大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の死刑囚たちの現在
このような冷徹な事件を起こした死刑囚たちは、現在どうなっているのでしょうか。牢屋の中で何を思い、日々を過ごしているのでしょうか。死刑囚に関わることがなかったという人々には気になるところです。
今のところ死刑の執行はされていませんが、詳細に見ていきましょう。
小林正人はクリスチャンの女性を「おかん」と慕う
事件を起こした間もないころは反社会的な態度をとっていた小林正人でしたが、弁護士や教誨師らとの交流を深めるにつれて内省を深めていくようになりました。
1998年頃から面会を続けているクリスチャンの女性を慕い、2006年頃からは「おかん」と呼ぶようにもなりました。犠牲者の命日には祈りを捧げるようになっているといいます。
大倉淳は拘置所内の収入を遺族に渡そうとしている
大倉淳は、作業によって得られるわずかばかりの収入を被害者遺族へ送ろうとしており、謝罪の手紙も書き続けています。「悔やんでも悔やみきれない」と心境を語っています。
大倉は三人の中で一人だけ遺族と面会をしています。大倉と面会し続けた被害者の家族は、彼の死刑を回避するよう嘆願書を提出しています。
また、クリスチャンの女性と収監中に養子縁組をして、改姓しています。現在は黒沢姓です。
芳我匡由はキリスト教の洗礼を受け聖書を読む
芳我匡由は、最も篤く教誨に取り組み必死に聖書を読んでいる模様が伝えられています。第一審の段階でキリスト教に帰依し、洗礼も受けています。「もし許されるなら伝道師になりたい」と語っています。
また、芳我は罪を犯した少年達の更生を支援する団体の代表を務めています。非行に走り罪を犯す少年少女の多くは虐待を受けて育っており、自身の体験と重ね合わせて更生への道をつくっていきたいと述べています。
被害者遺族の癒えることのない想い
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件で殺された遺族の複雑な胸中を追っていきます。犯罪において忘れられがちなのが被害者およびその遺族です。彼らの思いに、社会は耳を傾けなければなりません。
長良川事件と木曽川事件、二組の遺族の対応を見ると死刑制度とは?といま一度考えさせられます。
人権を奪った者の人権を尊重するとはなにごとか?遺族が死刑回避を望むならしなくていいのか?逆に死刑を望むならしなければならないのか?…意見はさまざまです。
長良川事件にて変わらない苦しみ
長良川事件の遺族は、当初は少年法に阻まれて加害者少年たちの名前すら分からない状態でした。第3回公判からは公判に通いつめ、主犯格の3人への死刑を強く望みました。
加害者少年たちの悲惨な家庭環境や死刑の制度についても改めて考え直し、同情する部分はあるものの反省の言葉については信用できないとしています。
遺族にとっては、犯人が何歳であっても苦しみは変わらず、死刑への強い思いは消えていません。
木曽川事件にて生きて反省を望む複雑な想い
一方、木曽川事件の遺族は大倉淳と面会を遂げています。大倉の熱心な謝罪の手紙を読み、心を動かされたのです。
何度か面会を重ねるうち、少年らは集団心理により暴行がエスカレートしていったのではないかと考えた遺族は、大倉は非行グループにさえ入らなければ事件を起こさなかったのではないかと思うようになりました。
大倉とのやり取りを通して、彼が心から反省していると感じた遺族は、死刑回避の嘆願書も作成しています。もし彼を死刑にするならば自分を死刑にしてください、とまで言い切っています。
死んだ人は戻ってこず悲しみは癒えない。犯した罪は意識し続けてほしい。だが死刑にするより生きて反省し続けてほしい…という複雑な心境を語っています。
芳我匡由の実名報道のあり方の訴えと大倉淳の対応
少年法では61条の規定により、本人とわかる記事や写真の報道は禁じられています。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件では『週刊新潮』が控訴審での死刑判決にて実名での報道に踏み切っており、最高裁判決後には『毎日新聞』を除く各全国報道機関が実名の報道をしています。
実名報道をするか否かは報道機関によって判断がわかれ、各機関により報道する意義は公表されています。