プチエンジェル事件の真相|犯人の生い立ちや顧客名簿の行方、少女の現在は?

2003年に起きたこの事件。被害者たちが監禁されたものの、犯人自殺という結末で一応は解決した事件です。しかし、犯人が営んでいたロリータクラブの顧客名簿には皇族や政治家の名もあったといわれ、事件後には偏向報道もされ、組織による圧力がかかったのではないかと噂されています。

この記事をかいた人

オカルト関連や生物関連の記事記事を執筆する意欲にあふれています。よろしくお願いいたします。

プチエンジェル事件とは?多くの闇が残された衝撃の事件

Free-Photos / Pixabay

これはその残虐さと噂される客層から非常に闇の深いものとして今もなお語られ続け、人々の記憶に残る事件として知られています。ここではまずこれがどんなものなのか、簡単に紹介したいと思います。

2003年7月に起こったプチエンジェル事件

Manuchi / Pixabay

この事件は売春を専門とする風俗店の経営者の男性が引き起こした事件で、これによってまだ未成年の被害者が複数名拘束されるという非常に恐ろしい事件です。そして犯行内容の非情さもさることながら、この事件を更に恐ろしく飾るのはこの店の客層だとされています。

今回の現場となった店では未成年を勤務させており、さらにほとんどが都心部で家出などで行き場をなくした子供達でした。このようにこの事件はどろどろとしたどす黒いものだというのが分かるかと思いますが、次からこの事件が真に恐ろしいといわれる点について見ていきます。

プチエンジェル事件の捜査は打ち切りに?もみ消され事件の真相とは

geralt / Pixabay

この事件は捜査が非常に中途半端な時点で打ち切りを食らったという不審な点にも注目が集まりました。まるで警察が見てほしくないものをとっさに隠すようなこの怪しい対応に、世間では何か関係があるのではないかと黒い噂が出回るようになりました。

さらにはこの事件で判明したこの店の客層についてもとてつもない大物の名前が挙げられているといった噂が浮上し、打ち切りはこれをもみ消す為だったのではないかと話題になりました。このようにこの事件は様々な隠さなければならない要素が多分に含まれているとされる非常に闇の深い事件として知られているのです。

プチエンジェル事件の概要【時系列順で整理】

4657743 / Pixabay

ここまで簡単にではありますがこの事件の内容について紹介していきました。次からはこの非情な事件の詳しい事件の内容について、時系列に沿ってどのように行われていったのか、見ていきたいと思います。

2003年7月に被害者の少女と吉里弘太郎が接触

stux / Pixabay

この日に男性は下準備として最初の被害者である少女に接触し、金品を渡しています。こうしてた事から始まっていく今回の内容についてこの時点でどこまで進んでいたのかについては不明なままとなっています。

そしてその後二人は連絡を取りあう関係になっており、この時点である程度の関係性を構築していたものと思われます。犯人はこの頃証拠隠滅の為か所有していた自家用車を売却しており、その中には非常に高額な自動車も含まれていました。

7月13日に被害者となる少女4人を部屋へ誘い込んで監禁

そして班犯人は自動車を売却したのと同じ日に事件が行われるマンションの部屋を借りる契約をし、そこに今回の事件の被害者数名を金品で誘い込み、監禁したのです。最初に連絡を取りあっていた被害者以外の少女たちが元々この犯人の経営する店に勤務していた人物なのかどうかは不明とされています。

犯人はその後態度をがらりと変え、厳重に拘束し、マンションの部屋から逃げられないようにしました。その際に逃げようとした被害者は犯人に捕まえられ、怪我を負ってしまいます。こうして犯人による監禁から戦慄の事件は開始となったのです。

7月13日に被害者少女の親が捜索願を出す

steve_a_johnson / Pixabay

こうして始まってしまった事件ですが、夜になってもいつまでも帰ってこない自分の子供を心配した親達は深夜に捜索願を出しています。犯人と思われる人物については前々からマークをしていた警察は事件と判断し一気に捜査に乗り出します。

