フェスティバルゲートの現在の姿は?廃業の経緯や心霊の噂など紹介

フェスティバルゲートとは、バブル期に建設された遊園地です。開業当時は人々で賑わいましたが、経営不振により閉園となり現在は別の建物になっています。この記事では在りし日のフェスティバルゲートの姿や心霊の噂、現在はどうなっているのかなど紹介していきます。

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フェスティバルゲートとは?バブル期に作られた遊園地

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フェスティバルゲートとは、かつて大阪の新世界という大都会に突如として出現した大型アミューズメントパークです。現在は廃業し、暫く負の遺産としてその地に廃墟だけ残されていました。

フェスティバルゲートは大阪市浪速区に建設された

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フェスティバルゲートは、1997年に大阪の観光スポットである新世界の現在のスパワールドの隣に鎮座していた超人気アミューズメントパークでした。

人気の観光地でもあり、地元の人からの人気もすごかったので、営業当時は多くの客が連日訪れていました。動物園前駅と一体化していたため、廃業後も廃墟化した施設内を通り抜けできたというのはかなり特殊でした。

現在は廃業しており跡地には別の建物が建っている

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ですが、開業した初年度こそ爆発的な人気を見せたフェスティバルゲートは07年の7月で全てのテナントが営業を終了し、現在は廃業して廃墟化しています。

その跡地には再計画や韓国系の企業の買収情報などの噂がありましたが、競売でマルハンが入札し、施設は取り壊され、跡地には新たにマルハンとメガドンキの複合施設が建てられてます。

フェスティバルゲートはどんな遊園地だった?

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では、この約10年間という短い期間の間人気を博したフェスティバルゲートは、どういった施設だったのでしょうか?細かく紹介します。

都市型立体遊園地としてオープンしたフェスティバルゲート

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大きな都市の中に現れたで、8階建てで、2階部分から吹き抜けで、レストランなどのグルメやショッピング系のテナントも多く連ねていました。

遊園地と商業施設を一体化した造りになっている

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やはりフェスティバルゲートの一番の売りは、大きな商業施設の中に遊園地があり、まさに融合されている点ではないでしょうか?

同じ敷地内に別々でただ並んでいるわけではなく、レストランやショッピングなどが楽しめる他、建物の中に遊園地があるので、他では類を見ない複合施設でした。

海底に沈む古代都市をイメージした大胆なデザイン

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建物は海底に沈む古代都市をイメージしており随所にその工夫が見られます。所々にヒビが入っていますが、それが劣化によるものか演出かはわかりません。

さらに驚くべきところは、この建物を突き抜けて走るジェットコースター(デルピス・ザ・コースター)はまさにこの建物の象徴でした。

フェスティバルゲートのマスコットキャラ「タラッタくん」

当然ショーなどをやるようなアミューズメントパークにはマスコットキャラクターが存在します。勿論、フェスティバルゲートにも存在していました。

タラッタ(ギリシャ語で海)くんというキャラクターは開園してから一般公募でイラストレーターの久保晶太により誕生しました。

フェスティバルゲートの歴史について

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短い期間ではありましたが、多くの人を魅了し、人気を博したフェスティバルゲートですが、次はその歴史を振り返ってみましょう。

フェスティバルゲートは元々車庫として使われていた

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元々このフェスティバルゲートがあったこの土地は、大阪市交通局の所有地であり、「市電天王寺車庫」又の名を「露町車庫」という名前の車庫がありました。

区画を2つに分けて片方がフェスティバルゲートに

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89年の開発プロジェクトの計画により車庫のあった跡地をABで分断させました。その片方の土地がのちのフェスティバルゲートになります。

フェスティバルゲートは3つの銀行による共同事業だった

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このプロジェクトは「東洋信託銀行」と「中央信託銀行」、そして「三井信託銀行」の三社による共同事業からなる一大プロジェクトでした。

もう1つは今も営業中のスパワールドとなった

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ABに分断された土地はそれぞれAがフェスティバルゲートでBに現在も営業中のスパワールドが建設され、同時期に営業開始しました。

2007年にフェスティバルゲートとしての営業が終了

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97年にオープン以来、多くの来客に恵まれ人気を爆発させ、開業初年度の来客数は830万人を超えました。ですが次第に人気は衰退し07年に営業終了しました。

フェスティバルゲートは何故閉鎖してしまったのか?

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ではあれだけ人気があったにも関わらず、どうしてスパワールドは残り、フェスティバルゲートは廃業して廃墟化してしまったのでしょうか?

閉鎖の原因その①交通の便がよくなかった?

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そもそも御堂筋線とバスターミナルと直結してはいましたが、「キタ(梅田駅周辺)」や「ミナミ(難波駅周辺)」といったターミナル駅からは離れていました。

フェスティバルゲートは駅直結という好立地でありながらも、遠方からの来客者には少々不便な立地であることから、原因の一つとして考えられます。

閉鎖の原因その②アトラクションが陳腐化

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さらに、遊園地の人気の鍵となるのが新アトラクションの登場ではないでしょうか?人気のパークではよくニュースになっていたりもします。

ですがフェスティバルゲートは商業施設内に遊園地があるため、構造上、アトラクションの新設や改修が難しかったのです。

それもあってか、来客数が年々減少したのには、遊園地側へのマンネリ化があった可能性も十分に考えられるでしょう。

閉鎖の原因その③警備費用がかかる

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入場料が無料であったため、誰でも施設内に入ることができました。その為、浮浪者などの溜まり場になるのを避けるために警備員の数が非常に多かったのです。

これにより、警備員の配置にかかる人件費が膨大であったのではないかと推測されます。

閉鎖の原因その④あまり治安がよくないから?

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元々新世界(恵美須町界隈)は、「治安の悪いイメージ」がある方が非常に多いのではないでしょうか?

その理由として、南側にある「あいりん地区」というのがあり、昔は度々暴動が起きていた地域でもありました。

それもあり、女の子だけ、お母さんと2人で、などといった感じでラフに訪れられるようなスポットでもなかった可能性があります。

何故「あいりん地区」は治安が悪い?

そもそもあいりん地区は主要のターミナル駅や街にすぐアクセスできるという好立地でありながら、江戸時代にはスラム街的な要素がありました。

近年では街を活性化させるために多くのろうどうしゃをひつようとし、次第に仕事を求めて地方からこのあいりん地区へ人が流れてきました。

仕事にあぶれた人は横丁や新世界に散り、朝から酒を煽る様になると、次第に酔っ払いが多い街として変貌して行ったのです。

何度もクリーン化を図った

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大阪市は、新世界周辺の治安が悪いことを認識していて、それらを打破するために、いくつかの事業を起こしました。その一つがフェスティバルゲートでした。

低年齢層をターゲットにし、さらに、ファミリー層をターゲットにしたスパワールド、そして阿倍野区を再開発しましたが、効果は見られませんでした。

結局大して変わらず?

現在は阿倍野区にあべのハルカスが建設され、フェスティバルゲートは廃業しましたが、周辺施設は未だ人気継続中で観光客は増えました。

その観光客の中に外国人が多く、そのおかげで少しは改善傾向にある様ですが、現在でも多くの日雇い労働者が溢れ、ホームレスも多いので、クリーン化とまではいきません。

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