、弁護士や教誨師らとの交流を深めるにつれて内省を深めていくようになりました。

1998年頃から面会を続けているクリスチャンの女性を慕い、2006年頃からは「おかん」と呼ぶようにもなりました。犠牲者の命日には祈りを捧げるようになっているといいます。

大倉淳は拘置所内の収入を遺族に渡そうとしている

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大倉淳は、作業によって得られるわずかばかりの収入を被害者遺族へ送ろうとしており、謝罪の手紙も書き続けています。「悔やんでも悔やみきれない」と心境を語っています。

大倉は三人の中で一人だけ遺族と面会をしています。大倉と面会し続けた被害者の家族は、彼の死刑を回避するよう嘆願書を提出しています。

また、クリスチャンの女性と収監中に養子縁組をして、改姓しています。現在は黒沢姓です。

芳我匡由はキリスト教の洗礼を受け聖書を読む

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芳我匡由は、最も篤く教誨に取り組み必死に聖書を読んでいる模様が伝えられています。第一審の段階でキリスト教に帰依し、洗礼も受けています。「もし許されるなら伝道師になりたい」と語っています。

また、芳我は罪を犯した少年達の更生を支援する団体の代表を務めています。非行に走り罪を犯す少年少女の多くは虐待を受けて育っており、自身の体験と重ね合わせて更生への道をつくっていきたいと述べています。

被害者遺族の癒えることのない想い

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で殺された遺族の複雑な胸中を追っていきます。犯罪において忘れられがちなのが被害者およびその遺族です。彼らの思いに、社会は耳を傾けなければなりません。

長良川事件と木曽川事件、二組の遺族の対応を見ると死刑制度とは?といま一度考えさせられます。

人権を奪った者の人権を尊重するとはなにごとか?遺族が死刑回避を望むならしなくていいのか?逆に死刑を望むならしなければならないのか?…意見はさまざまです。

長良川事件にて変わらない苦しみ

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長良川事件の遺族は、当初は少年法に阻まれて加害者少年たちの名前すら分からない状態でした。第3回公判からは公判に通いつめ、主犯格の3人への死刑を強く望みました。

加害者少年たちの悲惨な家庭環境や死刑の制度についても改めて考え直し、同情する部分はあるものの反省の言葉については信用できないとしています。

遺族にとっては、犯人が何歳であっても苦しみは変わらず、死刑への強い思いは消えていません。

木曽川事件にて生きて反省を望む複雑な想い

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一方、木曽川事件の遺族は大倉淳と面会を遂げています。大倉の熱心な謝罪の手紙を読み、心を動かされたのです。

何度か面会を重ねるうち、少年らは集団心理により暴行がエスカレートしていったのではないかと考えた遺族は、大倉は非行グループにさえ入らなければ事件を起こさなかったのではないかと思うようになりました。

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大倉とのやり取りを通して、彼が心から反省していると感じた遺族は、死刑回避の嘆願書も作成しています。もし彼を死刑にするならば自分を死刑にしてください、とまで言い切っています。

死んだ人は戻ってこず悲しみは癒えない。犯した罪は意識し続けてほしい。だが死刑にするより生きて反省し続けてほしい…という複雑な心境を語っています。

芳我匡由の実名報道のあり方の訴えと大倉淳の対応

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少年法では61条の規定により、本人とわかる記事や写真の報道は禁じられています。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件では『週刊新潮』が控訴審での死刑判決にて実名での報道に踏み切っており、最高裁判決後には『毎日新聞』を除く各全国報道機関が実名の報道をしています。

実名報道をするか否かは報道機関によって判断がわかれ、各機関により報道する意義は公表されています。

『週刊文春』に実名報道について損害賠償請求をする

芳我匡由は、第一審の公判中である1997年、『文春』の記事にて「真淵忠良」という仮名で報道をされたことに対し、自ら文藝春秋に対して民事訴訟を起こしました。

仮名とはいえ、実名(旧姓河渕)と同じ読みをする文字が二つ含まれており、関係者が見たら容易にわかるとしてプライバシー侵害および記事内容に対する名誉棄損を訴えています。

芳我匡由の訴えは棄却

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名古屋地裁は少年法61条に照らし合わせ、実名ではないとしても少年の更生を考えない報道は違反として文藝春秋側に30万円の支払いを命じています。