こうして始まった今回の事件の捜査ですが、この事件はここから予想だにしない顛末を迎え、そして関係各所の不審な動きも合わさって注目が集まることとなります。次からは事件に対しての不審な動きについて見ていきます。

7月16日より4人の少女が行方不明であるとマスコミが報道

frkotou / Pixabay

こうして捜査も始まり、この事件も世間に明るみにされることとなったのですが、これに関して少々不信ともとれる点がいくつかあるのです。まず報道というのは事件が判明した際にすぐに発信されるものですが、今回はなぜか何日か時間をおいてからの発信という少しおかしいものでした。

なぜ遅れたのかについて、考えられる点は非情な性的な犯罪であることからくる報道規制、もしくはこの事件に関係している存在を考慮しての少し間を置いた情報発信だったのではないかと言われ、これに関しては様々な噂が交錯していました。

同じく7月16日に吉里弘太郎が練炭自殺を図って死亡

Hans / Pixabay

そしてこの報道のすこし後、男性はなんと自らの命を絶つこととなります。自殺には今回の犯行の前に購入していた道具を用い、そしてそれによる一酸化炭素中毒によってその命を無責任にも絶っていたのです。

しかしながらこの自殺に関しては非常に多くの不可解な点があり、そもそもこれは自殺ではなく、他殺ではないかといった説も存在する程です。今回の事件には非常に大きな存在が潜んでいるという噂も手伝って、非常に謎の残る最後となりました。

7月17日に少女が部屋から脱出し4人とも保護

haalkab / Pixabay

こうして犯人が自殺するという衝撃の展開を迎えた今回の事件ですが、その後監禁されていた被害者たちが何も音がしなくなったことに気づきそれに乗じて部屋から出ることに成功します。そしてその際に死んでいる犯人を目撃しています。

そして監禁されていたマンション付近の店の女性に助けを求め、そして警察に全員保護されることとなりました。こうして事件は一応の終結を迎えますが、しかしそれ以上に数多くの謎や後述する事件の打ち切りといった不審な点を残すこととなったのです。

プチエンジェル事件の犯人・吉里弘太郎とはどんな人物?

8385 / Pixabay

ここまで今回の事件の詳細な事件内容について見ていきましたが、ではこの事件を起こした犯人は一体どんな人物で、どのような人生を歩んで今回の犯行を起こしたのでしょうか。ここからこの男性の経歴について見ていきたいと思います。

エリート家系育ち?裕福な家庭に生まれた吉里弘太郎

stuart_roger_miles / Pixabay

犯人の男性は詳細な経歴については不明とされていますが、エリート一家に生まれたといわれています。ここまでは分かっているのですが、幼い頃の犯人がどのような人物だったのか、詳しい情報は不明という謎の多い人物であることが分かります。

また、家族についてですが父親は新聞会社の責任者で有能な人物だったようです。しかし難病を患い最終的には自殺によってこの世を去っています。このように家族も自殺によってこの世を去っており、幸福な家族とはいいがたい状況に身を置いていた事が伺えます。

東京芸術大学卒業後にはホストクラブでアルバイトもしていた

Pexels / Pixabay

犯人の大学に関しての経歴ですが、どうやら東京の大学を卒業しており、こういった面ではいたって普通の人生を歩んでいることが分かります。そして卒業後は大学で勉強していたデザイナー関係の仕事をしています。

また、この男はこの頃には補正数名と関係を持っており、金銭面で援助をしてもらう形で付き合いをしていました。さらにはルックスの良さからホストとして勤務していた経歴もあり、こういった面からもこのような人心掌握には才能があったのだと思います。

その後ロリータクラブ“プチエンジェル”を開業

thomaspedrazzoli / Pixabay

そしてこのような生活の後、犯人は今回の事件を引き起こした店を開業します。この店は勤務する女性が全員未成年であり、そのほとんどが行き場をなくした都心で暇をつぶしたり家出をした子供達でした。未成年に売春をさせるという、非常に恐ろしい経営がここで行われていたのです。

NEXT その後ロリータクラブ“プチエンジェル”を開業