文藝春秋側は控訴するも棄却、裁判は最高裁にまでもつれ込みます。そこでの判断は、面識のない不特定の多数の読者が本人だと推測はできないとされ、少年法には違反しないというものでした。

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名古屋高裁に差し戻された審理では、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は極めて凶悪であり、記事の公表は社会的意義があるとして文藝春秋側の逆転勝訴となりました。

芳我は上告しますが、2004年には最高裁にて棄却され判決が確定しています。

この時代、2000年までには神戸連続児童殺傷事件や光市母子殺人事件など少年による凶悪事件が多発し、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は社会的に関心が高かったという背景がありました。

大倉淳は『フライデー』に写真を掲載される

2011年、死刑判決が出る前にジャーナリストの青木理が大倉淳と面会した時の写真が『フライデー』に掲載されました。

そこには青木理の記事とともに、顔写真が3枚掲載されています。面会場所は撮影禁止となっていますが、大倉の涙にくれる顔がはっきり分かるような写真でした。

編集部は報道の意義を唱え、撮影方法についてはノーコメントでした。法律では拘置所内での撮影は禁止されていませんが、名古屋拘置所のルールでは撮影や録音は禁止されていました。

弁護士に「不服はない」と伝える

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大倉淳は、記事の内容を知るも担当弁護士には記事内容に不服はないと伝えています。事前に撮影されることや、週刊誌に掲載されるということは大倉は知らなかったといいます。

絞首刑 (講談社文庫)

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青木理による取材によって撮影・掲載がされましたが、その模様は青木の著書にも記載されています。

この本は「死刑」について丹念に追ったものですが、特に大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件については詳細に記述されています。この本を読んで贖罪とは何か、死刑は是か非か…何を思うかはその人次第です。

実名による報道の是非が問われた数々の事件

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犯罪においての報道機関による実名での報道は、記事の正確性・信憑性には不可欠なものであり、また公権力の監視という意味でも最も重視されています。

一方で、実名の報道による報道被害が及ぶ場合もあり、特に犯罪被害者や少年犯罪者に関しては議論が起こっています。

少年法と実名での報道

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少年犯罪は、少年法およびメディアの自主規制により、原則匿名報道となります。しかし社会的な関心、事件の重大性を鑑みて実名報道に踏み切った事件もあります。

1989年、女子高生コンクリート詰め殺人事件において『文春』が実名での報道をして、大きな議論を巻き起こしました。

続き1992年の市川一家4人殺人事件、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、1997年の神戸連続児童殺傷事件、1999年の光市母子殺害事件などにおいても実名報道がなされています。

匿名による報道被害もある

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実名を報道しない、匿名での報道による被害も発生しています。

少年法では逮捕・勾留段階での実名での報道は禁止されていませんが、警察も氏名発表はせず、マスコミも自主規制で報道しない場合が多いのです。

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とくにインターネットが発達した現在は、こうした匿名報道により犯人捜しがネットで行われ、無関係な人物を犯人として祭り上げることがあります。

犯人ではないのにネット上に勝手に個人情報が掲載され、脅迫や中傷を受けるといった被害が出たケースがあります。こうしたネット上の中傷に対して訴訟が起きることもありました。

代表的なものがスマイリーキクチ中傷事件です。

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女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人と誤解されたお笑い芸人のスマイリーキクチは、本人の関わるサイトなどに中傷・脅迫の言葉が書き込まれ、芸能活動に支障がでるようになりました。

これは主犯の実名は晒されたものの広くは知られず、ほとんどは匿名の報道であったために犯人の人物像が不確かであったことにも由来します。この事例では21人の男女が検挙されました。

実名報道にせよ匿名報道にせよ、報道機関の報道のあり方が今もなお問われ続けています。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件を風化させない

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は、少年犯罪史に残る最悪かつ凶悪な事件といえます。

が、事件発覚前後は松本サリン事件やつくば母子殺人事件、最後の犯人逮捕時には阪神淡路大震災、死刑判決時は東日本大震災が起こり、報道自体は少ないものでした。よって、知名度的には低いのかもしれません。

本事件は少年犯罪と実名報道、死刑存廃問題などの、今でも続く様々な諸問題をはらんだ事件でもあります。戦後史に残る未成年の犯罪として社会を震撼させており、決して風化させてはいけないものといえましょう。

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